第48話 決着
神を殺す。
神が神を殺すわけでも、英雄が神を殺すわけでもない。
ただの人が神を殺す。
その方法は忘れるということ。
神は忘れられれば、神であることを保つことができない。
だって、神というのは信仰で成り立っているわけだから。
誰も知らなければ、誰も覚えていなければ、その神はいなかったことになる。
それは神としての死に他ならない。
古来より、それは行われてきた。
侵略戦争という形で。
勝者は敗者たちの信仰していた神を破壊し、貶め、弾圧し、勝者が持つ神をあがめることを押し付ける。
そうして敗者の神は消えていくことになる。
元の世界。洋の東西を問わず、世界には神はたくさんいる。
けど度重なる侵略や滅亡で信仰されなくなった神の方がはるかに多い。
そう、これが神を殺すやり方。
この世界でもそうだ。
パルルカ教というものが衰退しているここ数年前では、あの女神も神としてほぼ死んでいた。
それを煌夜が掘り起こして、復活させたがために女神は最高の力を取り戻しているということになる。
さすがにその女神の存在を、今から大陸の全員から抹消することは不可能だろう。
けど、今。
この自称神の九神にならば。
「なにを、したんだ……力が。力が沸いてこない。こんなことが……」
地面に這いつくばり、苦しそうにうめく九神。
「ただ、噂を流しただけさ。流言だ」
「うわ、さ?」
「ああ。敗走していったシータ軍に」
「……?」
そう、クロエを出したのはそのためだ。
まず王都に。
そこから敗走していったシータ軍に噂を流させた。
正直、それが定まるまでの時間が稼げるかどうかが、ぎりぎりの微妙なラインだったわけだけど。
そしてそれが効果があるのかも、疑わしいレベルだったけど。
「お前のその神の力は、王としての力と同一だ。神として、シータ国王として君臨することにより、その力を増す」
「それが、どうした」
「なら話は簡単だ。お前の強さが国王としての権威の象徴だというのなら――それを叩き落してやればいい」
やることは簡単。
九神の悪い噂を流す。
そうすればこれまで良い王だっただろう九神の、王としての権威は失墜する。
失墜すれば、すなわち王として認められなくなる。忘れ去られる。
神が、死ぬ。
「王都から逃げるシータ兵に伝えたんだよ。国王がオムカに投降した。自分の身の安全を図って、国を売った。みたいな感じであることないことを色々」
まぁ、ないことの方が大半だけど。
「そんなことで、そんな……」
そう、そんなこと。
だからこそ、十中八九はうまくいかないと考えた。
けど、
「あの女神も忘れられて力を失っていた。受肉をしないと力がないというのはそういうことだ。なら、そこから得たお前の力も、神としての信仰の力も、要はそういうものに影響する。だから分は悪いけど、決して勝算がないわけじゃなかった」
「…………そんな、賭けみたいなことを」
「俺がこの世界に来てからやってきたことすべてが、賭けみたいなものだったよ。しっかり準備して、戦う前から勝ちを決定づけておけっていう、孫子の教えには反するけどね」
「クソ、がぁ!」
九神が顔を歪ませ、叫ぶ。
なんとか立ち上がるも、その状態は半病人のようにふらふらだ。
だが、これなら。
「正直、こういうのは俺のキャラから外れてると思うんだけどな」
旗を構える。
それはこれから戦うという意思表示。
筋力最低ランクの俺が、直接戦うという示威行為。
「なんの、真似だ」
「やっぱり戦場の華は一騎討ちだろ。それに、俺たちの戦いの終わりにふさわしいのも」
「っざけるなよ。こんなことをして、卑怯だと思わないのか」
「1分前のお前に聞かせたいね。圧倒的な力を使って勝とうとした。それに卑怯? 違う。努力だ。この世界で生きるために必死に考え尽くした。それを騙した、嘘だ、卑怯だなんて言われれば、俺はもうどうしようもない。俺はお前にかける言葉はないよ。だって、お前は俺の同種なんだろ」
「…………」
「もちろん騙すのは良くない。嘘はよくない。卑怯なのもよくない。けどそれによって、自分以外の人間が確かに救われるなら。時には必要なものになるんじゃないのか」
「自己犠牲なら、何をしてもいいってわけかよ」
「それも時と場合によるけどな」
人のためにしようとしたことが、かえって迷惑になったり、逆に自分の立場を悪くしたり。
