第42話 車懸り
払暁まであと1時間。
夜明けの直前のこの時間は、一番、警戒が緩む時間だ。
何日も、ずっと起きているなんて無理なわけで、どこかで休むしかない。
とはいえ、夜中に全員寝ていたら敵の奇襲を受ける。
だから交代で休みながら見張りはするわけだが、その見張りが一番弱いのがこの時間。
夜に何も起きず、あと少しすれば皆が起きるこの時間。
敵が潜む闇が消え、まさか視界が開けだしたこんな時に奇襲なんて企てるわけがないと考える時間。
夜中の間、張りつめていた気が、もう少しで休めるといった安堵に頭も体も支配される時間。
間違いなく、総指揮官は眠りについていて、迅速な対応ができないだろう時間。
だからこそ、この時に奇襲するのだ。
「かかれ!」
クロエの隊が、号令に従って駆けだす。
敵の陣。
杭を打って縄張りした中に、複数の天幕が並ぶ中にクロエたちが突っ込んでいく。
さらに左方向からウィットたちが、反対方向からブリーダたちが突っ込んだ。
敵襲の声が響く中、慌ただしく陣がどよめく。
混乱は初めのうちだけで、やがてそれは組織だった反攻に変わっていく。
さすがシータ軍。
そうやすやすとは倒れてくれないか。
「隊長殿、敵の陣が硬くて突破できません!」
クロエが戻ってきてそう告げて来た。
ウィットや、見えないがブリーダも苦戦しているだろう。
「よし、ウィットとブリーダに呼びかけの鉦。アレをやる」
「アレ、ですか」
ひそかに練習してきたあの戦術。
正直、どこまで効果があるかは分からないが、こういった時には有効なはず。
決して、自分がやりたいから練習したのでは、断じて、ない!
やがてウィットとブリーダが部隊を引き連れてこちらに来る。
合計5千。
まだ2万以上いるシータ軍。
だが完全に指揮系統が回復していないので、つけ入るとすればそこ。
そして、この戦術で一か所を突き崩せば、それは全体に波及する。
「よし、まずはクロエの隊が行け。車懸りの陣!」
「はいっ!」
クロエの隊が敵のもろそうな場所に突っ込む。
敵はそれを受けるが、騎馬の突撃に身をさらすにはかなりの勇気がいる。
敵の隊列が乱れる。
「次、ウィット!」
「行きます!」
ウィットの隊がクロエの後ろについて、クロエの隊と入れ替わりに突っ込んだ。
さらに敵の隊列が乱れた。
「続いてブリーダ! その後にもう一度クロエも行く!」
「了解っす!」
ウィットが下がってブリーダが突っ込む。さらにブリーダが下がりクロエが行く。
その繰り返し。
これが上杉謙信が、第4次川中島の戦いで使ったとされる車懸りの陣だ。
一部隊が戦い、すぐに離れて次の部隊と交代する。それを繰り返す。
対する敵は一か所に攻撃を受けて疲弊するしかないが、こちらは戦った後に一度休憩を挟むので継続戦闘能力が高い。
回転する歯車の突起部分が、一か所に次々と当たる光景を想像してもらえれば分かりやすいだろう。
もちろん、そもそも車懸りの陣は上杉謙信は使わなかったとか、これとは別の戦法だったとか諸説あるが、これはこれで有効的なのだ。
交代で攻撃するということは、その分、騎馬隊の速度が乗った攻撃になるのだ。
それをまともに受け続ければ、敵は後退するか散乱するかしかない。
その衝撃を外に広げることにより、敵全体を揺さぶり崩壊させる効果が見込める。
5千で2万以上の敵を、即座に打ち破るには、そういった変化球が必要なのだ。
が、やはり兵力差が響くか。
敵の動揺は激しいが、本陣までの道が遠い。
「隊長、今度は少し深くいきます」
そこへ、同じことを思ったのか、ウィットがそう進言してきた。
「しかしウィット」
「他の敵がこちらに来れば厄介です。その前に突破します。では」
言うが早いが、ウィットは馬を返して部下を率いて行ってしまう。
「っ! あいつ!」
歯噛みする。
だけど俺に止める力はない。
「どうしたっすか、軍師殿」
「ブリーダ、すぐに部隊をまとめてくれ。ウィットが攻め込む気だ」
「! 了解っす!」
さらにクロエも来る。
「ちょっと、何か起きました!?」
「ウィットが攻め込んでる。悪いけどすぐに準備してくれ。ブリーダたちと一気に攻めて、ウィットを救う」
「あの馬鹿ウィット!」
珍しくクロエが激昂した。
それほどウィットの身を思っているのだろう。
「準備、出来たっす!」
「こっちも、もとより! 隊長殿!」
「よし、俺に続け!」
今度ばかりは俺も出ないとどうしようもない。
ウィットを救ったうえで、攻め込むか撤退するか。
それを見極めるために近くにいる必要がある。
敵の陣。
ウィットがかなり奥まで攻め込んでいる。
だがそこを増援が包み込もうと動く。
間に合わない。
そこへ、喚声が上がった。
西の方。
そこから剣戟が響き、怒声と悲鳴が入り混じる。
旗が見えた。
オムカの旗。
ジルだ。
「さすがだ! ジル!」
俺たちが奇襲に成功したとみて、東門を開けてこっちに突っ込んできたようだ。
相手は完全に浮足立っている。
兵力差も逆転して、挟撃を受けているのだ。
だからここぞとばかりに一気呵成に突っ込んだ。
ウィットのいる先陣。すぐそこだ。
「ウィット!」
説教してやろうと思ったが、そんな状況じゃない。
傷を負っているらしい。
髪を赤く染めたウィットが叫ぶ。
「隊長、行ってください!」
「ウィット、あんた!」
「行け、クロエ!」
「っ!」
「お前は隊長の横にいるんだろ! なら行け! 貴様の居場所はここじゃない!」
「……馬鹿ウィット!」
クロエが歯噛みしながらも、俺の前に出る。
「隊長殿はこのクロエに続いてください!」
「頼んだ!」
クロエが馬上から双鞭を振り回して敵を叩き潰す。
ルックは弓で遠くの敵を討ち、マールも剣で敵を切り倒していく。
ブリーダは敵の混乱を助長するように、また俺たちの進路を確保するように新手の敵へと向かっていく。
道が開けた。
敵本陣までの道。
天幕の並ぶ中、陣幕で覆われた箇所。
そこにあいつらがいる。
九神と水鏡、そして天。
それらを捕まえればすべてが終わる。
雫の願いも叶う。
そして、皆で元の世界に戻る。
そうなる。
そうなるんだ。
だから、
「九神!」
叫び、そのまま陣幕を蹴散らして突入する。
そこは広場だった。
100人くらいが集まれそうな広場。
無人の、広場。
いや、いた。
1人の人物が椅子に座って、泰然とこちらを見据えていた。
その人物は知っている。
知っているが、俺の求めていた相手じゃない。
そんな俺の表情を見てか、その人物はゆっくりと口を開き、
「お待ちしてましたよ、ジャンヌ・ダルク」
そう、シータ王国軍総司令の天は微笑んだ。




