猫可愛がりの策 (天の声視点)
猫の子一匹見当たらない夜の正門前。
夕方の一件が嘘のように静寂が広がっている。
そこに一人で立つイグルス・バーナードに近付く影がひとつ。
月明かりに落とされたイグルスの長い影に比べ短く小さいことを見ると、その影が女性のものであると窺えた。
イグルスがその影の持ち主に声を掛ける。
「来たか……ナンシー・ロペス」
「そりゃ雇い主に呼び出しされて、来ないわけにはいかないでしょ」
メルシアのクラスメイトにして友人のナンシーが肩を竦めてそう言った。
「認識阻害魔法は掛けてるか?」
「ええまぁ指示通りにね。今ここら辺を通る人間に、私たちの姿や会話を認識することは出来ません」
それを聞き、イグルスはよしと頷いてから話し出した。
「夕方はご苦労だった。ルキナ・フーバーはメルシアが一人になるのを狙っていたようだ。それで放課後の僅かな隙を突いたらしい」
「バカな女ですよね~。私が毎日、メルシアがバーナード家の馬車に乗り込むまで見張ってるのも知らずに」
「やはり魔術師ギルドに依頼して正解だったな。すぐに知らせてくれて助かった」
「メルシアの護衛として雇われてるんだからあの場で私が助けても良かったんですけど、でもやっぱりお姫様のピンチには王子が駆けつけないとね~」
「……まぁとにかく助かった。感謝する」
「お礼は臨時のボーナスでいいですよ♪それからマスターの耳にナンシーはいい仕事をするって囁いといてくだされば」
そう軽口を言うナンシーに、イグルスはただ口の端を上げた笑みを浮かべるだけであった。
この話の流れで、読者諸君には凡その見当がついている事と思うが、きちんと説明をしておこう。
友人としてメルシアの側にいるナンシー。
彼女は王都のとある魔術師ギルドに所属している魔術師なのである。
メルシアが高等学園ん入学するにあたり、イグルスは秘密裏に護衛を手配していたのだ。
クラスメイトを装い、そして友人を装ってメルシアの側に身を置く。
そして有事の際には一も二もなくメルシアの身を守り、なおかつ天然で純真なメルシアの精神的なケアやフォローも、依頼内容に含まれていた。
イグルスの目が行き届かない部分を補い、心身共にメルシアの安寧を守る。
それがナンシーに課せられた任務である。
ナンシーの実年齢は十八歳。
小柄で童顔なためにメルシアと同じ一年生、十五歳として学園に入学できたわけだ。
(もちろん、入学に際して諸々の手続きの根回しやナンシーの入学金や授業料は、メルシアを猫可愛がりするバーナード家が全額負担している)
そして入学式当日。生徒として学園に入学したナンシーは、護衛対象であるメルシアにどう接触を図るか。
それを思案している最中に、なんと目の前でメルシアが段差に躓き派手に転んだ。
フリルの付いた愛らしい薄桃色のパンツを咄嗟に隠すことがまさかの初仕事となるとは思いも寄らなかったナンシーである。
だがそれがきっかけとなり、パンツの恩人として懐いてきたメルシアの友人枠を上手く設定できたのだ。
そして入学以来ずっと、ナンシーは依頼主イグルスの目となり耳となり、時には手足となってメルシアを守ってきたのであった。
「……だけど、私が仕組まれてメルシアと友人になった、というのは絶対にバレたくないんです」
いつもハッキリとしたもの言いをするナンシーにしては珍しく、ボソリとそうつぶやく。
「メルシア……私のことを親友だって、初めて出来た友達だって、すっごく嬉しそうに言うんです。それなのにもし、友達になったきっかけは仕事でした~なんてことを知ったら……きっと傷付くと思うんですよ」
ナンシーのその言葉に、イグルスは頷く。
「無論だ。この事は決して外部に漏れないよう、メルシアに知られないように関係者には誓約魔法を交わしている。それも踏まえて多額の報酬をギルドに支払っているのだからな……。少し前かららキミに確認したいと思っていたんだが、もし卒業後はキミをバーナード家で雇い入れたいと言ったら、キミはどうする?」
「え?」
「卒業までは筋を通すためにギルドに仕事を依頼する。だが卒業後はギルドを介するのではなく、キミ個人と雇用契約を結びたいと考えているんだ。メルシアの護衛兼、友人兼、専属メイドとして。どうだろうか」
「……それって……一生、メルシアの側に居てもいいってことですか?」
「メルがそう望み続ける限り、はな」
イグルスがそう答えると、ナンシーはその言葉を噛み砕いて繰り返す。
「メルシアが私を友人として必要としてくれる限り……」
「もちろん、報酬は弾むぞ」
「それで“やります”なんて答えたら、まるでお金のためだけに決めたみたいに聞こえるじゃないですか」
ナンシーはそう言ってイグルスを睨めつける。
恨みがましく言いながらもナンシーの答えは直ぐに出た。
卒業後はメルシアとは無関係になってしまうことをとても寂しく感じていたから。
まだ学園に入学して三ヶ月しか経っていないというのに、既にメルシアの側が心地よいと感じていたから。
そしてあの可愛くて無垢なメルシアと、本当の友達になりたいと思っていたから……。
ナンシーはツンと顎を突き出してイグルスに答える。
「やりますよ!お受けしますよ!どうか私を、メルシアの友人として彼女の側にいさせてください。……まぁでも生きていくためには稼ぎも必要なので、貰える報酬はきっちりいただきますけどね」
「フッ……当然だな。労働には対価が支払われるべきだ」
口調は硬いが穏やかな笑みを浮かべるイグルスを見て、ナンシーは「そうとこだぞ」と思った。
この男がこんな笑みを見せるのはもちろんメルシアが絡んでいる時だけなのだが、それをたまたま見かけた女がハートを鷲掴みにされてしまうのだ。
この男は自分の婚約者以外の女なんて心底どうでもいいとさえ思っているというのに。理不尽極まりない。
そして今回、そんなイグルスガチ勢の最たる者であるルキナ・フーバーが盛大にやからした。
手を出してはいけない者に、してはならない事をしてしまったのだ。
ナンシーは恐る恐る、イグルスに訊ねてみた。
「……それで、ルキナ・フーバーをどうするんです?」
すると今までの表情とは打って変わって、冷たく硬質な無表情になったイグルスが低い声色で端的に告げた。
「……処す」
ヒィィィ……!
今現在と将来の雇用主が悪魔に見えたナンシーが心の中で悲鳴をあげる。
「バーナードの力を惜しむ事無く使って良いと父からも許可を貰っている。……容赦はしない」
「ヒィィィ……!」
あ、声に出しちゃった。
ナンシーは思わず口に手を当て、誤魔化すようにイグルスに言う。
「で、でもとりあえず、今はメルシアの側に居てあげてくださいよ。まだ眠ってるんでしょう?」
「そうだ。マタタビの影響が抜けるまで眠らせている……じゃないと破壊力が凄すぎて俺の理性がヤバい……」
「あれ?なんか顔が赤くないですか?マタタビでメロメロになったメロシア…じゃないメルシアになんかされました?」
「……黙秘だ」
なんかされたんだ。
だけどナンシーはそれ以上追求するのはやめておいた。
悪魔の重箱の隅をつつくようなバカな真似をするつもりはないし、
他人の惚気を聞くほどバカらしいものもない。
それからイグルスは、これからの学園でのメルシア警護の強化の指示をナンシーにして、バーナード家の邸へと戻って行った。
ナンシーは正門付近に微かに残るマタタビの香りを清浄魔法で消し去り、自身も帰宅の途に就いたのであった。