閑話23 マリアンヌ・オムルカ(オムカ王国 第1王女)
塔の一番高いところに押し込められて1日が経った。
なんでも案内したマツナガという男(宰相らしいけど、カルキュールとは全然タイプが違う)が言うには、ドスガ王が直々に反抗勢力を潰すために出陣するから、その間に身の安全を守るためにここにいて欲しいということだった。
どうしてここに来るのが自分の安全につながるか分からなかったけど、文句を言える立場ではないから大人しくここにいる。
どちらかというと、反抗勢力というのが気になった。
まさか自分の国ではないだろう。
自分がここにいるし、ジャンヌもこの城にいるというから手は出せないのではないかと思う。
自分はもうこの国から出ることはない。そう思うと涙が出て来る。
けどこれは自分で蒔いた種。
自分の愚かさが引き起こした自業自得の結果なのだ。
考えれば考えるほど、胸がきゅっと痛む。
もう皆とは会えない。
お別れも謝罪も言えない。
それが何より悲しい。
そして今日。
外が騒がしいのを感じた。
この部屋はかなり高いところに作られているらしく、窓から見下ろす景色は圧倒されるほど。
けど、窓から見下ろす町並みや王宮を見る限り、蟻のように動き回る人の動きが目に入る。
何か起こったのだろうか。
そう思っていると、急にドアが開いた。
お昼ご飯を持ってくる老兵だろうか。
と思ったら、ドスガ王だった。
マツナガとかいう宰相と数人の武装した兵を率いて、あまり広くもないこの部屋にやってきた。
「おのれ……許せん……オムカめ……」
何が起きたのか分からない。
ただ昨日までのドスガ王と異なり、髪は乱れ、血の気は失せ、威厳のあるマントもなく、どこか服も全体的に薄汚れて見れる。
何より覇気がない。
自尊心の塊と言って良い男が、今や小さくなってしまったように思える。
けどそれを聞くのははばかられた。
それが怒りのスイッチになりそうで怖かったから。
この人はいつも怒っていた。
はた目からはそうとは思えないかもしれないけど、自分には分かった。
部下に怒ったし、料理人にも怒ったし、宰相にも怒っていた。
この自分にも怒っていたと思う。
そんなに怒って疲れないのかなと思う。
怒るというのはとてもエネルギーがいること。
ジャンヌに対する想いで、それがよく分かった。
正直疲れた。
ジャンヌに怒るのが疲れてしまった。
だから今はジャンヌに会いたい。
会ってお話ししたい。
一方的な言葉じゃなく、ちゃんと話し合いたい。
けどそれも叶わない。
このいつも怒っている人が、ジャンヌと会うことをひたすらに怒っているから。
「くそがっくそがっくそがっくそがっ!」
ドスガ王は手当たり次第に殴り、蹴り、暴れる。
それが怖くて、自分は部屋の隅で怒りが通り過ぎるのを待つしかなかった。
ふと目が合った。
炎のように真っ赤に燃えた瞳が、ふいに鎮火したように落ち着きを取り戻す。
「これは妃よ。いたのか気づかなかったぞ」
嘘だ。
自分がいることを知らないはずがない。
ここに閉じ込めたのはそちらではないか。
「ふっふふふふふ。やってくれたよ、貴様らオムカは。小細工に小細工を重ねおって……」
何の話だ。
分からない。
けど、もしかしたら皆が戦って勝ったかもしれない。
だからこそドスガ王は不機嫌。そう思った。思いたかった。
「大王、連れてまいりました!」
扉から衛兵が入ってきた。
その後ろ。
静々と入ってきた人物に目を見張った。
「ジャンヌ……」
少しぶかぶかな上着とロングパンツという姿。なんだかイメージと違う。
けどそれでもジャンヌだった。
相手も自分がいるとは思わなかったのだろう。
目を少し見開いてこちらを見る。
「貴様、何を謀った?」
ドスガ王が聞く。
自分じゃない。ジャンヌにだ。
「何のことか、分からない……な」
「とぼける気か? でなければこうも我が精鋭が破れるわけはないのだ!」
「わた――俺は何もして、ない。よほど良い知恵者がいたと思い――いたんじゃないか?」
「ほぅ……あくまでもしらをきる気か。だがこれでも黙っていられるか?」
気づけば自分の目の前に白く光る何かがあった。
衛兵の1人が自分に剣を向けている。血の気が引いた。
「やめろ、彼女は……関係ないだろ」
「関係ないわけがない。貴様の主人だろう? そして互いにわしの妻となる存在だ」
「そんなこと……っ! ずっと見ていただろう。わた――俺がここにいたのを」
「だがそんなもの、ここからでもどうとでもなる!」
「冗談を言うな。もういいだろ。そんなことより早く“女王様”を返せ」
その言葉を聞いた時、胸が痛んだ。
何故?
