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-fortune-  作者: イチマル
序章
9/11

1.8 余熱

夕餉の時間、ツィンルーは再びお祭りのような雰囲気に包まれた。


大きな鍋から湯気が立ちのぼり、煮込まれた山菜と肉の香りが鼻をくすぐる。木の器が順々に配られ、子供達のはしゃぐ声が天井まで響いていた。


その中心に、今日の“主役”がふたりいた。


「――で、あのときですよ! 一歩も引かずに、ぐわっと木剣を構えて――」


「いやいや、そりゃ引いたのは俺のほうだって」


ヴァルトが照れくさそうに頭をかきながら言えば、隣でアルフレッドも苦笑いを浮かべる。


「あんなの見たことないよ」「本当に旅人かいな」 と、周囲の村人たちの視線が熱い。


アルフレッドは器を手にしながら、少しだけ居心地悪そうに笑った。


「……いや、ほんと、たまたまですよ。運が良かっただけで」


「出た出た、それ言うやつが一番すごいんだって!」


誰かがからかうように言って、場に笑いが広がる。


ヴァルトはそんな様子を見ながら、ふと低く呟いた。


「たまたまとか言われると……俺の立つ瀬が無いなぁ……」


それにはアルフレッドも返す言葉がなく、ただ器を口に運んだ。


騒がしさの中に、どこか静けさがあった。 明日には村を出る、そんな夜の空気。


夜は更けていくはずだが、誰も席を立とうとはしない。


その空気の中で、彼らは火を囲みながら、それぞれの心をあたためていた――


そこへ、遅れてグレインとニオが戻ってきた。

彼らの服からは荷造りの時についたであろう草の匂いが染みついている。


「おお、また宴やってたのか。……って、思ったより本格的だな」


グレインが苦笑しながら場の様子を見渡すと、村の誰かが器を差し出した。


「荷造りのあとなら腹も減ってるだろ、ほら、これでも食べてけ」


「ありがたいね。……うわ、うまそう!」


ニオは嬉しそうに湯気の立つ器を受け取り、アルフレッドの隣にどっかと腰を下ろした。


「まーた、うちらがいない間に名誉の剣士になってるし。なあ?」


「そりゃあ主役だもんな、今日の模擬戦は」


アルフレッドは肩をすくめて笑った。


「……だから、たまたまだって」


「お前、それもう三回くらい言ってないか?」


笑いがまた、火のまわりにじわじわと広がっていく。


笑いが一段落すると、火のそばで器を手にしていたニオが、口をもぐもぐさせながらぼそっと呟く。


「……これ、マジでうまいな。なんの肉だろ?」


「イノシシだよ。たぶん昨日獲れたやつだな」


グレインが器の中を覗き込みながら頷いた。


「山菜もいい具合に煮えてる。こういう飯があると旅の疲れも吹き飛ぶなぁ」


「疲れてないでしょ、あんたは。しゃべってるだけじゃん」


「そりゃあニオが動き回ってくれてるからだよ。な?」


「……うまいこと言ってごまかすなっての」


そんなやりとりに、周囲の村人もつられて笑い出す。

火を囲む場の空気は、いつの間にかほっとするような温かさで満ちていた。


やがて器が空になり、薪も静かに赤くなっていく頃、


「さて……そろそろ片付けるか」


ヴァルトが腰を上げると、他の村人たちもそれに倣って動き出す。

誰からともなく後片づけが始まった。

名残惜しむでもなく、自然な終わりが訪れたようだった。


「うちらも、明日に備えて寝とこっか」


ニオが立ち上がって伸びをする。

「トールグリムも早起きだしな」と、グレインもつぶやいて火の近くに置いた器を手に取った。


アルフレッドも一緒に立ち上がり、ふっと笑う。


「ま、今日はよく食ったし、明日もいい日になるよ」


ニオが軽く拳をアルフレッドの肩に当て、そう言って歩き出す。

グレインもそれに続き、残った人々も手際よく後片づけを始めた。


集会所に残った火は、じわりと音を立てて薪を焦がしていた。

静かな余熱の中、誰もが自然に明日に向かって切り替えていた。


宴は、そうして穏やかに終わった。




一方


日が落ち、風が少し冷たさを帯びてきたころ。


ガーヴ村の外れ、木立の奥にひっそりと石碑が立っている。苔に覆われたそれは、誰の目にも長く祀られていることを感じさせた。


カナメは、村長に案内されながらゆっくりと歩を進めた。


 小さな花束を抱え、言葉少なに、ただ風の音を聞きながら。


「ここです」


村長が立ち止まり、指先で示した先――


石碑には、簡素な文字で「コルネ」とだけ刻まれていた。


「……早いものですね」


「ええ。もう三年になります。気難しい人でしたが、信仰と村のことには、誠実な方でした」


カナメは無言で花を供え、手を合わせた。


祈りの言葉は声にはせず、胸の内で巡らせる。


ただ、静かに。


「旅の者が来るたび、あの人はよく“導き”という言葉を使いました。本人は照れ隠しだったのかもしれませんが……今思えば、少し不思議な人でしたね」


ヤール村長が笑う。


「巡りの意味を、ずっと考えていたのかもしれません」


カナメはそっと目を開き、石碑に視線を落とした。


その表情に、疑いも、驚きもない。ただ、柔らかな敬意があった。


「……“導き”って、難しいですね。誰かを引っ張ることじゃなくて、見守ることなのかもしれない」


「……そうかもしれません。今、貴女がしているように」


カナメは一瞬だけ驚いたように顔を上げたが、すぐに目を伏せて微笑んだ。


「私はまだ、ただ在るだけですよ。支えることすら、まだできていない」


