表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
168/591

第62話 十面埋伏

「あー、敵陣に動きありました。間もなくこっち来ます」


 言っている内容に反して、緊迫感のないイッガーの報告を受けると、俺は残った軍に出撃命令を出した。


 すでにサカキとブリーダが率いるオムカ軍3千に、トロン軍とスーン軍は出立している。

 残ったオムカ軍3千と俺の隊、そしてワーンス軍のみが残っていた。


「それでは、行ってきます」


 ジルが2千を率いて陣を後にする。

 ギリギリまで出立を遅らせたのは、万が一敵の斥候が空の陣を見つけないようにするための予防だ。


 さすがに歩哨ほしょう(見張り)も立てない状況では罠だと勘繰られる可能性はある。

 だから俺たちの部隊とワーンス軍でギリギリまで引きつける必要があった。


「隊長、そろそろです」


 ジルが出発して5分ほど経った後、ウィットが東の方向を見ながらそう告げる。


「よし、火を消したら歩哨を残して陣を出るぞ」


「隊長がまた1人で残ると言い出すかと思いましたよ」


「一応寝込んだと思わせなきゃいけないからな。それにワーンス軍の指揮をしなきゃいけない」


「はい。こっちは俺に任せてください。必ずや敵の将軍を討ち取ってやりますよ。火つけ役のザインやリュースたちも逸ってますからね。南郡巡回隊だ、とか言って他の奴らも一緒に」


 俺と南郡を一緒に回ったザイン、リュース、マール、ヨハン、グライス、ルック、ロウの7人のことだ。

 彼らは歩哨として敵が近づくのを待ち、敵が突っ込んでくる前に導火線に火をつけて逃げるという、大事な役割を持っている。


「ああ。期待してる」


 無理をするな、とは言えない。

 ここで敵を叩いておく必要があるのは確かだから。


 ウィットが去っていくと、俺はワーンス軍の司令官代理に声をかける。


「じゃあ、行きましょうか」


「はっ、ジャンヌ殿」


 ウィットたちが去って少し時間をおいて、俺とワーンス軍も陣の外に出る。

 そしてすぐに南の丘を乗り越え、そこに軍を伏せた。


 俺と司令官代理だけが丘の上で、馬に乗って眼下に広がる原野と陣を視野に入れる。

 陣は静まりかえり、炎も消えている。

 入口だけ灯りがともっており、歩哨役のザインたちがいるのが見える。


 皆はちゃんと隠れているだろうか。

 夜襲であることと地形を考えると、敵は最短の道を来ることが予想できた。

 その進路にならないところに伏せさせたが、万が一敵の進路が逸れたら鉢合わせになる。


 だから少し遠くで停止して、敵の奇襲部隊が通り過ぎたら配置につくよう念を押したが、一応、今のところ何もなさそうだ。


 風の音がわずかに聞こえる、平和な夜のひと時。

 しかしあと十数分もすれば、血で血を洗う修羅の領域が展開されるに違いない。


 待つ時間が永遠にも感じる。

 本当にこれでいいのか。敵は上手く来るのか。実は各個撃破のまとじゃないのか。あるいは待ち伏せされているのではないか。迂回部隊に背後から強襲されるのではないか。


 様々な最悪の想定を、想い浮かべては打ち消してを繰り返す。

 あり得ないとは言い切れない。

 だから不安になる。

 下手したら味方が数千人単位で死ぬかもしれない。

 そのプレッシャーが、胃をごろりと重く転がすような感じを与えて気分を悪くする。


 東にうごめくものを見たのはそれから10分後だった。

 それは近づくにつれて大きさを増し、人の群体であることが次第に分かってきた。


「来たみたいですが……多いですね。4千、いや、5千くらいはいるかもしれません」


「新兵を出すわけがないし、鉄砲隊は夜襲に向かない。おそらく左右の軍を預かる四天王の軍全てだろう」


「本当に四天王が来るでしょうか?」


「来るさ。自分で発案したんだ。人に任せるはずがない」


「はぁ……見てきたようにおっしゃるのですね」


「あー、いや。あれだ。あいつらこらえ性がないみたいだから。絶対出て来るって思ったんだよ。それにドスガに指揮官はそいつらしかいないだろ?」


 あぶねー。墓穴を掘るところだった。


「我々が外に出ているの、見破られていないですかね」


「さぁな。とりあえず相手の動きを見るさ。それからでも遅くはない」


 強がりを言った。


 もうここまで来れば、後は信じるしかない。

 敵が罠に気づいて迎撃態勢をとったらそれまで。

 明日の戦いでは勝ち目がなくなる。


 だから祈るような思いで俺は奇襲部隊の様子を睨みつける。


「止まりました」


 司令官代理が呟く。

 確かにドスガ軍は、陣から200メートルほどの位置で停止した。


 まさか気づかれたか……?


