第八十七話 よく分からんが
「いや、何言ってるのか一つも分からんが」
ここまで来たらキレてもいいのでは、と軌光は思う。エスティオンに入ってから、立場が上のやつほど、強いやつほど訳の分からんことを言って……押し付けてくる。
別に害はないから構わないのだが、流石に腹が立ってくるレベルだ。【楽爆】でさえそうだとは、最早失望する。
「喧嘩、喧嘩か。まあ確かに試合って気分じゃねえ」
神だの使命だのなんだの、知るか。生きたいから生きてるんだ、理由なんぞいらん。魔神獣を殺したいのも、絆が語ってくれた旧文明のような世界を取り戻したいからだ。
使命感なんてない。私利私欲のためだ。強いて使命のような何かを意識するのなら……仲良くなった人たちに、大好きな人たちに、幸せになって欲しい。こんな世界じゃなくて、人が心の底から笑い合える世界で、生きていて欲しい。
だから戦う。だから強くなる。だから魔神獣を殺す。誰かに植え付けられた使命感なんぞ、知ったことか。
「殴り合おうぜ。なんだかおまえが気に食わん」
「そう言ってんだよ」
先手を打ったのは【楽爆】だ。ネグレイルの先端が軌光の腹に突き刺さり、いきなり爆発。しかし今度は、剛腕神器の防御が間に合った。腹部には衝撃だけが伝わる。
意に介さず、前進。超速度で飛ばした、肥大化した剛腕の指先を掴んで移動する。【楽爆】のブーストの真似だ。アレは爆発を移動に用いているだけだが、軌光がすると高速で移動する物体にしがみついて移動することになる。
拳を交わす。単純な戦闘技術でも【楽爆】は軌光を凌駕していて、ネグレイルまで使われれば勝ち目はないだろう。
けれど、【楽爆】は優しい笑みを浮かべて口を開いた。
「考えてみりゃあ、こっちの勝手な都合だがな」
元を辿れば、普通の人間もそうなのだろう。
親が勝手に恋をして、勝手に子供を作って、勝手に幸せを託して。子供からすれば、いい迷惑だ。それで産んでもらった感謝が云々など、たまったものではないだろう。
「でも、それでもやるしかない。そういうもんなんだ。だから俺は……自由なおまえが、羨ましいんだろうな」
世界は冷たい。極論、“嫌なら死ね”と言い続ける。
それが出来なかった。魔神獣を、滅びの神を殺すという役割を押し付けられて作られ、母は自死を禁じるプログラムを与えなかった。嫌なら死んでいいと告げていた。
でも、そうしなかった。使命だから? 母の願いだから? 違う。純粋に怖かったのだ。死ぬのが何より怖かった。
「迷いは消えた。もうやるべきことは全部やった。お母ちゃんがそうしたように、俺もおまえに全てを託すことにする」
まだ魔神獣を殺していない。けれど、魔神獣を殺せる者は見つけた。殺すための道も、既に示した。
答えが、今こうして拳を向けてくれている。五柱に適合した神の子が、自分の意思で滅びの神を殺さんとしている。恨みも憎しみも、羨望も後悔も。何一つなく、純粋にそうしたいからそうするのだ。最後の焔緋軌光は、そういう男。
「魔神獣を殺せ。おまえなら出来る」
「元からそのつもりだよ。つーか」
じゅ、と肉の焼ける音。剛腕神器の防御を貫通するほどの熱が、ネグレイルに篭っていた。けれど、軌光はそれを離さない。真正面から【楽爆】を見据えて、笑って見せた。
「喧嘩してんだろ? よく分からんこと言うんじゃねえ」
……嗚呼、そうだ。
「悪かったな。また、勝手な都合を押し付けて」
ネグレイルを軌光に巻き付けて、爆破。肥大化した剛腕で自身を掴み、その身を守った軌光が爆煙の中から姿を現す。満面の笑みを浮かべて、【楽爆】に拳を向けた。
訳の分からない話をして、すまなかった。溢れ出す羨望を抑えきれなかった。憧れた存在への礼儀として、せめて全力で殴り合おう。気が済むまで……喧嘩しよう。
「初めてだよ。全力で兄弟ブン殴るってのは」
「俺も、こんな強ェやつ殴り飛ばせるのは初めてだ」
交差。身長差のある二人の拳は、しかして互いの顔面を正確に捉えた。爆発する鎖と、無から生まれて飛来する肥大化した剛腕。とても人間の戦いとは思えない戦闘音が響く。
『はっ……こっからが本番みたいだな』
『なんでどの試合も前座と本番に分かれているのか』
『様子見とか色々あんだよ。ただ戦うだけでもよ』
『は〜……ていうか君推薦者なのに解説入るんだね』
「「うるっせえぞ実況席! 黙ってやがれ!」」
ソニックブームが発生する。試合場を駆け回りながら、神器による攻防が始まった。ネグレイルの爆発をものともしない剛腕は、【楽爆】にとっても初めての興奮を味合わせた。
即ち、不壊の高揚。どれだけ苛烈に、激しく攻撃したとしても壊れない敵。これが、興奮せずにいられるものか。
(いい、いい……! っぱ難しいこと考えんのは俺には不向きだ! なんも考えずに、殴り合うのが向いてる!)
右腕に、数十メートルはあるネグレイルを巻き付ける。臨界状態のまま、地面を殴り……クレーターを作った。グツグツと煮えたぎる穴の底から、果てしない熱を感じる。
一部はガラス化さえしている、恐ろしい高温。しかし、軌光は【楽爆】の意思を完全に理解していた。
「いい舞台じゃねえか」
「特別だぞ」
対峙する。
 




