第六十三話 正解はない
第一試合は三日後。選手たちの過度な戦闘は禁止。黄燐に口を酸っぱくして言われていたが……今は、今だけは。
そんなことは、どうだって良かった。
「はっは……楽しいなあ、リィカネル!」
勝敗を求めてなどいない。ただこれは、軌光が、リィカネルが考えを纏めるための殴り合い。なれば、楽しいかどうかこそを重視するべきだろう。飛び散る汗が心地いい。
能力まで併用して、全力で槌を振るリィカネルに拳だけで勝る。快感にも近い高揚感が、心を焦がしていく。
「そうだ! コレと同じで、正解なんてねえんだよ!」
焔緋軌光の人生経験は、他の者と比べてどうなのか。少なくとも、濃くはない……寧ろ、薄いとすら言えるもの。
けれど、考えるのをやめたことはない。色々な人が傍にいて、色々な理由で苦しんで、それでも色々な意味を考えながら生きている。そうなりたかった……どうしようもなく。
その中で見つけた、人生の一つの形。
「人が人で、なんか考えて苦しんでる限り! 正解を選ぶことなんて出来ねえ、絶対、ぜぇ〜〜ったいにだ!」
直上から振り下ろされた槌を、剛腕神器の側面で逸らしながら受ける。衝撃は地面に流れ、ヒビ割れる。一瞬生まれたその隙を、見逃す手はない……両手で肩を掴む。
リィカネルは、困惑している。殴り合いの高揚と、先刻の軌光の言葉を受け止めきれていない。
「人間に出来るのは所詮、間違えねえことだけだ」
「何を……焔緋軌光、それは、答えになって……」
「間違えなかったら正解になる、なんて簡単じゃねえ。辛うじて間違えなかったとしても、正解には辿り着けねえ」
リィカネル・ビットの歩んだ道が間違いで、もう二度と間違えないために誰かの前に立ち続けるのだとしたら。その選択に終わりはなく、その苦しみは、永遠に消えない。
そんなの嫌だろう。そんなのおかしいだろう。当事者でもなんでもない、人生経験も浅い小僧の戯言……だが、それでもリィカネル・ビットの友人だ。同じ部隊の、家族だ。
救いたい。そんな悲しい幻想に囚われた、彼を。
「苦しかったろう。自分にゃあなんもねえと思いながら、それでもリーダーやるのは。ああ、もちろん間違ってねえ」
リィカネルは、自分には何もないと言った。同じ部隊員の凄いところばかり見て、自分が見えていない愚か者。兎牙の名前を出さなかったのは、あまりに悔しいからだろう?
「でも一個だけ間違ってる……一個だけだ」
確かに、リィカネルが自分を見ることすら出来なくなるほどに、他の部隊員は凄いものを持っている。正直、最上第九席と並んで数えられる綺楼とかは化け物だと思う。
でも、それはあくまで“比較”だ。各々の持っている凄さに、同じものが何一つとしてないように……他が凄いから自分は凄くない、というのは絶対的に間違っている。
おまえは凄いやつなんだ。
「さあどうする? もう既に間違ってるぜ、おまえは」
間違えることは罪ではない。しかし、リィカネルを支えていた……絶対に間違えないから、自分はリーダーをしてもいいという考えは今折った。では、支えなくては。
もう一つの問い、叫び。リーダーをしていいのか?
「僕は……僕は前に立って、皆、を、」
「なあリィカネル。一個提案なんだけどよ」
ガラクと接触した任務の際、グレイディを派遣するように言ったのは誰だ。渋っていた黄燐の首を、最終的に縦に振らせたのは誰だ。今まで部隊を導いたのは誰だ。
口には出していないけど、皆。リィカネルが明るく振舞って、元気付けてくれるから……また頑張ろうって思ってる。
「リーダー。一緒にやるってのはどうだ」
もちろん、リーダーの称号はリィカネルのものだ。けれどリィカネルが、胸を張ってリーダーを出来るように。
もう一人ぐらい、誰かが横に居なくては。
「おまえがまた間違ったら、俺たちが修正する。どんどん前に突き進め……俺たちは、今までリィカネル部隊として」
誰よりも部隊のことを考えている。普段一緒に行動しない兎牙でさえ、彼は凄いリーダーだと言っている。なのに、他でもないリィカネル自身が、その凄さを分かっていない。
部隊のことを考えて、立場が上の人間にも立ち向かって。まだ部隊に入って間もない軌光を助けるために、最上第九席や最大基地外戦力にまで頭を下げた。それはきっと、誰にでも出来ることじゃない……リィカネルだから出来たこと。
「おまえだから、ついてきたんだぜ?」
言葉を失い、ただ涙を流し。泣き崩れるリィカネルの姿が答え……なのだろう。少なくとも軌光にはそう思えた。
彼が最上第九席第一席を決定するためのトーナメントに出場すると決意したのも、せめて地位を得ようと思ったからなのだろう。肩書きだけでも、“何か”を得ようと。
馬鹿な男だ。そんなこと、しなくてもいいのに。
「ほら立て……リーダーが、めそめそ泣くんじゃねえよ」
手を差し出す。強く握る。
リィカネル部隊のリーダーに相応しい、いい顔をしていた。ついてきて、ついて行って、その選択はきっと、間違えていない。彼がリーダーとして導いてくれるのなら。




