第67話 開城
どんより曇った天気の中、俺は水の上を進んでいた。
正直、水の上を行くなんて自殺行為もあったものじゃない。
作ったばかりの船――というか筏だ――というのも心を落ち着かせないものはない。
それでも今、渡る必要がある。
だから俺は筏のへりにつかまって、早く渡り終われと心中で念じ続ける。
筏に乗っているのは俺とサール、ついてくると言って聞かないクルレーン。そして先ほどのビンゴ軍の部隊長と他数人。
先行したクロエとウィットら200弱はすでに城内に入っているらしい。
さすがにいきなり降伏しますといっても、はいそうですかとはならない。
それが罠で、俺たちが城門に入った途端に襲って皆殺しにするくらいはあり得る。
そう言いつのったのは、サカキ、ブリーダ、クルレーン、クロエ、ウィット、マール、ルック、アズ将軍――要は全員だった。
だが俺は真実の降伏だと見た。
というのも『古の魔導書』で首都にいる人間たちの情報を片っ端から読んだ。
そのためにビンゴ兵に知人を聞きまわる羽目になったが。
そして100人近い人間を読むことになり、そこにほぼ共通する想いを見つけて、俺はもう無事だと確信に至った。
いわく『数か月の記憶が曖昧』『今ではアカシに敵意を抱く』『戦争は嫌だ』『帝国軍が逃げて行ったビンゴ軍の勝ちだ』といった文言がかなりの人数に散見されていたのだ。
丹姉弟の洗脳はその効果を失っているようだ。
その1つの理由らしきものを、白旗を持ってきた兵が教えてくれた。
『歌が聞こえたんです。それでハッとして、何か夢から覚めたみたいで。それからはもう、誰もが戦う気をなくしました』
歌と聞いて思い当たるのは1つしかない。
アヤ――いや、林檎だ。
彼女が歌った鎮魂歌。
それが風に乗って、首都の中にも響いて、それに心を揺り動かされた人たちが正気に戻ったのだ。
……なんて夢物語を頭から信じたわけではない。
そこに合理的な説明があるとすればただ1つ。
スキルだ。
それこそ合理的かどうかは置いておいて、彼女のスキルが、彼らにかかっていた丹姉弟の呪縛を解いたに違いない。
ちなみにその真偽が明されることはなかった。
『あ、すみません。そこらへん、よく分かってなくて。歌手っぽいのを選びました』
当の林檎ですら分かっていなかったからだ。
いや、どちらにせよ結果は結果。
首都にいる人々の洗脳が解けたのは間違いないのだ。
だからやるしかない。
時間を置けば、また洗脳が始まるかもしれない。
それは明日かもしれないし、1時間後かもしれないし、10分後かもしれないのだ。
迷ってはいられない。
今、ここで終わらせれば、これ以上、犠牲になる人が減るのだから。
やってみる価値はあるのだ。
とはいえ俺だけで城に入るのはあまりにも、ということでまずクロエたちが渡り、そしてサールと、ビンゴ軍からも何人かがついてくことになった。
その間にも、排水および水路の埋め立ては続けられていて、少しは水位は下がっているようだが、まだ1メートルは水に埋まっていた。
だから今、俺は水の上にいる。
その背後から、アヤ――じゃない、林檎の歌が響く。
先ほどと違い、リズムのあるロック調の音楽。
それを誰か気の利いたやつが鉦や太鼓を使って演奏風に味付けする。
首都に乗り込もうとする俺らへの応援歌らしい。
蘭陵王入陣曲かよ。
蘭陵王は北斉の皇族でもある武将で、本名を高長恭という。
たぐいまれなる美貌のため、敵に侮られないよう素顔を隠して兜をかぶったと言われる将軍だ。
