お花畑で暮らしてる ~婚約者には将来を誓い合った幼馴染がいました~
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(ご都合主義のゆるふわ設定なので、細かいことは気にせずふんわり読んでいただけると助かります)
貴族の子女たちが通う学園内の喫茶室で、アイリス・ベルは困惑していた。
午後の授業が終わり、アイリスは婚約者と待ち合わせをしていた。その婚約者であるローガン・フォスターが、見知らぬかわいらしい女性を連れていたのだ。アイリスの向かいの席にローガンが座り、そのとなりに彼女が座ったのを見て、困惑は頂点に達した。
「彼女はミミリー。シェイファー男爵家の娘で、僕の幼馴染なんだ。アイリス嬢と気が合うと思う。仲よくしてほしい」
ローガンが紹介し、
「ミミリー・シェイファーと申します」
かわいらしい女性は、なんだか申し訳なさそうな、戸惑った様子でそう名乗った。
アイリスとローガンの婚約が決まり、顔合わせも終え、婚約者同士での初めての交流の場であった。空き時間を有効利用しようとしたアイリスの希望により、場所は学園内の喫茶室というお手軽な感じは否めないが、しかしそれでも、こういう場にこんなにかわいらしい女性を同伴するなんて、いったいどういうことなの。アイリスの困惑は続いていたが、
「アイリス・ベルと申します」
このままでは話が進まないので、とりあえずこちらも名乗っておくことにする。
「幼馴染でいらっしゃるということは、ローガン様とは領地でお知り合いに?」
「ええ。領地が近いこともあって、ローガンとは幼いころはよく一緒に過ごしたのです」
「そうなのですね」
アイリスはミミリーの言葉にうなずき、公爵家の三男であるローガンをミミリーが敬称なしで呼んだことから、幼馴染と公言するだけあって、ふたりがかなり親しい間柄だと推測した。それと同時に、シェイファー男爵領は確か羊毛の産地だったはず、と頭の中の情報を引っ張り出す。
「ミミリー様とお呼びしても?」
「もちろんです」
ミミリーは、ふんわりとやわらかく笑んでうなずいた。同性のアイリスから見ても、かわいらしいと思うような笑みで、アイリスの胸は、ぽ、とあたたかくなった。ミミリーを紹介して以降、黙ったままのローガンのほうへちらりと視線をやるが、彼の顔からは感情が読み取れない。ローガンはなにも考えてなさそうな顔で、置物のようにただそこに座っていた。ローガンがなにも言わないので、アイリスは少しでもこの状況を理解するための情報を引き出そうとミミリーに話しかける。
「ミミリー様も、今年ご入学を?」
この国の貴族の子女は、十五歳になると王都の学園に入学し、十七歳までの三年間、共に学ぶことが習慣になっている。義務や強制ではないが、よほどの事情がないかぎり、十五歳になった貴族子女たちは学園に通うことになる。おそらくミミリーも、アイリスやローガンと同学年だろうと見当をつけ、尋ねると、
「ええ。実はわたし、少し身体が弱かったのです。本当は入学は無理かと思っていたのですが、遅れることもなく無事入学できました」
ミミリーが言い、
「ミミリーは、病弱でね。これまでは領地で療養をしていたのだ」
その言葉を補うように、いままで置物だったローガンが突然口を開いた。
「もうお身体の調子はよろしいのですか?」
ローガンを半分無視して、アイリスはミミリーに尋ねる。
「ええ。数年前から新薬が普及したことにより劇的に改善いたしまして、以前にくらべ本当に元気になったのです」
うれしそうに答えるミミリーの表情は、健康への感謝にあふれているように見えた。
「まあ、それはよかったです」
アイリスはそう言いながら、ローガンの意図が読めず、相変わらず困惑していた。ミミリーと仲よくしてほしいとローガンは言ったが、その意味もよくわからない。ローガンと結婚した場合、シェイファー男爵家とも付き合いがあるからだろうか。しかし、ローガンのほうがアイリスの実家であるベル伯爵家に婿入りするのだから、その付き合いは次期公爵であるローガンの長兄が引き継ぐはずである。まあ、シェイファー男爵家なら、縁をつないでおいても損はない気はするけれど。などと、アイリスはあれこれ考えるが、しかし考えても答えは出ない。
