閑話12 クロエ・ハミニス(オムカ王国ジャンヌ隊副隊長)
そこは奇妙な空間だった。
左右に建物が列をなしており、チカチカと目のくらむような明滅する光が、乱立する小さな塔のようなものから発せられている。
建物に挟まれた大通りの奥に見えるのは城だろうか。
だが、どこか異国の世界に迷い込んだような、この世のものとは思えない街並みに私たちはいた。
「なんだよ、ここ……」
ザインがこぼす。
それは皆の共通認識だった。
宿舎にいたのに、ドアを通ればこんな奇妙なところに出てきたのだ。
夢でも見ているのかと思う。
私たちが戸惑う中、空気を震わす笑い声が響く。
そして、その声が実態を伴った。
火薬が爆発したような破裂音が響き、前方に煙がもくもくと立ち込める。
その中から影が飛び出した。
その影は1メートルほどの台の上に着地すると、羽織ったマントをたなびかせてこう叫んだ。
「ようこそ、死と享楽のニットーワンダーワールドへ!」
ニトーが両手を高らかに上げると、その背後で再び破裂音が響きキラキラの紙吹雪が舞い、さらに大量の鳩がバサバサと跳んでいく。
その奇怪な光景に誰もが目を奪われている。
だがその中で私は動く。
先手必勝。
双鞭のジャンヌとダルクを抜き放つと、一直線にニトーとかいう男に向かって駆ける。
そして右のジャンヌを頭部に、左のダルクをわき腹目掛け振り抜く。
「っ!」
ジャンヌとダルクが空を切った。
避けた? いや、違う。当たらなかった。
目測を見誤った? いや、距離は完璧。
「おいおいおいおい! さっきは俺を止めてたくせに、何やってんだよクロエ!」
ザインが抗議の声をあげる。
舌打ちしながら、投げやりに答える。
「まさかこいつが手ぶらで来るわけないでしょ。原理はわかんないけど、こいつには攻撃が当たらない。それを確かめたの」
万が一、本当に無策で来た場合に先手必勝で叩きのめせればと思ったけど甘くはなかったわけだ。
「ホログラム……か」
「なんて?」
イッガーのつぶやきに思わず反応した。
「立体映像……と、言っても……ダメかな。えっと……影、みたいなもの。彼は、ここにいない」
「幻術ってことね」
だとしたら厄介。
私たちは直接の戦闘には慣れてるけど、こういった搦め手にはどうしたらいいか分からない。
「ふふふ、そう。ボクは遠い安全な場所で見させてもらっているよ。さてクロエくん。ルール説明の前だからこそ、今の君の行為は許そう。だがこれ以降、ボクに対しての戦闘行為、および“参加者以外の戦闘行為”を禁じるよ、いいね?」
「……好きにすれば」
こいつに攻撃が当たらないなら、何をやろうが無駄だろう。
「で? ルールって何? さっさと始めて。隊長殿に会わせて」
「グッド! その覇気、素晴らしい。遊びにこそ真剣に取り組む。それこそが真に人生を楽しむものだとボクは思っているよ。だからこそ遊ぶ。真剣に! さぁ、それではルールを説明しよう!」
くるりと一回転してマントをたなびかせるニトー。
いちいち挙動が大げさ。
あぁ、本当にぶん殴りたい。
「さぁ、それではこれを見てもらおうか」
ニトーが指を鳴らすと、どういう原理か知らないけど空間に一枚の絵が映し出された。
それは四角が5つ並んだ絵。
一番下の箱にスタートと書かれている。
「ルールは簡単。この世界は5つの部屋で成り立っている。君たちがいる部屋は一番下のここ。そこから部屋を通って最後の部屋までたどり着いたら、君らの『隊長殿』に会わせようじゃないか」
「通るだけ?」
「ふふ、もちろんただ通ればオーケーってわけじゃない。それぞれの部屋には門番がいる。それを倒さない限り次には進めない仕組みだ」
なるほど。遊びとしては単純。
問題はその門番がどういう敵か。
「制限時間は3時間! それまでに最後の部屋を突破し、君たちの『隊長殿』を救い出して外に脱出できれば君たちの勝ち! できなければ、全員まとめて即死亡!」
「な、なんだそれ!」
「死ぬとか正義じゃないです!」
ザインとリンドーがニトーにうろたえ模様で食ってかかる。
