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-fortune-  作者: イチマル
序章
3/11

1.2 風と足音だけが

カザリヤ平原を渡る風は、朝日を照り返すように澄んでいた。


薄青く開けた空の下、一行は街道を歩きはじめていた。



厚い毛並みを風に揺らしながら、がっしりとした肩で荷車を引くトールグリム。その姿は、まるで風景の一部のようだった。



ニオが手綱を軽く引くと、トールグリムは鼻を鳴らし、小さく首を振って速度を調整する。

グレインは荷車の脇を歩きながら、時折後ろの荷が崩れていないか確認している。


「……相変わらず賢いな、この子は」


ニオがぽつりとつぶやくと、トールグリムは耳を一度だけ動かして応えたように見えた。



草原の風が吹くたび、荷車の帆布がばさばさと音を立て、

それに合わせて、トールグリムの鬣が静かに波打った。



カザリヤ平原――セレノア西部に広がる、なだらかな草原地帯。 季節によって草の色が変わり、春から初夏にかけては淡い緑が風に波打つ。 周囲を遮るものはほとんどなく、晴れた日には遥か彼方の丘の稜線まで見通せる。 風がよく通るこの地は、旅人や商人たちの間で“風の道”とも呼ばれ、野営に適した平地や、休憩所を兼ねた凪場なども点在している。


