第32話 カルゥム城塞
2日の旅程は大きな問題はなく終了した。
賊に襲われたり、宿場町でいざこざに巻き込まれたり、クロエと狭い部屋で添い寝することになったり、馬に揺られお尻が痛かったり、公共の女湯に入ったり、また賊に襲われたり、野犬に襲われたり、村ぐるみの追いはぎに狙われたり、結局野宿したり。
………………。
全部些事! 問題ない! 順調だった!
だから見渡す平地に巨大な建築物が見えた時にはホッとしたものだ。
「あれがカルゥム要塞か」
「そのようですね。私も初めて見ますが、距離、位置的にもそうでしょう。平地の中にある丘に建てられただけの平城ですが、北には山があり、南には大河が流れそこから伸びる小川が網の目のように張り巡らされた地形に守られています。必然大軍を置くには東西のどちらかですが、城塞は丘の上にあるため、それも容易ではないでしょう」
「なるほど要害だな。そこを10年以上も守る第1師団の団長であり、オムカ国の宿老のハワードか。さてさて、どんな爺さんかな」
僅か1万足らずの兵力で、シータという大国に対し一歩も引かなかったのだから無能なはずがない。
そんな人間と会えるのだから、少しワクワクしている自分に気づく。
「隊長殿、あれはなんでしょう」
クロエが気づいたのは、城塞の手前に広がる平地に見えるまばらな人影だ。
近づくにつれれ、彼らが地面に向かって鍬を入れているのが分かった。
「農民、ですかね。でもこんな前線に?」
クロエが不思議がるのも当然だ。
ここはいわば国と国の境目であり最前線。
そんなところでこうも暢気に畑を耕しているのは不思議というより不自然だ。
だが目の前の光景は事実として存在する。
だがその疑問はすぐに解けた。
「そこで止まれ!」
畑の中を進んでいくと、前から馬に乗った男が走ってきてそう告げた。
同時、周囲から視線を感じる。
それは今まで畑を耕していた男たちの視線。
しかも彼らは即座に行動を起こす。左右から距離を詰める人間と、俺たちの退路を断つ人間に別れ、即座に包囲網を完成させる。
なるほど、彼らは軍人なのだ。
軍人が畑を耕す――いわば屯田を行っているのだ。
国境という政情が不安定な場所で軍を維持するには、本国からの補給や周辺農家からの年貢ではおぼつかないことが多い。
そこで軍隊に畑仕事をさせて、自給自足の態勢を整えれば補給が途絶えてもしばらくは戦っていける。
しかも畑仕事は意外に体力勝負だ。年がら年中戦争しているわけではないのだから、これもまた調練として有効なのだろう。
ともあれハワードの部下ということなら事を荒立てる必要もない。
「女王陛下からハワード師団長に親書を届けに参った者だ。案内を頼む」
こうして、俺は難攻不落と名高いカルゥム要塞に足を踏み入れた。
先導の兵は寡黙な男のようで、俺から色々と質問をしてみたもののほとんど返事は帰ってこなかった。
もしかしたら寡黙なのではなく、規律がちゃんとしているからなのかもしれない。
カルゥム城塞は、王都バーベルほどではないが石造りの高い城壁に、厳重な門は二段構えになっており堅牢さを誇示している。
戦のための城ということだから、櫓や狭間(弓や鉄砲を撃つための塀などに取り付けられた穴)などが諸所にあり、城壁を簡単に登られないようかえしがついている。
更に立地も相まって、まさに鉄壁を謳う城塞にふさわしい異様だった。
古来、こういった城が落ちるのは内部の寝返りか兵糧攻めと相場が決まっているのだが、先導の兵を見る限り規律にゆるみはないし、屯田をしていることから兵糧もたっぷりあるのだろう。
ではこんなところを無視して行けば良いと思うが、山と川に挟まれた広くもない大地の中央にこの城塞はあり無視はできない。
考えられる最善の選択としては、1万ほどの兵をこの城の抑えとして残し、全軍で一気に城塞を素通りすることだろう。
もちろんそんなことは過去に実行されたはずであり、オムカ王国とこの城塞が残っている以上、それも失敗に帰したことは想像に難くない。
「こちらでございます」
案内されたのは城塞の最上階――ではなく小さな書庫だった。
20畳ほどの小さな空間に、本棚が5つ壁際に並べられており、そこに収まらない本が無造作に積まれているため、実際の表面積より狭く感じる。
