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第68話 南郡平定戦終幕

 突入した室内は水浸しだった。

 家具もあったようだが、水流で流され壊れて木片が散らばったりしている。


「隊長……殿」


 俺がいた。

 違う、俺の顔をしたクロエだ。


 マリアが背後から抱きしめるようにしている。

 肩を怪我したようで、辛そうな表情だ。


「クロエ、よくマリアを守ってくれた」


 クロエが俺の顔で弱々しく笑う。

 そしてその表情が消えた。


 死んだわけではない。気を失ったのだ。

 すると彼女の体が変質したようにぼやけて、それが収まるとそこには元のクロエがいた。

 少し大きめの服を着ていたから体格が変わっても洋服が破れることはなかった。

 胸元に異変がなかったのは黙っておこう。


「ニーア、手当てを頼む」


「はいよー」


 軽いノリでニーアが答える。

 だが表情は真剣そのもので、素早くクロエに近寄っていった。


 そっちは大丈夫そうだ。

 あとはこっち。


「さーて、やってくれたな……ドスガ王」


 ドアの近くの壁に濡れねずみのドスガ王がいる。

 その横、ドアのところにマツナガも。


 カルキュールにリュース、ヨハン、グライス、ロウ、タキ隊長、そして名もなく死んでいった兵たち。

 そして今はクロエが傷つき、マリアを怖がらせた。


 これで怒るなという方が無理だ。


「貴様……わしを謀ったな! わが妃が、わしを謀るなど言語道断!」


「だから誰が妻だ、誰が。俺は一言も了承してねぇっつーの!」


「ふざけるな! 貴様はわしのものだ! それが裏切るなど許されるものではない!」


「もう口閉じろよ。いや、懺悔ざんげの言葉だけ吐いてろ」


 そしてそこにいろ。

 一発ぶん殴ってやらないと気が済まない。


 弱かろうがダメージがなかろうが、殴らないと収まらないのだ。


 だから一歩進む。


 しかし、俺の歩みを止めるものがあった。

 上着のすそを掴まれている。後ろからだ。


「怒っているのかの、ジャンヌ?」


 マリアが聞いてくる。

 裾を掴んだ手がわずかに震えている。

 それ以上に震えているのが、こちらを見るマリアの瞳だ。


 悲しみと喜びと辛さと愛おしさと苦しみと満足と切なさと、様々な感情を映し出す鏡。

 けど、そこには怒りはない。


 すべてを許す。菩薩のような瞳。


 そんな彼女を見ていると、俺の胸にあった燃え盛る何かがしゅっと音を立てて消えていくのを感じた。


 同時に強張った体から力が抜けていく。

 どうでもよくなったわけではない。

 ただ、俺の雇い主が要らないというのであれば、やる必要がなくなったというだけのこと。


 だが、俺の目から力が抜けるのを見て勘違いした馬鹿がいた。


「ふっ、ふはははは! マツナガ! 奴らを捕縛しろ! わしに逆らったことを死ぬまで後悔させてやる!」


「お断りします」


「ははは! そうだろう! わしに逆らうものは1人も――なに? 今なんと言った、マツナガ?」


「ですからお断りすると」


「き、貴様! 裏切る気か!?」


「はい。あぁ、ドアはちゃんと閉めておきましょう。増援が来られると厄介です」


「お、おのれぇぇぇぇ! マツナガぁぁぁぁぁ!」


 笑っちゃいけないんだろうけど、なんだ、このコントは。

 こんな土壇場でこうも堂々とした裏切り宣言をするとは。本当に最低だ。


「何故だ? 何故裏切る!? 放浪した貴様に手を差し伸べたのは誰だ? ここまで面倒をみたのは誰だ? 宰相にしてやったのは誰だ?」


「もちろんドスガ王ですとも。しかしその恩はわたしの働きでお返ししたつもりですが。あと1つ言えるのは、宰相になれたのはわたしが優秀だったからでしょう。逆に感謝してほしいものです。財政的に破綻はたんしていたこの国を立て直したのですから」