平原には、季節の若草が広がっていた。

ところどころに背の低い野花が揺れ、遠くには緩やかな丘が重なっている。

街道はしっかりと踏み固められ、旅の支度をした者たちを受け入れるかのように、穏やかに続いていた。


そんな中、荷車を引く二人組と、それを囲む二人の護衛――

四人と一頭の影が、草の上に長く伸びていた。


ラステル便は、小さな商隊だ。 たった二人で馬一頭と荷車一台。けれどその名は、セレノアからガーヴ村、そして首都に至るまで、信頼されていた。


なぜか。


理由はひとつ。


“決まった日数できっちり届ける”。


ガーヴ村までなら片道四日。首都までは片道八日。


風任せに見えて、予定は寸分違わず守る。それが彼らの流儀であり、信頼の源だった。


速さではなく、正確さ。 目立たずとも、信頼される仕事こそが、ラステル便の矜持だった。




出発からしばらく、足取りは順調だった。誰もが無言を貫くほどではなく、かといって無理に話すこともない、心地よい沈黙。


その合間を縫うように、アルフレッドがぽつりと口を開いた。


「……あの、今回の護衛って、どうして必要になったんですか?」


グレインが視線を前に向けたまま、ぽつりと答える。


「ここ最近、ワイルドウルフが増えてるって話でな。実際、先週もガーヴの近くで荷車が一台、やられたらしい」


「……本当に、そんなに増えてるんですか」


「山のほうから下りてきてるって噂だ。繁殖期のズレか、他の魔物との縄張りの問題か……理由は定かじゃないがな」


ニオが淡々と続ける。


「それで、評議会に申請して二人護衛をつけることになった。お前らがその風紙を引いたってわけだ」


アルフレッドは頷き、腰の剣の重みを確かめるように触れた。


「ウルフなら、まぁ……追い払うくらいは、なんとか」


「頼りにしてるよ、剣士さん」


カナメが静かに予感を添える。


「……ウルフの増加。自然の流れが…ほんの少し、狂い始めているのかも…」



その後は順調な足取りで一日目の行程をほぼ終えてあと少しで野営地。通称凪場に到着する。


既に日は傾き始めていた。


風はまだ穏やかだったが、空の色がゆっくりと金から灰へと変わりはじめる。



その時、カナメが歩みを止めた。



そして、ぽつりと呟く。



「……来る」



アルフレッドが反射的に周囲へ目を向けた。野鳥の声が消え、草の揺れる音だけが耳に残る。



ガサリ、と音がした方向から、低く唸るような気配が近づいてくる。



「前方、三体」



カナメの声は静かで、しかし確信に満ちていた。



アルフレッドが腰のロングソードを引き抜いた。刃が鞘から抜ける音が、夕暮れの空気を裂く。



茂みの中から、灰色の毛並みをしたワイルドウルフが姿を現す。



三頭――その動きには、獣の本能と、どこか奇妙な統率があった。



「行こう。俺が前に出る」



アルフレッドが一歩踏み出すと、カナメは後方に下がりながら両手を組んだ。



「簡易結界、張ります。無理はしないでください」



ニオは荷車の脇に身を伏せ、手にした小石を握りしめる。



アルフレッドの前に、最も大きな一体が低く身構えた。



そして、地を蹴る。



「来いよ……!」



剣が風を裂く音と、獣の咆哮が重なった。



ロングソードの刃と狼の爪とが交差する。






ワイルドウルフ――


平原や草地に生息する中型の獣。


通常は単独かつ慎重な行動を好むが、繁殖期や環境の異変によって、稀に群れをなして現れることがある。



一度標的を見定めると、鋭い嗅覚と連携の速さで追い詰めてくる。


油断すれば、数の暴力に呑まれる。





アルフレッドの剣が閃いた。




一体目の突進――無駄な動きなど皆無だった。



「――ここだ…」



踏み込みざまのカウンター一閃。鋼の刃が斜めに走り、狼の首元に深々と食い込む。悲鳴すら上げる暇もなく、獣は崩れ落ちた。



直後、左から二体目。だが、すでにアルフレッドは半身に構えていた。



「次!!」



滑らかな回転とともに、剣が狼の胴を断ち切る。一瞬で、二体目も倒れる。



たった数呼吸の間だった。



「……あと一体」



アルフレッドの視線が、最後の一頭に向く。



灰色の毛並みを揺らすその狼は、仲間の死を前にしても一歩も動かない。



睨み合う、数秒――



その狼は、静かに一歩、後ずさった。



そして――踵を返すと、茂みの中へ音もなく消えていった。



「逃げた……?」



ニオは荷車の影に身を潜めながら、小さな石を強く握りしめていた。


手のひらには汗がにじみ、呼吸もやや浅い。


しかし視線の先に立つ青年の背中には、自分とは明らかに違う“慣れ”が見えた。



(……思ってたより、ちゃんとやれるんだ……)



隣の荷の陰から、グレインが顔を出す。


片手斧をそっと抑えながら、口を開く。



「……見た目以上には、使えるみたいだな」




冗談めいた言葉の裏に、わずかな警戒と評価が混ざっていた。


旅をする以上、多少の武器は扱える――だが、“あれ”は護身術の動きじゃない。


 


カナメは、結界の余韻を指先に残したまま静かにアルフレッドを見つめていた。



(……予想よりも無駄がない。迷いも、怯えも)


「……実戦慣れ、してますね。見た目以上に」


その言葉は、誰にも聞こえないほどの小さな声で風に消える。


旅の最中、彼の立ち居振る舞いから“戦える人”だとは感じていた。


無駄のない動き、流れを読む感覚、何より、剣を持つことに一切の重みを感じさせない身のこなし。


けれど、それでも――


(……ここまでとは思っていなかった)


カナメは目を伏せ、息を整えるように胸に手を置いた。



風が、少しだけ冷たくなった気がする。



カナメはそっと自分の掌を見下ろした。


結界の余韻はもう消えていた。ただの肌、ただの手。



(……私は)


「結界を張っただけ、ですね」



ぽつりと、小さな呟き。



自分は何もしていない――そんな言葉が、喉まで来て、押しとどめる。


(いや、違う。役割がある。……あるはず)


ただ、今の戦いでは出番がなかった。


それだけのことだと、自分に言い聞かせる。



「……風が通り過ぎただけ、ということにしておきましょう」



自分で選んだ役目なのに、胸の奥がほんの少しざわつく。


だけど、それを誰かに見せることはしない。



彼の背中を見つめる。まっすぐで、迷いがなかった。


今はただ――その“輪郭”を、確かめている段階だ。


(よく見ておきましょう。……これが、誰なのか)


