第29話 裏切り者の始末
轟々と炎が燃えている。
先ほどまで落とし穴だった場所を覆い尽くす業火は、天をつかんと火の粉を飛ばし、夜のとばりが降りた赤く染めていた。
「落とし穴の処理、終わりましたっす」
男が報告に来た。
山賊のリーダー格をしていた赤髪の男だ。眼が腫れているが、それ以外はさっぱりとした様子で今は素直に命令に従ってくれている。武装解除させた山賊たちの対処についても、この男がよく働いてくれたのだ。
「うん、ありがとう。ブリーダ」
俺が礼を言うと男――ブリーダは照れくさそうに頭を掻く。
「これで、明日は帰っちまうんすね。ジャンヌさんたち」
ブリーダはこれまでと全く様子が違う喋り方になっていた。
こっちが素なのだろう。
「ああ、明後日にはジルの部下がここに来るはずだから、後はそいつらとよろしくやってくれ」
俺の任務は山賊の討伐なわけだから、報告のために帰らなければならない。そうなると指揮官のいないクロエたちを放っておくわけにもいかないから、彼らも一緒に王都に帰ることになる。
前もってジルには明後日に部隊を派遣してもらうよう言っておいたから、入れ違いだ。
「裏切るとは思わないんっすか。ジャンヌさんが帰った後に、また山賊に戻るとか」
「あぁ、その時はまたぶん殴りにくるから覚悟しておけよ」
「へへっ、それはごめんっすね」
ブリーダが少し恥ずかしそうに笑う。
言葉遣いも砕けて、なんだかさっぱりしたみたいだ。
「ま、それはもうないっす。俺らとジャンヌさん、そして女王様の向いてる方向は同じだって分かったんで。それに、薬や食料ももらっちまいましたしね。それに――あのビンタは嬉しかったっす」
「お前……そういう性癖なのか」
「そ、そうじゃないっす! ただ、みんなが俺を前の頭の息子だからって、なんでも言う事聞いてくれて。俺も誰よりも強いって思ってて」
「ああ、随分こじらせてたんだな」
中二病を。
「? ちょっと意味が分からないっすけど、とにかくあの時のビンタで目が覚めたっす。それに、女王様も俺たちと同じ目的でいてくれると思うと……」
「ああ、そのことだけど」
「分かってるっす。まだ俺たちだけの秘密っすね。エインの奴らに気づかれないよう」
「うん、そういう事で頼むよ」
「俺、もう少し早くジャンヌさんに会いたかったっす……」
「早いも遅いもないだろ。まだ若いんだから」
「あ、いや。そうじゃなく……っす」
何か言いよどみ口をつぐんでしまったブリーダ。変なの。
「じゃあ、俺はみんなをまとめて山塞に戻るっす。それで金山の開発をしながら時を待つっすね」
「大変だと思うけど、よろしく頼む。お前たちの働きに独立がかかってると思ってくれ」
「了解っす」
ブリーダは右こぶしで胸の真ん中で小さく叩くと、そのまま立ち去って行った。
いい笑顔だな。
あの屈託のない感じ、大学の学友である達臣を思いだすな。里奈と一緒にキャンバスで語らうのは楽しかった思い出だ。元の世界に戻れば、あいつともまた会えるのかな。
「なんだよー、あいつ。急に元気になって。もっとボコっとけばよかったかな」
「物騒なこと言うなよニーア」
いつの間にか来たのか、ニーアが俺の横に来て言った。
「ほい、これ報告書」
紙の束を渡されたが、俺はそれをもらっただけで脇に抱えた。だって読めないからね。
「死者は?」
「うちらには軽傷者はいるけど死者はなし。あっち側は11人。弩で運悪く――いや、運よく喉とか眉間を貫かれた奴らと、落とし穴の下敷きになった不運な奴で合計11人」
「そうか……」
部下たちに死者が出なかったのは何よりの安堵材料だったが。
死者11人。その報告を聞くとやはり心が沈む。