部屋の中央には4人がけの机が1つ、椅子も4つあるが、そのどれにも問題の人物は見当たらない。
案内役の兵士にハワードはどこかと聞こうと思ったが、俺たちが部屋の中に目を奪われている隙に立ち去ってしまった。
クロエと目を合わせ、仕方なく書庫に入る。
「すごいですね、こんなにたくさんの本、初めて見ました」
「大学の研究室と同じ感じだな。いや、それより汚いぞ」
「隊長殿は似たような場所をご存じなのですね。さすがです。しかし、ハワード師団長殿はどこに――きゃっ!」
部屋の中を物珍しそうに歩いていたクロエが、急に奇声を発したのでこちらもびっくりした。
「ど、どうした!?」
「そ、そこに……」
クロエが指さすのは入って左手の壁、入口からは死角になる場所にそれはいた。
積み上げられた本をまるでベッドのようにして寝転ぶ1人の男。本をかぶって顔は見えない。
「…………まさかですか?」
「いや、まさかだろ」
「で、ですよね。仮にも女王様の使者ですし。こんなところで、しかも居眠りしているなんて……」
「だ、だよなぁ」
「なんじゃ、騒々しい」
「わぁ!」「きゃう!」
突如、山が動いた。そう思うほどの音声とその人物の大きさに俺までも驚いて悲鳴を上げてしまった。
デカい。
ジルたちも180くらいあるが、この男は2メートル近くあるんじゃないかと思うほどの巨体だ。
「まったく、うるさくて全く寝れんかったわい。どうしてくれる」
黒いものの方が少ない頭髪をぽりぽり掻きながら男は言う。
年齢は50、いや60はいっているだろう。
野性味あふれる毛髪だけでなく、立派な顎髭もまた白いものが多い。
だが顔のところどころにしわがあるものの、肌にはまだ生気がありありとにじみ出ている。
何より筋肉がヤバい。
簡素な布製の服がはちきれそうなほどで、鉄板のような胸板は見るものを威圧する。
そして目だ。
年齢に反してギラギラと輝く瞳は、まるで10代の少年のように炎に燃えている。
「あのハワード……殿でしょうか」
はるか年上相手だ。必然口調も敬語になる。
「ん、いかにも。わしがハワードじゃ。お主らは何じゃったかのぅ」
「申し遅れました。オムカ王国第2師団隊長ジーン・ルートロワの副官ジャンヌと申します。女王陛下より親書を預かってまいりました」
俺が目配せすると、クロエが荷物の箱から一通の書状を取り出す。
それを俺が受け取りハワードに渡そうとする。
「ほぅ、女王陛下がのぅ」
だがハワードは俺が手にした書状を、ひょいと摘まみ上げると、無造作に印を破棄して中身を改める。
その無礼な行為にクロエがムッと鼻息を荒げるのを感じた。
俺も少しイラっと来たが、それを表に出さないことには成功したと思う。
というよりこんな書庫の一室で王の使者と会うというのも、通例ではありえない話なのだ。
「ほぅほぅ……なるほど。ふむ?」
そんな俺たちの内心を別に、書状を呼んでいたハワードは、
「ふっ……ぶはははははははっ!」
急に笑い出した。
その声量に驚きながらも、俺は努めて冷静に聞いた。
「なにがおかしいのでしょう」
「そりゃおかしいじゃろ。こんな内容の書状を寄越すなど、女王様は暇なんじゃのぅ」
「どういう意味でしょうか」
「ん、中身を知らんのか。あぁ、そりゃそうじゃな。うむ、これに書かれているのは息災かどうかの確認だけじゃ。このハワードもよほど舐められていると見る。齢70を前にして、まだまだ意気軒高。あと30年はこの城塞を守ってみせるつもりよ。それを息災か、などと……くくく」
「少し笑いすぎではありませんか」
まだ笑い続けるハワードに対し、クロエが口を開いた。
いたたまれなくなって思わずついた口だろうが、その時ハワードの目が光った。
「出すぎるな小娘! 副使ともあるものが簡単に口を開くものではない!」
「し、失礼しました……」
ハワードの剣幕に押され、クロエが押し黙ってしまう。
かく言う俺も直接怒られたわけではないのに気圧されていた。
だがここで何も言わなくてはクロエの立場がない。だから俺は口を開く。
「ハワード殿の態度もないでしょう。王の使者に対しこのような場所で会い、しかも書状を雑に開封し、しかも嘲笑うかのような態度。問題だと思いますが」
「ほぅ、そちらの小娘も一丁前に吠えるのぅ。女王様の威を借る女狐か」
誰が女狐だ!