美しいだけでなく外敵との戦いではほぼ負けなしという将軍としても有能であり、北斉の守護神とも呼ばれるべき存在だった。
が、そんな彼も――いや、だからこそ北斉の皇帝に憎まれており(蘭陵王の人気が皇帝をしのぐほどだったためと言われる)、最終的には若くして死を命じられた悲劇の英雄として名を残している。
蘭陵王入陣曲は、敵の大群に包囲された味方の城を救うべく、わずか数百騎で突入した戦いの中で作られた。
蘭陵王は援軍として城に入ろうと開門を迫るが、城の兵は敵の策略を疑って門を開かなかった。
そこで蘭陵王は自ら兜を脱ぎその美貌をさらし、それを認めた城の兵は喜んで城門を開け、それにより士気が上がった兵は増援と力を合わせて敵を撃退。大勝した。
その時の蘭陵王の雄姿をたたえて作られたのが蘭陵王入陣曲。現在の雅楽でも演奏されているものだ。
閑話休題。
そんなことを考えているうちに、筏は北門の脇に到着した。
北門は壊れているため開け放たれていて、そこに土嚢が積まれている。
その土嚢は門を固定するためのものであり、これ以上水が城内に入ってくるのを防ぐためだろう。
「隊長殿ー、大丈夫ですかー? そこからジャンプです!」
土嚢の向こう、城内からクロエの声が聞こえる。
その土嚢を飛び越えて中に入れということらしい。
「や、やってみる」
強がっては見るものの、一歩間違えば水にドボンだ。
そう考えると足がすくんで動かない。
距離にすれば30センチもないのだが、それが1メートル以上もある気がしてならない。
いや、これは無理だ。引き返そう。
知力99が言うんだから間違いない。
なんて逡巡していると、
「クロエさん。キャッチお願いします」
「はいはい! いつでもどーぞ!」
「え、お前ら何を言って――ぎゃわっ!」
急に水辺から引き離されて何が起きたかと思うと、視界が通常の倍近く高みに上る。
どうやらサールに抱え上げられたらしい。
「はい、ちょっと失礼しますジャンヌさん」
「え、ちょっと。失礼するって……」
「せーの!」
「おいいいいいいいいいいいいいいいい!!!」
飛んだ。
空を。
視界が回る。
どちらが上か下かもわからない。
そんな間にも頭は無駄に回る。土嚢の高さが1メートル半。そこからサールに抱えられた距離を足し合わせると軽く3メートルは超える。その高さで頭から落ちれば――最悪の場合……。
「嘘だろぉぉぉぉぉぉ!」
最悪の結果を想像し、だがジタバタしたところで結果が変わるわけもなく。
まさか最期は護衛に殺されることになるとは。
俺はただ自分の運命を呪いながらも目を閉じた。
衝撃。
だがそれは固い地面にぶつかるわけでも、水面に着水するわけでもなく、ドンッと弾力のある柔らかな何かに当たる感覚で。
「大丈夫ですか、隊長殿?」
クロエの声。
見れば視界を覆い尽くすようにしてクロエの顔が間近にある。
「ふぅぅぅ、あの護衛。無茶をする」
「まーまー、怪我がなくてよかったよー」
「てか隊長、軽っ!? うぅ、やっぱり筋力の重さなのかなぁ……」
左右を見ればウィット、ルック、マールといった面々もある。
どうやら俺を受け止めてくれたらしい。
その中央にいるクロエに、俺はまさに抱きついているような状態らしく、
「はぅぅぅ、隊長殿がこんな近く。さぁ、レッツキッシィンタイム……あだっ!」
「この阿呆が。貴様は何をやってる」
よしウィット。よくやった。
危うく俺のファーストキスが奪われるところだったぞ。
……いや、ファーストじゃないよ!?
そんなもの、日常茶飯事だし!
里奈とだって……ねぇ?