だがニトーは、笑みを濃くして、
「ふっふっふ。残念だけどこの空間に入ったら、脱出するかこの空間ごと死ぬかの二択しかない。言ったはずだよ。二度と帰れないかもしれない、と」
「それ言えば怖気づくとでも? やってやろうじゃない。門番だろうかなんだか知んないけど、全部私がぶっとばして隊長殿を助け出す!」
「おう、あったりまえだ! 全部倒して隊長を助け出す!」
「もちろんそれが正義です!」
「あんたら、調子いいわねー」
前言をひるがえして意気込むザインとリンドーに、冷静にマールが突っ込む。
その緊張感のないいつも通りのやり取りに、少し自身の中で硬くなっている部分がほぐれたような気がする。
だから私はニトーをにらみ、
「それと、あんた。次、その本体に会ったら一発ぶん殴るって約束、忘れないでよね」
その言葉にニトーは笑みを濃くした。気持ち悪い。
「グッド! それでこそ、その緊張こそが真理。さぁ、行け勇者たちよ! 立ちふさがる門番たちをなぎ倒し、囚われのお姫様を助け出すのだ! これこそ『運命の分かれ道 ―ロード・トゥ・アビス―』、スタートぉぉ!」
拳を突き上げてジャンプするニトー。
爆発音が響き金色の髪のひもが床の三角の物体(確かクラッカーとかいうやつだ)から飛び出た。
そしてそれが収まった時には、ニトーの姿は影も形も消えていた。
最後まで派手でうざったい。
「さ、行くわよ。時間もないし」
「行くって、でもどこに?」
「次の部屋でしょ。あそこの城の門が扉じゃない? 少し歩きそうだから急ぎで」
告げると同時、先に歩き出す。
ただ城までの距離は遠いと思ったけど、意外とすぐに突き当たった。
どうやら大通りや城はただの絵で、その門に当たる部分にドアノブが見えた。
「トリックアート……手前だけ本物で奥は見せかけ、か」
イッガーが何やら呟いてるけど、今の私にはどうでもよかった。
そのまま扉を開け放つ。
「……っ!」
途端、これまでとは違う自然の強烈な陽光に眉をしかめた。
そして見た。
「……外?」
部屋かと思いきや外に出てしまったのか。
人の背丈以上の木々が所狭しと並んでおり、膝まである雑草が地面を覆っている原生林。
さんさんと輝く太陽のせいか、ムッとするほどの暑さで、聞いたことのない鳥や動物の鳴き声が響いている。
「いや、ここが壁になってる。何もない、空間なのに。ここは部屋の中」
イッガーが後ろで何もない空間をぺたぺたと触りながら説明する。
触れてみる。なるほど。見えない壁になっているようだ。
ということはやっぱりここは室内で、この木とか草も全部植えたってことか。
ご苦労なことで。
『さぁさぁ、やってきました。第一の関門へようこそ』
空――いや、天井からニトーの声が聞こえた。
声はすれど姿はなし。
どういう仕組みなのか分からない。けどそんなことは今はどうでもいい。
「さっさと門番を出して。戦うのは私よ」
ザインとリンドーから文句が出るが、先に名乗り上げてしまえばこちらのもの。
最初から様子見とか面倒なことはしない。誰が来ようと全力で叩き潰す。
『オーケイ! それじゃあ他のメンバーは観客だ。一切手を出したらいけないよ? まぁ、ルールで出せないようにするけど』
「うぉ!」
ザインの悲鳴。
振り返ると、皆の足元から緑の光が出てきて彼らを覆った。
光の箱のようなものに閉じ込められたのだ。
ザインたちが光の壁を叩くが、どういう原理なのか傷1つつかない。
『安心してくれたまえ。それは挑戦者以外のメンバーが手出しできないようにしている光の檻。逆にいかなる攻撃も通さないから、彼らの身の安全は保証するよ。信用してくれ』
「世界一信用できない言葉だけど」
『ゲームはフェアでなくちゃ面白くない。さぁ覚悟はできたかな? それでは門番カモン!』
ニトーが高らかに宣言する。
だが何の反応も答えもない。
いや、違う。
地響きがする。
それはどんどんと近づいてきて、地面を揺らす。
そして――咆哮。
木々をなぎ倒して巨体が現れた。
土気色の肌をした爬虫類に似た生物。
だがその大きさと、凶暴さは比較にならない。
