第1話 嵐の夜
大好きだったおじいちゃんの棚田とそこで採れたおいしいお米。田舎の慣習にしばられながらも、陽子は棚田とおいしいお米の復活を目指します。
出会いは偶然?それとも・・・
ごうっという風の音がして、車が揺れる。陽子の肩はぴくりと動いて縮こまった。夜空を切り裂くように青白い光が、一瞬だけ田んぼの稲穂と畔を闇の中に照らし出す。直後に大きな音。わりあい近くに雷が落ちたようだ。
「ひゃっ!」
恐怖を抑えることができなくて陽子は叫んだ。
「陽子さん大丈夫?帰った方が良いんじゃないかな」
隣にいる良太が心配して声を掛けてきた。少しでも眠れるようにと倒したシートから上半身を起こして、心配そうにこちらを見つめているのがおぼろげながらわかった。
「大丈夫。この程度の台風なら大したことないってお母さんが言ってたもの」
陽子はかすれた声で返事をした。
先ほどから陽子の胸はいつもの二割増しで鼓動を繰り返していた。これは台風の恐怖によるものなのか、それとも…。陽子にはわからなくなっていた。
風が通り抜ける度に、車ごと持ち上げられる感覚が陽子を襲う。脇の水路を流れる水の音がどんどん激しく大きくなる。また空が光った。びしっ!近い!どこかの木にでも落雷したのか凄まじい音がした。心臓の拍動はついに三割増しとなり、陽子は胸の前で腕を交差させて打ち震えた。
「陽子さん、田んぼは俺が責任もって守るから、帰んなよ」
暗闇の中、再び落ち着いた声が聞こえてきて、陽子は良太の方をまじまじと見た。また雷光が明滅して、心配そうな表情をした良太の瞳が浮かび上がった。二人の視線が交差した時、陽子の左腕が伸びて、良太の右手の甲に触れた。
「ねえ。怖いんだから、手くらい握ってくれないかな」
陽子の言葉に、良太の右手は一瞬ぴくりとしたものの、すぐに握り返してきた。そして、空いている左手が伸びてきたかと思うと、陽子の髪を撫でた。農作業でタコができているものの、温かく優しい手だった。
強風と豪雨が二人を乗せた車を揺らし続ける。二人の思いが一つになったのはそんな嵐の夜だった。
出会ってからすでに三年が過ぎていた。
しゅーという蒸気の音が強くなった。そろそろと思った時、炊飯ジャーのスイッチが切れる音がした。ご飯が炊けたのだ。ちょうどお味噌汁も出来上がり、陽子は父母と自分、併せて三人分の食器を棚から出して食卓の上に置いた。冷蔵庫から漬物を取り出すとお皿に盛り付け、卵とお醤油を準備する。そろそろ蒸れた頃かな?陽子は炊飯ジャーの蓋に手を伸ばした。今日は滝のがしらという、この辺りでは評判の湧き水でご飯を炊いてみた。きっと美味しいはず。陽子の胸は高まった。蓋を開ける。白い湯気が立ち上る。白いお米がぴかぴか輝いている。美味しそうではある。だが、台所に差し込む朝日に照らされて輝いていた笑顔は急にしぼんだようになってしまった。
「違う」
陽子は呟いた。湯気の匂いに微かな混じり気を感じたのだった。以前は違った。ご飯から立ち上ってくるのは、もっとすっきりとした純粋なお米の匂いだったのだ。
「おお、早いな。おはよう」
父親が入ってきて食卓に着いた。陽子は父親の方を振り向くと低い声で言い放った。
「おじいちゃんが亡くなってから、うちのご飯はおいしくなくなった」