閑話26 椎葉達臣(エイン帝国軍師)
「堂島元帥、大丈夫ですか?」
ジュナン城への帰り道。
小降りになってきた雨の中、馬を走らせながら斜め前を行く堂島元帥に問いかける。
「別に、問題はない」
「そうですか」
とはいうものの、どこか彼女の様子に不安がよぎる。
何が変だといわれても言葉にならない。
あえて言うなら、余裕がないというべきか。
以前はこうも感情を表すこともなく、口数も少ない方だった。
それが今やこれだ。
長浜さんの死。
それが彼女に影響を与えたということなのだろうか。
分からない。
長浜さんとはあまり深くかかわらなかったし、堂島さんとの関係も少ししか知らない。
ただ、彼女の戦歴を紐解けば、それはまた優秀な将軍だったことは疑いない。
唯一とも言える黒星は、明彦との一戦。
いや、あれを負けととってよいのかという向きもある。双方痛み分けとも言えた。
そして今回。
彼女は明彦に完璧に負けて、命を失った。
だからその右腕とも言える長浜さんを失って悲痛の極みにいる。
そう思ったのだが、なんとなく悲痛とは違う気がする。
気が逸っているというか、やはり余裕がない、という言い方が一番近そうだ。
「隊長、追撃の部隊はいないようです」
タニアが馬を寄せて報告に来た。
今回、元帥の旗下以外に、タニアだけは連れてきていた。
少なくとも自分の意志で動かせる部下が欲しかったからだ。
「そうか、分かった。ありがとう」
「いえ」
小さく会釈して馬の速度を少し落とす。
その姿にかつての里奈の姿を重ねた。
里奈は大人しく、どこかいつも一歩下がったような感じだった。
けど、この世界で会った里奈は、どこか突き抜けてしまっているように思える。
彼女の辿ってきた道のりを思えば、それも仕方ないとは思うが。
それでも元の世界から、その片鱗は見せていた。
自分だけは気づいたつもりだった。
それが魅力的だったとも。
恋心じゃない。
憧れだった。
自分なんかが彼女の横にいるなんておこがましいと思ったから。
近くで見ているだけでよかった。
そんな彼女に気になる人がいると知った時にも、あぁそうだろうなくらいだった。
こんな素敵な女性が、独りでいる方がどこかおかしいのだ。
だが、その相手が問題だった。
悪いわけじゃない。
明彦はいいやつだった。
研究者気質で、物静かで、どこか頑固。
なんとなく自分と似ている。そんな気がした。
けど決定的に違うのは、里奈を受け入れたことだ。
彼女の隣に立ったことだ。
心の底から祝った。
明彦は自分の数少ない友人、いや、親友だったと思える。
心の底から呪った。
なぜあいつがよくて、自分がダメなのか。そう思った。
喜びと呪いが入り混じり、雪のようにつもって自我というものを押しつぶしていく。
それが溶けたのはひょんなことだった。
父親が死んだ。癌だった。
親の援助を多少あてにして大学院を考えていた自分は、そこで未来を修正しなければならなかった。
残された母親を助けるためにバイトを増やし、授業を受け、さらに卒論の準備を始めるともうてんてこまいだった。
疲れてバイトでミスって怒られてまた疲労してミスして、そんな負のスパイラルに巻き込まれた。
そこに、あの涙があった。
何があったのかは知らない。
ただ、里奈が涙を流し、明彦のいるゼミ棟から逃げるように駆けだしたのを見た時。僕は決めた。
里奈があのゼミ棟に行く理由は1つしかない。
つまり、そういうことなのだ。
