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-fortune-  作者: イチマル
序章
7/11

1.6 試戦の朝

鳥のさえずりが、窓の向こうで小さく響いていた。


アルフレッドは、毛布の中でゆっくりと目を開けた。


まだ仄暗い室内。外の空は、夜と朝の狭間にあった。

どこか夢の続きを引きずるような、柔らかくも不確かな光。


昨夜の語りが、まだ耳の奥に残っている。


焚き火の揺らめき。兄と妹。剣と杯。

巡りという名の、見えない道。




戸口の隙間から、朝の風がそっと入り込み、

冷えた空気が肌に触れると、身体が目覚めていくのを感じた。



「おはようございます」


ツィンルーの食堂には美味しそうな朝食が準備されていた。


「おや?おはようさん、早起きなんだね?」


ツィール婆さんはアルフレッドを見ると柔和な笑顔を見せ、机の椅子を引き手招きする。


「ありがとうございます。

昨日の話が頭から離れなくて…」


アルフレッドが椅子に腰を下ろすと、ツィール婆さんは鍋の火加減を見ながら手を止めた。


「ほう、村長の話かい? まあ、そういうのは心に残るもんだからねぇ。……けど!」


ぱん、と手を叩いて笑う。


「それよりも、今日は模擬戦だろ? ヴァルトが朝から張り切って支度してるよ。

あんた、ちゃんと動けるかい?」


「……粥を食べてから考えます」


「ははっ、そりゃそうだ」


あっけらかんと笑う婆さんの声に、食堂の空気も温かくなった。


麦粥の湯気が立ち上る。匙を持つ手が自然と動く。

腹が減っていたわけでもないのに、口に入れた瞬間、体が求めていたことを思い出す。


滋味深い味わいが、眠っていた感覚を目覚めさせていく。


ツィール婆さんが湯飲みを置きながらちらりと視線を向けてくる。


「けどまあ、あんたさんの顔を見てれば分かるよ」


「……何がですか?」


「やる気、出とるじゃろ」


アルフレッドは苦笑して、もうひと匙を口に運んだ。


(勝ちたいわけじゃない。ただ、受けた以上、半端な結果では終われない)


ただの村の催し、遊びのような手合わせ――

それでも自分の中に灯った火は、簡単には冷めてくれそうにない。


外では、村の子どもたちの笑い声が聞こえていた。


朝の陽が差し始め、窓の木枠を柔らかく照らす。


アルフレッドは匙を置き、ゆっくりと立ち上がった。


「……行ってきます」


「おやおや、まだ少々時間には早いんじゃないかい?」


「じっとしてると、落ち着かなくて…」


「ふふっ、元気なのはいいことだよ」


婆さんの声に背を押されながら、アルフレッドは戸口に向かった。


身体は軽い。




準備運動の為に少し村から出ると、朝の光が草の露を照らしていた。


夜の冷たさをわずかに残した風が、頬を撫でて通り過ぎる。


舗装されていない地面を踏みしめると、湿り気を帯びた土の匂いが立ちのぼり、眠っていた感覚がさらに研ぎ澄まされていく。


小さく肩を回し、腕を振りながら歩き出す。村の外れにある広場へ向かう途中、何人かの村人とすれ違ったが、皆気さくに挨拶をくれた。


アルフレッドはそれに軽く頷いて応えると、草の茂る小道に足を踏み入れた。


(さて、どう動こうか)