「ところで、ローガン様はなぜ、私とミミリー様に仲よくしてほしいのです?」
痺れを切らしたアイリスは、答えを知りたくてローガンに率直に尋ねた。
「……きみを信用して、正直に話すよ」
ローガンは、たっぷりと間を取って、妙に重たい口調で言った。いいから早く聞かせなさいよ。アイリスは思うが、表面上はそんな思いはおくびにも出さず、ゆっくりと瞬きをして、おっとりと微笑む。
「僕とミミリーは、幼いころからよく一緒に過ごしていてね……」
「ええ」
それさっきミミリー様から聞いた。さっさと本題に入りなさいな。そう思いながら、アイリスは相槌を打つ。そんなアイリスの苛立ちを知らないローガンは、勿体ぶった遠まわしな言葉でミミリーとの関係をのらりくらりと説明したのだが、つまり、とアイリスはローガンの説明を頭の中で簡潔にまとめてしまう。ふたりは幼いころから将来を誓い合った仲だったが、アイリスとローガンの婚約のせいで、その仲を引き裂かれた、らしい。
「お話はわかりました」
ローガンのまわりくどい説明を遮って、アイリスは言う。
「幼いころからのおふたりの想いは、決して軽く扱っていいものではございませんわ!」
アイリスは思わずこぶしを握って、強い口調で言った。
「えっ。わ、わかってくれるのか」
ローガンが、意外そうに、しかしうれしそうに言う。
「ええ、もちろん。おふたりのお気持ち、よくわかります」
「ベル伯爵令嬢……本当ですか? 本当にわかってくださるのですか?」
ミミリーが泣きそうになっている。
「アイリスでいいわ、ミミリー様。私たち、もうお友だちよ」
アイリスは励ますようにミミリーに言う。
「ありがとうございます、アイリス様」
とうとう泣き出してしまったミミリーにローガンがハンカチを差し出している。
「この件は、急ぎ、父にも申し伝えます」
気持ちが急いたアイリスのその言葉を、
「いや、待ってくれ! ベル伯爵には言わないでほしい。折を見て僕のほうから説明したい」
ローガンは慌てたように止めた。
「わかりました。では、父には言わないでおきます」
「ああ、わかってくれてよかった」
だけど、婚約解消するならお互い早いほうがいいわよね。お父様に言ってはいけないのなら、お母様に相談しましょう。こうしてはいられない。早く帰らなくては。アイリスは、挨拶もそこそこに席を立つ。
「ミミリー様、つらかったわね。でも、きっと大丈夫。あきらめないで、気をしっかりね」
そうミミリーに言い、戸惑いながらも恐縮するミミリーを気にしないようなだめて、
「それでは、おふたりとも。また後日」
アイリスは笑顔で喫茶室をあとにし、迎えの馬車に乗り込んだのだ。
アイリスとローガンの婚約は、ローガンの父であるフォスター公爵が強く望んで成ったものだった。
きっかけは、ベル伯爵領の鉱山から、赤い石が採掘されたことによる。その石がなんなのかまだ不明なうちに、この国では希少な紅玉かもしれない、と先走って考えたフォスター公爵が、他家に囲い込まれる前に、と、ベル伯爵家とのつながりを強く欲したのだ。かつての王弟を先々代に持つ公爵家からの熱心な打診を、気の弱いベル伯爵は断れなかった。そう、本当は断りたかったのだ。なぜなら、一人娘のアイリスには、将来を約束した幼馴染がいたからだ。
アイリスの幼馴染であるライリーは、アイリスの三つ年上で、フラン子爵家の次男であり、アイリスのもとへ婿入りさせても支障はない立場だった。政略的な旨みはなかったが、また不都合もなかった。なにより、ふたりは幼いころから想い合っていた。成長してもその想いは変わらないということを確認し、ライリーの学園卒業とアイリスの学園入学が重なったタイミングで、そろそろ婚約を結ぼうというときになって、フォスター公爵家から横槍が入ったのだ。
