第九十七話 殴り合い
顔面に拳が沈む。これ以上ダメージを受ければ死んでしまうような体でありながら、軌光は殴り合いを選択した。
リィカネルも、それに応えてくれた。ザラザラとした星殻武装の感触は、肉体的以上に精神的な摩耗をもたらす。先刻までの軌光であれば、更に弱々しくなっていただろう。
だが、今は違う。もう迷わない。拳と拳の応酬は一切止まる気配を見せず、荒涼とした試合場に乾いた音を響かせた。
観客席が静まり返る。先程までの派手に派手を極めたような試合が、唐突に地味な殴り合いに変貌したのだ。驚愕で口を開ける者は少なかった。けれど、確かに……
「……魂、というべきね。これがきっとそうなのよ」
「同感でござるな。これが二人には必要でござった」
二人にとって、あくまでこれは試合ではないのだ。
リィカネルが迷い、心の闇に沈み、リーダーとしての価値観を、立ち位置を見失ったあの時。軌光が彼の心の支えとなるためのあの戦いこそが、彼らに必要なものだったのだ。
そして、彼らの求めていたものでもある。泥の巨人も巨大な剛腕も必要ない。この純粋を極めた殴り合いこそが。
「僕が……がふっ、君に! 救ってもらっ、た、ように!」
鳩尾にリィカネルの拳が突き刺さる。腰の入った、すくい上げるようなアッパー。強烈な吐き気と目眩が軌光の脳髄を焼き尽くし、しかし意志の力が現実に引きずり戻した。
「今度は僕が! 君を救ってみせるぞ、軌光!」
狙ったのか、単なるふらつきなのか。リィカネルが全力で繰り出した拳を、軌光は躱した。リィカネルの懐に入るようにして倒れ込み、完全に倒れ伏す前に踏みとどまる。
その状態から、雄叫びと共に拳を突き上げた。リィカネルのソレと比べることすら烏滸がましい、弱々しい拳ではあったが……彼の神器は剛腕である。拳で負けはしない。
「どしたあ……もっと殴ってこいよリィカネル……」
顎に突き刺さり脳を揺らした軌光の拳が、ゆっくりと腰元に戻っていく。度重なる能力の使用、一発一発がズシリと重い軌光の拳を受けて、リィカネルの状態もかなり悪い。
表立った傷はない。けれど、体の中に響いた傷が。
「根性……だけで、勝っちまうぞ、俺が、なあ……!」
星殻武装が崩れていく。段々と弱々しくなっていく拳が、この戦いの終焉を告げていた。ガイアネルに限界がなくともリィカネルには限界がある。接続が今、切れた。
どす、とリィカネルの腹に突き刺さった拳。
「……もう、罪の意識は晴れたかい……?」
笑う。
「ああ。気分爽快だぜ」
決勝。勝者、焔緋軌光。
――――――
「我が息子ぉぉぉおおおおお!!! よく頑張ったぞ我が息子よぉぉぉおおお!!! いい試合だったぞ」
「ええいやかましい! 黙れ! 鼓膜が足りんわ!」
ゼロが、叫ぶシュヴェルビッヒの喉に手刀をブチ込んで黙らせる。トーナメントもこれで終わりか。
少し趣旨のズレていた気のする決勝だったが、こんなものもたまにはいいだろう。剛腕神器の可能性も、その周囲を支える者の強さも見せてもらった。満足だ。
試合の中で生まれた罪を、試合の中で晴らしたか。なんとも子供らしいものだったが、それもまたよし。
「や〜〜〜っと……ゼロの尻拭いも終わりだね……」
「何が尻拭いだ。楽しかっただろう? 好きだろうこういうことは。私の折角の気遣いがおまえには分からんか……」
「殺ッッッ……ごほん。そういうことにしておこうか」
気を失った二人を回収しに、今医療班がエスティオンを出発した。友情を感じられる、いい決勝戦だった。
黄燐的には、どちらが勝っても良いと思っていた。ゼロの示した今後の目標……神殺し。それを引っ張る者として、リィカネルも軌光も適任。勝敗の心配はしていなかった。
リィカネルは正しくリーダー。部隊員の心を見抜き、支えて共に解決する。多くの隊員を導く“頭”としての資質は、現役の最上第九席に勝るとも劣らないと言えるだろう。
反面、軌光にリーダーの素質は感じられない。彼の場合は友人や目標のためにがむしゃらにひた走り、仲間が勝手にそれについていく、というような感じだろう。どちらにも良さがある。今後のエスティオンは更に良くなるだろう。
「そういえば、ゼロ。彼の称号はどうするつもりだい?」
「……称号? なんだそれは、私は知らんぞ」
「ええ……例えば、渡くんは【屍山血河】、海華くんは【現人神】。そこの兎牙くんは【超新星】と……ある程度の強さを持った上で、若い最上第九席には称号があるんだよ」
「二つ目の超新星、と言っていたではないか。あれではダメなのか? 私的には至極どうでもいいことだな」
もう興味を失った、と言わんばかりに視線を逸らすゼロ。そういえばこんな奴だった、とため息が零れる。最上第九席第一席任命式等……まだ、尻拭いは沢山残っているようだ。
称号……何がいいだろうか。焔緋軌光の在り方を、多くの者から見た、あの希望の星を示す名は何がいいのだろう。生半可なものでは、きっと彼も……彼の仲間も納得しない。
「うーん……あ、うん。きっとこれがいい」
実況席から撤退する準備を進めながら、ふと思いついた。
きっと喜ぶぞ。緩む頬を押さえ、黄燐は立ち上がった。
新最上第九席第一席。焔緋軌光。
 




