第六十二話 それは本当のことで
もう、名前は覚えていない。というより、既に記憶から消している。昔、ある夫婦がいた。子供も授かっていた。
最上第九席になれるほどではない。しかし、それ以下のカテゴリーで考えるのならば間違いなく天才。あと一歩何かが足りないだけの、上の上に位置している凡人。
夫婦は、二人共がそう言われるような存在だった。
「あなたが、私たちの代わりに、強くなるのよ」
「目指せ最上第九席! 一緒に頑張ろうな!」
今にして思えば、毒親というやつだったのだろう。生まれた瞬間に子を捨てるような親がほとんどのこの世界で、この程度のことで毒親と言うのも憚られるが……
自分たちの出来なかったことを、子の意思も確認せずにさせようとする。それは、親がしていいことではなかった。
確か、三歳の頃のことだった。
神器適性を持つ者同士の子である。当然ながら神器への適性は高く、長らく適合者の現れなかった蒼星神器ガイアネルに適合した。多分、親が一番喜んだのはあの時だろう。
そこまではまあ、理解出来る。幼児の肉体に、神器の負荷は害以外のなにものでもないが……黄燐に代表される研究室は、全力でサポートしてくれていた。戦闘しない、能力を使わない、極力触らない。それだけしていれば、まあ、負荷がどうとかはあまり気にしなくてもいいことだった。
さて、ここで一度、“暴走”について話しておこう。
神器に適合した者が、稀に起こす現象であり、発生原理は未だに不明。しかし、暴走を経験した者は神器との接続が深くなり、より強い力を発揮出来るとされている。
今までに暴走したことがある者の共通点を炙り出した所、精神が不安定な時期であることが挙げられた。もしくは、神器と接続する脳の部分が未発達であること。リィカネルは、モロに後者に当てはまっていた。
そして悲しいことに……このデータは、リィカネルが暴走したが故に得ることが出来たのであった。
「あっあ……ぐう、〇〇、そんな……」
「私の子、なのにそん、な……かふっ」
暴走して、意識はなかったが。親が死ぬ時にそんなことを言っていたのは覚えている。謝罪でもなんでもなく、彼らは困惑と驚愕の中で死んだのだ。子が、暴走したというのに。
親殺し。珍しいことではない。だが、僅か三歳になったばかりの幼児が為したとなれば、それは……
珍しいかどうか、という次元の話ではないだろう。一生背負わなくてはならない罪の重さ、他ならぬ親を殺したという事実は……三歳児が背負うには、あまりにも重すぎた。
「おう、おまえが〇〇……あー……うし、名前変えるか」
当時はまだ最上第九席ではなかった。名をシュヴェルビッヒと言った彼は、親を殺して以来誰も寄せ付けなかった自分の心を、徐々に溶かしていった。暖かく包み込むように。
新しい名前はリィカネル・ビット。意味はよくわからないというか……シュヴェルビッヒさんも特に意味は考えていないらしい。でも響きは気に入ったし……何より、親の名前と全然毛色が違うものだったから、すぐにそう名乗った。
育ての親のシュヴェルビッヒさんは、本当の親のように育ててくれた。周囲に自慢の子だと言い張って、色んな所に引っ張り出した。今にして思えばそれは……誰ともコミュニケーションを取りたがらない自分を、人の輪の中に放り込むための訓練だったのだろう。多少荒療治ではあったけど。
夜は嫌いだった。もうはっきりと覚えてもいない、親を殺した時のあの光景が瞼の裏にチラついて……たまに眠ることが出来ても、夢の中にまで、あの人たちが出てくるから。
でも、シュヴェルビッヒさんはその度に駆けつけて慰めてくれた。どんなに任務で疲れていても、例え任務の途中であっても。おまえは悪くないって、言い続けてくれた。
「でもね、焔緋軌光。僕はこう思うんだ」
三歳だったから仕方ない。全部親が悪い。
周囲の人は、シュヴェルビッヒさんはそう言ってくれた。でも、そういうことじゃないだろう。親を殺した罪は消えないし、もっと……何か、出来ることがあったはずだ。
「親について行ったから、ああなった。彼らの言う通りにしていたから、彼らは死ぬことになったんだ。何かおかしいと分かっていたのに、それを表に出すことすらしなかった」
それは、罪だ。自身の罪を肯定したも同じだ。
「だから、僕が前に立つ。そして、絶対に間違えないように皆を導く。大丈夫、最悪の失敗を知っている僕だからこそ」
この話をしたのは、いつぶりだろうか。
唇が震える。声も。何かに怯えているように、手足も震えている。これを否定されたら、どうしようかと。
「僕はもう二度と、皆を失敗させないから」
ありがとう、と。ずっと思っている。
優しく庇ってくれたシュヴェルビッヒさん。あの親たちのことを忘れさせるように、シュヴェルビッヒの子供として扱ってくれる人たちに。でも、それでも譲れない。
誰かに前を行かせるのが怖い。また死なれるのが怖い。また失敗するのが怖い。罪を犯してしまうのが、怖い。
そうなる前に、自分自身が前に立つ。リーダーになる。
「だから、ね? 僕はリーダーでいいよね、焔緋軌光」
涙を堪える。感情の瀑布を抑えつける。
どんな反応をするだろうか。肯定? 否定? それとも彼はいつも通り、想像出来ないような答えを……
「うーん、難しいことはよくわかんねえけど」
今度は軌光が先だった。
剛腕神器、顕現。高らかに打ち鳴らす。
「とりあえず、まあ。殴り合うか」
浮かべた笑みは、果たして。
 




