閑話26 アヤ・クレイン(オムカ王都民)・前
ずっと、不思議に思うことがある。
なんで独立なんてしたんだろう。
誰が、何のために、どうしてそんなことをしたのか。
独立なんてしなければ戦争も起きず、パパも、ママも、幼い妹さえも死ぬ必要はなかった。
貧しいながらも、みんな生きて暮らせていたのに。
みんながいてくれれば、それだけでよかったのに。
家族も家も失ったわたしは、スラムと呼ばれる地区にいた。
そこにはわたしと同じ、全てを失った人がほそぼそと生きていた。
20にもなっていない小娘が生きるには、あまりに過酷な現実。
生きるためには何でもやった。人には言えないこともやった。
ただ生きるために必死だった。
だがそれも終わりを告げる。
スラム解体。
そんなよくわからない施策で、わたしはまた生きる場所を失った。
そして仕事を与えられた。
小さな2階建ての“料理店”。
そこがわたしの生きる場所になった。
下はお酒を出すお店。そして2階が宿泊施設。
そこでひたすらに働かされた。
朝から晩まで。
いや、自分から望んだのかもしれない。
悲しいことを忘れるため、ひたすらに仕事に打ち込んだ。
そこまでして何故生きるのか。
身も心もぼろぼろにして、一体どうしてわたしは生きているんだろう。
こんなことなら、あの時に家族と一緒に死にたかった。
何度思ったか分からない。
けど死ぬ勇気はなかった。
死ぬのは痛い。苦しい。怖い。
だからもう惰性で生きているようなもの。
死にたくないから生きて、生きているけど死んでいる。
幽霊のようなものだと思う。
「だから、わたしは空を見上げる。暗い夜空に、自分を飛ばして。どこまでも、飛んでいく」
夜の休憩時間。
店の裏で歌う事がわずかな自分の慰めだった。
歌詞は適当。
ただあるがままの言葉を並べるだけ。
意味なんてない。
でもどうしてこんなに悲しい気持ちになるのだろうか。
パチパチパチパチ
夏のある夜のことだ。
いつものように歌をうたっていると、手を打ち付ける音が聞こえた。
拍手だと気づいたのは、その挙動を目にしてから。
誰かと思い振り返ると、そこには小柄な人影がいた。
薄いながらもフードつきのコートを着込んでいる。
フードをかぶっているため顔はよく分からない。暑くないのだろうか。
「素敵な歌声だね」
若い。いや、幼い少女の声。
「誰?」
思わず問いかける。
こんなこと、今までなかったのに。
「あぁ、ごめん。脅かすつもりはなかったんだ」
少女がフードを取る。
肩まで伸びた金髪の利発そうな少女。
どこかで見たことのあるような顔だけど、思い出せない。
けれど綺麗な肌に、質の良い着物から上流階級の子供だろうと当たりをつけた。
自分はこんなところで、と嫉妬に似た感情が起こるけど、彼女の顔を改めて見て納得した。
美しい。
可愛いでも愛らしいでもなく、一種の神秘的な美しさ。
そんな近寄りがたい美を、少女は持っている。
「食事の帰りに綺麗な歌声が聞こえてきたんだ」
食事。この少女はうちのお客か。
けど見る限り10代前半。こんな時間に食事なんて、親は何をしていたのだろう。
それ以上に彼女は間違えている。
「綺麗なんて、そんなわけない。わたしの歌声なんて、そんな上等なものじゃないわ」
貧しい家に生まれて、家族を殺され、スラムで生きて、犯罪に手を染めて、そして今ここでただ生きているだけのわたしに、綺麗なんて言葉はまったく合わない。
いや、ママは褒めてくれた。
昔から、歌うのは好きだったから。
ただママがいなくなって、それもどうでもよくなったのはいつからだったか。もう思い出せない。
けれど少女は小さく首をかしげる。
「何故だい? 綺麗だと思ったのは俺の主観で、君の思いとは別のところにあるはずだ。ただ綺麗と褒められるのを君が嫌うのであればそれは謝ろう。他人に不快な思いをさせてまで、感想を述べるほど俺もKYじゃないから」
よく言っている意味が分からない、不思議な子だった。
しかも男の子みたいな喋り方。
「不快だなんて……そんな」
そんなわけがない。
こんなわたしでも、歌声のことでも綺麗だと言ってくれるのは嬉しい。
「そりゃよかった」
少女が笑う。
月夜に光が発したようだ。
やっぱりわたしが綺麗だなんておこがましい。
それなら彼女の美しさは、なんて表現すればいいのか。
「また会えるかな?」
聞いていた。
別に答えを気にしてのものではない。
ただ、彼女とはどこか別れがたいものがあるように思えたから。
「ああ、また寄らせてもらうよ。ここの店は夜までやってて、安くて美味しんだ」
それから、半月あまり、少女は毎晩のようにやってきた。
少年みたいな喋り方ももう慣れた。