何故、今ジャンヌは“女王様”と言った?
いつもマリアとファーストネームで呼んでくれたのに。
それはもう、自分とは距離を置くという心の表れなのか。
「女王様? ど、どうされました? 涙を……」
まただ。
しかもこの他人行儀。
いつもみたいに叱り飛ばしてくれた方が、どれほど嬉しいか。
もう、戻れない。
それを決定的に突きつけられた。
「何故じゃ、ジャンヌ……何故いつものように、マリアと……呼んでくれないのじゃ」
喘ぐように問いかける。
その瞬間、ジャンヌの瞳が大きく見開かれた。
何かを誤ったような、後悔と慙愧の感情。
それをドスガ王が見逃さない。
「衛兵! そこの女を捕まえろ!」
ドスガ王が吼える。
扉付近にいた鎧を着た衛兵たちが、命令に従ってジャンヌに襲い掛かる。
あっ……ジャンヌが。ひどい目にあう。
ジャンヌは弱いとニーアが言っていた。
筋肉なんてないし、走るのも遅い。それでもジャンヌの真骨頂はそこではないから、その分を自分がカバーできるから良い事なんだ、そうニーアは嬉しそうに言っていたのを覚えている。
だからあんな屈強な男に組み敷かれたら、ジャンヌが壊れてしまう。
そんな思いは――
「あー、もう!」
ジャンヌがわめく。
そしてその姿が消えた。
「え?」
上。高々とジャンプしたジャンヌは、宙で体を思いっきり回転させる。
そこから繰り出される鞭のようにしなった脚が、立て続けに2人の男を蹴り飛ばした。
「ぐぇ!」
壁にたたきつけられ、蛙の潰れたような悲鳴が響く。
蹴られた鉄製の鎧部分がへこんでいた。
「おお、さすが異国産の鉄入り靴。隊長殿は安全靴とか言ってましたけど、これは安全じゃないですね」
よくわからない言葉を呟くジャンヌに、再び兵たちが襲い掛かる。
それを舞うようにかわす動きは、洗練されたダンスのようで、見ているだけで心を奪われる。
襲い掛かってきた兵を、勢いそのままに投げ飛ばす。
反対にいた兵にぶつかって壁に激突した。
左。大柄の兵がジャンヌに拳を振るう。
だがジャンヌは目が他にもついているかのように反応した。
ジャンヌがその場で宙がえりする。その際に遠心力で振り上げられた脚が、殴りかかる兵の頭を蹴り飛ばした。
ジャンヌが着地したのは自分の目の前。
急に現れたジャンヌに、自分に剣を突きつけた兵が動揺する。
「女王様になにをするか!」
咆哮。
ジャンヌの体が素早く動く。
左足を軸にして体をひねり、解放された右足が兵の胴体を蹴り飛ばした。
何メートルも吹き飛んだ兵は床に倒れて動かない。
まさかジャンヌがこれほど強いなんて。
その小さく細い体に、どうしてここまでの力があるのか不思議だった。
あっという間にこの場にいる衛兵を倒したジャンヌに対し、ドスガ王は顔を真っ赤にして怒鳴る。
「ええい、出会え! こやつを殺せ!」
ドスガ王がドアに向かって叫ぶ。
どうやら増援を呼ぶらしい。
「まったく、女王様の恩名なんて恐れ多くて呼べないっての!」
「お主……ジャンヌでは、ないのか?」
「ええ、違いま――ひゃ!」
ジャンヌと思わしき人物に、背後から抱き着いて鼻を利かせる。
うん、間違いない。
「でも匂いはジャンヌなのじゃ!」
「さ、さすが女王様。隊長殿の匂いまでマスターしておられるとは……。私はクロエです。訳あって隊長殿の姿をお借りしています」
なんと。そんなことができるのか。
クロエといえば、ジャンヌの家で何回か会った姿を思い出す。
「ジャンヌと一つ屋根の下で過ごすだけじゃなく、格好まで同じになるとは、ずるいのじゃ!」
ジャンヌの姿をしたクロエが少しずっこける。
「えっと……ずるいとかではなく……。今しばらくお待ちください。今に隊長殿本人がいらしますので」
いや、来ない。
分かってる。
ジャンヌは余が嫌いなのだ。
だから独りだけ逃げ出した。
クロエを影武者にして。
どかどかと階段を登る音。
狭い室内に10人以上の衛兵が現れた。
誰もが銀色に輝く剣を抜いている。
「さて、その隊長殿が来るまで持つかな? 偽ジャンヌ・ダルク!」