アイリスの気持ちを置き去りに決まってしまった婚約者、ローガンは線が細く美しい顔立ちをしていた。しかし、顔合わせの際にアイリスが抱いたローガンへの第一印象は、なんだか弱そう、であった。こんな、私をなにからも護ってくれなさそうな人と婚約だなんて。アイリスは、ライリーの強くたくましい姿を思い出し、その晩も涙で枕を濡らした。
「自分だけが不幸だと思っていたけれど、違ったのね。恥ずかしい」
馬車の中で、アイリスは呟く。
婚約が決まってしまってから、アイリスは毎日のように泣き暮らしていた。父に向かって、「お父様なんて大嫌い!」と何度言ったかわからない。一日に一度は必ず言うよう心がけていた。赤い石さえ出なければ、と赤い石を恨んだりもした。しかし、今日、ローガンも同じ境遇だったと知って、アイリスはショックを受け、自分を恥じた。この世界で自分がいちばん不幸なのだと思い込み、今日まで鬱々とした日々を過ごしていたアイリスだが、しかし、それは間違いだったと思い知ったのだ。政略で仲を裂かれたのは、アイリスとライリーだけではなかった。ローガンとミミリーだって、この婚約の被害者だ。
私だけがこの婚約を嫌がっていると思い込んでいたなんて、本当に恥ずかしい。ローガン様だって同じだったのに。アイリスは、あまりの恥ずかしさに叫び出したくなった。しかし、ぐっとこらえ、自分の視野の狭さを反省しながら、叫ぶかわりに低くうめいた。
タウンハウスに戻ったアイリスは、さっそく母にローガンとミミリーのことを伝えた。ローガンとミミリーがいかに愛し合っているか、家同士の政略での婚約のせいで引き裂かれたふたりの純愛を、感情をたっぷり込めて、ときに涙ぐみながら説明したのだ。アイリスもふたりの気持ちが痛いほどわかるので、ついつい感情が乗って大げさに話してしまったことは否めない。
「ローガン様は、お父様にはご自分で説明したいとおっしゃっていたのですが、お母様にはお伝えしておこうと思いまして」
アイリスは涙を拭いながら、ふたりの物語の締めにそう言った。
とはいえ事の次第は、すぐに母の口から父であるベル伯爵にも伝えられた。アイリスの気持ちを知っており、もともとこの婚約に乗り気ではなかった両親は、あちらの子息も同じ境遇だと知り、いたく同情した。家の都合で、お互いの子どもが犠牲になるなんて。せめてローガンがアイリスとの婚約に納得しているのなら大事にしてもらえるのでは、と思っていたのに、彼にも幼いころからの想い人がいたというではないか。どちらも幸せになれないとわかっているのに子どもたちに望まない結婚を強いるなんて間違っている。
ベル伯爵は、今度こそ気持ちを強く持ち、この婚約の解消に向けて動くことを決意する。もうこれ以上、かわいい娘に嫌われたくない。その一心で。
こうして、ベル伯爵家からフォスター公爵家へと速やかに連絡が行き、そして親同士の話し合いの末、アイリスとローガンの婚約は円満に解消された。
後日、父であるフォスター公爵の書斎に呼ばれ、アイリスとの婚約が解消されたと聞かされたローガンは驚き、「なぜです!?」と、思わず大きな声を出してしまった。
「なぜって、おまえがアイリス嬢に相談したのだろう」
「そ、それは……! 確かにそうなのですが……アイリス嬢には黙っているように言ったのに……」
ローガンの独り言のように呟かれた後半の言葉を拾い、
「おまえは自分でベル伯爵に説明したかったらしいが、アイリス嬢が夫人に相談し、夫人から伯爵に話が行き、そこからすぐに伯爵から連絡があったのだ」
フォスター公爵が言った。確かに、アイリスはベル伯爵にはなにも言っていないらしい。しかし、伯爵には言わないでほしいと言ったのはそういうことではない。夫人に話してしまったら同じじゃないか。ローガンはそう思ったが、そんなことを父に言うわけにはいかない。
「おまえがそうまでしてシェイファーの娘と一緒になりたかったなんて知らなかった。勝手に婚約を決めてしまって悪かったな」
「でも、あちらは納得されたのですか? アイリス嬢との婚約は、あちらからの申し込みだったのですよね?」
