Lesson0 宣言
異世界ラブコメ始めました。
「シンシア。君との婚約は破棄させてもらう」
アルベルト様は、ミランダ様をそばに引き寄せ、そう告げた。
貴族学校の恒例行事である新入生を歓迎する舞踏会。
ダンスホールの中央で、私は婚約者の第二王子、アル様にそう告げられた。
校内の行事とはいえ、正装が推奨されるため、今日のアル様は軍服姿だ。
貴族学校の傍ら、伝統的に軍属する王族の男性は、必ず正装では軍服を着こなす。といっても儀礼的なものなので、豪華絢爛。白をベースに金糸がふんだんに使われ、アル様の瞳と同じ赤色がアクセントに散りばめられている。シワのないパリッとした生地の仕上がりと、それを着こなすアル様の雰囲気に溜息をつく女性は多いだろう。
婚約者の私は、衣装に感嘆すれど、着こなすアル様にときめく感性を持っていなかった。
抱き寄せられた伯爵令嬢のミランダ様の衣装も、アル様と対になっているようで、白いドレスがよくお似合いだったが、カタカタと震えている。顔の引き攣りからして、彼女には何も言っていなかったのだろう。
婚約破棄の兆候は、側仕えのナタリアから聞いていた。
そして恐らく、社交シーズンの開始を告げる四大公爵家のパーティーで言い渡されるだろうと予想していたから、社交シーズン前の学校内のパーティーで言われるとは予想外だった。
――王妃や国王も不在のこんなパーティーでの婚約破棄が、まかり通るのだろうか。
そもそもパーティーで婚約破棄するつもりだという計画を聞いた時は呆れたものだった。品が無いにも程がある。
このタイミングでの宣言に、私は大きく溜息をついてから、応えた。
「承知いたしました。婚約破棄を受け入れます」
そう淡々と言い放つ私に、アル様は少しだけ眼を見開いた。
内心かなり動揺しているだろうが、それを見せない演技が彼の唯一の特技だ。
「いやに素直じゃないか。理由は聞かないのか?」
――理由も含めてすでに調査済みですが、折角なので本人の口から聞いておきましょう。
「あぁ。理由、そうでしたね。お聞きしましょうか」
なるべく嫌味無く言い返したつもりだが、語彙にどうしても棘ができてしまった。
アル様の眉が少しだけ動いた。私との問答が予想からズレてきて、対応に困っているのだろう。
「そのような不遜な態度こそが最大の理由だ。
本来、王子の婚約者、未来の王妃たる女性が、王子である私に対し、不遜な態度をとることなどあってはならない。
逢瀬の際にも、私を立てるどころか貶し、嘲っていただろう。
いくら寛容な心を持つように育てられた私といえど、心に傷がついた」
「そうでしたか。それは無自覚でございました。
大変申し訳ございません」
――そんな風に思っているのでしょうと、薄々感じてはいましたが、なるほど傷ついていましたか。
それは可哀想な事をした。と思い、心からの謝罪を申し上げる。
しかし、流石に少し呆れと怒りを覚えていたので、ほとんど無表情になってしまった気がする。
そんな私の様子は、アル様の神経を逆撫でしたらしい。僅かに語気が荒い。
「それに、王子、王の配偶者とはかくあるべしと示してくれたのは、ミランダだ。
彼女は、君に不足しているものを全て持っている。
慈愛の心、貞淑さ、陰で私を支える賢さだ」
ミランダ――ミラ様は、嬉しそうに微笑み、顔を赤らめている。
このイベント自体はミラ様の預かり知らぬ所だったようだが、二人が思い合っているのは事実らしい。
満更でも無さそうなので、私からするとアル様とミラ様は同罪だ。
「そして、君が使用するような人を傷つける魔導式ではなく、ミラは人を助ける魔導式を使うことができる。
王族の妃として、申し分のない才だ」
その言葉に、私はピンと来た。
私へのアル様の態度がおかしくなったのは、私がアル様の目の前で強盗を捕らえるべく魔導式を使用した日からだ。
アル様は、残念ながら、その演技力以外に非凡な才を持っていない。
我が王国の貴族であれば、嗜みとして使用する魔導式も、平凡な技術はあれど荒事で使用できる程のレベルでは無い。
演技力、それと野心以外は凡庸な人なのだ。
それでも、臣下が支えていけば、賢王と呼ばれるくらいにはなれると思う。人を魅了する演技は得意なのだから。