 さりげない自慢を交えてあんたに恩はない宣言。最低だ。


「あぁ、それよりも裏切った理由ですか。簡単です、あなたは負けたのです。謀略においても、外交においても、戦争においても。すべてにおいて、ここにいる男……ええ、少女に負けたのです。そんな人間を主と仰ぐなんて、わたしに下水を飲んで暮らせというものです。我慢なりません」


 お前なにサラッとばらそうとしてんだよ、とマツナガを睨みつけるがどこ吹く風。

 というよりドスガ王を追い詰めることを楽しんでいるように見えた。最低だ。


「ですからこれにてお暇をいただきます。今までお世話になりました」


 優雅に礼をするマツナガ。

 対するドスガ王はもはや怒りが絶頂に達したのかすぐに言葉が出ない。


「き、き、き、貴様らぁぁぁぁ! わしは、王だぞ! ドスガの王だ! 天下を統一する大王、いや皇帝だぞ! それが……負ける? そんな馬鹿なことが、あって、良いわけがない!」


 あぁ、もう駄目だ。

 もはや現実と理想の違いも分からなくなってしまったらしい。

 とどめを刺したのはマツナガだが、その原因の根本を作った身からすれば、哀れにも見える。


「何故裏切る。これまでどれだけ手をつくしてやったか。民衆共も同じだ。強き国に育て、統一の暁には楽な暮らしをさせてやろうという思いが何故分からん! 貴様とて同じだろう、ジャンヌ・ダルク!」


 さすがにその言葉にはカチンと来た。

 こいつと政治家として同じと見られるのは我慢ならない。

 少なからずのプライドが俺にもある。


 だから口を開き――


「違うのじゃ!」


 その前に別の人間が異議を唱えたので、声は出なかった。


 振り返るまでもない。

 そう言ってくれる人間は、ここには1人しかいないから。


「ジャンヌはお主と違う! いつも他人のため、皆がちゃんと生きるため、知恵を絞って頑張って頑張って頑張ってきたのじゃ! 自分しかないお主とは、まったく違うのじゃ! だから、お主がジャンヌを語るでない!」