「な……なに、これ」
「てぃ、Tレックス……! 逃げるんだ、人間じゃ勝てない! あれは恐竜! 太古の昔に存在した、肉食獣の王様だ!」
イッガーの珍しい慌てた声。
キョウリュウ。
聞いたことがない。
いや、それでも自分の倍以上のデカさ。ギザギザの切れ味抜群そうな歯は、噛みつかれたら胴体が半分持っていかれそうだ。
それを見るだけでもヤバさが伝わってくる。
というか私の頭の中で、危険の警報がガンガン鳴っているのだ。
『さぁ、やってまいりました! Tレックスのティラ子ちゃん! 10歳、メス! いやー、可愛いねー!』
どこが! と心の中でツッコミを入れる。
『ルールは簡単。挑戦者とティラ子ちゃんの時間無制限一本勝負! 武器も反則もなんでもありの、相手が戦闘不能、降参、または死んだら負けのバーリトゥード!!』
これを見ると教官殿……じゃなくニーアは可愛いレベルだなぁ。
などと軽く現実逃避。
『それでは、第一関門! バトル・スタート!』
こうなったら仕方ない。
迎え撃とうと双鞭ジャンヌとダルクを腰から引き抜く。
咆哮。
そのド迫力の音声に思わず身がすくむ。
エイン帝国の大型船を前にしてもこれほどの脅威は感じなかった。
そして自分を標的と定めたのか、ティラ子とかいう怪物が突進してくる。
速い。
巨体に似合わず、超高速で大地を揺らしながらの突進。
ヤバい。動け動け動け動け!
横っ飛び。
あ、しまった。
ここで避けたってことは、ザインたちは……。
衝撃。
見ればティラ子がザインたちのいた辺りを押しつぶして――
「…………はっ」
いなかった。
無事だ。
ザイン達の周囲を緑の壁にティラ子の獰猛な牙が喰い込むがそれ以上は通さない。
『言っただろう? いかなる攻撃も通さない。つまりティラ子ちゃんの攻撃も完全シャットアウトのバリアーさ』
ホッとするのも一瞬。
ティラ子はザインたちを食べられないと諦めて、残る獲物の私に狙いを定めてきた。
来る。ティラ子の凶悪な頭部が迫り、私なんて一飲みにできそうなほど大きく開かれた口が閉じる。
それを紙一重で地面に転がって回避する。
「クロエ! そんな奴に負けんな!」
「下よ下! 回り込んで!」
「クロエさん! 正義は勝つのです!」
あぁ、もう!
あのお気楽連中は簡単に言う!
けど応援してくれるのはありがたい。
それになんとなく弱点も見えた。
あれだけの巨体に反し、脚は異様に小さい。
ならそこを思い切り打ち砕けば――
「覚悟ぉ!」
ティラ子の頭が迫る。
迫力さえ無視すれば、ニーアより遅い。
だから体を横に。咢を回避して懐に飛び込む。
この巨体だ。小回りはきかない。
だからその細い脚に対し、両手に持った鞭を振るう。
もらった!
「がわわわわわわ!」
だが返ってきた衝撃は、体全体を震わすほどの反動だった。
硬い。
その気になれば石も砕く私の鞭だけど、鉄でも入っているんじゃないかと思うほどの硬さで全く歯が立たない。
くそ、こうなったら何度でもやってやる!
だがその前に相手が動いた。
少しかがむように脚が折れたのだ。
そしてそこから放たれるのは歩行――いや、それを活かした蹴りだ。
「がふっ!」
衝撃。
ニーアの攻撃の何倍も強力な衝撃が襲った。
瞬間、ジャンヌとダルクを交差して防がなかったら、鋭利に尖った爪が体に突き刺さっていただろう。
だがその代償は後方への飛翔。
要は吹っ飛ばされたということ。
草を裂き、幾本の木の枝を折った末、大樹に背中を打ち付けてようやく止まった。
「がっ……はっ!」
息を漏らす。
全身が痺れたように動かない。
あー、ヤバい。勝てない、これ。
さすがにあんな化け物退治、専門にしてないし。
地鳴りが聞こえる。
身動きの取れなくなった私に、とどめをさそうと来る。
もう、いい。
これ以上は辛いだけだから。楽にして。
だからバイバイ、皆。
後は頑張って。私はここで脱落。
皆ならきっと隊長殿を……。
「――いやいやいやいや!」
ふざけるな。
なんで諦めモード入ってんの。
てか隊長殿は!? 隊長殿を助けてない!