そう思って、今まで婚約者として彼を支えてきたつもりだった。
しかしその思いは届かなかったようだ。
ミラ様が誘惑したのか、アル様が勝手に浮気をしたのかまではまだ把握できていないが、正直どちらでも構わなかった。
アル様の人間性はどちらにしても最低最悪だ。
筋が通っていないのだから。
――さて。
と私は考えた。
取り敢えず、婚約破棄自体はどうでも良い。
問題は、それを公衆の面前で行ったことだ。
その理由としては、何とかして自分に非が無いと示したかったからだろうか。
でも、私はミラ様をいじめるとかそういう流行りの小説みたいなことはしていない。
私の過ちはアル様の癇に障る態度だけなのだ。
だが、どうにも雲行きが怪しい。
周囲の学生たちの目は、明らかに私を批判的な眼差しで見ている。
そして、僅かだが、私自身も、私が悪かったのでは無いかと思っているフシがある。
怒りや呆れのせいで、そこまで強くは思わないけれど、自省の感情が湧き上がってくる。
――おかしい。
だって私は、この国の四大公爵家の一つ、スターダスト家の公爵令嬢だ。
凡庸な王子から糾弾された程度で、よよよと反省する慎ましさは残念ながら持ち合わせていない。
自分の長所も短所も把握している。
こんなところで、しょんぼりする性格では無い。
ミラ様の瞳が目に映り、学生たちの瞳が目に映り、テーブルに置かれたグラスに映る自分の瞳が目に映った。
怪しげに揺らめく光が渦を巻いている。
――魔導式ですか。
誰が仕掛けたか分からない。どうやって仕掛けたか分からない。
けれど、私は間違いなく嵌められた。
恐らく魅了の魔導式だ。
アル様はそんな高等な技術を持っていないから、誰かが支援している。
魔導式と分かれば自衛は簡単だ。
体内の魔力を循環させ、掛けられた魔導式を消し去る。
ただ、学生たちにかけられた魔導式を解くのは、簡単では無い。
――多勢に無勢。
この場に留まるほどに不利になる。
「お話はそれだけですか?
であれば、少々気分が優れませんので、退席させていただきます」
貴族らしく最後は優雅にお辞儀をし、渾身の微笑みを浮かべる。
「いや、まだ話は」
そうやって引き留めようとするアル様を遮るようにして、私は踵を返し、ダンスホールから颯爽と立ち去った。
アル様としては、もっと私を糾弾して、どうにか自分に非が無いことを強く印象付けたかったのだろうけど、そう上手く事を運ばせるつもりは無い。
敵対するなら、こちらとて徹底抗戦の構えだ。
そんな気持ちでダンスホールを出ていく私に、声をかける者はいなかった。
どんな風に振る舞おうとも、もはやこの場に私の味方はいないのだ。
跳躍の魔導式を使って、空を駆けて帰りたかったけれど、流石に舞踏会を去る貴族がそのように帰宅するのは外聞が悪い。
用意してあった馬車に乗り、夜景をぼんやりと眺めながら、私は公爵邸に帰った。
「と言うわけでお父様。浮気していたアルベルト様との婚約は、流石にご遠慮願いたいのですが、いかがでしょう」
「愛人の一人や二人、王になる者ならば致し方ない。
と、自分の娘の婚約者でなければそう言っていただろう。
だが、私は自分勝手な男でな。
可愛い私の愛娘がそんな状況に置かれて黙っておれるほど、できた人間では無い。
婚約破棄?こちらから願い下げだ。
そんな男とは縁を切れ!シンシア」
きれいに撫で付けられたシルバーホワイトの髪が怒りに震え、逆だっているように見える。
父、アラン・S・スターダストは、娘の私から告げられた事の顛末を聴いて、吠えた。
「ありがとうございますお父様。
でも、今のところ、この国の王になると目される人物です。
破棄は良いとしても、無下にもできません」
フンッとお父様は鼻で笑った。
「簡単なことだ。お前から見てそんなダメダメな男。
我が国の王として頂くに値せず。
次の王として、我らが推挙すべき別の人間を立てれば良いだけのことよ」
元々アル様が怪しい行動をしていたので、父も色々と考えていたのだろう。
お父様はクククッと悪い顔をする。
――あー、これは中々悪いことを考えている顔ですねー。
紅茶を一口すすって、カップを手でいじりながら私は尋ねた。
「ですが、アテはあるのですか?
