第61話 王都バーベル防衛戦6日目・涙の雨
翌日は雨だった。
俺の――いや、王都に住む人間の心を示すような激しい雨だ。
こんな時こそ敵は攻め込んでくるチャンスだろうが、その気配はない。
洪水のような雨なのだ。
視界が利きづらく、堀の水かさが増したことから相手にとっては攻めづらい状態なのだから無理はしないと判断しても仕方ないだろう。
一応見張りはつけているが、大丈夫なんじゃないかと思う。
昨夜、西門と南門にいた兵の一部がまた北に向かっていったという。
今朝見てみたが、雨のために見分けはつかない。もしかしたらハカラの部隊だったのかもしれない。
もしかしたら俺が放ったオムカ国民の兵が蜂起したため、それに備えて戻したのか。
そうなれば今の敵も早急に引き上げなければならないはずだから、もう少し粘れば勝てる。
そう、勝てるのだ。
でも――何も力が湧いてこない。
「ジャンヌ様……」
ジルの声。
だがそれに応える口がうまく動かなかった。
気力がわかない。
籠城戦は神経をすり減らす。
敵に対するあの手この手を考え、敵の動きに注力し、味方を効率よく動かし、何より内で暴動が起こらないよう目を光らせる。
ぐっすり眠れる日はなかった。
だから疲れてしまったのだ。
雨で敵が来るとか来ないとか、明日をどうするかとか、それすらも考えたくない。
だから適当に見張りを命じると、営舎の一室に引きこもった。
引きこもって何をするわけでもない。
ぼぅっとして過ごした。
ここでみんなと昼食を食べていたのはつい数日前のことだ。
だが今はニーアが一時的に欠け、そしてサカキが永久に欠けた。
「あいつは、ジャンヌ様に感謝していました」
向かいの席に座って、ジルが話し始める。
「エイン帝国の先兵になって、だらだらとビンゴやシータと戦う場所から解放してくれたのはジャンヌ様だと。だから俺は誰とだって戦ってやる、って意気込んでました」
「……それが、どうした。そのせいで、あいつは死んだ」
「そうでなくてもどこかで死んだでしょう。この国は今も昔も戦争状態なのですから。エインの先兵として無駄に死ぬか、祖国の独立を守って死ぬか。どっちがいいかなんて、聞くまでもないでしょう。愛する人のためにその身を捨てて死ぬなんてのは出来すぎですがね。あいつも満足だったでしょうね」
その言葉に、俺は力いっぱい机を叩いた。
「満足……!? 満足だからなんだ! 死んだんだぞ! もう生き返らないんだ! 会えないし、話もできないし、ふざけ合う事だってできない。死んだら、終わりなんだ。終わりなのに……なんで」
「はい。その通りです。ですがジャンヌ様のために戦えたこと、それがあいつの喜びでした。だから、褒めてやってください」
「俺に、そんな価値はない。間違ってばかりだ。人を死なせてばかりだ。サリナもそうだ。それなのになんで……俺なんかのためにみんなは……」
「それは、あなたが光だからです」
「……前にも聞いた。俺はそんな大層なものじゃないよ」
「いえ、貴女は確かにそれを感じさせる。未来を、夢を、信じさせてくれるのです」
「じゃあ俺は死神だな……。俺に何かを感じた人は、何かに勘違いして平気で命を捨てる。俺なんかを信じたために」
「そろそろご自分を卑下するのはおよしなさい。貴女はこれまでに様々な結果を残してきたじゃないですか」
「たまたまだ。たまたま、敵を殺すチャンスがあっただけで、俺以外がやっても同じ結果だ」
「私はそうは思いません」
「思うのは勝手だ。だがそれのせいで誰かに死なれると……困るんだよ、俺が」
「ジャンヌ様……」
「勝手に期待して、勝手に崇拝して。それだけでも辛いってのに、なんだよ、勝手に死ぬなよ! 俺にこれ以上重荷を背負わせないでくれ! お前らを背負っていけるほど、俺は強くないんだよ! なのに、なんでみんな笑って……」
「それはあんたのことが嫌いだからよ、ジャンヌ」
ジルと違う声。
顔をあげる。
雨の音が強くなった。
ドアが開いていた。
入って来たのはずぶ濡れの人物。