本当に難しい。
この世界で――いや、どんな世界でも生きていくということは。
だからこそ。
「だからこそ、生きてるってのはすごく大変なんだろ。けどそれを歯を食いしばって耐えて耐えて頑張って頑張って生きる。それが人間だ。それを奪う、戦争なんてものは、本当にどうしようもなく愚劣な行為だ。どんな理由があるにせよ」
「お前がそれを吐くか」
「俺だから言える。逆に、俺みたいな人間だから言っていくべきだ。そう思う」
「…………ふん、本当にあれだ。君は。最初に会った時から思ってた。本当に――」
そこで初めて。
ここに来て初めて。
九神が笑顔を見せた。
「最低だ」
「最高の誉め言葉だよ」
あ、女神がうつった。
まいっか。
俺が最低なのは自他ともに認めるところ。
だからこそ、生きていける。
そして沈黙が支配する。
俺と九神。
それ以外がいなくなったような感覚。
そして、どちらともなく動き出す。
俺は旗を手にして、九神は重そうな体を引きずって。
「終わらせる!」
「なめるな、この貧弱が!」
九神が右腕を振り上げる。
あれに直撃されたら、俺の体なんて簡単に消し飛ぶ。
怖い。歯がかみ合わない。けど――
前へ。
この世界の戦いを終わらせるために。
すべての人に、生きる力を与えるために。
風が頬を撫でる。
九神の拳が俺のすぐ横を通過していく。
踏み込む。
打った。
胴を。
旗で思い切り横に殴りつけた。
反動が痛い。
九神も、そこそこ痛かっただろう。
これほどまでに、戦うのは痛い。
だからこれでおしまいにしよう。
俺と、お前の痛みで、世界の痛みを終わらせよう。
「クソ、が……」
ギリッと歯噛みする音が聞こえ、九神の体が泳ぐ。
そのまま膝をつく。
襲い掛かってくる気配はない。
けど油断はできない。だから残心。
襲い掛かられても対応できるよう、注意は払ったまま。
だが、やがて九神は大きくため息をつくと、
「……もういい。何もかも面倒だ。だから僕が決める。この勝負に幕引きを…………負けだ。シータはオムカに屈することにする。それでいいだろ、アッキー」
それははっきりとした敗北宣言。
まさかそういう言葉が彼から出るとは思わず、誰もが耳を疑った。
静寂が支配する室内。
荒れも荒れ果て、もはやここが一国の王の居住とは思えないだろう。
それでも。終わった。
なんとか勝って、終われた。
だから俺がやることは1つ。
「オムカ軍の勝利だ、勝どきをあげろ!」
旗を掲げ、叫ぶ。
途端、爆発するような叫びが室内に木霊した。
兵たちが歓喜の声をあげて勝利を分かち合う。
「ジャンヌ!」「明彦くん!」
振り返り、ギョッとする。
マリア、そして里奈が全速力で駆けてくるのだ。
「わっ!」
恐怖と緊張で足が笑った状態の俺に、2人分の体重を支える余裕なんてあるはずもない。
押しつぶされた。
押し付けられた。
何を。知るか。
「ジャンヌ、ジャンヌ! あぁ、よかったのじゃ! 本当に、本当によかったじゃ!」
「もう! こんな危ないことして。姉として怒ります! 怒って、でも褒めて、なでなでしてあげます!」
感情のスイッチが完全に壊れた2人。
それでも悪い気はしない。
あるいは俺は彼女らと二度と触れあうことができない可能性もあったわけだから。
彼女らの体温を感じ、自分が生きていることを改めて実感する。
これが戦場での戦いか。
あぁ、本当に。
一騎討ちとか憧れたこともあったけど、思う。
あんなの、二度とごめんだ。
そして、いつまでも浮かれてられない。
「2人とも、分かったから。ただ、ちょっと待ってくれないか」
落ち着かない2人をなだめるようにして、俺は立ち上がる。
物足りなそうな顔の2人を置いて、俺は倒れた九神に視線を移す。
けど何も言わない。
勝者が敗者にかける言葉はない、というスポーツマンシップ的なものではない。
何を言っても、あるいは彼には響かない。そう思ったから。
少なくとも、今は。
だから、先にこちらの用事を済ませるべきだ。
すぅっと大きく息を吸い込み、
「終わったぞ、これでもう問題ないだろ、出てこい!」
宙に向かって叫ぶ。
この中の大半がぽかんとした表情で俺を見てくる中、俺の3メートル先の中空がどこか絵具を垂らしたように歪み、
「ぱんぱかぱーん! アッキー、完全勝利おめー!」
そして、最悪が現れた。