という怒りは飲み込んで更に続ける。
「威を借るのと礼儀とは別の話でしょう」
「ほぅ、まだ10やそこらの小娘が礼儀とは。一体どこの国の礼儀を知っておるというのじゃ。夢の中のお伽の国の礼儀なぞ、この現実では通用せぬぞ?」
この爺……。
吐き捨てるのを何とか抑えて、嫌みを込めて返す。
「年齢の大小は問題ではないでしょう。どれだけ年が小さかろうが、それと能力とは別問題ではありませんか?」
「逆にどれだけ年をとってもそれは能力とは別問題。あまりこのハワードを舐めるな、ジャンヌ・ダルク。旗を振る者を授かりし娘よ」
その言葉に、全身の体温がサッと引いた。
「なぜ貴様の名前を知っておるか不思議そうじゃな。おぬしのことは知っておるぞ。ビンゴ国の戦いで、ジーンを補佐し勝利したこと。ハカラの馬鹿を小手先の策で躍らせたこと。ロキンの守銭奴に睨まれて山賊退治に出かけて新兵のみで大勝したこと。そして、このカルゥム城塞にわしを尋ねに来たのも、主らが勝手に画策するオムカ王国独立の策の一環だと言うことも」
馬鹿な。どこまで知ってるんだ。
ここ数週間の俺のしてきたことが、何もかも見抜かれている。
何より独立の話がこんな場所にまで知られているのがヤバい。
この爺さんが知っているのなら、王都にいるロキン宰相やハカラにも気づかれる可能性は高い。
だとすると――
「ぷっ……ふはははははははは!」
突然、室内を笑声が包む。
誰か、問うまでもない。
ハワードだ。
先ほどの書状を見た時より大きい。腹を抱えて笑っている。
俺とクロエは狐につつまれたような気持ちでその様子を見ていた。
「いや、すまんすまん。少し脅かしすぎたかのぅ。まさかそんな絶望的な顔をするとは思わなんだ。ふふ、いやいや。年寄のたわ言と思ってくれい」
「は、はぁ……」
正直まだ脳が追い付いていない。
これまでの威圧感はどこへやら、今ここにいるのは好々爺然とした一人の老人にしか見えない。
「安心めされい。このことはわししか知らない事実。守銭奴のロキンやハカラの馬鹿には気づかれておるまい。わしがこれを知っているのは、なに、王都には縁者が多くてのぅ。様々な情報が伝わってきて、それを分析しただけじゃ」
分析しただけ。
簡単に一言で言っているが、数ある情報を整理して、その結論にたどり着くのは並大抵のものじゃないはずだ。
「ふふ、疑っておるの。だがそのことに気づいたのはお主の来訪を聞いたからじゃよ。ジャンヌ・ダルクという名が持つ意味を考えて、こういった狭い場所に案内させた。万が一、密偵に話を聞かれないようにの。さらにこの何の意味もない書状を見て、疑念は確信に変わった。お主は何かをするためにこの城塞に来た。おそらくわしに会う事。もう1つ深く考えれば、シータの奴らへの対策。そう推測したのじゃ」
なるほど。ある程度下地があったものの、この短時間でそこまで思考を巡らすとはなかなか切れ者の爺さんらしい。
老いてますます盛んとはよく言ったものだ。
「そこまで考えておいでとは、このジャンヌ・ダルク、感服しました」
「いやいや、ご使者様には失礼をいたした」
ハワードは深々とお辞儀をする。
そして相好を崩してにかっと笑う。
「改めてカルゥム城塞へようこそ。このハワード。歓迎しますぞ」