「いいじゃん、味方は本当にゼロだったんだから」
「あいつらも、今は味方だよ」
「死んだ時点では敵だよ。割り切りっとき? さもないとジャンヌが死ぬよ」
「…………」
「ったく。新人部隊に兵力差って要素があるにもかかわらず、あれだけ完勝しておいて。贅沢だね」
贅沢? そうなのかもしれない。
あれだけの戦いをして死者が10人ちょいというのは本当に少ないのだろう。
けれどもっとうまくできたんじゃないか。頑張れたんじゃないか。そう思ってしまうのだ。驕りなのかもしれないけど。驕っても良いくらいの知力はあるはずだ。
「ほらほら、勝ったんだからもっとテンションあげてこ? それが死んだ奴には一番いいんだから。それとも無理やり上げた方がいい? とりあえず一発揉んどく?」
「ニーア。お前明日から金山で労働な」
「残念でしたー。あたしは女王様の直属だからね。任命権はジャンヌにありませーん」
「お前目が悪いのか? この命令書のここに、透明な文字で書いてあるんだよ。ニーアは勝手にしてよしって。おっと、この文字は馬鹿には見えないんだったな。残念」
などと戯言めいたやり取りをしているところに、部下が数人が近づいてきた。
その中央。サリナが深刻な様子でこう聞いてきた。
「お話し中すみません、隊長殿。クロエを見ませんでしたでしょうか?」
「クロエ? いないのか?」
「はい、事後処理の進捗を隊長殿に報告するために探しているのですが」
「しまった、ニーアなんて相手にしているから」
「ちょっと、どういう意味よそれ!」
「隊長殿! もしかしてご存じなのですか!?」「まさか、敵の手に……!?」「くそ、こうなったらみんなで探しに行くぞ!」
「おいおい、落ち着けって。分かった。行先は俺が知ってるから大丈夫だ。事後処理を進めてくれ」
逸る仲間思いの部下たちをなだめ、ニーアも残して俺はその場を離れ近くの林に入っていく。
それにしてもいいな。あいつらのあの仲間意識というか熱さというか。ああいう団体競技特有のチーム感みたいなのに昔憧れたことがある。
けど、きっと俺がいると迷惑かけるだろうと思って、結局やりもしなかったわけで。
まぁ何が言いたいかって言うと、良い奴らだなってこと。
「そう思わないか、クロエ」
部下たちや元山賊たちが後始末に追われている場所から少し離れた林にクロエはいた。
『古の魔導書』でクロエの伝記を表示してくれたから発見は簡単だった。なんて便利なんだ。
「っ! た、隊長殿……」
振り向いたクロエは、目を見張り、口をパクパクと鯉のように開け閉めする面白い顔で俺を迎えた。
それほど緊張していて、かつ俺の来訪が不意打ちだったんだろう。
「うんそうだ。隊長殿だ。で、どこに行こうとしていたんだ、クロエ?」
「…………」
クロエは答えない。
言い辛いことなのだろう。それも当然か。
「言えないよな。まさかお前がハカラ将軍のスパイだなんて」
「ち、違います! 私はロキン宰相のスパイで――あっ」
「本当、嘘は苦手なんだな」
このことに気づいたのは5日前、彼女と初めて会った日だ。
調練を見学しながら、俺はニーアに読み仮名を振ってもらった名簿すべての人物を調べた。
もちろん『古の魔導書』でだ。
誰も彼も普通の一般人として生まれ、そして徴兵制により兵士として訓練に明け暮れたという、当たり障りのないプロフィールが並んだ。
だが最後。名前を知っていたから後回しにした彼女がそれだと知った時にはさすがに驚いた。
『クロエ・ハミニス。7月11日生まれ。15歳。女。オムカ王国平民の次女として生まれる。父は幼い頃に死別。姉も5年前の流行病によって死去。女手一つで育てられるが、無理が祟り2年前から母親は病に倒れる。軍に入隊後、母親の病気を治すためにロキンの密偵として働く』