次期当主である長兄の婚約が決まると、次兄とローガンにも婚約の打診が次々と届くようになった。次兄もローガンも見目が麗しいうえに、公爵家との縁もつなげるとなると引く手あまただった。だから、アイリスとの婚約も、父がその中から選んだのだと、ローガンは思っていた。
「誰がそんなことを? こちらから無理を言って婚約を結んでもらったのだ」
しかし、フォスター公爵はそれをあっさりと否定した。そして、
「おまえがシェイファーの娘とそこまで懇意にしているとは知らなかったからな、相手は誰でも文句はないものだと思って、ろくな説明もしていなかった。すまない」
そう軽く言い、ローガンに今更ながらこの婚約の詳細を説明した。
ベル伯爵の領地から紅玉かもしれない赤い石が採掘されたこと。他に目をつけられる前にと伯爵の人の好さにつけ込んで無理を言ってアイリスとローガンの婚約を結んでもらったこと。しかし、このたび、ローガンとミミリーのことをアイリスが知り同情したことに加え、ベル伯爵領の赤い石が、紅玉ではなく赤瑪瑙だったと判明したことにより、婚約は円満に解消となったこと。
「赤瑪瑙もいいが、紅玉にくらべるとなあ。赤い石の正体が判明するまで待てばよかったのだが、アイリス嬢の婚約が決まりそうだという噂を聞きつけて、急いてしまったのだ。ああ、そうだ。彼女も、もともと婚約する予定だった令息と、無事に婚約がまとまったらしい。アイリス嬢にも申し訳ないことをした。おまえとの婚約が決まってから毎日、泣いていたというじゃないか。可哀想なことをしたよ」
「泣いていたとは、どういうことですか」
まさか、うれしくて……と一瞬思ったが、
「アイリス嬢も、おまえと同じさ。将来を誓い合った幼馴染がいたのだ」
ローガンのその前向きすぎる勘違いはフォスター公爵の言葉であっさりと正された。
「え、幼馴染……」
「今回のことで、私も目が覚めた。紅玉に目が眩んで、おまえのことも、アイリス嬢のことも、不幸にするところだった。申し訳なかった」
殊勝な態度を装っている父だが、赤い石が紅玉ではなく赤瑪瑙だと判明したからこそだろう、とローガンは思う。それよりも、アイリスに他に好きな人がいたらしいこと、アイリスはローガンのことを好きでもなんでもなく、それどころかローガンとの婚約を嫌がって泣いていたらしいことを知って、ショックを受けていた。ローガンは、アイリスは自分のことを好いてくれていると勘違いしていたのだ。
ローガンは、確かにミミリーを愛していたが、ミミリーとの結婚には、実はあまり乗り気ではなかった。シェイファー男爵家を継ぐのはミミリーの兄である。ミミリーと結婚するとなると三男である自分は貴族ではいられなくなるだろうということを理解していた。だから、ミミリーと親しいということをあえて父には黙っていた。
急に婚約が決まり、婿入り先が伯爵家だと知り、悪くないとローガンは思った。顔合わせの席で初めて会ったアイリスは、ふんわりとかわいらしいミミリーとはまた違った雰囲気の楚々とした女性だった。気が強そうな顔立ちではあるが、目のふちが薄っすらと赤く、憂いをおびていてどこか儚げな印象を受ける。こんな美しい人が、僕のことを好いてくれているなんて。ローガンは、舞い上がった。この婚約はベル伯爵家からの申し込みだと思っていたため、そんな勘違いをしてしまったのだ。
是非アイリスと結婚したい。だが、ミミリーのことも手放したくない。ローガンは、そんなことを思ってしまった。
魔が差したのだ。
ローガンは、ミミリーとの関係を続けたまま、アイリスと結婚することを画策した。
アイリスに黙って、ミミリーとの関係を続けるというのがいちばんよかったのだが、ローガンとアイリスの婚約が決まったことを知ったミミリーが身を引くと言い出した。ローガンは、ミミリーを必死に宥め、「愛しているのはきみだ」「僕にすべて任せてほしい」などど適当な言葉で言いくるめ、なんとか引き留めた。
そんなこともあり、アイリスに黙って事を進めるのが難しいと思ったローガンは、いっそ、ふたりを会わせてみようと考えた。容姿の雰囲気は違えど、ふたりはおっとりとしているところは似ていたので、もしかしたら気が合うかもしれないと思ったのだ。アイリスが、ローガンとミミリーの境遇に同情してくれれば御の字、さらに、ふたりが仲よくなってくれれば、アイリスとの結婚後も、ミミリーと三人で良好な関係を築けるのでは、と浅はかな考えを抱いてしまった。