けど、こんな夜更けまでこんな少女が一体何をしているのか、そう思ったけど聞かなかった。
そうすると、自分にその問いが返ってくるようで怖かったからかもしれない。
「シータ王国に?」
「ああ。国交が回復したから、それの関係でちょっとね」
きっとこの子は王宮で働いているのだろうと思った。
あるいは大きな商家か。
「だからしばらく来れない」
「あ……」
なんで自分はこんなに寂しいと思ったんだろう。
彼女がこの店にしばらく来れないというだけなのに。
けど――思う。
シータ王国はこれまで敵国だった。
そこにオムカの人間が行くのだから、あるいは身の危険があるかもしれない。
「もしかして心配してくれてる? ありがとう。でも大丈夫だよ。馬鹿だけど強い護衛がついてるから」
それでも、という言葉を呑み込んだ。
そこで自分はようやく気付いた。
彼女に幼くして死んだ妹を映していることに。
だから彼女を危険なところに行かせるのが嫌なのだ。
二度と、愛しい存在を失いたくないから。
けどそれもまた言葉にできない。
彼女も彼女で、幼いながらも重要な仕事をしているのだと思うと、その邪魔をする権利は自分にはない。
「うん、今日も歌を聞かせてくれないかな。ちょっと最近疲れ気味で。アヤの歌を聞くと、疲れが吹き飛ぶ気がするんだ」
「……うん」
請われたから歌った。
今の自分の気持ちを。
愛する者を失った自分。
愛しい者を失うかもしれない自分。
それでもそれを止められない無力な自分。
その思いを声にして、ありったけの歌に込めた。
自然、涙がこぼれた。
ここ半年。枯れたはずと思ったもの。
まだ、枯れていない。
「やっぱり、いいな。寂しい歌だけど、どこか力強くて、もっと頑張ろうって思う」
私に力強さなんてない。
生きてるのか死んでいるのかもあやふやだったから。
もし、そんなものがあるとしたら、それはきっと彼女のおかげで。
わたしの生きる意味も、ここから生まれたのだとしたら。
「無事に、帰ってきてね」
「あぁ、約束する」
この出会いはきっと意味のあるものだと信じて、わたしは歌う。
そして彼女が去っていってからしばらくして1つの話題が広がった。
「ねぇねぇ、知ってる? 『歌姫募集オーディションコンテスト』だって!」
同じ店で働くグレーアが満面の笑みを浮かべて、一枚のチラシをテーブルに置いた。
それに他の女の子も群がる。
「コンテスト? なにそれ?」
「そ。年末に行われる戴冠式のオープニングセレモニーで、歌う人を募集してるんだって。それでコンテストやって1位になった人が晴れてその役になれるとか」
「へー! それって女王様の前で歌うってことー? ヤバくない?」
「わっ、しかも審査員ジーン様じゃない!? あのジーン様が……はうぅ」
「見て! 特別ゲストに噂のジャンヌ・ダルク様がいるわ! すっごい可愛いって評判の!」
一体何が面白いのだろう。
興味の湧かないわたしは、少し離れた位置でテーブル拭きに精を出していた。
「アヤ、出たらー?」
だから突然そう呼ばれた時にはびっくりした。
だって、ほとんど聞き流してたから。
「なんで、わたしが」
「知ってるよ。休憩時間に歌ってるの」
「そうそう、超うまいよね―。あー、でもアヤが出るならあたしじゃ無理かー」
「でもでもー、アヤの友達ってことにすれば、ジーン様と出会えるかもー」
この子たちは何を言ってるのだろう。
自分の歌がバレていたのはちょっと驚いたけど、それ以上に彼女たちが言っている意味が分からない。
わたしが出る?
オーディションに?
何を馬鹿なことを。
そんなものは明るいところを歩いている普通の人がやるべきで、わたしみたいな人間が出るものでもない。
だから放っておいて欲しいのに。
「アヤ、あんたこれにでなさい」
「あ、ママ!」
お店のママが急に現れてそう言ってきた。
タバコと厚化粧がトレードマークの50がらみの女で、わたしたちの雇い主。
正直、あまり好きな人間ではなかった。
「ま、あんたがやりたくなくても、こっちでもう応募してしまったけどね」
「やだママったら。はじめっからそのつもりだったんじゃない!」
「ふん、これでうちの店にも箔がつくもんだ。いいかい、絶対優勝するんだよ!」
何で勝手に応募するのか。
こんなボロ店の箔がなんだというのだ。
それに絶対優勝なんてどうすればいいのか分からない。
「返事は?」
本当は心の底から怒るべきだった。
わたしを何だと思っているのだ。あなたの道具じゃない。
けどここで逆らったところで何か良いことが起きるわけでもない。
「……はい」
わたしは結局。
この鳥かごに囚われた小鳥でしかないのだから。