ドスガ王の顔が醜く変貌する。
その怒りは、これまでにないほどに思えて身がすくむ。
「行け、殺せ!」
ドスガ王の怒声と共に衛兵が飛び出す。
「狭い室内で長物など!」
ジャンヌ――じゃないクロエも負けずに前に出る。
クロエの宣言通り、室内でしかも多人数がいるところでは剣は邪魔になるらしい。
思うように動けない敵の間をクロエは素早く動き回り、その小さいながらも長い四肢を繰り出して敵に打撃を浴びせていく。
凄いのじゃ。
このままいけばあるいは――
「あ――」
それに気づいたのは偶然だった。
クロエの圧倒的な舞踏場に入り込む異物。
ドスガ王だ。
ドスガ王が取り出したのは、小型のボウガン。
それをジャンヌに向け――
「危ないのじゃ!」
「っ!」
着地したジャンヌの肩を矢がかすめた。
動きが止まる。
そこに白刃が舞い、鮮血が舞った。
「ぐっ……あ!」
「クロエ!」
右肩を斬られた。
ジャンヌの顔がゆがむ。違う、クロエだ。けど見た目はジャンヌ。
そんな顔、見たくない。
ジャンヌが傷つくのを見たくない。
「ひ、卑怯なのじゃ!」
「卑怯? 貴様らの方が卑怯だろうが! 替え玉をしてわしの目をごまかして、我が軍を叩き潰す。なんて卑怯。なんて非道。そちらの方が許されるはずがない!」
血走った目がこちらに向く。
怖い。
駄目じゃ……もう話が通じない。
「申し訳、ありません。女王、様……」
クロエが右肩を抑えよろめきながら、それでも自分の前に立つ。
「何をするつもりなのじゃ……もう辞めるのじゃ。余の負けでよい。だから盾になるみたいな真似は……」
「いえ、ここで女王様を守らないと隊長殿に怒られてしまいますので……」
そうは言うが、切り裂かれた肩からはどくどくと赤い液体が流れ出ていく。
呼吸も苦しそうだ。
これでまだ10人近くいる敵を相手にするのが無理なのは、自分にも分かる。
「くっ……ははは! 麗しい主従の愛だな!」
ドスガ王がボウガンを手元でもてあそびながら笑う。
許せないのじゃ。
こんなにクロエが頑張っているのに、皆が戦っているのに。
どうしてこうなるってしまうのか。
誰か、助けて。
余はどうでもいい。
ただこの忠臣を、大事な人を失いたくない。
だから――
「ジャンヌ!」
叫んだ。
来るはずのない人を。
自分から離れていった人を。
それでも叫ばずにはいられない。
聞こえるはずのない慟哭を、贖罪を、謝辞を言葉に乗せて。
――途端。
右の壁にあった窓が吹き飛んだ。
何が、と思う前に水が室内に流れ込んできた。
「うぉぉ!?」
ドスガ王と兵たちの悲鳴。
水を直接受けた衛兵たちは、壁にたたきつけられるか運が悪い人はドアの外へ階段を流されていく。
咄嗟にクロエの体にしがみつく。
鉄砲水の直撃は受けないが、室内を巡る水の流れは速い。
弱っているクロエが流されないよう、押さえつける必要があった。
溢れだす血が、自分のドレスを汚していく。
それでもいい。
だって、血は生きている証だから。
やがて水圧が弱まった後に飛び込んできたのは、再びの水とそれに乗る3つの影。
1人は知らない人。
1人はよく知る友達。
そして最後の1人。
「あぁ……」
来ないと思った。
もう嫌いだと思った。
そんなわけがない。
自分だって本気でそう思わないし、彼女だって同じだと分かってる。
だから、信じてた。
きっと来るって。
きっと嫌いにならないって。
だから彼女の姿を見て、多分自分は笑っているのだろう。
それにも増して美しい。
水滴が飛び散る中、屹立と立つその姿。
一枚の絵画にしたいと思うほど、それだけで完成された美。
颯爽と現れたその人物は、こちらへ顔だけ振り返り、ニッと笑う。
もう久しく見ていない彼女の、屈託ない笑顔。
それだけで胸の高鳴りは激しくなり、気を失うほどの嬉しさの中に涙が出そうになる。
「待たせたな“マリア”。ヒーロー参上、ってか?」
希望が、来た。
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