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第6話 写楽明彦という女性

 頭がぼうっとする。

 ぼやけた頭とぼやけた視界。

 体中に重りをつけられたように重い。


「う……お」


 声が出る。

 けれども意味をなさない集合体にしかならない。

 それより喉がからからだ。声を発するのも痛みを伴う。


「おやおや、起きたのかい」


 耳に響く人の声。

 年老いた、だが相応に落ち着いた優しい声。


 人の声を聞いたからか、意識がはっきりし始めて視界が色を取りもどす。

 そこはログハウスだった。

 丸太を組み合わせて作られた木製の家。


 その一室のベッドにどうやら寝かされていたようだ。

 ご丁寧にも毛布をかけられて。


「びっくりしたんですよ。うちの人が物音がすると言ってドアを開けてみたらあなたが倒れていたんですもの。はい、これを飲んでみて」


 髪の毛が真っ白のおばあさんが、俺に陶器のコップを渡してきた。

 湯気が立つどろどろとした緑色の液体。


 得体も知れないもの、というためらいは一瞬。

 一口をつけた後には、一気に飲み干してしまった。


「おやおや、いい飲みっぷりだこと。お腹が減ってるのかしら」


「あの――」


 潤いを取り戻した喉が自分の仕事をし始めたのと同時、空腹の単語を聞いてお腹がくぅ、と鳴る。

 我ながら可愛らしい音に恥ずかしくなる。


「ほらほら。ご飯にするから今はお風呂に入っておいでお嬢ちゃん。着替えは用意してあるから。なに、私のお古だけどね」


「はぁ……」


 なんだか至れり尽くせりな様子に違和感よりも不信感が強く湧き上がってくる。

 タダより安い物はない。

 後で金銭を要求されても今の俺は無一文なわけだからどうしようもない。


 逃げるか。

 いや、それも無理だ。この疲労と空腹ではまた倒れるのがオチだ。

 こうなったら腹をくくるしかないみたいだ。


「分かりました、お風呂、いただきます」


「ふふ、おかしな言い方をする子だね。お風呂は出て右手だよ。さ、今日は腕によりをかけて作らないとね」


 おばあさんはいそいそと出て行ってしまった。夕飯の準備をしにいったのだろう。

 だるい体を引きずりながらベッドから降りて、はだしのまま寝室を出る。


 居間は6畳ほどの小さな空間。

 中央にテーブルと3つの椅子が並んでいるだけで、少し離れたところに安楽椅子。

 その上の棚には過去のものなのだろう、ひしゃげた胸当てと肩あてが青い布の上に置かれていた。

 かなり質素な暮らしをしているらしい。

 他人の家の観察もそこそこに、俺は言われた通り風呂へ向かうために扉を開けた。


「わっ!」


「…………」


 扉の向こうには立派な白いひげを蓄えたおじいさんが無言で立っていた。

 デカい。190センチはあるだろう身長に、まだ現役と言っても過言ではないほど鍛え抜かれた体で威圧を放ってくる。


 まさか置物ということはないだろうな。

 となるとこの人はさきほどのおばあさんの伴侶か。


「えっと、あの……お風呂ってこっちですか」


「…………」


 無反応。ちょっと怖いんですけど!


「…………」


 ふとおじいさんの腕が動く。

 何をされるのかとびくりとしたが、手に持っていたタオルが目の前に差し出された。


「…………えっと、使わせてくれるんですか?」


「…………」


 こくりと重々しく頷く。

 なら言ってくれよ、怖いんだって……。


「…………」


 タオルを受け取った俺に対し、おじいさんは家の奥を指さした。おそらく風呂の方向だろう。

 だからなんで無言なのさ!


「あ、ありがとうございます」


「…………」


 形通りにお礼を言うと、無言で頷いたおじいさんはそのまま居間へ向かい椅子にゆっくりと腰掛けた。

 俺はその間にそそくさとお風呂に向かうことにした。


 そして俺は、この世界で初めて――いや最大級の驚愕を味わうことになる。


 脱衣所は狭いながらも籠が2つに鏡と最低限の機能は備えていた。

 籠の1つは空。こちらは脱いだ服を入れるためのものだろう。

 もう1つの籠には新しい布の服が置いてある。


 そういえばおばあさんのお古って言ってたけど……おじいさんの言い間違いかな。

 サイズ感の問題もあるし、なにより下着という問題がある。

 なら今着ている服をそのまま……と待てよ、俺って結構山の中を転がったよな。

 つまり泥だらけの服でベッドなんかに寝ていたということ。


 だがそれは杞憂だった。

 俺の今着ている服は汚れ1つない洗い立て。

 こんなに短時間に着替えを用意してくれるのを悪いと思いながらも、万が一の時は今着ているものでそのまま過ごせば良いという打算的な考えがよぎったのも事実。

 というわけで深いことは後で考えるとして、今はお風呂に入ろうという結論に落ち着いた。


「わっ! って、俺か」


 棚にタオルを置こうとして、鏡に映った見知らぬ人物に驚く。


 掴めば握りつぶせそうなほど小ぶりな頭には、目鼻が整った美形の少年が映っている。

 年齢ははるか若い。12、3歳といったところか。

 少し髪を伸ばせば女子と思われても仕方ない美貌だ。


「うわ、これ俺? マジ? はは、やべ、ちょっと嬉しいんだけど」


 正直、前の顔は好きでも嫌いでもなかった。

 目立って良いところも悪いところもない、パッと見ても記憶に残りづらい顔。


 読書に明け暮れていた俺にとっては、外見なんてものはそうそう意味を持たなかったわけであまり気にしてこなかったが、イケメンに憧れないと言ったら嘘になる。

 そしてそれを手に入れたとなれば喜びもひとしおなのは間違いない。異世界転生万歳である。


「まじかー。あのくそ女神やってくれたな。うん、そこだけ評価する。でもやっぱ殴る。これならもっと芸能系のスキルとかも考えられたなー。てか自分の顔なのにちょっと好みかも。ナルキッソスの気持ちも分からなくないなぁ」


 などと2分ほど自分の新しい顔を鑑賞。

 それはナルシスト的な部分のほかに、新しい顔を“覚えておく”という儀式でもあった。

 鏡のたびにびっくりしてたらたまったものじゃない。


 その儀式を終え、いよいよお風呂に飛び込もうと服を脱ぎはじめる。


「ん……?」


 そこで違和感。

 というか、今まで感じなかったのが不思議と思うほどの大きな違和感。


 上着を脱ごうとすると何かに引っかかる。

 ズボンを脱ごうとするとするりと抜ける。


 何かがあって、何かがない。

 ないはずの場所に何かがあって、あってしかるべき場所に何もない。


「……落ち着け。俺は写楽明彦。19歳。19年間、俺は自分の体を見続けてきた。それは間違いない。間違えるわけがない」


 だからこの違和は、その19年の後に来た事象であって、後天的な何かによるものだろう。


 脱ぎ去った。


 鏡に映る一糸まとわぬ完璧な裸体。

 整った顔立ちは驚愕に歪んでなお美しい。


 問題は首から下だ。

 出るところは出て、ひっこむところは引っ込む完璧なボディラインに、男ではありえない部分が2カ所あった。

 それが意味することは、知力が99あろうがなかろうが1つしかない。


「なんじゃこりゃーーーーーーーーーーーーーーー!」


 その時俺は、美貌の少年ではなく、美貌の少女になっていたことに気づいた。

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