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第20話 花ぞ散る

「ジャンヌ!」


 引き上げられた。

 濁った視界が空気に触れてクリアになる。


 同時、停止していた心肺機能がすさまじい勢いで活動を再開し、再三咳き込む。


「無事、か……びっくりした。急に動かなくなるなんて……」


 ニーアだ。

 抱き上げるように、溺れた俺を引き上げてくれた。


「無事か、ジャンヌは無事なのかニーア?」


「ええ、女王様。大丈夫のようです」


「――ねばよかった」


「え?」


「俺は、死ねばよかったんだ」


「……何を言ってるわけ?」


 ニーアの顔が険しくなると同時、戸惑いの色が見え隠れする。


 そりゃそうだ。

 こいつも、何もわかってない。俺がやったことを、なに1つ。


 だから俺を支える手を乱暴に払った。


「俺は、殺した」


 目を閉じればきっとまたあの瞳が俺を見つめてくる。

 それが、怖い。


 だから1つ深呼吸して、そして思いのありったけをニーアにぶつける。


「だから俺は生きてちゃいけないんだ。殺したんだぞ。いっぱい、たくさんの人を。しかも俺が直接手をくだしたわけじゃない。俺はただ指図しただけだ。その結果がこれだ。大量殺人だ。それなのに、こうして、のうのうと生きてる。埋葬した? それもただの偽善だ。生き残ってラッキーとか思った罪悪感を紛らわせるための偽悪だ。そんなの、なんて卑怯。あまりに、非人道。だから――」


「だから死んだ方がマシだってわけ?」


「そうだ! だから俺は死ぬべきだったんだ。ジルに助けられず、あそこで死んだ方が。いや、その前の。こんな世界に来る前に死んだ方が――」


 衝撃。

 視界から2人が消えた。


 違う。俺の顔が動いたのだ。頭をずらせばほら、また2人がいる。


 続いて痛みが来た。

 右の頬が熱を持って痛みを発する。


 ぶたれた。

 そう理解するのに数秒かかった。


「言いたいことはそれだけ?」


 ニーアの冷たくえぐるような言葉。

 怒っている。当然だ。こんな無様な様を見せつけているんだから。


「に、ニーア……」


「女王様。申し訳ありませんが、少しお時間を」


「う、うむ。頼む」


 ニーアが1歩近づく。

 そして無造作に、避ける間もなくかぎ爪のように曲げた右手を、俺の喉に食い込ませた。


「ぐっ……あ」


 さらに背中に痛み。

 やすりにこすりつけられたような感覚。


 風呂場に乱立する樹木の幹に背中を押し付けられている。後ろには逃げられない。


「ジーンから聞いた。結構参ってるって。だからジーンもつきっきりで看病して、色々話したんだと思う。あいつは優しいからね。で? それがどうかした?」


「それが……?」


「そう、そんなことで正直参られたら困るのよ。ジャンヌにはまだまだ働いてもらわなきゃ困るし」


 そんなこと、だと!

 怒りで顔が赤くなる。違う酸欠だ。

 俺の喉元に食い込むニーアの右手に両手を添え、力いっぱい握りつぶす。

 わずかに緩んだ喉の圧迫から空気を取り入れて、さらに声としてぶつける。


「人を、殺したんだぞ! たくさん、人が、死んだんだ!」


「それがどうしたって言ってんの! あのね、あたしたちは戦争をしてるの。人を殺してるんだよ!」


「知ってる!」


「いや、分かってない。あぁ、そういうこと。あんた、どういう経緯でここに来たのか知らないけど、初体験ってことだったわけ。殺しの。だからそんな甘い事言う」


「あるわけないだろ。お前だって近衛兵って――」


「はっ、舐めんじゃないわよ。こちとら何年も前から戦場で戦ってきた。人だってたくさん殺してきた」


 それは衝撃だった。

 力が強いだけのただの気の良い女の子だと思ってたアーリアが、すでに戦争の渦中にいるだなんて。


「あぁやっば、むかついてきた。女王様、ごめんなさい。あたし、こいつ殺します。もうダメですよ。いるだけでイライラするし、何より格好良くない。だから今のうちに殺します」


