第百六話 愛があるならば
その日の夕食はエルミュイユが作った。屍鬼の技術を応用して作った、牛によく似た食用肉を焼いたステーキ。普段は野菜もどきと魚だけの食卓が、レアの肉から滴る血の赤だけで、宝石を散らしたように彩られているかに思えた。
いつもは別室で食事を摂っていた天道が、初めて同じテーブルに座った。エルミュイユよりも軌光とよく会話をして、天道は本心から彼のことを友達と思っているようだが、軌光は実の息子か何かと思っているのだろう対応をしていた。時折頭を撫でたり、可愛らしい様子を自慢してきたり……
悪い気分には、まったくもってならなかった。寧ろ、天道が軌光を架け橋として同じ家族になってくれたことが、不思議とたまらなく嬉しかった。笑顔に満ちた晩餐だった。
食後の談話を楽しんでいると、天道が寝る時間になった。まだ子供である彼の体は、遅くとも二十二時には睡眠を求めて機能を緩やかに停止させていく。
「今日は俺ももう寝るわ。寂しいだろうからな」
はっはっは! と楽しげに笑って、軌光と天道は同じベッドに潜り込んでいった。ガタイのいい、筋肉に恵まれた軌光の入眠速度を見ると、天道の発言も頷けるように思える。
「同じぐらイの頭の良さカ。あなガち間違いじゃナいな」
頭の良さと睡眠が直接的に関わっているとは思わないが、少なくともその速度は育ち盛りの子供のようだった。
エルミュイユとルルクの声で起こしてしまわないように、そっと寝室のドアを閉める。明日の朝、天道が好意的な反応を示すか、はたまた叫び声でも上げながら起きるか……
想像しただけで、笑いが込み上げてくる。もしかして、本当に寂しかったのは軌光ではないだろうか?
「ふっ……愉快だ。意外ト、子供が二人いルようだ」
「本当に……仲良くなるのは早いですね」
その通りだ、と言って笑みを浮かべ、紅茶の入ったカップをゆっくりと傾けた。流れ込んでくる液体が、火傷しているのではないかというほどの熱を喉に与える。
二人の会話はそこで途切れた。どちらかが切り出さないといけない、ということは二人とも分かっていたが……エルミュイユの個人的な感情としては、切り出したくなかった。
ルルクも、エルミュイユに言わせるのはなんとなく違うと思ったのだろう。勢いよくカップを傾け、少し高い音を立てて机に置いた。頬を軽く叩いて、エルミュイユに向き直る。
「それで……僕の想いは、受け止めてもらえますか」
来た。覚悟していても、そう思わずにいられなかった。
師匠のそういう所が好きですよ、というような発言は、何度も聞いている。だがそれはからかいの意味も込められた、恋愛というより友愛に近い感情に依るものだった。
男として、女としての感情に由来する愛情は、初めてだった。大学以外で恋愛経験を積んでいなかったエルミュイユとしては、意外と性愛を含まない愛情も初めてのものだった。
ここに来てようやく、怯えているのだと気付いた。若い人間の求めるような一夜の愛ではない、これからの未来全てをかけた、そんなにも尊く重い愛を受け止めることに。
「正直なことを……言オう」
この体になってから、言葉が上手く発音出来ないことがある。普段はなんとも思わないそれが、今は忌々しい。
「この体では……子供は出来ナいし、夜の営みモ期待出来ないト思った方がイい。それにワタシは人間よリも研究を重んじルタイプだし……きっと、おマえを苦しめルことにナる」
「それは、答えになっていません。子供も営みも、僕にはどうでもいいことです。僕が聞いているのは一つだけです」
自戒……というより、自分を納得させるための言葉になってしまっていた。人として愛し愛されるにあたって、自分はこんなにも欠陥品なのだということを。
違う。ルルクが求めているのはソレではない。肉体的なことなど、どうでもいい。ただ、愛の行き場を探している。
「僕の、あなたへの愛は……受け止めてもらえますか」
エルミュイユだって、人間だ。ずっと一緒に過ごしている人間に好意は抱くし、それがそばに居るともなれば尚更だ。軌光よりも長く深く、ルルクとは一緒にいる。
これはただの単純接触効果だ。ルルクは二度命を救ってくれた人間に過剰な感情を抱いているだけだ。出会ったばかりの頃に比べて、扱いが優しくなったのも……きっと。
二度命を救ってやった人間を特別だと思っているだけだ。
「そうだ……ワタシは、ルルクのことナど……」
生きていた頃も含めて、こちらから名前を聞いたことなどあっただろうか。これから長く付き合うことになる教授や学友に対しても、名乗るまで名前を聞いたことはない。
ルルクに対しては、どうだったか。
「師匠……エルミュイユ。僕は、受け入れて欲しい。無理にとは言わない。でも、あなたがほんの少しでも……僕を愛してくれているなら。僕は絶対に、それを」
手を握られていた。そこから伝わる温もりは、いつものルルクのもので……少し熱いのは、自分のもの?
「僕の愛と同じように、燃え盛るものにしてみせるから」
運命は存在する。神は存在する。
それは行き先を決定するものではなく、示すもの。彼との出会いも、これまで辿った軌跡も、運命が教えてくれた。それでも、選んできたのは……いつでも、自分だった。
選択の時だ。この手を、払い除けるのか。それとも。
「ワタシは……」
そっと重ねる。屍肉の手が……熱かった。
「もっと。おまえの愛に、触れてみたい」
この体でも涙は流れるのだと。
幸運にも、その時知った。