とはいえ、「アイリスはローガンのことが好き」なので、ミミリーの存在を拒否する可能性もある。もしもアイリスが嫉妬して嫌がったら、少し可哀想だが、婚約解消をチラつかせて黙らせようと愚かにも考えていた。もちろん、婚約をどうこうする権限はローガンにはないので、口先だけである。それでも、アイリスはローガンと結婚したいと思っているはずだから、きっと言うことを聞くだろう。
そういうわけで、さすがに非常識では、と固辞するミミリーを半ば無理矢理にアイリスとの交流の席に同席させたのだ。
冷静に考えれば、うまくいくはずはないとわかる杜撰な計画だったが、ローガンは、「アイリスはローガンのことが好き」だと強く思い込んでいたため、前向きな夢を見てしまった。
ローガンの思惑は、うまくいったように思えた。アイリスは、思った以上にふたりの境遇に同情的であった。さらに、ミミリーに好意的に接してくれた。
しかし結局、ローガンの計画はあっさり破綻した。そもそも、「アイリスはローガンのことが好き」という前提が間違っていたのだから。アイリスは、ローガンと結婚したいだなんて、これっぽっちも思っていなかったのだ。
ローガンはミミリーと正式に婚約を結ぶことになった。フォスター公爵家のタウンハウスで顔合わせの上、書類を交わし、ローガンとミミリーはふたりでバルコニーから見える夕陽を眺めていた。
「よかったわね、ローガン。わたしたち、本当に結婚できるのね」
ミミリーはふんわりと微笑んで、声を弾ませた。
「ああ、そうだね」
ローガンは、貴族ではなくなる自分の未来を不安に思い、ミミリーの言葉にうまく返事ができない。無邪気によろこんでいるミミリーを見て、のんきなものだな、とローガンは思う。
「ローガンとアイリス様の婚約が決まったと聞いたときにはもうあきらめるしかないと思ったけれど、ローガンがアイリス様に相談してくれて、アイリス様や伯爵様たちが迅速に対応してくださったおかげね。わたし、お礼のお手紙を書くわ」
「ミミリーはのんきだなあ。僕たちは結婚後は貴族ではなくなってしまうんだよ。平気なのかい?」
ローガンは思わずそんな意地悪なことを言ってしまう。
「もう、今更なに言ってるの? そんなこと、最初からわかっていたことじゃない。わたし、元気になったのだもの。なんだってできるのよ。卒業したら、がんばって働くわ。領地の羊毛をもっと広めたいの。そのために、学園でよく学ばなくちゃ。ローガンもそうよ。なんだってできるわ。お勉強をがんばって文官を目指したっていいし、身体を鍛えて騎士になってもいいじゃない。それ以外にやりたいことがあるなら、公爵様の伝手でもなんでも使って、やりたいことをやればいいのよ」
ローガンは、おっとりとのんきそうにしていると思っていたミミリーが、実は正確に現状を把握し、さらに働くことを前向きに考えていることに驚いた。同時に、ローガンは、ミミリーの強さを思い出した。病弱で、ベッドにいることの多かったミミリー。ローガンは幼いころ、よくミミリーを見舞い、いろんな話をした。主に話すのはローガンだったが、ミミリーはいつも微笑んでローガンの話を楽しそうに聞いてくれた。身体がつらいはずなのに、ミミリーが弱音を吐くことはなかった。そんなミミリーの強さを、ローガンは好きだと思っていた。思っていたのに。ミミリーがいるのに、美しいアイリスに舞い上がって愚かなことをしようとした。
「ごめんよ、ミミリー」
そう言ったローガンの声は震えていた。
「いいのよ。先のことは誰にもわからないもの。ローガンが不安に思う気持ちもわかるわ」
ミミリーはローガンの手をそっと握ってそう言った。ミミリーは、ローガンが先ほど言った意地悪な言葉に対しての謝罪だと思ったようだった。
領地で療養していた間、ミミリーも不安だったのだろうか、とローガンは気づく。いまでこそ元気になったミミリーだが、あのころはきっと、この先、自分がどうなるのかわからず不安だったのかもしれない。
