第四十八話 神話
これは、第一幕の話だ。
穿孔神器ドリラドルラ。最上第九席第一席、ジェイツ・シルヴェスターの神器である。狙撃銃の形状をしており、何らかの属性を込めた弾丸の射出を可能とする。
これは直接敵を攻撃する以外にも、味方にバフをかけるための使い方も出来る。恐慌星と対峙する兎牙の後方支援をするにあたって、ジェイツは後者の使い方を選択した。
(つーか……俺ちゃんがなんかしても逆効果じゃん?)
直接戦闘が苦手なジェイツからすると、その戦いはただただ恐ろしいものだった。目にも留まらぬ攻撃の応酬。
兎牙に当てないよう狙撃することは可能。寧ろ、ジェイツはその神がかり的な狙撃能力のみを評価されて、最上第九席になったのだ。その程度は出来ないと話にならない。
故に、恐れているのはソレではない。ジェイツが狙撃を攻撃に用いないのは、単に兎牙の邪魔にしかならないからだ。
(あの外殻、多分俺ちゃんがなんかしても傷一つ付かない硬度がある……くう、頑張ってくれ響ちゃん!)
兎牙が対峙している敵の名前を、ジェイツは知らない。厳密には、ゼロを除く全員が知らない。だから、便宜上【赤鬼】と呼称することになっていた。
赤鬼の外殻には、兎牙がどんな攻撃をしても傷が付かない硬度がある。ドリラドルラの弾丸は基本的に兎牙の攻撃を越える威力を持たず、また速度においても大きく劣る。
唯一勝るのは貫通力のみだが、そもそも速度で劣っている以上命中しないのは必然。兎牙の全力攻撃でさえ、所々躱されているほどだ。どう考えても“意味がない”。
せめて兎牙がヒビを入れてくれれば……そこに、神経や筋肉に干渉する弾丸を撃ち込める。なので、その時が来るまでは兎牙にバフをかけ続ける……それが、ジェイツの選択。
(有難い……今は、変に手を出されるよりは!)
そして、兎牙はそれを最善であると認識していた。
正直言って、勝てる気がしない。最上第九席の中でも上澄みの実力を持つ兎牙だが、赤鬼に対しては勝てるビジョンが見えない……斥腐でギリギリではないだろうか。
ジェイツのバフのお陰で、なんとか拮抗状態に持ち込めているのだ。筋肉密度の上昇、伝達神経の活性化、五感の向上等々……瞬きすら命取りになりかねない、この極限の戦闘において……ジェイツの存在は、これ以上なく有難い。
(月峰さんたちが到着するまで、なんとか耐えなくてはならない……! いや、それだけでは終わらない!)
月峰と海華到着後……兎牙はまだ戦い続けなくてはならない。その三人+後方支援のジェイツで勝利するというのが、黄燐たちが立案した作戦だった。意識外に排除していた。
想定外。赤鬼が常軌を逸した強さを持っていることは想定していたが、こうまで強いとは……誰も……!
兎牙の神器の能力、それによって纏う鎧には、物理以外にも精神を防護する作用がある。それによって、偵察隊員を発狂死させた能力は防げる……確かにそう思っていた。
甘かった。
(肉体も、だけど……この、恐怖に! 耐えなくては!)
恐い。最初に拳を交わしたその時から、正体不明の恐怖が心を支配している。恐くない時が訪れない。
交戦開始時から、赤鬼も兎牙も一切言葉を発していない。お互いに攻撃を繰り出しながら、一進一退の攻防を続けているのだ。そもそも赤鬼が喋れるのかどうか……そこには疑問が残るが、兎牙が喋らない理由は明確だった。
喋れないのだ。口を開けば、何かが決壊してしまいそうで喋れない。今は体を動かし、命を奪い合い、極限状態にあるからこそ、辛うじて心を平静に保っているが……
何かを口に出した瞬間、零れてしまいそうな気がする。そして、そうして生まれた隙を赤鬼は逃がさない。
(これを……なんの防護もなく、浴びせられたの!? ごめんなさい……私が、私が偵察に出れば良かった)
自責の念。心優しい兎牙らしい思考。
だが、この戦闘においてはそれが命取りとなった。
「がっ」
一瞬、意識が逸れた。
防御力に優れた武装だったが、赤鬼の拳はそれを容易に突破ふる。内臓がいくつか潰れる感覚がして、踏ん張りが効かずに吹き飛ぶ。土煙を立てながら、遙か遠くに倒れ伏した。
無防備な兎牙を守るため、ジェイツが攻撃用の弾丸を連射したが……無論、当たらない。そして赤鬼は、ジェイツ本人には一切反応せず、兎牙に向かって歩き出した。
慈悲か、はたまたゆっくりと近付く“死”に恐怖心が爆発するのを待っているのか……赤い死神のように見えた。
(ヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバい!)
思考を埋め尽くす“どうする”。そして、一瞬で塗り替えられる“どうしようもない”。白くなっていく世界の中で、ジェイツはただ絶望に打ちひしがれていた。
兎牙が死ぬ。次は自分だ。恐い、恐い死にたくない……!
「情けない顔をするな。それでも最上第九席か?」
ふっ、と。風が吹いた気がした。
白髪の、美しい少女だった。脇に抱えられていた兎牙が、ドサリと音を立てて落ちる……理解が追いつかない。
「……知っているだろう? 中央第零席、ゼロだ。どいつもこいつも弱者ばかり……逆に、奴が可哀想になってきた」
状況から判断するに……ゼロが、視認すら不可能な速度で兎牙を救出したのだろう。赤鬼の視線がこちらに向いているところを見るに、奴には見えていたようだが。
助かった、のか? まったく予想外の救世主が……
訪れたとでも言うのか?
「邪魔はするな。そこで見ていろ。いいな?」
そう言って、赤鬼の眼前に降り立った。ジェイツが狙撃していた場所は、エスティオン基地で最も高い場所……
「……俺ちゃん、最上第九席辞めよ」
これが、人間たちから見た第二幕の開演だった。
この戦いは、神話になる。