肩を脱力しながらも、心の奥ではゆっくりと火が燃えていた。


どうせやるなら、気持ちよく振りたい。そして…受けた以上は、ちゃんと勝ちにいく…

その結果がどこであろうと、自分が納得できるように。


小道を抜けると、視界が開ける。


見晴らしの良い丘の上――そこが今日、模擬戦が行われる場所だった。


まだ誰の姿もない広場の中央に立ち、アルフレッドは深呼吸した。


空気がうまい。

身体は軽い。

そして、心には小さな炎が灯っている。


ふっと笑みがこぼれる。


「……よし」


腰の鞘から木剣を引き抜き、軽く振ってみる。

重さ、握り、振り心地――村に残してきた父や兄の教えが、掌の感覚とともに甦る。


「少し、思い出しておくか」


誰に言うでもなく呟いた声が、朝の空気に溶けていった。


アルフレッドは木剣を構え、静かに足を動かし始める。

これは自分との対話。

火を絶やさぬための、ほんの少しの準備運動だ。




やがて、遠くの道から足音が重なりはじめる。

広場へと人が集まり、空気が少しずつ張り詰めていく。


剣を握る者は、すでに舞台に立っていた。

火を宿した眼差しが、朝の光と交わる。

村の目が――静かに、その姿へと向けられていく。


草を踏む音が、ひときわはっきりと近づいた。


姿を現したのは、くすんだ緑の上着に猟犬革のベルトを締めた男。

肩に布包みを背負い、腰には狩猟用の短剣と木剣。

風にくしゃりと揺れた髪が、山の香りを運んできた。


「おう、もう来てたのか。気が早いな」


そう言って笑ったのは、ヴァルトだった。


その声に、周囲の空気がわずかに緩み――

そしてすぐに、ぴんと張り詰め直された。


彼は村の信頼を一身に背負う男。

獣を知り、人を知り、剣を知る。

猟師であり、指南役。村の若者たちの憧れ。


アルフレッドは木剣を軽く持ち替え、静かに頷いた。


「いざ戦いとなると緊張しますね」


アルフレッドが口にすると、ヴァルトは木剣の柄を軽く叩きながら笑った。


「緊張するのは、生き物の証だ。獣も、剣士も同じ」


その目は穏やかでいて、油断のない狩人の目だった。


「だがまあ――その緊張の中でどう動くか、だな。今日は、そこを見させてもらう」


アルフレッドは小さく頷く。心の奥にあった火が、静かに揺れを増した。


互いに言葉少なに間合いを測りながら、自然と足が動き始める。


草を踏む音が、ふたりだけの空間にリズムを刻む。


「――始めようか」


ヴァルトがそう言って木剣を構えた瞬間、風がひとつ吹いた。


アルフレッドも静かに構えを取る。すでに余分な力は抜け、心も体も澄んでいる。


最初に動いたのは、ヴァルトだった。


低く踏み込み、獣のように間合いを詰める。 躊躇なく振るわれた一太刀は、実戦を重ねた者の重みを持っていた。


だが――


「……速い」


ヴァルトの木剣が空を切る。


そこにいたはずのアルフレッドの姿は、わずかに外れていた。 回避というより、“そこにいない”という動き。


反射ではなく、読みと判断。 まるで火が風を読むように――アルフレッドは、次の瞬間にはもう打ち返していた。


ヴァルトの目が少しだけ見開かれる。


(なるほど、やるじゃねぇか)