と、横に着地する影が2つ。サール、そしてクルレーンだ。
「よっと、ジャンヌさん、大丈夫ですか?」
「うん、サール。次にこれやったら……川に落とす」
「ご、ごめんなさい……」
「やれやれ、若いってのはいいねぇ」
しゅんとしてしまったサールと、おっさん臭いことを言うクルレーン。
はぁ……ったく。
クロエから離れて地面に降りる。
水の音。
まだ水は溜まっているが、俺の膝くらいまでだから城内の水位は下がってきているようだ。
新たな水の侵入をこうやって防いで、あとは生活排水と同様に城外へ出せばそうもなるか。
ビンゴの兵士も中に入ってきたので、10名を残して出発することにした。
万が一の退路の確保のためだが、30万に襲われたらひとたまりもない。
その時はその時だ。
「では行きましょう」
ウィットがそう言って先導する。
中央に俺とサール、そしてビンゴ兵。それを挟むように兵を配置し、俺の前にはウィットとクロエが、最後尾にはマールとルック、そして鉄砲を肩に担いだクルレーンがつく。
おそらく身を挺してでも俺を守るための布陣なのだろう。
その気持ちが痛いほど分かったから俺は何も言わなかった。
それよりそんなことを起こさせないようにするのが俺の使命だと言い聞かせる。
門を抜け、場内に入る。
そこはオムカの王都バーベルと似た雰囲気の街並みだった。
山間部に住むものだからだろうか、石造りよりは木製のものが多いがそれでも所狭しと居住区が並んでいる。
それも今は水浸しなわけだが。
その中で目立つ石造りの建築物がある。
王宮だ。
目指すべきはそこだが、その前に立ちはだかる2つの影が現れた。
豪奢な軍装をした壮年のがっしりした男性と、20代の若い男。
「ようこそ、お待ちしておりました」
若い男の方が丁寧に頭を下げてくる。
その人物は俺がよく知っている男だった。
「センド、無事だったか」
「はい。おかげさまで」
「もしかしてあの城門際の戦術。あれはセンドが?」
「私も少しお手伝いさせてもらいましたが、大半はこちらが」
センドは隣にいた壮年の男性を紹介する。
「こちらはハーバカット将軍。首都の防衛を統括する将軍となります」
「お噂はかねがね。お会いできて光栄です。ジャンヌ・ダルク殿」
「こちらこそ」
右手を差し出してきたので、それに応えて握手を返す。
俺のより2回り以上大きい手。
威圧するようにギュッと握ってくる。
なるほど。デキる人間らしい。
「それでは早速、開城のお話に――」
センドが早速と切り出したのだが、その前に問題が浮上した。
「その前に1つよろしいでしょうか」
共に来たビンゴの部隊長が一歩前に出て言った。
センドとハーバカットは一瞬目を見張り、少し怪訝そうな顔をした。
「ああ。だが君は……」
「王太子直属の第一部隊を預かるイヨル・リヨルと申します。こたびの首都防衛。帝国軍を一歩も城内に入れなかったのは、まさに我が軍としては誇らしいこと。しかし王太子に弓を向けたのは……」
「センド、ハーバカットさん。南門にいたのは帝国軍。そうですね?」
俺は部隊長を遮って2人に水を向けた。
正直、ここらへんを掘り返すとややこしいことになる。
ビンゴの民がビンゴの王を殺したとなると、城内にいたものと城外に出ていたものとで確執が生まれる。
操られていた云々は説明しようがないわけだし。
だから事実を都合よく捻じ曲げるのが吉と思っての発言だ。
「え、いや……」
「違いましたか? ここに住むビンゴの方々および兵隊は、同士討ちを恐れて南門には配備されなかった。そのため帝国軍が南門の配備につき、近づく敵を撃退した。そこで不幸が起こった。違いませんか?」
「ああ、そうだ。そうでしたよね、将軍」
センドが援護してくれた。
俺の強引な話の持っていき方に、彼も気づいたのだろう。
「う、うむ……そうだった……かな」
「そういうことです。ですから王太子様の仇のため、帝国軍を討つ。理にはかなっていたかと」
「……分かりました」
俺がそう返すと、部隊長は引き下がった。
もしかしたら気づかれていたかもしれないが、口論する場ではないと思ったのだろう。
その問題はとりあえずそれで収まった。
だが今度は俺が困るような問題が起きた。
それはセンドの発言で、
「ところでキシダ将軍はどうされました? まぁあのお方なら、雑事はすべて貴女に任せていそうですが」
やはりそう来るよな。
だが何故か喜志田を信望しているセンドのことだ。
事実を伝えると倒れてしまうのではと思う。
でもそれを伝えないのは、どこかフェアじゃないし、彼のためにもならない。
そう思い、辛いながらも口を開く。
「それは――」
と、その時だ。
城の奥から喚声が響いた。
敵襲!?
周囲にいたクロエたちも身構える。
やはり罠!?
「ご安心ください。ここではありません」
「左様。無意味な同士討ちやだまし討ちは好むところではありませんので」
センドが、そしてハーバカットがこちらをなだめるように言ってくる。
確かに耳を澄ませば、喚声はこちらではなく遠くにあったまま動かない。
だがこれほどの声。
1千や2千では効かない気がするが。
「あれは国民の声。国民の怒り。国民の叫びです。我らを愚弄し、許されざるべき患賊に対し、立ち上がったのです」
「まさか……」
その方向。
そこにある巨大な建築物。
今、そこにいるのは誰なのか。
そしてその人物は、ビンゴ国民たちに何をしたか。
「はい。王宮に立てこもるユートピアなる逆賊に対し王宮を包囲しています」
9/3 タキ将軍戦死にかかわる不整合修正のために一部修正しまいた。