だからまだ開いているゼミ棟に忍び込み、ストーブ用に貯蓄されていた石油をばら撒いて火をつけた。
逃げなかったのは、犯人として逮捕されるのが怖いからじゃなく、疲れていたからだと思う。
今ではよくあの時の心境は覚えていない。
そして、死んだ。
僕も、明彦も――里奈も。
一体、あの夜に何があったのか。
自分には分からない。
あるいは自分の勘違いだったのかもしれない。
それほどまでにあの時の自分は参っていた。
けどその答えはない。
自分がまとめて燃やしてしまったのだ。
そしてこの世界に来た。
まさかそこに里奈がいるとは思わず、彼女の存在を知っても気まずくて会いに行けなかった。
それがどういう因果か、里奈は敵に走り、そこにいた明彦と一緒になって自分に牙を剥いてくる。
明彦も明彦だ。
国の重鎮、人々の信頼を得て英雄のように祭り上げられ、里奈とともにいること。
それが許せなかった。
逆恨みだとは分かってる。
しょうもない理由だとは思ってる。
それでも、そんな明彦をもう一度殺せて初めて。
自分の第二の人生は始まる。
そんな思いがあったから。
「椎葉」
ふと、呼ばれていたのに気づいた。
堂島さんだ。
どうやらもうジュナン城についていたらしい。
「どうかしたか?」
「いや、別に」
なんと答えたらいいか分からず、そう打ち消すだけだった。
そして開かれた城門。
そこに尾田がいた。
「その様子だと、逃がしたみたいだね、堂島さん」
「ああ」
「ま、いいんじゃない? とりあえず無事でさ」
そんな言い方ができるのも、尾田が出撃に反対していたからだ。
こんな雷雨の中を、たった3千で敵の本拠地に乗り込んでうまくいくなんて無謀極まりない。
そこら辺を分かっての諫言だったのだから、堂島さんも彼を怒ったりはしなかった。
ただ、自分はうまくいくとは思っていた。
この天候だ。相手も出てくるとは考えない。
その油断と、堂島さんの武勇が合わされば勝てる。そう思った。
まぁ攻めずに一騎討ちを申し込むなんて思いもよらなかったけど。
それでも里奈が出てきて、それを追うように明彦が来たことで、一気にチャンスになったわけだが……。
「椎葉も、残念だったねぇ」
尾田が少し皮肉めいた口調で言って来る。
その挑発的な様子に少し苛立ちを覚えたけど、ここでむきになっても無意味だ。
「別に。ただあいつは殺す。そう強く確信したよ」
「はっ、親友だってのに容赦ないね。親友なのに殺す、いや、親友だから殺す? ヤンデレかよ」
尾田の嘲笑するような物言いには苦笑するしかない。
あるいはその通りかもしれないからだ。
それにしてもこうも明彦との関係を、他人にどうこう言われるのも気分の良いものではない。
だがそれも仕方ないことだ。
というのもあの人物が勝手にあることないこと喋ったからだ。
「はいはーい! 女神ちゃんDEATH! いやー、惜しかったねー。もうちょっとで大金星だったね、残念無念またらいしゅー」
妙にハイテンションなのは麗明、じゃない。女神だ。
いまだに彼女のことがよく分からないが、この世界に来た時に会った女神で、この世界を創造した神でもあるという。
信用できるとかそういう以前に、胡散臭い。
「惜しいも何もない。次が最後だ」
「うんうん、そうだねー。残り少ない命だもんね。決着つくといいね!」
「……え?」
一瞬、彼女が何を言ったのか分からなかった。
聞き間違いかと思った。
残り少ない命?
堂島さんが?
どういうことだ?