「僕もがんばって勉強するよ。やりたいことは、まだわからないけど、でも、この三年間でなにか見つけるよ」
ローガンは、ミミリーの存在を心強く思い、彼女と一緒なら大丈夫な気がしてきた。元来、前向きで楽観的な性格なのだ。愚かな秘密は、墓場まで持っていくことに決めた。そして、「自分から説明する」という口先だけの言葉は叶わなかったが、ベル伯爵には謝罪と御礼の手紙を書こうと思った。本当のことは書けないけれど。
その晩、ミミリーは心を込めて、感謝の気持ちを丁寧に便箋に綴った。アイリスへ送ろうと手配しかけて、学園で渡したほうが早いのでは? と思い直し、翌日の学園でアイリスのクラスを訪ね、直接手紙を渡したらしい。アイリスはミミリーの気持ちを受け取り、ふたりの文通が始まった。文通と言っても、学園で手紙を直接渡し合っていたのだが、それがなぜか女生徒の間で流行し、学園のあちらこちらで仲のよい友人に手紙を渡す女生徒の姿が見られた。
手紙のやりとりを通して、アイリスとミミリーはすっかり仲よくなり、お互いの婚約者を伴い、お茶会をしようという話になったという。アイリスは、自分たち四人のことを、「赤い石被害者の会」と称しており、仲間意識を持っているらしい。
そういうわけで、ローガンはミミリーと共にベル伯爵家のタウンハウスに招待された。
紹介された三つ年上だというアイリスの婚約者であるライリーは、長身でがっしりとした体形の屈強そうな男性だった。現在は騎士団に所属しており、アイリスとの結婚までは騎士団に世話になると言っていた。線の細いローガンとは正反対で、アイリスは、最初からローガンなんて眼中になかったのだと改めて思い知った。ライリーは、カラッとした気のいい男性で、ローガンも自然と好感を抱いた。なにより、そのとなりでアイリスが幸せそうに笑っていた。儚げな印象は消え、憂いのない溌剌とした笑顔を見せている。
ローガンは、急に自分が恥ずかしくなった。自惚れた思い込み、勘違い、浅はかな計画、不誠実な自分、すべてが恥ずかしく、大声で叫びながら全力で走り出したい気持ちになった。ミミリーにも、アイリスにも、ライリーにも、申し訳ないと思った。会わせる顔がない。しかし、お茶会が始まるのはこれからである。ローガンは奥歯を食いしばり、襲ってくる羞恥心に耐えた。
小さな庭に準備されたテーブルセットに、まず、アイリスが赤瑪瑙をあしらった装飾品を並べた。
「まだお試し品なのだけど、よかったらもらってくださいな」
気楽な口調で言い、アイリスはそれぞれに装飾品を手渡した。「私とおそろいなのよ」と、ミミリーには赤い実を模したブローチを、ローガンとライリーにはネクタイピンを。
「紅玉みたいな華やかな輝きではないけれど、とろりとつややかでかわいいでしょう」
アイリスはうれしそうに言い、三人も礼を言いながら同意した。
「こんなによいものをいただいてしまっていいのですか?」
ミミリーが恐縮したように言う。
「いいのよ。父に、お父様大好き! と言ったら簡単に譲ってもらえたの。『赤い石被害者の会』にぴったりの装飾品でしょう?」
明るく笑ってアイリスは言った。その言葉を聞いて、
「アイリス様ったら」
ミミリーもおかしそうに笑っていた。
お茶を飲みながら、一通りの世間話が終わり、
「これが、赤瑪瑙でよかったわ。もし紅玉だったら、フォスター公爵はきっとあきらめてはくださらなかったでしょうから」
胸元のブローチに指で触れ、アイリスがぽつりと呟いた。その言葉に、ローガンは背筋にゾッとしたものを感じながら同意した。
「本当に、赤瑪瑙でよかった。紅玉だったら……」
もし、赤い石が紅玉だったら、フォスター公爵はローガンとアイリスの婚約を解消したりなどしなかっただろう。ローガンは、おめでたい勘違いをしたまま、愚かで不誠実な計画を実行し、痛い目を見ていたかもしれない。ローガンひとりが痛い目を見るのならいいが、ミミリーやアイリスをひどく傷つける結果になっていたかと思うと、本当に石が赤瑪瑙でよかったとローガンは思うのだった。そんなことを考えていると、