ロキン宰相のあの態度。俺に対し不信感を持ち、あるいは陥れようと企んでるだろうと思ったけど、監視ないし目付をつけてくる気配もないので不思議に思っていた矢先のこれだ。
だから俺やニーアの目につきやすい取次役に任命したし、夜はニーアをつけた。本人は不服だっただろうが。
それで尻尾を出さなかったのは大したものだったが、ここに来てようやく捕まえた。
いや、彼女にとってはこのタイミングで動かないわけにはいかないのだ。殲滅するべき敵を生かし、エイン帝国の反逆を堂々と宣言し、マリア直筆の謀略の密書なんてものを公開したのだから。
沈黙が続く。
十数秒して、クロエは肩の力を抜いてうなだれる。
「…………やっぱり、ダメなんですね。わたし。スパイなんて、向いてない」
無念と後悔と、幾分かの安堵が混じった表情でため息をつく。
「覚悟はできてます。ただ、できれば最後に母に会わせてください。そうすれば、もう心残りはありません」
「裏切り者は処断する。ま、当然だな」
「…………」
クロエは黙り込んでしまう。その手が震えている。
「怖いのか?」
昨日聞いた言葉と同じ言葉を投げかける。
「こ、怖くなんか……いえ、怖いです。死ぬのは、怖いです」
ギュッと手に力が入り、体自体が細かく震え始めた。
まったく、こいつは本当に……。
「正直すぎるというか、なんというか。俺の筋力は知ってるだろ。倒して逃げればいいのに」
「それは、そうですが。でも、それは卑怯というか……」
「ぷはっ!」
まさかそんな単語が出てくると思わず吹き出してしまった。
「な、なにがおかしいのですか!?」
「まさか俺の前でその言葉を吐くとはね。さっきさんざん卑怯者呼ばわりされた俺の前でさ」
「それは……違います。隊長殿のは策です。戦争に勝つための手段です。決して卑怯などとは」
「ならここで俺を殺して逃げるのも策だ。ましてやスパイを使って政敵の弱みを探るのも策だし、それによって政敵を蹴落とすのも策だ。さらにそのスパイを操って相手に偽の情報を流すのも策だ」
孫子に曰く反間。二重スパイってやつだ。
「ま、あとは。スパイとなって金だけ奪って裏切るのも策だろうよ」
「なにを……言ってるのですか」
「分かるだろ。賢いクロエならさ。スパイだから殺す? あんまり俺を舐めるなよ。せっかく向こうから弱点を提示してきてくれたんだ。これを利用しないてはない」
「それは……」
「だからお前は殺さない。このことも黙ってる。だからその代わり、この国の……いや、俺のために働いてくれないか」
クロエに向かって手を差し出した。
少し臭すぎるか。いや、彼女にはこれくらいやらないと安心してくれない。納得してくれない。
だからじっとクロエの顔を見つめる。
するとその瞳から涙がこぼれてきた。
「私、生きてていいんですか……」
「当り前だろ。それに、ほら」
顎で示した先。俺の来た方から複数の影が現れた。
「クロエ! この馬鹿、どこいってるのよ」「探したんだぞ! 急にいなくなるなよ!」「そうそう、クロエはちっこいんだからさ」「おい、そうやってお前何回殴られたよ」「あれ、クロエ、泣いてる?」
ったく。任せとけって言ったのに。
そこまで信頼ないかね。いや、それほど心配だったということか。
「みんな……」
クロエは現れた仲間たちの姿を見て、もはや人目をはばからず泣き出した。
俺は少し高いクロエの頭に手を乗せて、少し撫でてやった。
「もう少し頑張れよ。お前には仲間がいるんだからさ」
今は小さいが、実際の俺はこいつより年上だ。
だから少しくらい格好つけてみてもいいだろ。