それにここで死んだらあの馬鹿が絶対勝ち誇った顔をするに違いない。
考えろと言われた。
だから考えてここに来た。
それなのに私が死んで、あの人が喜ぶはずがない。
なら考えろ。
思考の限りを尽くして、あの化け物に勝つ方法を考えろ。
ティラ子をにらみつける。
なんだか笑えてきた。
初めて見た時、恐ろしいと思ったけど、こうやって正面から見るとちょっと笑ってしまう。
あの突き出した口の先。鼻?
巨体に反して小さなお手て。
確かに可愛いのかもしれない。
改めて見れば、怖いという思いは消えて、可愛いという思いしか残らない。
「ふっ」
そんな可愛らしい相手が、私を隊長殿と引き離そうとしている。
許さない。
ニーアより遅い。一撃の破壊力はちょい上。そして、無駄にデカい。
なら、勝てない道理はない。
咆哮。
ビリビリと大気が揺れる。
それがどうした。
よだれをまき散らし、巨大な口が大きく開く。
だからどうした。
ギザギザの尖った歯が、獲物を噛み千切らんと襲う。
それが――
「なんだってのよ!」
木の幹を蹴った。跳躍。そのまま化け物の口の中――その上へと跳ぶ。
そこにあるのは2つの穴。鼻。
そこに向かってジャンヌとダルクを思い切り振り下ろす。
衝撃。硬い。いや、脚ほどではない。ティラ子が悲鳴をあげ怯んだ。もう一発。左右から挟み込むように殴りつける。
本気を出せば人間の頭くらい簡単に吹き飛ばせる鞭だ。これをくらって無事な奴がいるものか。
着地。そのまま前へ。脚。たたらを踏んでる。これがあるからこの怪物は走る。ならこれを叩き折ればいい。
本気で振りかぶり、全力で足を打った。次。左を振りかぶり、打った。次。右。打った。次。左。打つ。右。打つ。
思えばこいつが隊長殿と会わせるのを邪魔した。こいつが隊長殿を悲しませようとした。こいつが隊長殿を閉じ込めた。こいつが隊長殿をこいつが隊長殿をこいつがこいつがこいつが隊長殿隊長殿隊長殿こいつが隊長殿こいつが隊長殿隊長殿こいつが隊長殿こいつが隊長殿隊長殿こいつが隊長殿こいつが隊長殿隊長殿隊長殿隊長殿こいつが隊長殿隊長殿隊長殿隊長殿隊長殿隊長殿隊長殿隊長殿隊長殿隊長殿隊長殿――
「隊長殿隊長殿隊長殿隊長殿隊長殿隊長殿隊長殿隊長殿隊長殿隊長殿隊長殿隊長殿隊長殿隊長殿隊長殿隊長殿隊長殿隊長殿たいちょうどのぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!
一発でダメなら二発。二発でダメなら三発。三発でだめなら……二度と立ち上がらなくなるまで殴ればいい!
雨だれ石を――いや、意思を穿つ!
いつしか返ってくる反応は、すべてを跳ね返す巌のような感触から、柔らかいものを殴っているような感触へと変わっていく。
そして、反応がなくなった。
「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」
息も絶え絶えに見る。
あの恐ろしくも可愛らしい怪物が、地面に横たわってもがいているのを。
脚を必死に動かそうとしているけど、膝から下が動いていない。完全に折れた、いや、粉砕されていた。
それを見ると、少し可哀そうになってくる。
「ニトー! 相手が戦闘不能で終わりって言ったよね! ならこれで終わりでしょ!?」
頭上に向かって叫ぶ。
ただ相手の出方によってはこの子を殺さないといけない。それは少しだけ、気が進まない。
てゆうか疲れたからそんな無駄なことはしたくなかった。
『うん、見事だ。ティラ子ちゃんは可哀そうだけど戦闘不能。よって勝者、ジャンヌ・ダルク奪還チーム!』
だからそう言われて少しだけホッとした。
てかジャンヌ・ダルク奪還チームっていいな。今度、仲間外れのウィットをからかってやろう。
少し離れたところで歓声があがる。
あぁ、そういえばいたんだっけ。
まったく、要らない心配して。
私が隊長殿を助けるまで死ぬわけないっての。
そう思いつつも、なんだから少し心が弾み、死闘の余韻も相まって頬を緩ませた。
5/9 一部表現を修正しました。