 その言葉は嬉しさの反面、深い痛みとして俺に襲い掛かる。


 違わないよ、マリア。

 俺も突き詰めれば自分しかない。

 自分が元の世界に戻るため、お前に似た里奈に出会うため、それまで自分が死なないため、皆にいいツラをしているだけ。


 けどそこまではっきり言いきってもらうのは心底嬉しかった。

 贖罪しょくざいのつもりじゃないけど、俺の頑張りを認めてくれたことが、それをマリアが許してくれたことが、何より嬉しい。


 対するドスガ王はもはやいっぱいいっぱいだった。

 部下に裏切られ、民衆にそっぽを向かれ、そのうえ自分の半分も生きていないような小娘に説教されたのだ。


 プルプルと震えた体は、床に落ちていた剣を拾うと、


「子供に何が分かる!」


 俺とマリアに斬りかかってきた。

 俺は動かない、いや、動けない。

 動いたらマリアが斬られる。


 だから怖くても動けないのだ。


 右手を高らかに上げるドスガ王。

 それが振り下ろされるとき、俺は真っ二つになるだろう。


 ただ、どこかで思っていた。

 あいつが動くことを。

 必ず俺とマリアを助けることを。


「貴様こそ、女王様を語るな」


 だからその声を聞いた時、俺の目からは水がこぼれた。


 あぁ、やっぱり。


 一閃。

 病み上がりながらも見事なもので、ニーアの剣がドスガ王の右肩を斬っていた。


「ぐぅあ!」


 悲鳴。ドスガ王の剣が飛び、壁に当たって水を吸った絨毯に落ちた。


 ドスガ王は右肩をおさえたままうずくまる。

 勝負ありだ。


「ご無事で、女王様?」


 ニーアが剣を収めながらこちらに振り向く。


「ありがとうなのじゃ、ニーア」


「いえ、これも仕事ですので」


 ぶっきらぼうに言うものの、にやにやと口元には笑みが浮かんでいるからしまらない。

 まったく。かっこつけしいが。


「くっ……くくくははははははは!」


 大音声だいおんじょうの笑いが響いた。

 ドスガ王だ。


「もう降伏しろ。マリアはお前を許した。命までは取らない」


 そう伝えたが、それでもドスガ王の笑いは止まらない。


「降伏する? 貴様らに? 冗談もほどほどにしろ」


 ドスガ王がふらりと立ち上がる。

 その瞳、そして声色から先ほどまでの狂気が消えている。


 どこかスッキリしたような、これまで見たことのないような表情だ。

 余裕を取り戻したというか、つきものが落ちたというか。


「わしは王だ。王が降伏するときは死ぬときだ。ゆえにわしは降伏せん」


「意地を張るな。俺だってお前に降伏したけど、こうしてまだ生きてる」


「貴様とは立場が違う」


「むっ……」


 そう言われればそうだが。

 なんだ、この感じ。

 今までと別人じゃないか?


「ふん、天下を統一して我が領民に楽な暮らしをさせたいと思ったが、なんともしまらない終わりよ。しかも子供に王の道を説かれるとは。ふん、それも人生か」


「何を、言っている?」


「わしは死ぬ」


「!」


 ドスガ王はそう言いながら懐から短刀を取り出した。

 一瞬緊張が走る。

 だがドスガ王はふらふらと別方向、俺たちが入ってきた割れた窓へと歩いていく。


 それが何か厳粛な儀式のようで、誰もが動かず見守っていた。


 やがて窓にたどり着くと、こちらに振り返る。

 背後には割れて風が吹き込んでくる窓。


「ふん、だがタダでは死なん。せっかくだ。ジャンヌ・ダルク。貴様に呪いを残してやる」


「なんだと?」


「そうだ。とびっきりの呪いだ。わしは――ジャンヌ・ダルク、貴様を愛している。妃に迎えようとした気持ちに嘘偽りはない。だがその愛ゆえにわしは死ぬ。それを覚えておけ。それがわしの呪いだ」


 告白して、そのあとすぐに死ぬ。

 言い逃げというべきか。

 答えも言えず、かといって忘れることもそうそうできない。

 なるほど、呪いだ。

 怨み言を言われるよりたちが悪い。


 けど、その根源にあるもの。彼にそうさせたものに、なんとなく気づいた。


「お前も……語るしかできなかったんだな。一方的な言葉、一方的な気持ち。もっと話し合うことを覚えていれば、あるいは――」


 ドスガ王の瞳に寂しさが映ったような気がした。

 だがそれも一瞬。

 すぐに燃えるような瞳で俺をにらむ。


「ふっ、わしには気を許すような者がおらんかったからな。今さらだ。貴様のことを言っているのだぞ、マツナガ」


「当然でしょう」


 突然話を振られたマツナガだが、顔色を変えずそう言い切った。


「ふん、貴様に恨み事を言っても蛙の面に小便だろうな」


「当然でしょう」


「……ふん、ならば言うことはない。さらばだ」


「今までお世話になりました」


 その言葉はさっきと同じだが、どこか感情がこもった言葉に聞こえた。


 それを感じ取ったのか、ドスガ王は苦笑を浮かべ、再びこちらに視線を戻した。


「というわけだ。こいつはくれてやる。煮るなり焼くなり好きにしろ。だがこの通り最低な奴だ。使いこなせるかな」


「それは自信がないが、まぁもらっとく」


「あとついでだ。この国もやる。どうせ継承者のいない張りぼての国だ。だが一国切り従えただけであの大帝国で渡り合えるかな? あの男は恐ろしいぞ。近年台頭してきたあの司教は恐ろしい。わしが言うのだ、相当だぞ」


