第三十五話 一閃
斬撃延長・斬撃創造。ムラサメの能力は、言ってしまえばそれだけのことだ。振った軌道に斬撃を延長するか、刃の向いた方向に不可視の斬撃を創造するか。そんなもの。
剣の、刀の機能など、たかが知れている。上手く当てる機能か、当てて殺す機能。ムラサメは前者だった。
「だが。それだけでもおまえを殺せるぞ、Evil angel」
否。それは間違いだ。
最上第九席においては新人である渡の唯一の同期は、第三席の海華と第四席の月峰。彼女たちだけは、渡の刀にかける執念は知っている。その異常なまでの執着を。
例えば、海華の神器……権能神器フェイシックは、触れたものに作用する物理法則を操る能力を持ち、月峰の神器、傀儡神器マリオネットは、糸を自在に操り、ある程度の精神干渉を可能とする能力を持つ。十分に強力な能力だ。
彼女たちはそれありきで最上第九席となっている。それがなくては、間違いなく今の座から引きずり下ろされる。
だが、渡はどうだ。Evil angelの分厚い胴体を両断するための一太刀以外に、神器の能力は一切用いていない。
彼自身の努力が、今の地位を安泰のものとしている。万物を断ち、両断する……“その程度”の技術である。
「Evil angel。おまえには百種の神器がある。出くわした場合は迷いなく逃げろと……よく、黄燐に言われる」
事実、言葉にしてみると恐ろしいことこの上ない。一つでも災害級の影響を及ぼすことのある神器を百種内包し、その全てを自在に操れる……既に死亡した戦闘生命などと。
けれど渡には……まず余裕があった。こうして一方的に言葉を投げかけることが出来るほどに、隔絶した実力差のある戦闘だった。未だに渡は……無傷のまま戦闘している。
「奴が心配性なだけだったな」
斬。
大きく開いたEvil angelの口腔から、熱線が放たれようとしていたのだ。だが、その照準が渡に向けられる前に……斬られている。内部で暴走した熱線が爆発した。
飛散する肉片を切り刻みながら、渡は静かに納刀した。他愛もない……これが、あの【融滅】の最高傑作なのか?
「あ〜! ちョっとダメ……Evil angel〜!?」
焔緋軌光と戦っているはずの【融滅】の声。見れば、一方的に蹂躙されているが……何故か、余裕げな笑みを浮かべてこちらを見ている。背中が総毛立つような感覚。
ほぼ勘のみで、地面に刀を突き刺していた。斬撃延長……地下深くで、無数の肉片を切り裂いた感触がした。
「出番はマだあるよ! ほラ、“本気を出シて”!」
天高く放り投げられているのだと理解した。
レギンレイヴの地下拠点を呑み込んだのと、同じことをしているのか。地下にあるEvil angelの肉体が、対象の注意が地上にある肉体に向いている間に攻撃する!
これだけの質量が、一直線に上昇する……そして、ほとんどの人間は、空中において実力を発揮出来ない!
(なるほどいい戦法だ。上手く巨躯を活かしている)
だがその“ほとんど”に……渡鼠蜂は含まれていない!
空中で身を捻り、下方に向けて振りかぶる。多少不格好だが、斬撃延長も含めるならこれが最善の攻撃方法……
「…………………………あ?」
決して人付き合いが得意な方ではない。誰かから歩み寄ってくれないと、まともなコミュニケーションは取れない。
無愛想で言葉も少なく、陰気な自分に話しかけてくれる者はほとんどいない。けれど、セレムは……彼は、車に飛燕の荷物を載せたほんの僅かな時間で、何度も話しかけてくれた。彼は“いい人”で、人として好きになってさえいた。
こんな、こんな……!
「どこまで死者を冒涜しているんだ貴様ァァァアア!!!」
「イッヒヒヒヒヒヒヒヒハハハハハハハ!!!!!」
地下から出現したEvil angelの口腔の中で、虚ろな目をしたセレムが手招きしている。こっちに来い、と……
彼は、誰よりも飛燕の幸せを願っていた。彼は、誰よりも人に優しかった。彼は、ほんの僅かな時間でも……
『俺たちは、良い友達になれそうだ』
そう、言ってくれた。
刀を振り下ろす手が止まった一瞬で、渡はEvil angelの巨躯に呑み込まれた。喉にあたる部分が蠢く。
どこまでも不快な【融滅】の哄笑を誰もが聞き、そして渡が呑み込まれる一瞬を見ていた。最上第九席の一人が、こんなにも簡単に、異形の怪物に喰われて、死ぬ……
「さアさあサあさあさァ! 一人死んだ! 次は」
「死ぬのは。死んだのは」
無数の光が煌めいたような錯覚をした。
Evil angelの胴体部中心が、一瞬……中から強く“揺らされた”ような動きをした。神器を使う予兆ではない。
ではなんなのか? 今、Evil angelに体内から干渉出来る者は誰がいるのか? それは、狂気の果ての執念の鬼……
「貴様らだ、外道! 【融滅】、そしてEvil angel!」
弾けた。バラバラの肉片となって、Evil angelだったものの欠片が降り注ぐ。【融滅】は呆然と、その光景を見つめていた。信じられないものを見るようにして。
「これ以上死を弄ぶな!」
だが、その言葉を引き金として、変貌する。
困惑は憤怒へと。
「誰が……誰が死を弄ンだァァァァァアア!!!」
人は、死ねばただの肉の塊なのだと。
それが、理屈の話。