「どうやら斥候を出しているようですね。我々がすでに寝込んでいること、少しの見張りがいることを掴んでくれればよいのですが……」


「ここまで来たんだ。あとは運を天に任せよう」


「はぁ……」


 しばらく見ていたが、奇襲部隊は止まったまま動かない。

 その間にも時間は経ち、次第にイライラが増してくる。


 成功か。失敗か。どっちだ。

 大学受験の合否を見るようなドキドキ。

 いつまで待たせるんだとイライラ。

 胃が捻じ曲がるかと思うほどのキリキリ。


 そして――


「動いた!」


 司令官代理が短く叫んだ。

 言葉通りに敵はゆっくりと陣の方へ。

 そして次第に速度を上げる。


 もう気づかれても構わないと思ったのか、勢いよく駆け、そして止まった。

 次の瞬間、赤い筋が陣に向かって飛んでいく。


 火矢だ。


 火矢は陣にある木材や天幕に突き刺さり、燃え広がっていく。


「ジャンヌ殿、あの火矢は……」


「大丈夫だ」


 かめに敷き詰めて蓋をした火薬はそれくらいでは燃えない。

 導火線に火がつけば別だが、それでも少しは時間が稼げる。

 というより先にザインたちが火をつけているはずだ。


 喚声があがる。


 火矢を放ったらすぐに突撃。

 奇襲としては教科書通り満点の行動だ。


 まずは先陣が攻め込み、そして後詰めがその後ろから続く。


 だがそれもすぐに困惑に代わる。

 陣には人っ子一人、もとい火つけの7人以外の姿がいないのだから。


 その困惑が彼らの命運を分ける。


 ハマった。


 確信した俺は、左手をピストルの形にして陣を指し、


BANGバンッ!」


 次の瞬間、爆発が起こった。


 火のついた火薬が圧倒的速度で燃焼して、甕の破片と火の粉を周囲にまき散らすのだ。

 悲鳴が木霊する。


 完璧なタイミング――にはならなかった。


 敵がまず先陣を突っ込ませ、その後に本隊が突っ込む形になったため、爆発は先陣を巻き込みはしたが本隊に被害は少ない。

 それでも約5千のうち3分の1は死傷させたのだから十分な戦果ではあるのだが、俺が欲しいのは大戦果だ。


 だからすぐに二の矢を放つ。


「今だ、突っ込め!」


 俺は取り出した鐘を大きく連打した。

 すると背後に隠れていた兵たちが、一斉に丘を登ってくる。


「行きます!」


 司令官代理が馬上から告げる。

 するとそのまま俺の横を通って丘を駆け下りる。部隊はそれに続く。


 反対側の丘からも、ウィットたちの1千が同じように逆落としで敵本隊横腹を突く動きをする部隊が見えた。

 南からワーンス軍が、北からウィットたちがほぼ時を同じくして本隊へと挟撃を食らわせる。


 成功したかに見えた奇襲から、いきなりの火炎地獄、そして左右からの奇襲となれば浮足立たないわけがない。

 敵の陣がたわむ。

 合わせて2千の襲撃にもかかわらず、敵の本隊は後退し始めた。

 一度退いて態勢を立て直そうというのだろう。


 だから俺は続いて鉦を連打する。


「第2陣、行け!」


 鉦の音が聞こえたのか、敵の本隊が退いた頃合いを見たのか、少し離れた丘からまた部隊が現れる。


 ジルの指揮する2隊だ。

 再び南北から挟み込むようにして敵に突っ込む。


 防いだと思ったところに更に奇襲を受けたのだ。

 敵は更に混乱し、唯一の逃げ道である東へと駆けていく。

 そこをジルは無遠慮に突き崩していくのが見えた。


 三国志における大戦、官渡かんとの戦いにおいて曹操の軍師である程昱ていいくが行ったとされる策。

 それ以前の楚漢そかん戦争における国士無双の韓信かんしんも同じ作戦を行ったといわれる。


 すなわち、囮部隊が戦っているところに伏兵による奇襲で敵を後退させる。

 だがその後退したところにも伏兵がいて、次々に奇襲を行い敵を袋叩きにする。

 それが左右合わせて10部隊あることから十面埋伏じゅうめんまいふくの計と呼ぶ。


 生憎、今回用意できたのは8部隊だから八面埋伏とでもいうべきか。


 だが――


「足りない……!」


 半分の伏兵が襲った時点で見えた。

 煌々と火を放つ陣の灯りに照らされた中、挟撃を受け歪む敵軍の中。揺るがない2つのポイント。


