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第7話 無償の好意

「やっぱあの女神殺す……ふぅぅぅぅぅ」


 などと物騒な言葉を呟くも、体の脱力は否めない。

 小さい湯船に肩まで浸かると、もうどうでもよくなってしまう。


 いやいやいやいや、良くはない。これほど大きな問題はない。

 まさか性別が“女”に指定されていたなんて、誰が思うか。

 唯一の救いは上玉と呼ばれるほどの外見の良さだが、それが救いになるとは限らない。


 まず第1にスキルやパラメータと全くかみ合わない。

 いくら見た目が良かろうが、知力99とは全く関係ないし、相手を調べることができるスキルにも何ら影響しない。


 第2に俺は女性の生活なんて知らない。

 俺が19年という長くもない人生で出会った女友達というのは里奈くらいだし、その里奈とも深い関係になる前に生き別れてしまった。


 彼女の家にも行ったことないから、どういう生活をすればいいのか分からない。

 化粧の仕方なんて知らないし、月のものも知識として知っているだけでどうすればいいのか知らない。

 そして何より1番の問題が――


「ここで生き延びたとして、まさかこの姿のまま元の世界に戻されないよな?」


 そう、そこが問題だ。

 俺がこの世界での唯一のモチベーションは『写楽明彦という男のまま元の世界に戻る』であって、断じて女として戻りたいわけではない。


 まさか里奈と女の俺とでめくるめく百合ワールドに突入するわけにもいくまい。

 里奈のために元の世界に戻ったのに、その里奈がいなくなってしまうなんて本末転倒だ。


「参ったなぁー」


 風呂場に響く声も、いつもより若干高い。

 とりあえずのぼせる3歩手前でおふろを出ると、脱衣所で体を拭く。

 その時にどこからか滾る感情が沸き上がったが、自分の体という背徳感を覚えて煩悩を追い払った。


 着替えはおばあさんのものでぴったりだった。

 女ものの下着を着るのには抵抗があったが、そもそもさっきも着ていたんだ、と自分に言い訳して身に着けた。

 ブラジャーもあったがどうやって付けたらよいか分からないし、そもそもサイズが合わなかったのでやめておいた。


 布の服はそもそもが厚めにできているから、万が一ということもないだろう。

 そうやってお風呂での珍騒動を終えて居間に戻ると、良い匂いが漂ってきた。


「おやおや、随分長風呂だったね。というか大丈夫かい? 何か叫んでたみたいだけど」


「あ、あははは。ちょっと素敵なお風呂に驚いちゃって。いや、ありがとうございます。とても気持ちよかったです」


「そうかいそうかい。じゃあご飯にしようか」


「…………」


 おじいさんが無言で視線を1つの空席を示す。

 おそるおそると俺はその視線に従って腰を下ろす。


「それじゃあお祈りをしようか。天におられる我らが神よ。今ここに晩の食事をいただくことを感謝します」


 おばあさんが、そしておじいさんも両手を顔の前に合わせて目を閉じたので、慌てて俺もそれにならった。


「さ、いただきましょう」


 夕飯は質素だが温かいものだった。

 野菜の入ったスープにパン、それにロールキャベツみたいな野菜の一品。


「ふふ、どうかしら。うちの畑でとれた野菜なのよ」


「とても美味しいです。こんなおいしい野菜、食べたことないです」


 それは本心だった。

 今までの食生活がどれだけ偏っていたかというものの証左になりそうだが。


「…………」


「あら、そんなに照れなくてもいいじゃない、あなた」


 おばあさんがおじいさんを見て言う。

 まったく表情の変化がないのに、どうして照れたのが分かったのだろう。これが夫婦の年季か。


「ところで、ここはどこなんですか。随分森の奥なんですけど、そこにたった2人で住んでるというのも大変でしょう」


 食事も終わりに近づいた時、情報収集を兼ねて俺は少し聞いてみた。


「あら、やっぱり違う国から来たのかしら」


「ええ、まあ」


 異世界だから違う国といっても差し支えないだろう。


「そう、ここはオムカ王国の端っこよ」


 オムカ。やはり聞いたことはない。


「いえ、今はエイン帝国領と言った方がいいのよね」


「エー帝国?」


「エイン帝国。本当はね、オムカは大陸の中央にありながら50もの城を持ち広大な土地を支配する強大な国だったの。でも50年前の内乱を期に、四方から攻められて、今やお城2つを残してエイン帝国に従属してしまったの。ごめんなさいね、ちょっと前ならもっと良いおもてなしができたんだけど、税が重くて今はこれくらいしかできないわ」


「いえ、ありがたいくらいです」


「本当にね。エイン帝国に従属してからは段々暮らしぶりが厳しくなって……昔が懐かしいわ」


 カタっと少し乱暴なコップと机が鳴らす音が響いた。


「…………」


「ええ、そうよね。ここはずっとオムカ国よね。分かってるわ」


「もしかしておじいさんは……」


「そうよ。この人はお国のために帝国と戦ってきた人なの。そして、私の息子も……」


「すみません。変なことを聞いて」


「いいのよ。そこの席もあの子がいた席なの。今日は楽しかったわ。あの子が帰って来たみたいで」


「…………」


 おばさんが涙ぐみ、おじいさんがゆっくりとスープをすする。

 かけられる言葉は見つからない。

 いや、ここはかけてはいけないのかもしれない。


 なぜなら俺は部外者だから。

 そして戦争も経験したことのないただの若造の言葉なんて、逆に無礼にあたるのではないだろうか。


 だから黙り、ふと何かに気づいた。

 それが何か――部屋を見回して気づいた。

 棚に置かれた胸当てと肩あて。それが青い布の上に置いてある。


 だがその青はただの布ではなく、軍の所属を表すインナーだったら?