重ねる打ち合い。腕と腕、足と足。技ではなく、感覚のぶつかり合い。


村の模擬戦。 けれど、この場に流れている空気は、もはやそれだけのものではなかった。


「わぁっ!すごい!」


最初に声を上げたのは、小さな子どもだった。


広場の周囲に集まった村人たちが、ざわめきと共に視線を交わし合う。


「今の見たか?」


「かわしただけじゃねぇ……返してきやがった」


「あれ、ヴァルトが本気でやってるんじゃねぇか?」


どよめきが起き始める。

最初は半ば見物気分だった村人たちも、徐々に目の色を変えていた。


「アルって……あんな動きするんだな」

グレインが呟く。


「いや、あれは偶然じゃない。見て動いてる。剣の筋ができてる」

カナメが冷静に返す。


感嘆といった感じでニオは唸っている。




「間合いの詰め方、無駄がねぇ。あれ、鍛えてる奴の動きだ」

年配の男が唸るように言うと、周囲の大人たちも頷く。


「ヴァルトの剣筋を読みながら打ち返せるやつなんて、そういねぇよ」


アルフレッドの動きに、ただの若造ではないという空気が村に浸透していく。


それは「よくやってる」などという慰めではない。

実力を持つ者として、目の前で証明しているという評価だった。


観ていた若者たちの表情にも変化が現れる。


「俺ら、いずれあれとやるのか……?」


「ヴァルトさんが相手してる姿が、あそこまで締まってるの、初めて見た」


観客の意識が、ただの遊びや催しとしてではなく、真剣勝負として二人の動きに引き込まれていく。


広場の空気は張り詰めたまま。

誰もが次の一手に息を呑んでいた。




やがて、広場の空気はざわめきから沈黙へと移り変わった。

目の前で交わされているのは、確かな“手合わせ”――それ以上の、誇りと誇りのぶつかり合いだった。


ヴァルトは、打ち合いの中で息を整えながら、目の前の青年を見据える。


(力任せでも、技術頼りでもねぇ……動きに芯がある。こいつ――本物だな)


そんな思考が一瞬頭をよぎると同時に、木剣を持つ手に自然と力が入る。

これはもはや、若者に“場を与えてやる”戦いではない。自分の中の狩人が、試されている。


アルフレッドもまた、言葉を交わすことなく呼吸を合わせていた。


無理はしていない。だが集中は研ぎ澄まされていく。

―小さくとも揺るがないその熱が、今、この場に立つ理由を支えていた。


次の瞬間、再び木剣が交差する。


それは風に乗ったようにしなやかで、けれど確実に“打ち込む意志”を帯びた一撃だった。


ヴァルトが軽く目を細める。

彼の中の“見守る者”の顔が、次第に“戦士”へと変わっていく。


そして、観衆の誰もが気づいていた。


この戦いは、ただの催しではなくなった。




再び交わる木剣の音が、乾いた空に響いた。


打ち合いは互角。

だが、互角という言葉だけでは言い表せない、呼吸と間合いの鋭さがあった。


観ていた村人たちは、もはや言葉を呑んでいた。


ヴァルトの足運びに迷いはない。

獣を狩る者の動き。力の抜きどころも、詰めどころも心得ている。


それに対して――


アルフレッドの動きは洗練されてはいない。

だが、無駄がない。


一撃ごとに身体で答えている。

相手を「見て」いるのではない。「感じて」、それに「応えて」いる。


踏み込み、受け、捌き、流す。


木剣がぶつかるたび、響く音が変わっていた。


ヴァルトが口元を引き締めた。

(――本当に、ただの旅人なのか)


数合打ち合ったその時、アルフレッドの動きにわずかな変化があった。


ほんの少し、前へ。


一歩だけ、重心を相手の間合いに寄せた。


「っ――!」


ヴァルトが反応する前に、アルフレッドの木剣がヴァルトの脇に滑り込む。


風を切る音。木剣と布が擦れる感触。


寸前で止められたそれに、ヴァルトが笑った。


「今の、当てにきてたな」


アルフレッドは木剣を引き、静かに呼吸を整える。


「……逃げ道が見えました」


「見えてたか。それなら、俺の負けだ」


ヴァルトはそう言って、木剣を肩に担ぎながら一歩下がった。


「いい腕だ。大したもんだよ、アル」


観客の間から、驚きと称賛の声が広がっていく。


「……勝負あり、か?」


「マジかよ……ヴァルトさんが一歩引いたぞ」


「やばいな、アル」


少しの間、沈黙が広がった。


やがて――


ぱちぱち、と子どもが拍手をし始める。


それに連なるように、村人たちが一人、また一人と手を叩き始めた。


大げさな歓声ではない。


ただ、確かなものを見たという納得の拍手だった。


アルフレッドはそれを聞きながら、静かに木剣を腰に戻した。


ヴァルトが肩をすくめながら近づく。


「いや、参った参った。こっちが勉強させてもらったよ」


「……まだまだ、ですけどね」


「そんなこと言えるやつは、もうちゃんと強ぇってことだ」

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