「あ、そうかー、これ秘密なんだっけ。めんごめんごー」
そういって自分と明彦と里奈の関係を暴露しまくった口が何を言うか。
だが僕たちの動揺をよそに、堂島さんは静かに何事もないような口調で続ける。
「別に隠すことでもない。私に残された命は残り少ない。それだけだ。かといって戦場を後にするつもりはない。これほどまでに生を実感できるものはないからな」
「……病気ってことか?」
「今すぐどうこうなるものではないらしい。だが、万全に動けるのは今のうちだけだ」
だから、戦うと。
生を感じるために。
あぁ、これか。
これが、違和の始まり。彼女の焦り。
そして未来あるはずの長浜さんが死に、未来がないはずの彼女が生き残るというパラドックス。
あるいは――だからこそ、長浜さんがやり残したことを、彼女が最期にやり切ろうと。そう思ったのかもしれない。
けど、そのことがどこか、自分の中にある想いを沸き上がらせる。
「何で言ってくれなかったんだ?」
「言ってどうこうなるものではないだろう。お前たちの中にこの病気を治す医者がいるか? いないだろう? つまり何も変わらない。逆に言うことで、お前たちの士気が下がっては問題だ」
それは正論。
論理的に間違ってはいない。
けど――
「だから言う必要はないと判断し――」
言葉を遮るように、彼女の肩をつかんで引き寄せる。
引き寄せられた堂島さんの顔がすごい近くにある。
美しい。
里奈と違った美しさ。
凛とした表情に力強いまなざし。
そこにどこか儚げな色があるのを見て取った。
まったく、冗談じゃない。
少なくともこっちはよき友達くらいには思っていた。
まったく、情けない。
ずっと一緒にいたのに、彼女の異変に気づけないなんて。
「あまり、僕を見くびらないでほしい。そんなことで逃げる。そんなことするなら、最初からここにはいない」
「……そうだな、その通りだ」
視線を落とす堂島さん。
ああ、違う。
この人はこうじゃない。
もっとしっかりと前を見て、くれていないと。
「顔を上げろ、堂島元帥。あいつを殺すと言った時のあんたはどこに行った? 僕をがっかりさせるな」
一体、何様だろう。
僕が、こんなお説教じみたことを言うなんて。
格下の雑魚に言われても、なんら響かないというのに。
それでも言葉は止まらない。
「所詮僕らは人殺しの身だ。その時が来たら、一緒に地獄に落ちてやる。だから前を見てくれ。ジャンヌ・ダルクを殺す。その時までは」
言い切った。
堂島さんの黒い瞳がこちらを見てくる。
今更ながら、その瞳に小さな揺らぎを感じた。
だがそれはまぶたによって遮られ、そして、再び開かれた瞳には何も感じなかった。
ただ一言。
「…………ああ、そうだな」
小さく、だがはっきりとした微笑みを堂島さんが浮かべた。
あぁ、大それたことをしてしまった。
そんな後悔ももう遅い。
堂島さんは少し苦笑した様子で、
「こうも迫られるのは悪いものではないが、時と場所を選んでほしいものだな?」
「す、すまない」
「ふっ、それは私に言う言葉ではないだろう。それともそれが分からないほど鈍感なのか?」
「うっ」
確かにさっきから背後から痛いほどの視線を感じている。
堂島さんから慌てて離れて振り返ると、タニアがいた。
口元は笑みを浮かべているものの、目がまったく笑ってない。
というかどこかにらみつけてる感じもする。
「えっと、タニア?」
「なんでしょうか?」
「……えと、怒っているのかい?」
「いえ。私ごときが隊長の何に怒りましょうか。それにその上の元帥に至っては私ごときが何も言えぬは自明の理。ええ、私なんかのことなぞ、一片たりともお気にせずに。路傍の石と思い捨ててください。どうぞ、勝手に自由に好きなようにお二人で先を続けてくださいませ」
言い方は丁寧で、どこか卑下している感じだけど、早口でまくし立てる口調は、明らかに侮蔑と苛立ちと非難のものが混じっている。
えっと、これ。なんとなくだけど、ヤバいよな。
しかしどうすればいいんだ?
これまでの人生経験でそんなことはなかったから、適当な引き出しが見つからない。
そしてさらに状況を悪化させるのが、
「聞きました、奥さん? 告白ですよ、告白」
「そりゃもう。けど、一緒に地獄に落ちるなんて、俺には恥ずかしくて言えないわー」
「新婚旅行が地獄ですってー。うわー、センスなさすぎー」
「てか、本命を置いといて、つまみ食いするとはけしからん。男の風上にもおけないね」
などと外野2名がこそこそと喋っているのが、余計に火に油を注いでいる。
くそ、まったく慣れないことをするべきじゃないな。
あるいは、それは俺が明彦にしたことも、明彦にしようとしたことも、そうなのかもしれない。
けど、もう後には退けない。
明彦と、里奈と対立することは避けられない。
だから、自分こそ前を向くんだ。
それがどれだけ、血塗られた道であろうとも。僕は。
別にこの修羅場から現実逃避しているわけじゃ、決してないぞ。うん。




