第9話 オムカ王国軍ジーン隊長代理
30分。
それが野営地へ向かうのにかかった時間だ。
流したはずの汗が再び全身を覆い不快指数MAX。
てゆうか胸が服にこすれて痛い。くそ、こうならないようにブラジャーっていうのがあるのか。
なんてことを学んだ見た目は少女、中身は青年の俺だった。
「止まれ、何者だ!」
だから野営地にたどり着いた途端、相手にとっては当然の行動を行っているにすぎないが、こうも居丈高に来られるとついこちらも荒れる。
「ここの責任者を呼べ。今すぐ! 緊急事態だ!」
「なんだと。貴様、敵か!」
目の前の若い男の兵が槍を腰だめに構える。
あれで突かれたら死ぬな、とは思うがいまいち現実感は湧かない。
だって本物の槍なんて初めて見るし。
「こんなこと言いながら来る敵がいるか! いいから責任者を呼べ! お前じゃ話にならない」
「な、なんだと!」
ちっ、やりすぎたかな。
そう思った時には時すでに遅し。
兵の顔が怒りに染まり、槍を少し引いたところで、
「何を騒いでいるのですか!」
雷が落ちた。
もちろん物理的にではなく精神的なもの。
「こ、これは! ジーン隊長――代理!」
兵が槍の構えを解き、すぐさま敬礼する。
なるほど、こいつが隊長か。
高い。180は身長があるだろう。150もない俺からすれば見上げるほどの巨漢。
年齢は20代前半くらいか。
それほど筋肉隆々というわけではないが、その静かなたたずまいの中に猛虎を思わせる威圧感を備えた男だ。
今は敗走の身であるから髪はばらけて少しやつれているが、身だしなみを整えればきっと美男子に見えるだろう。
「なるほど」
兵の報告を聞き終えた隊長が俺を見据える。
「これはいけませんね。領民の子供を怖がらせるとは何ごとですか。領民あっての我ら軍です。そこをはき違えてはいけませんよ」
「はっ、はぁ!」
兵がこれ以上ないくらいピンと背筋を伸ばし最敬礼。
そしてこの騒ぎに周囲にどんどんと兵が集まってくる。
「それで、何の用でしょうか?」
それを制するわけでもなく、隊長が俺に関心を戻す。
丁寧な口ぶりだが、それはもともとこの男がそうなだけであって、格別俺を厚遇しているわけではないのは声色から分かる。
なるほど。この姿にデメリットがもう1つあったわけだ。
舐められてる。
女子供の意見など聞くに値しないという考えが、軍という硬直した社会には存在する。
別にこの世界が中世ごろの年代を反映しているからではないだろう。
俺のいた日本でも、そういったものは悲しいけどある。
だからここが勝負どころだ。
全体の意識改革を行うことは不可能。
だがそれを“俺が”という個人に向けさせることは決して不可能ではない。
こういった交渉で大事なのは政治力じゃない。
相手を論破し言い負かし、時には譲歩してこちらの言い分を認めさせる能力、すなわち知力が大事だ。
知力99の俺ならやってやれないことはない。
「代理とはいえ隊長というのだから軍略に精通しているかと思ったけど大したことはないな」
「……なぜそう言い切れるんでしょう?」
「俺は緊急事態だとそこの兵に告げた。その兵が細大余さず伝えたなら、何か用か、などといった悠長な聞き方をするやつが軍略などちゃんちゃらおかしいね」
「む、そうですね。一理あります」
納得するんだ。
こいつ、良い奴なのかそれともただの馬鹿か。
「隊長! そんなガキの言う事気にするこた、ありゃしませんよ!」「おい、隊長を馬鹿にするな! 隊長の有能さも分からない子供が!」「そうだそうだ!」
周囲から同調の声が上がる。
その圧に気後れしそうになるが、奥歯を噛みしめると恐怖を力に変えて嘲笑う。
「はっ、その優秀な隊長さんが何故負ける。敵の勢いに呑まれ、後軍を動かす間もなく無様に敗れ去ったのはどこの誰か?」
「なんだと!」「あれはハカラの奴が動かず逃げただけだ!」「そうだ! 我々は勇敢に戦った!」「戦死された隊長が後事を託されたのがジーン隊長代理だ!」
この怒りは当然だろう。
俺を取り巻く彼ら兵たちは、誰1人として傷を負わない者がいないほど。
それはつまりあの激戦の渦中にいて生き延びた連中ということだ。
だが俺は逆を言った。
彼らからその言質を取ることが1つ。
そしてもう1つは彼らを再び戦闘に駆り立てるためだ。
赤壁を前に孫呉を動かした諸葛亮のように、彼らを動かさなければみんな死ぬ。
「待ちなさい。君は見たのですか。あの戦を」
隊長代理が流れを断ち切って話を変えた。
なるほど、そう返してくるとはなかなか頭の回転は速そうだ。
「見た。あの負けは当然だ。後軍が全く動かず、兵力差で勝てるわけがない。先鋒は全滅して、後軍が退いてここにいるんだと思った、ごめんなさい」
「う、うむ……」
素直な謝罪が予想外だったのだろう。隊長代理は少し目を丸くする。
だからここで一気に畳みかける。
「あの激戦の中、部隊をまとめて引き上げさせ、ここまで兵を生き残らせた。あなたは名将だ。なら分かるはずだ。ここで野営することの危険を。ここで火を起こすことの無謀さを」
負け戦なのだ。
負けたらとっとと逃げ出すか、それか一度退いて陣を立て直すしかない。
止まれば相手が追い付くだけの時を与え、火をたけば自分がここにいることを相手に知らせることになる。
「分かってます。しかし我らは傷ついた。重傷者を連れて行くには休憩が必要だったのです。先の戦で我々は多くの仲間を失った以上、もう失いたくないのです」
「隊長……」
周囲の兵が涙ぐんでいる。男も女もいる。演技でないならなかなかの求心力だ。
はっ、やっぱりこの隊長代理はお人よしだ。
だが――まだいける。
この隊長代理の性格と、重傷者の存在は策に重大な影響を及ぼさない。
ただちょっとだけ、説得するための時間が減っただけだ。
だからもはや迷っていられない。切れるカードはさっさと切っていくべきだ。
「重傷者を放っておけない。それは分かった。だが敵が来るのは確実だ。そこで提案だ。やってみてもあまり損はない提案だ。敵が来なければそれでよし、来れば一気に撃退して安心して帰れる。そちらに損はないはずだがどうだ」
「君は何者ですか? 一体、我々に味方して何の益があるのです。敵の回し者とも取れますが」
「当然の質問だが、今はそんなことはどうでもいい。悪いが時間がない。やるかやらないか決めてくれ。もし俺の言う事が信じられないならこうしよう。それは弓だな。矢はまだあるだろ? もし俺が裏切ってビンゴ軍に寝返るようなことをしたら、その矢でハチの巣にしてもらって構わない」
俺の覚悟に隊長は一瞬息を呑む。
そして呼吸にして3つ、意を決した隊長代理は口を開いた。
「分かりました。話を聞きましょう」