「司教?」


「いや、今はもう偉くなったのかもな。ふん、後は勝手にしろ。……しかし、民のために立ち上がり、民の所為で殺される、か。わしらしい人生だった」


 自嘲気味に嘆息するドスガ王。

 そこには若き王の苦悶から解き放たれるせいせいしたという思いが見てとれた。


 そしてドスガ王はちらりとマリアに視線を動かす。


「オムカの女王よ。貴様の啖呵たんか、見事だ。だがいつまでその信念を保てるか、あの世で見届けてやる」


「…………」


 マリアは答えない。

 いや、答えを持っていない。

 ただ、相手を睨み返すのみ。自らの意思をもって。


 その反応に何を思ったのか、ドスガ王は口元に笑みを浮かべた。


「さらば」


 ドスガ王の体が後ろに倒れる。

 そこは割れた窓。

 そこから落ちた。


 ここは5階に相当する高さの塔だ。

 墜落死するには十分すぎる高さだが、俺たちの視線から消える刹那、自らの首に刃物を当てるのが見えた。

 だから俺はマリアを抱きしめ、ドスガ王の最期を見せないようにした。


 あるいはそれは彼女の最期と重なることもあり得るのだから。

 いや、違う。

 そうしないように、俺たちがいるのだ。

 だから、こんな未来はありえない。


 後に残されたのは静寂。

 誰もが放心したように言葉を発しない。


 だがその中でも空気を読まないのがこの男だ。


「さて、首をさらしますか。悪人として裁いた方が今後の我が国のためになります」


「マツナガ……お前」


 言う理屈は分かる。

 だが今のを見てそうとしか考えられないのか。


 その憤りを代弁したのは、またしてもマリアだった。


「マツナガと言ったな。我が国とはどこじゃ?」


「これは女王様。私はもう貴女様の臣下であります。ですのでオムカの益になるよう――」


「余の家臣であろう! ならば余の命令には従え! ドスガ王の首をさらすことはならぬ! 丁重にとむらい、手厚くほうむる! これは決定じゃ!」


 内心で賛辞を贈った。


 見事な差配だ。

 それでこそマリア。


 これは別に感情論ではない。

 自死とはいえ、半ば俺たちが殺したようなものだ。

 それなのに首をさらせば、オムカは征服するために王を殺したと思われる。

 それは、これからこの国を支配下におさめるのにかなりのマイナスになるに違いない。


 対するマツナガは明らかに不満な表情を一瞬だけ覗かせたが、すぐに柔和な笑みの中に隠してしまった。


「……Yes, Your Majesty(了解しました陛下)」


 キザったらしく深々とお辞儀をした。

 てか少し前まで主従関係にあった奴を簡単に裏切って、しかもその死体をさらそうとするとかどういう感情で生きてるんだ。最低だ。


「それでは先王の遺体は棺に入れて国葬の準備をします。兵たちにはオムカに従うよう、ドスガ王の最期の命令を偽造して発布します」


 マツナガはそれだけ言ってドアを開けて出ていった。

 最後まで最低な発案だった。


「んじゃ、あたしらもいこっか。クロクロを医者に見せないといけないし。ほら、ミカっち」


「えっ……あ、その……きゃっ! 変なとこ触るな!」


 半ば強引に連れ出されるように、水鏡はクロエを担いだニーアと出ていってしまった。


 残されたのは俺とマリア。


「…………」


「…………」


 き、気まずい。

 いや、俺はもう変わった。

 話すんだ。

 なんでもいい。

 いや、とりあえずは謝罪の言葉から。

 そこから話を、うん、頑張ろう。


「あのな、マリア――」


 マリアに振り向いて声をあげた。

 だがそこに衝撃が来た。

 見ればマリアが俺の体に抱きついてきている。


「ジャンヌ……ジャンヌ……」


 抱きしめながらも胸元に顔をうずめてくるから怒ろうかと思ったが、その声が涙を伴ったもので、怒るに怒れない。


 抑えていたものが決壊したかのように、ひたすらに泣きじゃくり俺の名前を呼び続ける。


 やれやれ、しょうがない。

 今はもう話しをするような状況じゃないか。


 幸い、俺たちには時間がある。

 みんなが作ってくれた、未来へと続く時間。

 だから焦らなくていい。

 今は、全て吐き出してスッキリしてくれればいい。


「すまなかった。そして……よく頑張った」


 俺はマリアの頭を撫でて抱きしめてやる。

 彼女が気が済むまで、胸を貸そう。

 それから話すことはいつでも可能だ。

 だから今は、この小さな友人の成長を褒めようじゃないか。

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