王弟殿下は『その気が無い』といつも我が家を訪れる度に、仰っているではないですか」
この国、ローレル王国は、東西に大国が迫る緩衝地帯に位置している。
中立を守っており、芸術や金融、観光で財を成しているため、どちらかに肩入れせずとも自立しているけれど、大国二つを相手取った政治を永続的に行う必要があり、治世を安定させるため、次期国王の選定には非常に慎重だった。
特に、二人の王子が成人を間近に控え、次の国王を誰とするか、熾烈で蜘蛛の糸のように細く危うい関係性の中で権力争いが起こっていた。
我が国の制度では、次代の国王は前王から王太子として指名され、その後、中央議会での承認を経て決定される。
そして、王家に名を連ねるものであれば、例えば、現国王妃でさえも候補となる。
一方で、これを議会が承認しなければ、選定はやり直し。
だから、国王は一人の意志で王太子を選べるものの、世論も無視できない立場だ。
現時点で、現国王アドルファスは、王太子を指名せず、沈黙を貫いている。
民衆、貴族の意見はバラバラであるものの、第一王子、第二王子、王弟の三大候補におおよそ絞られている。
王弟オズモンドは我が国の将軍であり、すでに権力の一つを握っている。
国王からの信頼も厚く、年齢を除けば申し分ないと言われている一方、齢四十と比較的年長だ。
また、現時点で同性を含め、伴侶も愛人もいない独身であり、世継ぎや皇宮の管理などの問題が懸念されている。
王子たちが更にその次の後継者となれば良いとは言うものの、同じ時に王子たちが候補と目される中、その選択肢はあまりない。
このため王弟派は少数であり、王子派のどちらにつくかで意見が分かれていた。
そして、オズモンドは、父アランの親友で、我が家を自宅のようにしょっちゅう訪れていた。
お父様は、クククッと笑いながら、口元を隠すように手を組み、私の質問に答えた。
「第一王子だ」
――順当な選択肢ですが、お父様がその選択肢を上げるのには、驚きです。
「第一王子ですか。あの根暗王子と噂の」
第一王子、テオドール様。根暗王子と噂される、噂だけ聞くと少々頼りない人物だ。
「そうだ。
オズモンド自身は、国王になるより補佐向きだとよく自分で言っているからな。
オズモンドよりは第一王子の方が国王向きだろう。
そして、第一王子が、推挙するに足る人物であったなら、シンシアの新しい夫候補にも相応しいだろう。
どうだ?」
父としての立場、公爵家当主としての立場、両者の観点からの立場での発言だろう。
元々、四大公爵家では第二王子派が二家、第一王子派が一家、中立が一家という状態だった。
このうち第二王子派は、アル様の生母である正妃様の実家とスターダスト家だった。
だが、あくまで総合的に見て第二王子を推挙しただけで、家門のつながりとは一切関係がなかった。
今回のアル様の一件で、スターダスト家は第二王子派から、中立か第一王子派か選ぶことになった。
だからこそ、お父様は私の幸せも含めて提案してきたのだろう。
ただ、どうか、と問われても答えようがない。
「どう。と言われましても……。
噂以外の情報がほとんどありませんから、判断のしようがありません。
王宮か、側妃の実家であるボレアス公爵家のパーティー以外に出席せず、顔を出しても誰とも会話を交わさず、視線を合わさず、直ぐに下がってしまう方ですよ。
貴族学校にも籍だけ置いて、通わず引きこもっておられるではないですか。
オズモンド殿下からは何も聞いておられないのですか?
甥っ子に当たるのでしょう?」
「やつに何回か聞いたことはあるが、
『アイツは才能もあるし、時に冷静に決断できる男だ。
問題は、暗すぎるってことかな。
生い立ちのせいもあるがね……。
パーティーに引っ張り出してもすぐに引っ込んでしまって、人脈を作ろうともしない。
国王になる気はあるみたいだが、一人でも王に慣れると勘違いしているんじゃないだろうか』
というようなことを言っていたな」
会話したことのある親族からの評価がコレだ。
生い立ちに関しては、生母の側妃を幼い頃に亡くし、孤独な人生を送っているとは聞いたことがあった。
少なくとも軽薄なタイプで無さそうなのは、幸いだけど。
「真面目な方なら浮気の心配はなさそうですが、表に出ることを嫌うタイプですか」
「ああ、だが、そんな人物を王として推挙すべきか、もちろん疑問が残る。
しかし、他に候補がいないのも事実」
目に浮かぶのは、いつも僅かしか姿を見せない黒髪の王子。長い前髪と分厚い眼鏡で表情がわからない。
何を考えて生きているのだろう。
そして、なぜそこまで表に立とうとしないのか。
国王夫妻はそれを咎めることなく静観しているのはなぜなんだろ。
読めない人物像だが、私も、公爵家の一員として、義務を果たさなくては。
「確かめなくては始まりませんね」
「第一王子を?」
「はい。幸い、1ヶ月後のボレアス公爵家のパーティーには参加なさるでしょうから。
捕まえるチャンスはすぐそこにあります。
私、お母様と約束してますから。
幸せになるために、飛び込んでみます」
ラブコメに至るのは、1話から。
8/1中に1話も投稿予定です。
以降は、できるだけ隔日連載の予定です。
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