カナメはアルフレッドの背に目を向け、小さく息を整えた。


風はまた、何事もなかったかのように、静かに吹いていた。




時は経ち、凪場にて野営の準備をしていた。


日が沈み、風が冷えてきた草原の夜。

ぽつんと灯った焚き火の明かりを、三人と一人が囲んでいた。


アルフレッドはロングソードを握り、布で静かに刃を拭っている。

その所作は落ち着いていて、どこか静かな空気をまとっていた。


「……なあ」


火の向こうで、グレインがぽつりと呟く。


「お前さ……思ったより、やるじゃねぇか」


アルフレッドはちらりと視線を向ける。


「……急にどうしたんです?」


「いやほら、最初会ったとき――なんか、大人しそうだったろ?」


グレインは苦笑して肩をすくめる。


「正直あんま期待してなかったけど……

 今日のあれ見て、ちょっとだけ思い直したわ。ちゃんと頼れそうだなって」


ニオも、少しだけ照れたように笑った。


「うん。あんなふうに動けるとは思ってなかったし。

 落ち着いてたし、ちゃんと“見えてた”感じ」


アルフレッドは少しだけ手を止めるが、笑うでも照れるでもなく――静かに布を畳む。


「……たまたま、ですよ。そう見えただけです」


「そうかもな」


グレインは炎を見つめたまま、小さく笑った。


「でも――“思ったよりいい”ってのは、わりと大事なんだぜ?」 


風が、またひと吹き、焚き火の炎を揺らした。


その揺らぎにタイミングを合わせるように、グレインが立ち上がった。


「――ん、よし。飯、できたぜ」


荷車の脇に置いていた鍋の蓋を外すと、湯気と共に、香草と干し肉を煮込んだ素朴な香りが広がる。


「塩気は控えめだけど、腹には入るさ。ニオ、器取ってくれ」


「うん!」


ニオが小走りに荷袋を探り、器を三つ差し出す。


「アルフレッドも食べるでしょ?」


「ありがと。剣拭いてからね」


少しして、三人が焚き火の周りに器を手に腰を下ろす。

湯気の立つスープをすする音が、草原の静けさに心地よく響いた。


そして、四人目――カナメが、火の外縁に腰を下ろした。


手に器は持たず、風の流れを読むように夜空を見上げていた。


「……私、今夜の見張りをやるわ」


ぽつりと、自然な口調でそう告げた。


三人が一瞬、彼女を見やる。


「さっき、結界を張っただけだったし……ね。張っちゃっただけで終わったから、それくらいはね?」


その言葉には、冗談とも本気ともつかない軽さがあった。


でもその目は、夜の奥を静かに見据えていた。


アルフレッドが、湯気の向こうから声をかける。


「だったら、いっぱい食っといたほうがいいよ。腹減ったら見張りにならないからね」


「後でもらうわ。火のそばは、あなたたちが使って」


カナメの声は穏やかだった。


ただの見張り。それだけのはずなのに、彼女のその言葉には、どこかひとつ、確かな意思があった。


そしてまた、風がひと吹き。


夜は、少しずつ深まっていく。





焚き火は静かに赤く染まり、夜はひときわ深まっていた。


カナメは火の輪から少し離れた場所に座り、風の音に耳を澄ませていた。空には雲の切れ間からのぞく月。遠く、鳥とも獣ともつかない鳴き声が風に乗って届いてくる。



背後から、草を踏む音。



「起きてたか」



眠たげな声。振り返ると、外套を羽織ったアルフレッドが、何かを抱えて焚き火へと近づいてきた。


「交代するよ。夜明けまで、まだ少しあるだろ?」


「ええ、ありがとう。……って、それ」


彼の腕に抱えられていたのは、さっき倒したワイルドウルフの毛皮と肉、それに束ねた骨だった。


「さばいといた。まだ使えると思って」



彼は当然のように焚き火のそばにしゃがみ込み、器用に骨と皮を分け始める。



「皮は干せば敷物か防寒に。骨は削って道具になるし、肉も煮れば食える」



「……慣てるわね」



カナメは少し眉を上げた。


「んー、村で暮らしてたから。畑と、山の獣と、そういうの」


「半農半猟ってやつね」


「うん。狩ったら、だいたい使えるとこ全部持って帰る。もったいないからさ」


少しだけ笑って、淡々と骨の関節を折る音が響いた。


「それに……」



アルフレッドは皮を確認しながら、さらりと言った。


「たぶん、全部売り物になりそうだからね」



カナメは目を瞬かせたあと、思わず笑った。


「……なんだか、すごく現実的ね」


「え、そう? 普通だと思ってたけど」


「――そういうとこよ」



焚き火の赤が揺れ、ふたりの影が草の上に伸びる。



夜風がまたひと吹き、草原の波を撫でていった。


ふたりの間に、それ以上の言葉はなかった。


ただ、焚き火のぱちりという音と、皮を手際よく裂く音だけが、夜の静けさを縫っていた。

2025.5.26 今、書いていた各エピソードを3つにまとめるを編集しました。

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