第百七話 結晶
「期待するナと言った手前、アまり言わない方がイいのかもしれなイが……必要かモしれんカら、一応言っておクぞ」
自分でも気付いていなかった感情に突き動かされて流れた涙を拭い、改めて紅茶を飲み直しながら口を開いた。
「例えすルことにナっても、ワタシは初めてジゃない」
「ヴェ」
「元々性交には興味があッたからな。何回かシた」
「だっっっ……れとですぅ?」
「覚えテない。あまリ覚えるものデはないだロう」
正式に交際した者もいなかったしな、と付け加える。一応恋愛感情に近いものを抱いていた男がいないでもないが、わざわざ言葉や関係にするほど強いものでもなかった。
旧文明では、この程度誰でもしていたが……この世界ではそうもいかないか。ルルクにはショックが大きいらしい。
「だが……フふ、正式な交際関係になったノは初めてだ」
「それは……僕としても、嬉しいです」
「楽しみ二していルぞ。燃え盛らセてくれるノを」
「任せてください! 自信は……ないですけど……」
男なら、任せてください! で終わって欲しいところではあるが……まあ、そこがルルクらしいとも言えるか。
まだ、芽吹いたばかりだ。ただの助手だった、ただの子供だった彼に対する恋愛感情。いつの間にかこんな……何かを期待出来るほどの存在になっていたことに驚く。
どう、変わっていくのだろう。軌光も天道もそういうことを気にしないだろう人間であることが幸いして、色々なことを試せるだろう。男として……ルルクは、どう変わるのか。
そして、自分自身も。どう変えてくれるのか?
「なンにせよ、生活の変化は喜ばシいこトだ……」
「なあ、もう出てきてもいい感じか俺は」
「うわっとぁっへ〜る」
「そんな声出せたんだなおまえ」
少しいい感じのムードになっていると、天道と軌光が眠っているはずの寝室から声が聞こえた。出ていくタイミングを見失った軌光が、もう我慢ならんという様子で立っている。
起きていたのか。まさか……全部聞かれていたのか?
「どっちにしろ、一緒に生活してたら気付くことだろ」
「ナチュラルに心を読ムな。その通りナんだけドも」
「別に茶化しゃしねえよ。安心してイチャつけ」
天道は恋愛とか分かんねえよ、と言って軌光も座る。ガサツな男だが……そこらの気遣いは出来るようだ。
色々な感情の入り交じったため息を吐いて、とりあえず軌光の分のコーヒーを入れる。普段ならまだ全然起きている時間だ、何か飲み物ぐらい欲しいだろう。
「おうありがとよ……なあおまえら、一つ話がある」
いつになく深刻な様子で、軌光が口を開いた。基本笑っている彼が浮かべる真顔には、何故か不安を抱いてしまう。
「言ったよな。時々暴れ出す病気みたいなの持ってるって」
「聞いた。そレがどうシた。今まで何とモなかったロう」
口調が冷たくなっていることは自覚している。生前も含めた人生史上最大と言っても過言ではない嬉しいイベントの直後に、暗い話など聞きたくはない。そして、何よりも。
軌光に何かあるなど、考えたくなかった。
「今すぐ……って訳じゃねえ。ただ、近々出てきちまうだろうとは思う。それでも……許してくれるか」
許せるかどうかで言えば、許せる訳がない。エルミュイユは既に死んだ身、もう一度死んだところで未練はないが……ルルクと天道は違う。一度死ねばそこで終わりなのだ。
ネグレイルだけでもあれほどの破壊力を持つ軌光が、見境なく暴れ出せば……まず、生存は不可能だと言える。
それが分からない軌光ではないだろう。では、何故彼はこんなことを聞くのか……突き放して欲しいのか? おまえは危ないから、我々の前から消えろ……と。
「ワタシは、今この場所にイる全員が好きだ。誰一人手離したくナい、死んで欲しクない。大切な……家族だ」
最初の頃の自分に聞かせれば、卒倒するような文言。これがスラスラと出てくるほどに、性格が変わった。
だが、それでいい。そうじゃないと、本音は言えない。
「おまえガいることで我々が死ンでしまうのなら、ソれは仕方のなイことだ。せめテ、全員殺してクれよ?」
人間、死ぬ時は死ぬ。それはあの隕石が証明してくれた。
であるならば、愛した人間に殺してもらいたい。誰か一人だけ生き残るなんて……そんなことだけは、避けたいが。
「……はっ、なんてえ、お人好しだ……馬鹿野郎」
エルミュイユとルルクが視線を合わせ、クスリと笑う。天道はどう言うだろうか……悩み、悩み、悩んだ後に、結局同じことを言うだろうか。なんだかそんな気がする。
家族だ。この終わった世界で、唯一幸せな家族なのだ。例え死であっても、引き裂くことは許さない。
「皆一緒なら……それでいい」
その日のことは、よく覚えていない。
覚えていてはいけないことだけ覚えてる。エルミュイユ・レヴナントではない……もう少し先の未来で、【融滅】と呼ばれる女の意思だ。この記憶は消さねばならないと。
ただ……皆一緒ならそれでいい。それは今もそうだ。この世でもあの世でも、皆の顔を見ることが出来るのならば。
それでいいと、思っていたんだ。




