第33話 河東制圧
先鋒の1万を殲滅すると、対岸の敵は退いていった。
こちらを攻撃しようにも、川は増水して渡れないし、兵力差は2対1を切ったのだからその選択は正しい。
それに俺の素性を知って、慎重になったのかもしれない。
正直、このタイミングで俺がいることを相手にばらすのは、今後策に嵌めづらくなるから早計かと思ったが、まぁ仕方ない。
今勝たなければ今後はないのだ。
退いていく敵軍を見て、味方の兵たちが大歓声を上げる。
あの兵力差から敵を1万以上を討ち取り、こちらの被害は数百だから大勝利と言っても過言ではないのだから仕方ないが……。
「すげぇ、さすがジャンヌちゃん! こんな戦い方見たことねぇ!」
「…………」
「ええ、ええ。さすがの私も興奮を隠せません」
「さすがキシダ将軍が認めたお方ですね」
大喜びのサカキと、沈黙しながらも頬を上気させるクルレーン、興奮といいつつ顔色を変えないヴィレス、そして若干棘がありそうなグロスが集まって来た。
それに対してテンションが低いのはフレールとサールの兄妹だ。
「いやいや、こっちはハラハラものですよ。あそこでどうして止まるかな――ぐっ!」
「兄さん。なぜジャンヌさんを信じないの? 馬鹿なの?」
「そ、そうは言ってもな、妹よ……がはっ!」
「うるさい。黙って」
……フレール大変だなぁ。
そんな現実逃避に似た思いを抱いていたが、浮かれてる連中を見るとビシッと言ってやる時かもしれない。
勝って兜の緒を締めよ。
勝った後が大事だというのに大はしゃぎしているのだから、文句も言いたくなる。
だが、その前に報告が入った。
「上流より部隊接近!」
その報告に全員に緊張が走る。
そういったところ、さすが軍人とは思う。
しかし、それが敵でないと判明したのは、妙に間延びした暢気な声が聞こえてきたからだ。
「隊長どのーーー!」
クロエたち別動隊が戻って来たのだ。
彼女らには前もって築いた包みを、鉦の音が聞こえたら切る役目を負わせていた。
無事任務を達成して帰って来たところらしい。
「いや、すごかったですよー。ブッツリやったらドバーって感じで、ドッカンドッカンでした!」
「貴様、そんなことより着陣の報告だろ! あ、隊長の策がそんなことっていうわけではなく……いや、あのような水攻め。初めて見ました。参考になります」
「もう! あんたたちはいつもそうやって無駄話ばかり! 隊長、任務完了しました。次の指示をお願いします」
「まーまー、マール。あれは凄かったんだからしょうがないよ」
やかましい連中が増えて、それにサカキやグロス、フレールたちも混ざって大はしゃぎ。
上層部がそれだから、他の兵たちも勝った勝ったの大騒ぎ。
……はぁ。本当にこいつらは。
腹の中でぐつぐつとある思いが煮えてくる。
焦っているのは俺だけか? それともこいつらが能天気なのか?
判断に迷い、だからこそもう少しだけ待とうと思うのは、彼らが歴戦の軍人だと、そう信じたかったから。
だが――
「よー、ジャンヌちゃん! このままいっそ首都まで攻め込んじゃうか?」
サカキの能天気な言葉で臨界点に達した。
やっぱこいつら、なんも考えてない!
「お前らいい加減いしろ!」
腹の底から出した声に、一瞬、空気が凍り付いた。
わいわいとはしゃいでいた連中が固まり、こちらを伺うような視線を向けてくるのにも頭が来る。
「まだ戦は終わってないんだぞ。俺たちの背後を襲いに、砦から敵兵が来てる。その数1万」
「あ……」
敵の数は『古の魔導書』で調べてあるから間違いない。
これまでの戦いで確認した、東岸にいる敵の数とほぼ一致している。
「兵数的に互角な以上、正面からはぶつからない。相手はまだ味方の敗走を知らないだろう。だからすぐに動いて有利な場所を抑える必要があるのに、なんだお前らは! 浮かれてばっかで!」
「…………ごめんよ、ジャンヌちゃん」
一番大はしゃぎしていたサカキがしょぼんと頭を下げると、他の皆もそれに倣う。
はぁ……まったく。
そう言われればこれ以上言えないんだから俺も甘い。
気持ちを切り替えようと、一番この中で落ち着いた雰囲気の男に問いかける。
「ヴィレス、犠牲の報告を」
「はっ! 我が軍の犠牲は400ほど。動けない重傷者は数名ですが、軽傷者は100ほどいます」
「分かった。サカキ、お前の隊で彼らを保護して、村まで送ってやれ」
「えぇ……俺かよ」
「指揮官のくせに一番はしゃいで軍規を乱した罰だ。従わないなら王都に帰すぞ」
「うぅ……それを言われちゃ弱い」
俺は厳しいのだろうか。
それとも余裕をなくしているのだろうか。
分からない。
だが少なくとも状況はそれほど待ってくれてはいないはずだ。
「伝令! 敵が南東の方角から来ます! その数、およそ1万!」
ちょうど伝令が来た。