「私、ローガン様に謝らなくてはと思っていたのです」
おずおずとアイリスが口を開いた。
「なんだろう。心当たりが全くないけれど……」
どちらかというとローガンがアイリスに謝らなくてはいけない立場ではある。墓場まで持っていく秘密なので言えないが。
「私、思い返すととっても恥ずかしいのですが、あのころは、この世界で自分だけが不幸なのだと思い込んで、ローガン様への態度がそっけなかったり……その、つまり、あまりよくない態度でしたでしょう? だから、ずっと謝りたかったのです。申し訳ありませんでした」
謝らなくてはいけない相手に逆に謝られてしまい、ローガンは慌てた。そもそも、そっけなくされていたことさえ気づいていなかった。
「そんなことはない。アイリス嬢が謝る必要なんてない。むしろ、僕のほうがアイリス嬢への接し方がよくなかったと思う」
そう言って、
「申し訳ありませんでした」
ローガンは誠心誠意頭を下げた。心の中での謝罪の内容は全く別のことだったが、とにかくアイリスに謝りたかった。
「ローガン様、頭を上げてください。そんなふうに謝られるようなご対応だったとは思いません」
アイリスは焦ったように言う。それでも頭を上げないローガンに、
「私は本当に気にしていませんから。では、お互い様ということで、ローガン様も忘れてくださいね」
アイリスがとりなすようにそう言った。
「ああ、ありがとう」
ローガンが頭を上げると、お茶会に和やかな雰囲気が戻る。
ローガンは、ライリーから騎士の生活や訓練の話を聞き、おもしろいと感じた。しかしそれは、知らない世界のことを知る面白さであり、正直なところ、騎士は自分には向かないかもしれないと判断した。頭を使うのが得意とは言えないが、文官を目指すほうがいいかもしれない。自分のやりたいことがわからないなら、せめてミミリーになるべく苦労をかけない仕事に就きたい、とローガンは思った。
お茶会以来、アイリスとは学園で会えば挨拶をしたり世間話をしたりするくらいの、知り合い以上友人未満の間柄にはなった。というよりは、アイリスにとってローガンは、「ミミリーの婚約者」以外のなにものでもなさそうだった。ミミリーのほうは以前よりさらにアイリスと仲よくなったようで、たびたび、喫茶室でおしゃべりする楽しそうなふたりの姿が見られた。ずっと領地の屋敷の自室でひとりぼっちだったミミリーを知っているので、ローガンは、その光景をうれしく思い、同時に羞恥心をもよみがえらせていた。自分のした愚かな行いのなかで唯一よかったことは、ミミリーをアイリスに紹介したことだ。そう思うことで、叫び出したくなる気持ちをなんとか我慢した。
学園では、ローガンはなにかに懺悔するかのように勉学に励んだ。その甲斐あって、ローガンは卒業後には無事、文官として働くことが決まり、ミミリーはシェイファー領産の羊毛製品を扱う商会で働くことになった。「お父様の伝手を目いっぱい利用したわ。使えるものはなんでも使わなきゃ」と、ミミリーは笑っていた。そんなミミリーの笑顔を見て、ローガンは、ミミリーが一緒にいてくれることを当たり前だと思わないよう、自分も努力しようと改めて思った。
ローガンが文官の職に就いたことを父であるフォスター公爵は殊の外よろこび、王都の片隅に小さな家を購入してくれた。父が自分の努力を認めてくれたようで、ローガンはうれしかった。
その後、ローガンとミミリー、アイリスとライリーの二組は、無事に結婚し夫婦となり、数年後には子宝にも恵まれ、それぞれに幸せに暮らしていた。ミミリーとアイリスは、王都のカフェなどで、いまでもときどき会っているようだ。なにがきっかけで生涯の友ができるかわからないものだな、とローガンは思う。
ローガンは、いまのこの幸せに感謝し、子どもの成長を楽しみにしながらミミリーと支え合って日々を過ごしているが、しかし、いまでもときどき、あの若かったころの浅慮な自分を思い出しては羞恥がぶり返し、大声で叫び出したい衝動にかられている。
了
ありがとうございました。