「し、しかしじゃな……」


「大丈夫です。綺麗に殺して、その後に氷漬けにしましょう。そうすれば世界一美しいオブジェの出来上がりです。衰えることない裸体の乙女。永遠の美を」


 本気か、と思った。

 だが圧力を増す腕に、彼女の怒りと殺意が込められているのが分かる。


「というわけだからちょっと死んで。あんたなんかにいられたら、あたしが死ぬ。あたしはまだ死ぬわけにはいかないの。女王様を、真の女王様にするためには。夢も目的も何もなく、ただ生きてるだけのあんたなんかに、あたしたちの邪魔はさせない」


 目的。


 そうだ、俺の目的。

 ハードすぎる事件の連続で、当初の目的が追いやられていた。


 里奈。

 彼女に会いたい。

 彼女と話がしたい。

 彼女とキャンパスライフを満喫したい。

 そのために、死んで生き返ってここにいる。


 でもここは日本と違った修羅の国だった。


 戦争。

 テレビの向こうか、フィクションでしか知らない言葉。それでもそれは1世紀も満たない昔に日本にもあったのだ。


 何故殺す。

 生きるためでもなく、食べるためでもなく、ただ殺すために殺す。


 なんだこの世界は。そんなふざけた世界なんだ。


 無性に腹が立ってきた。

 この世界に、あの女神に、そしてこんなところで死のうとした自分自身に。


「さ、死んで。抵抗すると苦しいよ」


 ニーアの手に更に力が入る。

 窒息――の前に首の骨が折れそうだ。

 確かにこのまま身を任せた方が楽なのかもしれない。


 だがそれももうやめだ。


 生きる。生き延びる。

 そして殴る。

 あのクソ女神を一発ぶちかまして言ってやるんだ。


『あんたのおかげで死ぬほど楽しい転生ができたよ』


 だからそれまでは――


「死ぬ――かよ!」


 手は動かせない。だから蹴った。

 狙いは股間。

 男ほどの効果は見込めないものの、人間の急所であることには変わりはない。


「うっ!」


 ニーアがひるみ、喉の圧迫から解放された。

 そして距離を取りつつ、咳き込み、だがニーアに対して警戒を解かないように毅然とにらみつける。


「思い出した。俺がここにいる意味、ここで為すべきことを。そのためにはもう迷わない。甘い考えで何が悪い。人殺しが嫌で何が悪い。俺は俺のやり方で生き抜いて見せる。だから、このふざけた世界に殺されてたまるか!」


 元の世界に戻って里奈と会う。

 その俺の目的は変わらない。


 けどそのために犠牲を強いるわけにはいかない。人殺しを容認するわけにはいかない。

 嫌なものは嫌。

 やりたくないことはやりたくないこと。


 それでもあの瞳はきっとまだ俺を見つめてくるだろう。

 あの恐怖から逃げることはきっとできない。

 だから受け止める。


 そんなことは不可能だって?


「舐めるなよ……。なんてったって俺は知力99の大天才様だからな! 大天才に不可能はない!」


「それが……貴女の覚悟なのね」


 ニーアがじっと俺を見つめてくる。


 おちゃらけた雰囲気のない、混じりけのない真剣な表情。

 俺はその視線を外すとなく、逆に睨み返す。


 5秒。


 10秒。


 いつまで続くかとも知れない睨み合いは、


「ぶふっ!」


 という女性のものとは思えない快音と、鮮血によって中断された。


 え、鮮血?


 見ればニーアが顔を抑えている。

 その手の間からは赤い血がだらだらと流れている。


 何が……病気か!? いや、さっきの蹴りのせいとか!?


「女王様。やられてしまいました」


「分かる。ニーア。余もじゃ」


 ニーアが声をかけた女王もまた、鼻をつまんで上を向き、流れ出る血を止めようとしている。


 ってそっちもかよ!


 え、なにこの状況。まさかのぼせたとか?