 おそらく精鋭。

 すなわち四天王を囲む本隊の中の本陣。

 あれを逃すわけにはいかない。


 一瞬、残った部隊を敵の逃走ルートに蓋をさせて包囲殲滅をも考えた。

 だがそれは敵を窮鼠きゅうそに追い込むことになる。

 死に物狂いで逃げようとする敵を相手にすれば、それだけこちらも犠牲が出る。

 明日の戦いを考えると、その犠牲は許容できない。


 だから俺は馬を走らせ丘を降りる。

 ワーンス軍とウィットたちは逃げ遅れた敵の掃討にかかっていた。


「隊長!」


 ウィットだ。

 となるとここら辺にいるのは俺の部隊。


「俺の隊は続け! 四天王のどちらか1人だけでも討つ!」


「……はっ!」


 先に走り出す。

 ここが勝負所だ。

 だから俺も前に出る。


 そこへ俺の左右から一歩前に出る馬があった。


「先陣は俺たちに任せてもらいますぜ!」


「ああ、ザイン! 鹿狩りと一緒だ! 俺たちが一番をもらう!」


 ザインとリュースが意気込んで馬を走らす。

 火をつけた後、すぐに敵を蹴散らしながらここまで戻ってきたらしい。


「行きます! マール、ヨハン、グライス、ルック、ロウ! お前らは隊長を守れ!」


 ウィットが残った南郡巡回隊のメンツに俺の守備を命じた。

 余計なことを。いや、その配慮はありがたい。


 馬を走らせ逃げる敵を追う。

 相手は奇襲のためにほとんどが歩兵だ。

 だから馬で追いつくことはたやすい。


 だが、問題はそこからだ。

 敵の本陣を攻めようとすれば、歩兵の中をかき分けていかなければならない。

 かといって回り込もうにも、左右はジルの部隊が攻めあげているから下手すれば同士討ちになる。


 3度目の鉦を鳴らす前に、前方で喚声があがった。

 3つ目の伏兵、トロン軍とスーン軍が勝手に攻めかかったのだろう。

 残る伏兵はあと1つ。

 時間はない。


「強行突破する!」


 馬に備え付けた旗を握る。

 そして巻いた状態で前へと突き出す。


 前方斜め左。

 乱れの少ない方だ。

 よく統率が取れているからことから、おそらく四天王筆頭ジョーショーだろう。


 あいつがカルキュールを……。

 仇を討つ。いや、これも軍略。討てるなら討っておきたい相手だ。ただそれだけ。


「「了解!」」


 ザインとリュースが速度を上げる。

 それに合わせて後続が俺を追い越していく。

 マール、ヨハン、グライス、ルック、ロウは俺と速度を合わせている。


 最前線――ザインとリュースが敵の最後尾に噛みついた。

 そこからは時間との勝負だ。


 前も言った通り騎兵、特に軽騎兵に属するものは速度が重要だ。

 機動力でかく乱し、奇襲、退路を断つなどの戦法で敵をかき乱すのが主な仕事。

 足を止めての乱戦なんて自殺行為もいいところ。


 だからこれは敵が混乱している間に、俺たちが敵の本陣にたどり着けるかどうかの賭けだ。


「うぉぉぉぉ!」


「突き進めぇ!!」


 ザインとリュースの雄たけびが聞こえる。

 それに続く部下たちも速度をあげるため、どんどんと敵陣の奥へと突入することになる。


「行けるか……いや、行くしかない!」


「はい、隊長。やってやりましょう」


 ヨハンが人懐っこい笑みを浮かべて同意した。

 この柔らかな笑みの持ち主が、隊内でも有数の剣の遣いてだというのだから分からない。


 ヨハンが剣を抜く。他の4人も同時。

 ヨハンが逃げる敵を斬る。一部、反撃してくる敵がいた。

 それを部下たちが馬上から斬り下ろすことで排除していく。


 心苦しく感じる。

 俺だけ剣を振るわず、俺だけ命をかけず、俺だけ守られているのだ。

 仕方ないと分かっていても、力になれないのが、共に手を汚してやれないのが辛い。


 だからせめて祈る。

 彼らが1人でも多く生還できるよう、傷つくことがないよう、精いっぱい祈る。


「見えた!」


 声に反応する。

 固まった敵の本陣。

 それが20メートルほど先に見える。


 あれを討ち果たせば。

 俺はその中にいるだろう見えないジョーショーを睨みつけた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