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第23話 オムカの暗(あん)

 人混みが激しく活気のある大通りは、この王都がどれだけ発展しているかを示すような明の部分だ。


 だがそこから一本中に入ると、その真逆、暗の部分があった。

 下水に汚れ、湿気と陰気に包まれた世界。人の声もほとんどしない。まるで別世界に来たみたいだ。

 路上に座る子供。ひび割れた地面。我が物顔で走り回る野ネズミや虫たち。

 汚水がそこかしこに溜まり、鼻が曲がりそうな臭いを発している。

 彼らは生きるあてもなく、ただただ毎日を生きているだけ。

 学校に行けるわけでも、仕事ができるわけでも、ご飯を食べられるわけでもない。


 それはもう、生きているのではなく死んでいないだけだ。


 本人のやる気の問題なら、まだやり直しが効く。

 だがそれは本人のやる気や素質とは別のところで決定されるのだから、これほど難しい問題はないだろう。


「こんなところがいくつもあるんだろうな」


「はい、少なくとも5か所は」


「これは衛生的にもよくない。疫病とかすぐに広まるぞ。こんなんで籠城なんかできるわけがないな」


 ペストを始めとする疫病は、中世ヨーロッパの衛生面の問題から爆発的に広まった。

 ここも清潔とは程遠い場所で、そんなところに多くの人間がいれば疫病の温床となる。

 それも1つの城の中なのだ。隔離することも難しいこの状況でそんな疫病が流行ったら一発でアウトだ。


「なるほど。衛生ですか」


「十分な食料と、それから清掃だな。綺麗な病院も新設して、医療体制も整えるべきだ。とりあえずマリアには言っておきたいが、こんな状況だとそれも難しいだろうな」


「はぁ、ジャンヌちゃんはそんなこと考えるのか。副官っての大変だねー」


「いや、副官としての業務を超えてます。ジャンヌ様は宰相にでもなられるおつもりですか?」


 宰相。そんなのには興味がない。だって政治力ないし。

 でも、考えることはできる。


「人間の作った社会なんて、単純なものさ。上に立つ人間が、ちゃんと考えれば万人が幸せになるし、ちょっと悪だくみすれば万人が不幸になる。すべては上に立つ人間次第だよ」


 王宮にいる人間が少し動けば、ここにいる何万人といる人間のうち少しでも救える。


 でもそれをしない。

 すべては帝国の命じるがままなのだ。


 ハカラたちを見れば帝国も民衆を顧みる政治をしていないのははっきり分かる。

 だから属国の最下層に位置する者を相手するはずもない。


 だから彼らを救うには、道は1つしかないのだ。


「あ、お姉ちゃん!」


 リンがいた。

 他にも老人なのか若いのか分からない、ボロをまとって薄汚れた男女が20人ほど、小さな空間の地べたに座っている。


「あのね! お姉ちゃんからもらったお金でパンを買ったの。みんな美味しいって!」


「あぁ、貴女が。ありがとうございます」「おかげで命が続きました」「ありがたや、ありがたや」「リンはここの太陽です。それを守っていただき、本当にありがとうございます」


 地べたの人たちが感謝の言葉を述べてくるが、俺はそれに対して胸の痛みを感じた。

 つくづく無力だと感じる。

 こうやって彼らを救ったように見えても、それは一時しのぎでしかない。

 数日もすれば、また飢えに苦しむだろう。


 俺は彼らの言葉にいたたまれなくなって、逃げるようにその場を後にした。


 ようやく大通りに戻って来た時には、大きく息を吸い込む。肺の中を洗浄した思いだ。


 情けない。

 あれだけジルたちに啖呵を切っておいてこの結末だからな。

 けど――


「この国を変えなきゃ、あの人たちは救えない」


「……はい。しかし」


「言うなよ、ジル。難しいのは分かってる。それに、きっとお前が反対なのも」


「お分かりでしたか」


「お前は嘘が下手だからな」


「…………」


 ジルが反対する気持ちも分かる。


 あのような暮らしをしている人間は、途方もない数いるに違いない。

 何万、いや、十万以上はいるのではないかと思う。

 さらに周辺の農民を含めれば何十万になるか分からない。


 そんな彼らを養うほどの財源はこの国にない。

 帝国への納税のために重税をかける。それに耐えきれず逃げ出すから生産力も次第に落ちていく。

 そうなればオムカ王国はどんどん衰退していく。


 おそらくそうやって力をつけさせない、帝国の占領政策なのだろう。


 理にかなっている。

 だからといって、それが人道にかなっているわけではないのだ。


 なるほど、ジルたちが独立独立とわめくわけだ。


「ジャンヌ様……」


「分かってる。ジル。まずは独立だ。それができなきゃ所詮は絵に描いた餅だ。その後のことはその時に話そう」


「はい」


 きっとその時に俺とジルは対立する。それでもジルはにこりと笑顔を見せてきた。


「何かおかしかったか?」


「いえ嬉しいのです。ジャンヌ様が、私たちと同じ独立という夢を追ってくれるのが」


「……ついでだよついで」


 なんだか恥ずかしくなって、俺は頭を掻く。手に持った籠がゆらゆらと揺れた。


 そういえばこの花はどうしよう。

 俺には家がない。

 昨夜は営舎の客間に泊まらせてもらったが、ずっとそうとはいかない。


 女性の兵士もいるのだから女性専用の宿舎もあるらしいが、そんなところで暮らすなんて俺が困るし。


「ジル、お前のところに飾れないか?」


「え、私にいただけるのですか」


「あ、いや。嫌ならいいんだ。踏まれた花もあるし」


「ああー! ジャンヌちゃん! なんでジーンなんかに!?」


「いや、世話になってるから」


「俺は!?」


「え……ああ、世話に……なったっけ?」


「しどい!」


 その場にしゃがみ込んで、顔を覆うサカキ。

 大の男が泣くなよ。


「あー、ジルも迷惑だったか」


「とんでもない! さっそく部屋に飾ることにします」


「そうか……んじゃ、いいや」


 なんか照れくさいな。男から男にプレゼントっていうのも。


「うう……ジーンのばーか、ジーンのまぬけ、ジーンの裏切り者、ジャンヌちゃんの浮気者」


「分かったよ、サカキにも今度何かな」


「やった! それっていつ!? どこで!? どんな時に!? 何を!?」


「近い将来、戦場で、お前が死にそうになった時に、はなむけの花を1本」


「それってオレが死ぬ前提ってこと!? あ、でもそれならあれが欲しいな! そう、エンゲージリン――ぶっ!」


「調子に乗るな」


「いたーい! ジャンヌちゃんがぶったー!」


 筋力14のパンチなど大したことないだろうに、大げさな。

 ジルは受け取った花を眺めて上機嫌みたいだし。


 ……こんなんで本当に独立なんてできるのか?


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