 いや、この2人。お湯に全く入ってないぞ。

 ニーアが俺の首を絞めるために足を浸からせているだけだ。

 今まで必死で気づかなかったが、この場所のせいもあり2人ともタオルを体に巻いた以外は何も身につけてはいない。


 マリアは年相応というべきか、こじんまりした体躯に見合った体系だが、発展途上ということを考えれば有望だ。

 対するニーアは鍛え抜かれた筋肉が完璧なボディバランスを強調している。


 俺はといえば、中身は男だけど外見上はこれ以上ないスタイルで、しかも何も羽織っていない状態。

 状況を整理すればするほど、カオスな状況というのがはっきりしてくる。


「えっと、大丈夫か?」


 とりあえず声をかけてみた。


「も、問題ないのじゃ。ちょっと当てられただけなのじゃ」


「あてられた?」


「うむ……そのなんというか。美に、じゃな!」


「はぁ」


 意味が分からない。

 この状況の何に美を見出したのか。


「女王様……さすがです。さすがはあたしの一番弟子」


「ふっ、そういうニーアこそ、よくぞジャンヌを立て直した。これはまさしく値千金の働きじゃぞ」


「お気遣いなく。報酬は今、ここに見出しております。もうええ、この情景は永遠に記録するべきでしょう」


 何言ってんだ、こいつら。


 ただ、どうも視線に熱を感じる。

 下から上に舐めるような視線。


 あ、なんかこれ知ってる。俺はこの視線を受けたことがある。


 あれは……今日の昼だ。

 戦場に行く前、ハカラがこんな目をしてた。


 ……えっと、つまりそれって。


「なんで俺をじっと見てる?」


「見てない、見てない。ジャンヌ可愛いなぁとか、良い体してるよねとか、思いっきり抱きしめたいとか、ジャンヌの首を絞めた指を舐めたいとか、そんなこと全然思ってないから!」


「その通りじゃ。やっぱり凛々しいジャンヌがいいのぅとか、ずっとそのままでいてほしいのぅとか、さらさらの髪にふんふんしたいのぅとか、こうなったら銅像を作って余の寝室に飾っておこうかとか、まったくもって考えておらんぞ!」


「欲望だだ洩れじゃねぇか!」


 急に恥ずかしくなって湯船に体を浸して視線から逃れる。


 てか普通そういうのって逆じゃね? 男が女に言う言葉じゃね!?

 あ、今の俺は女だからいいのか――いや、だからよくないって!


 やばい、この2人のテンションに引きずられて混乱しているようだ。

 今さっき決めたばかりの決意も揺らぎそうで仕方ない。


「ま、冗談はさておき。やっぱりジャンヌはそうやって意地張ってふんぞり返ってなきゃ。ま、あたしの荒療治のおかげね」


「そうなのじゃ。ジャンヌにはいつも格好良く、凛としていて欲しいのじゃ」


 やり方と反応と欲望にはには色々文句を言ってやりたかったが、どうやらこの2人も俺を心配してくれたらしい。

 一応、そのおかげで俺も思いを吐き出して吹っ切れて、目的を再認識できたわけだけど。


 ただ……なんだろう、この釈然としない思いは。


「しかし銅像とは、さすが女王様。分かってらっしゃる……………………作りますか」


「うむ、作るしかないじゃろ」


「ということは採寸をしなければ。特に胸囲はしっかり計測しなければなりませんね?」


「その通りじゃの……………………やるか」


 え、なに。何の話?

 何か不吉なワードが聞こえなかったか?


「ふふふ、というわけでジャンヌ。そこ動かないでよ?」


「のじゃ! 王たる者、臣下の全てを知る責務があるからの!」


 目を光らせて中腰になって距離を詰めてくる2人が超怖い。目が据わってる。

 この世界、何が一番ふざけているのかと思えば、戦争をしていることでも、理不尽な隷属を強いられているわけでもない。


 この2人にいいようにされるのが一番ふざけている!


 なんて心で叫んでみても、現実には何ら助けにはならないわけで。


 そして……花が散った……。


「――わけあるか!」


 絶叫が高い天井に木霊した。

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