第八十六話 兄弟喧嘩
「自分の母親が誰なのか、とか……知らねえだろ、おまえ」
「知らんけど。なんの話だよいきなり」
第六試合が開始して早々、【楽爆】は軌光にそう話しかけていた。初手から殴り飛ばす予定だった軌光は慌てて急ブレーキ、少し不機嫌になりながらも話を聞くことにした。
「俺とおまえは、同じ親から生まれた。創られたって言った方が正しいかもな。そしておまえは、最後の子だ」
なり損ないの神が一人、【生誕星】イヴ。ほんの僅かな人間だけが、彼女がエスティオン地下で眠っていることを知っている。【楽爆】と軌光は、同じイヴの子であった。
使命は同じ。魔神獣を殺すこと。
「だから、俺がおまえと戦う目的は……ただ一つ」
前置きはこれで終わりだ、と言わんばかりに【楽爆】は鎖を回転させ始めた。そう来なくては、と軌光も微笑み、剛腕神器を顕現させる。一気に試合場の空気が引き締まった。
臨界状態の鎖が蠢く。剛腕神器の見た目が、どんどん厳しくなっていく。吐気が白くなるほどに体温が高まる。
「純粋に、楽しみてえからだ」
「気ィ合うなあてめぇ!」
振動。【楽爆】の鎖全体が同時に爆発し、試合場全体が揺らぐほどに強い振動を生み出した。軌光の対応が、一瞬遅れる。アンタレスの向こう側にも伝わっているだろう。
蛇のように動いた鎖が、軌光を捉えようと飛来する。高熱を孕んだ先端は、軌光の視界からは歪んで見えた。
お得意の、肥大化した剛腕を飛ばす技。しかし、今回は改良を加えていた。飛ばしながら、その手は握らずに開いている。爆発の威力がどれだけ高くとも、この剛腕は軌光にダメージを通さない。全ての鎖を掴みながら飛んでいく。
(ほう……ワンパターンじゃあねえな……)
鎖を手放し、接近。瞬間的な踏み込みで前進し、後方に配置するようにして手放した鎖を、地面との接触をトリガーとして爆発させる。簡易的なブースト機能となる。
弾丸のような速度で肉薄する【楽爆】に、しかし軌光は焦っていなかった。絆との試合で、彼が驚くべき身体能力を持っていることは確認済みだ。今更焦りはしない。
入る。腰を深く落とし、全ての関節を連動させて。掬い上げるようなアッパーが、【楽爆】の顎に突き刺さり……
「残念。消えてるぞ? ご自慢のでっけえ腕が」
まだ、精神面で未熟。そして、不慣れ。
否、慣れすぎているのだ。アッパーが入ると確信したその瞬間に、もう鎖を掴んでおく必要はないのだと……無意識のうちに思っていた。そして、肥大化した剛腕が消えた。
意識の内では、消してはならぬと分かるだろう。しかし、無意識下ではどうしようもない。結果として消した。
爆裂神器ネグレイルは、接触を爆発に変換するというシンプルな能力で……しかし、その爆発があまりに強すぎるが故に、それ以外の部分に目を向けられることがない。
装備者の意思で、自在に動かすことが出来る。ジャラララララ!! と耳障りな音を立てて、軌光の拳と【楽爆】の顎の間に挟まったネグレイル。この距離で爆発すれば、装備者である【楽爆】ですら相応のダメージは入る。
けれど。それの何が問題なのだろうか?
「てめ……ごっぬぁ!」
「慣れっこなんだよこんなもんはなァ!」
爆発の衝撃に逆らわず、【楽爆】はその場でバク転する。軌光の顎に蹴りをブチ込みながら、体勢を立て直す。
軌光に入ったダメージは大きい。剛腕神器による防御が、腕へのダメージは最小に抑えているが……それ以外の部分には、通常と同じだけのダメージが入っているのだ。
(腕以外と……顎が痛ってェ! なんだこいつ!)
明らかに、【楽爆】の方がダメージは大きいはずだ。顎の位置で爆発すれば、脳震盪どころの話ではない。首から上が丸ごと吹き飛んでも、何もおかしなことではないのだ。
だというのに、当の【楽爆】は無傷。顎の下が多少火傷した程度で、致命傷には程遠いと言わざるを得ない。
「納得いかねえって顔してるな。兄弟」
僅かな熱を孕んだ顎を撫でる。しかし、不自然なほどの速度でその熱は消えた。これで、【楽爆】の肉体から爆発の影響はなくなった。軌光だけがダメージを負っている。
「言っただろ? 俺は……本来おまえも、神によって作られた存在だ。使命遂行のために必要な機能は全部持っている」
だが。
「バグだな。今分かった。おまえは使命のことを何一つ覚えちゃいねえし、潜在的にソレを為すプログラムもない」
これは異常なことである、と認識している。
全員死んだ。【楽爆】の兄弟……否、厳密には兄たちは、使命を果たすためにその全員が死んだ。狂気的なまでの使命感が怖くて……【楽爆】は、自ら狂気に堕ちて逃げた。
最後の焔緋軌光……今、対面しているクソガキは。そんな苦しみも知らずに生きている。一人の人間として。
「お母ちゃんはそれを望んだのかもな。いや、おまえが完成形で、逆に俺たちがバグの可能性もなくはない」
生誕星イヴ。焔緋軌光の母親。魔神獣を殺すという使命のために、百人の子を生み、その全てに死を課した神。
いや、九十九人か。“この”焔緋軌光だけが、例外。
「気に食わねえな。人間として作られてるおまえが、どうしようもなく気に食わねえ……うし、兄としての命令だ」
ネグレイルが【楽爆】の首に巻き付く。
痛む体を奮い立たせて、軌光は再び戦闘態勢を取った。
「すっぞ。兄弟喧嘩」