「それでも、誰かはきっと――あなたを“導き”と感じるでしょう」


二人のあいだに言葉は途切れ、代わりに夜風がそっと通り抜ける。


石碑の前で、ただしばらくのあいだ、立ち尽くしていた。


祈るように。見守るように。


語られぬ思いが、そこには静かに積もっていた。






夜が明けるころ、ガーヴ村はまだ静けさの中にあった。

空の東がわずかに白み始め、風が草を揺らすたび、露が細かく光を返している。


集会所の裏にある水場では、グレインが顔を洗いながら、大きく伸びをしていた。

その隣では、ニオが湯を沸かして朝食の準備をしている。


「……いい天気。旅立ちには、うってつけだね」


ニオがぽつりと呟くと、グレインもそれに頷いた。


「雨が降らないだけでありがたい。トールグリムも歩きやすくなるしな」


やがて、集会所の扉が開き、アルフレッドが眠たげな目をこすりながら姿を現す。


「おはようございます……あ、もう起きてたんですね」


「おはよう。護衛のくせに寝坊とは、いい度胸だな」


グレインが笑う。アルフレッドも苦笑して肩をすくめた。


「ちゃんと準備はしてますよ。荷物も昨夜のうちにまとめてありますから」


そのやりとりに、ニオがくすっと笑いながら、湯気の立つ器を差し出す。


「ほら、まずは腹ごしらえ。今朝は粥にしたよ。風草の実を少し入れてるから甘みもあるはず」


「ありがとうございます、いただきます」


ほどなくして、カナメも静かに現れた。昨夜遅くに戻った彼女の姿を、アルフレッドは少しだけ見ていた。けれど、何かを問いかけることはせず、ただ「おはようございます」と軽く頭を下げる。


カナメも穏やかに微笑んで、それに応じた。


「おはようございます。……今日も、いい風が吹いていますね」


朝食は、あっさりした会話の中で静かに進み、それぞれがどこかしら落ち着かないような手つきで器を運んでいた。


朝食を終え、旅の荷が整うころ。

トールグリムたちも、軽く鼻を鳴らしながら広場へと引き出されていた。


背にはきっちりと括られた荷が積まれ、グレインとニオは最終の確認を行っている。


ヴァルトは見送りのためにすでに広場に立っていた。

村の人々もまばらに集まり始め、ざわめきが朝の冷気を和らげていく。


「……さて、あとは歩き出すだけだな」


グレインが、トールグリムのたてがみを軽く撫でながら言った。


アルフレッドは一度だけ、集まった人々と、村の空気を見渡した。


言葉は出ない。けれど、胸の中にはひとつの火が、静かに灯り続けていた。


カナメがそっと問いかける。


「準備は、よろしいですか?」


アルフレッドは、頷いた。


「ええ――行きましょう」


静かな出発が、間近に迫っていた。




広場には、村人たちがぽつぽつと集まっていた。

眠たそうに目をこする子ども、朝の支度を途中で抜けてきた若者たち、背筋をしゃんと伸ばした年寄りたち――それぞれが思い思いに、旅立つ一行を見送ろうとしていた。


トールグリムの鼻息が白く煙り、荷が揺れる。

グレインとニオが最後の確認を終えたころ、ヴァルトが一歩前に出る。


「……あんたには、本当に驚かされたよ」


そう言って、ヴァルトはアルフレッドの前に立ち、目を細めた。


「でもな――次は、負けないからな。ぜってぇ鍛え直しておくから」


その顔はどこか悔しさを残しながらも、誇らしげで、まっすぐだった。


アルフレッドは一瞬きょとんとしたあと、苦笑してうなずいた。


「楽しみにしてる。また戻ってくるよ。そのときは……本気でいく」


「へっ、上等!」


ヴァルトは拳を突き出し、アルフレッドもそれをコツンと返す。

それだけで、言葉はいらなかった。


そのとき、後ろからとととと歩いてくる音がした。

ツィール婆さんが、小さな布包みを抱えて現れた。


「はいはい、アンタら、忘れもんよ」


にっこりと笑って、手渡されたのは干した山の果実と、手作りの保存パンだった。


「長旅になるんだろ? 何もないとき、少しは口寂しさも紛れるさ。……それに、うちの味、忘れてもらっちゃ困るからねぇ」


「ありがとうございます、ツィールさん」


カナメが頭を下げると、婆さんはふふっと笑いながら肩をすくめた。


「礼なんぞいらないよ。アンタたちが来てとても楽しい思い出を残してったんだ。……またおいで」


そして、もう一人――


ヤール村長が、ゆっくりとした足取りで近づいてくる。


「道中の安全を、風に願おう。……あなた方が通る先に、よい巡りがあるように」


そう言って、アルフレッドに手を差し出す。

その手は、柔らかくも芯のある握りだった。


「ここでの時間が、きっと力になります」


アルフレッドは小さく呟き、そしてはっきりと頷きながらその手を握り返す。


村長は一瞬だけ目を細め、それから優しく背を押すように手を離した。


見送りの声がぽつぽつと上がる。


「旅人さん、また来てねー!」


「無事に帰り着けよー!!」


トールグリムがひとつ、短く鼻を鳴らす。


グレインとニオが歩き出し、カナメがそれに続く。


アルフレッドは最後に一度だけ、振り返った。


朝の光の中に揺れる、村人たちの影。

ツィール婆さんの白い髪と、ヴァルトの真っ直ぐな視線。

そして、ヤール村長の静かな見守り。


そのすべてを胸にしまい、彼は小さく頷くと――四人は静かに、歩き出した。


風が吹く。

それぞれの思いを抱きながら。

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