それでヴィレスもグロスも、クルレーンもクロエたちも真剣な顔つきになる。
「よし、敵を迎え撃つ。全軍で南東に1キロ移動。クルレーンはこのまま森に潜み、敵が来たら横っ面に鉄砲をお見舞いしてやれ!」
「承知!」
「先鋒はグロス隊にお願いしたい。後詰めにヴィレスの隊。クロエたちは遊軍として動く。俺の旗を見逃すな!」
「「「はっ!」」」
それぞれが散っていく。その動きは迅速果断。
だがその去っていく背中に声をかけた。
「ちょっとグロスとヴィレス」
「なんでしょう?」
「ヴィレスは分かってるかもしれないけど、敵の中にビンゴ軍がいる。なんとかこちらに引き込めないか?」
「それは……前に申し上げた通り難しいかと」
「そうか」
ヴィレスの返答に落胆する。
やはりまだ敵のスキルの影響下にあるというのか。
だがかれこれ数か月も経つのに、そんな持続するようなスキルがあるのか。
そう思ってしまうのは俺が敵を過小評価しているからか。
こうなったら彼らに同士討ちをさせるしかないのか。
そう思ったが、
「いえ、やってみるべきかと思います」
反対意見を述べたのはグロスだった。
「キシダ将軍が申しておりました。どうも兵たちの動きが違うと」
「どういうことだ?」
「はい。首都近辺にいる旧ビンゴ兵はまるで人形のように無表情でこちらに向かってきました。しかし、先日、砦の兵とやりあった時があったのですが、どうもビンゴ兵は士気が低く、嫌々戦っているように見えたので」
指揮官が感じるほどの敵の弱体。
地域の差。
それで効果に差がある、ということか?
いや、間違いないだろう。
俺のスキルが敵の姿を見ないと動きが分からないように、相手のスキルにもデメリットがあるのだ。
時間か回数か分からないが、とにかくプレイヤーのいる場所から遠く離れたビンゴ兵には効果が持続できないとなっても不思議ではない。
証拠もないから確信はない。
だがやってみて損はない策だ。
「グロス、投降を呼びかけてみてくれないか。敵の主力は全滅したとまで言っていい」
「分かりました。我々とて同士討ちは避けたいところです」
「ん。頼む。っと、クルレーン! ちょっと作戦変更だ!」
それからは慌ただしく状況が動いた。
俺は改めて全部隊に指示を出し直し、部隊を動かす。
俺は本隊としてグロスの部隊と南東へ。クルレーンは予定通り森に潜ませるが、そこにクロエの隊も置く。そしてヴィレスの隊は一旦南下した後に東進して相手の左に出るように配置した。
ただサカキの負傷者の護送の任は解かなかった。
そして何も知らない敵がやってくるのを待ち、前方そして左右から軍を起こして翼包囲の状態を取る。
それから口々に、主力が全滅したこと、ビンゴ兵を解放することを叫ばせるだけですべては終わった。
敵部隊の中にいたビンゴ兵が次々に帝国兵を襲い、さらにこちらの包囲を少し縮めるだけで、戦意を喪失した帝国兵は蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていった。
残された旧ビンゴ兵たちはことごとくグロスとヴィレスの軍門に降った。
犠牲もなしに味方が2千以上増えたのだ。
想像以上の戦果に再び湧き上がる。
「大勝利です! これは大戦果ですよ!」
「いや、まだだ!」
はしゃぐグロスを叱咤して、更に告げる。
「まだ、とは……」
「このままゾイ川の東岸すべての砦をビンゴのものにする」
善く人を戦わしむるの勢い、円石を千尋の山に転がすごときは勢なり。
これもまた孫子の勢篇に書かれた言葉だ。
優れた兵法家は、軍の勢いを大事にする。
そして一度転がりだした岩が途中で止まらないように、軍隊にも勢いというものが大事だと孫子は説く。
俺たちは敵の主力を潰走させた。
しかも水量を増したゾイ川のおかげで、完全に西岸と東岸は分断された。
そこへ旧ビンゴ兵も味方に加わったのだから兵力は一気に1万近くになった。
それだけでない。砦にはまだ帝国兵に頭を押さえつけられている旧ビンゴ兵がいるはずだ。
彼らを味方につければ、砦などすぐに落ちる。どんな堅固な砦だろうと、中からには弱いのだ。
だから攻めに転じるのは今しかない。
逆にここで時間をかけてしまうと、東西を分けていたゾイ川が渡れるようになり、首都からの増援を含めて数万の帝国軍がこちら岸に来ることになる。
そうなれば寝返るはずだった旧ビンゴ兵は再び沈黙し、増援を受けた砦群は鉄壁の守りを取り戻してしまう。
俺たちが紙一重で勝ち取った勝利も、砂上の楼閣のように消え去るだろう。
だから今だ。
今しかないのだ。
それを理解してか、あるいは俺の気迫に根負けしてか、グロスたちは猛然と近場の砦へと軍を進めた。
それから数日して。
ゾイ川の東海岸にある砦9つ。
すべてがオムカ・ビンゴ連合軍の手に落ちた。