「ニーア、もういいのか……?」
頭に包帯を巻いたままだが、姿はいつもの服装に着替えているニーアは、すました顔で答えた。
「おかげさんでね。けど、こうも辛気臭いなら、もっと病院で寝てればよかったわ。まさかこんな腐ってるとは思わなかったから」
「ニーア、それはジャンヌ様に――」
ジルは最後まで言えなかった。
ニーアにグーで殴られたからだ。
「な、なにを」
「あんたね、ジャンヌ様ジャンヌ様言うのはいいけど、甘やかしすぎなのよ! あんたらがよいしょよいしょするからこんな軟弱に育っちゃったんじゃない!」
「い、いやしかし――」
「言い訳無用! てゆうかジャンヌ!」
ニーアはジルを黙らせると、そのまこっちにつかつかと寄ってきて、そのまま止まることなくその拳を使った。
衝撃。
視界が巡る――のも一瞬。
胸倉をつかまれて顔を固定される。
目の前にニーアの顔がある。目を見開き、少し興奮した様子。
頭に血が上っているのだろう。包帯から血がにじんでいる。
「人が死んだのが辛い? はっ、そんなの当たり前でしょ! この世の中はね、人は死ぬようにできてんの。どんな聖人君子だろうと極悪人だろうと赤んぼだろうと老人だろうと死は平等に来る! 戦争があろうがなかろうが、病気でさっさと死ぬ奴は死ぬし、事故で死ぬ奴も多い。それをこうもぴーぴーぎゃーぎゃー、いい加減にしろっての!」
「悪いかよ! 死ぬのも人間なら、それを悲しむのも人間だろ!」
「悲しんだらその人が蘇るっての!? 違うでしょ? 悲しむのは別に構わない。けどそれを引きずったらそれは死んだ人に失礼よ。精いっぱい生きて死んだのに、そのせいで他人の迷惑になるんだからね! あんたが今やってることよ、ジャンヌ! あんたはサカキの死に落ち込んで、更なる人の死を呼び込もうとしてる。そうなったら悪いのは誰? あんた? 違うわよね、あんたがそうなった原因を作ったのはあの勝手に死んだあの馬鹿のせいなんだから」
「違う、サカキは悪くない! 俺が……こんな」
「だったら胸を張れ! しゃんと生きろ! 死んでった奴らにいつかちゃんと報告できるよう、精いっぱい生きろ! それが、今あたしたちにできる一番の事だろ! 違うのか、ジャンヌ・ダルク!」
鬼のような形相のニーア。
説教、いや違う。これは激励だ。
励ましてくれているのだ。
ただ普通に言うのが恥ずかしいのか、性分なのかこうなってしまっているだけ。
胸倉をつかむ手が震えている。
そうだ、彼女も悲しいんだ。
なのに俺なんかのために……。まったく不器用なやつだ。
「あ、ダメ。血が足りないわ。ね、ジャンヌ、おっぱい揉んでいい?」
「さらに血を抜いてやろうか? 頭からじゃなく口から」
「おおぅ、ジャンヌの久しぶりの毒舌。それよそれ、それこそあたしの栄養分」
「まじでもうちょっと血を抜いておこうか」
そうだな。サカキの死は悲しい。気持ちの整理がつかない。
だが済んだことだ。
それに囚われて、俺のすべきことを見失ってはサカキに、そしてサリナに失礼だ。
だから俺はもうちょっとだけ頑張ろう。
これが終わったら、いっぱい泣いて、いっぱい悲しんで、そしてまた頑張ろう。
俺とニーアのやり取りを見て少し安堵した様子のジルは、ふと我に返ったような表情をして、
「……ところでなんで私は殴られたんでしょう?」
「ん? あぁ、ちょっとジャンヌの前に憂さ晴らし」
「…………ジャンヌ様、やっぱりもう少しこの愚か者の血を抜いておきませんか?」
笑顔で怖い事を言うジルだった。
雨は昼過ぎにやんだ。
それから散発的に敵が攻めてきたが、堀に作った道は半ばが埋もれたため、再び土を盛ることに終始してその日はそれ以上無理に攻めてくることはなかった。
地面が雨に濡れて爆弾が使いづらかったのもあるだろう。
サカキの死を知ったらしく激昂したハワードが東門の軍を完膚なきまでに叩き潰したが、その代わり受けた損害も多そうだった。
この日は戦局に大きな影響を与えるでもなく過ぎていった。
そして、籠城戦が始まって一週間が経つ。