 そして今聞いた言葉。


『この人はお国のために帝国と戦ってきた人なの』


 それが意味することはつまり、おじいさんがオムカという国の軍にいて、その軍の色は青色だということだ。


「どうしたの、いきなり怖い顔して?」


「え、あ……いえ」


 言いながらも思考は回る。

 青色の軍。それは先ほど崖の上から見た。

 青色の軍が、赤色の軍に完膚なきまでに負けるのを。


 その戦場から、この場所はどれだけ離れている?

 結構歩いたとはいえ、今の俺の体力では実はそう離れていないのでは?

 そして歴史を紐解くまでもなく、戦争に勝った軍が行うのは2つ。


 破壊と略奪。


 もともとこの辺りは外れとはいえオムカ国に属しているという。

 そのオムカ国の軍が負けたということは、外敵にこの周囲を奪われるということ。


 そしてその対象は――


「今すぐここから逃げてください!」


「ど、どうしたのいきなり」


「…………?」


「俺は見たんです。赤色の軍と青色の軍が戦って、そして青色の軍が負けるのを」


「青色って……まさかオムカの? 赤色は確か……」


「ビンゴ王国っていうんじゃないですか。きっと四方のどこかの敵国」


 先ほどのキザ男がそんな国にいると書いてあった。ならば相手はそこだろう。


「ええ、ええそうよ。確かにそうだわ」


 最悪だ。

 どんどん状況が最悪に向かっていくのが分かる。


「戦争に勝った軍がやることは略奪です。おそらく離れているといっても1日もない場所。早く退避を!」


「で……でも……」


 おばあさんがおろおろしている。

 それもそうだ。こんないきなり人生の急転を味わされて戸惑わない方がどうかしてる。

 経験者は語るのだ。


「…………」


 おじいさんは無言で目を閉じたまま腕組みをしている。


「お、おじいさんどうしましょう」


「…………」


「おじいさん?」


「…………!」


 カッと目が飛び出んばかりに見開いたおじいさんは、おばあさん――ではなく俺を見た。

 その目は何かを伝えたいように思えるほど熱を帯びていたが、やはり何も言ってくれないと分からない。


「おじいさん……そうね。そうだわ」


 おばあさんはそれを汲み取ったように何度も頷く。


「行きなさい。あなたは捕まったらどうなるか分からないのだから」


「そういうわけには。逃げるならみんなで――」


「いいのよ。私たちも歳だから逃げるのも難しい。きっと抵抗しなければきっと命までは取らないでしょう。それにここは――わたしたちの家ですから」


「……だけど」


「あなたはまだ若いわ。だから“いきなさい”。きっと大丈夫だから」


 行きなさい。

 生きなさい。

 同じ音で2つのことを言われた気がした。


 2人の目を見る。

 もう説得は無理だ。ならばやるべきことは1つ。


「ありがとうございます。平和になったら、必ずまた来ます。だからその時まで……お元気で」


「ありがとうね。また会いましょう。あらやだ、こんなに涙が。もう歳かしら」


「…………」


 おじいさんが手を出してくる。

 握手なのだろうと思い握り返す。

 武骨ながら大きくて頼もしい手だ。反して俺は華奢で折れそうなほど細い手。

 その手が引っ張られた。


「お、ちょ!」


「…………」


 おじいさんは無言で俺を引っ張ると玄関のドアをあけ放つ。

 夜の静かな森。

 その中にわずかに喚声が聞こえるような気がした。


 肩を叩かれた。

 見上げればおじいさんの指が右手の方を指している。


「あっちがオムカ国の王都よ。少し距離があるけど、まっすぐ進めば夜明け前には着けるはずだから」


 その情報はありがたい。あとは体力の問題。

 ふと、おじいさんが小さな袋を俺に渡してきた。

 開けてみると、この世界のものだろう。小さな光る粒が入っていた。


「これは……」


「少なくて申し訳ないけど、持っていきなさい。私たちにはあまり必要のないものだから」


 断ろうとしたのを察したのか、おじいさんが無言で袋を俺の胸に押し付ける。


「…………」


 おじいさんの口が開く。

 その口内から初めて言葉が漏れる――


「…………」


 わけではなかった。

 だがそこには柔らかな笑みが浮かんでいる。

 大きな手のひらが俺の頭に乗る。武骨だけど力強くて優しく信頼に満ちた手。


 不意に涙が出そうになった。

 これほど無償の好意を向けられたことはない。この手は、この人は、この家は暖かすぎた。

 なにより、こんな素敵な人たちを見捨てていかなければならない自分の無力さに腹が立った。


 だから行く。

 2人に視線を返し、お辞儀をして歩き出す。

 暖かい場所を振り切って、月明かりのみが照らす、深淵の森の中に。

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