第60話 援軍
その場はひとまず解散となった。
とにもかくにも負けたのだ。
敵襲の警戒。
部隊の再編制。
負傷兵を後方輸送。
防御柵の設置。
夕飯の支度。
やることはたくさんあった。
ただ俺は天幕の中で独りいた。
もちろんサボっているわけではない。
ドスガ軍を撃退する策を考えていたのだ。
あの時、ワーンス軍の司令官代理が言ってくれたことはかなり俺にとって追い風だった。
ワーンス王国が軍を預けるとまで言った俺に対して、トロンとスーンの将軍が怒りを少し和らげたからだ。
つまり明日が時間的にも信頼的にもラストチャンス。
タキ隊長がくれた最後のチャンスのためにこうして籠って考えている。
ジルたちが部隊の仕事はすべて請け負ってくれたのはありがたかった。
だが――
「ダメだ。全然思いつかない」
神出鬼没の鉄砲隊。
その対応がまったく思いつかない。
相手は完全に待ちの戦術だから、敵を動かしたり分断したりすることは不可能。
矢と鉄砲で撃ち合うには、やはり練度と殺傷力の差で撃ち負けるだろう。
補給を断ったところで意味はないし、迂回して王都を攻撃するにしても横槍をつけられる可能性はあって現実的じゃない。
それが成功してマリアを助け出せたとしても王都に閉じ込められることになるのだ。
おそらく一極集中して突っ込めば、鉄砲の発射の間隔を縫って白兵戦に持ち込むことは可能だろう。
だが犠牲はかなり大きくなる。
しかもその作戦を取るなら、言い出しっぺのオムカが先陣を切らなければ他の国は納得しないだろう。
そうなった時の被害を考えると、ここで勝ってマリアを助け出したとしても、その後に控える対エイン帝国戦線が維持できない。
「やっぱり鉄砲だよなぁ」
誰ともなくひとりごつ。
火縄銃だから雨でも降れば無力化できるが、雲の様子を見るに明日もきっと快晴だろう。
なら濡らすか。
いや、そんな水をどうやって運ぶ?
水爆弾みたいなのがあればいいが、それ自体もそれを飛ばす投石機みたいなのもない。
あ、でも投石機で鉄砲隊の頭上に石を落として射撃どころじゃないようにするのはありだな……。
時間があればそれができた。
「くそ、こうなったら本当に弾切れを待つまで耐えるしかないぞ」
煮詰まった状態で考えても仕方ないと、『古の魔導書』を開いて敵の状況を見る。
よく考えたらここ最近、このスキルを使っていなかった。
状況が切迫していたというか、俺の心も余裕をなくしていたのだろう。
鉄砲隊を率いる人間の性格も知らないまま、戦うのは無謀すぎる。もしかしたら傭兵だけに金で寝返る可能性もあるのだ。
鉄砲隊の隊長はクルレーンという名らしい。
ブリーダが確かクルレーン隊とか言ってたから名前がそのまま部隊名称になっているのだ。
本当に金で雇われただけの傭兵だったが、その金額を見ただけで俺はそっ閉じした。
無理。
同じ額すら払えない。
ドスガ王、どんだけ太っ腹、というか金持ってんだって感じだ。
性格は金好きだが警戒心が強く、信義を重んじるらしくお得意様しか相手にしたくないらしい。
つまり寝返りは不可能ってことだ。
ドスガ王は目新しい情報はないし、マツナガはプレイヤーだから情報は開示されない。
後はジョーショーとモーモだが、正直そんなに期待していなかった。
何せ部隊を率いているが、今日は一度も動いていない。
立場上寝返らせることも不可能だろうし、そもそもドスガ王やマツナガほど見知った仲ではないから、それほど情報もない。
そう思ったが――
『ジョーショー。ドスガ王国四天王筆頭。自分大好き。マツナガを蹴落として自身が軍事も政治も統括したい。連合軍との戦いでマツナガが契約したクルレーン鉄砲隊が活躍しすぎているため焦りを覚えて夜襲を進言。マツナガを陥れて王に認めさせつつある』
『モーモ。ドスガ王国四天王紅一点。人目を引く美貌にある顔の傷が特徴。自他ともに認める酷薄な性格で、綺麗なものを壊すのに快感を覚える。マツナガが嫌い。連合軍との戦いではジョーショーと共に夜襲を提案。認められなくてもやるつもり』
「夜襲……?」
その文字を見た時には眉をひそめた。
だってドスガ軍にはする必要がない。
このまま待っていれ勝ちなのだ。
俺たちオムカを始め、ほとんどが遠征軍だ。
それに対してドスガ軍は王都のすぐ近くで軍を展開しているから、持久戦に持ち込めばそれで勝ち。それは間違いない。
なのにわざわざ夜襲する理由。
「マツナガのせいか」
書かれているのはマツナガに対する対抗心。
あの鉄砲隊もマツナガが手配したと書いてある。
せっかくの勝ち戦なのに武功がないのであれば、マツナガを追い落とそうとしているジョーショーにとっては手痛い失態だ。
だからそれを覆すための夜襲。
俺たちの息の根をとめる最後の一撃をこそ自分たちが行おうとしているのだろう。
これは……チャンスかもしれない。
当然だが、罠を張られる側より張る側の方が有利なのだ。
万が一夜襲に来た場合、その裏をかいて痛撃を与えることもできるだろう。
ビンゴ軍と共にエイン帝国と戦った時の空城の計がその理想だ。
こんなことなら火薬を持ってくるべきだった……。
いや、火を使うだけでも十分に反撃ができる。
夜襲に対しては矢でも有効なのだ。
夜襲があるとしてどう対応するか考えていると、ふと外が騒がしいことに気づいた。
「なんだ?」
「あ、隊長!」
天幕の外に出たところでマールに出会った。
共に南郡を回った時の紅一点の少女だ。
「どうした?」
「はい、報告します。北西から2千ほどの部隊が近づいています」
マールがはきはきと答える。
そばかすの残る可愛らしい少女で、確かクロエと同い年で仲が良かったはずだ。
ま、今はどうでもいいけど。
「敵か?」
「分かりません。全軍に警戒態勢を取らせるので、隊長をお呼びせよとジーン師団長殿が」
「分かった、すぐ行く」
マールに案内されて、俺は陣の北西部へと足を運んだ。
そこにはジル、サカキのほか、各国の司令の立場の人間がいた。
「ジル、何が起きた?」
「おお、ジャンヌ様。どうも部隊が近づいてきているようなのです。およそ2千。ただ行軍速度も遅く、堂々と街道を進んでいることから敵ではないのでは、と考えております」
近くの柵に頭を押し付けて目を凝らす。
確かに軍隊らしき人の動きが見える。
「でもよぉ、あれでいきなり襲ってくる可能性もあるだろ? だって俺たちに味方する部隊はもうこの周辺にはいないんだから」
確かにサカキの言う通りだ。
この南郡において、軍隊すべてここに終結して敵か味方に別れている。
それなのに部隊がいるのはおかしい。
他の国も分かっていないのだから、少なくとも味方じゃないと考えるのは無難だ。
だが街道を堂々と、しかもゆっくり進んでくるのが解せない。
統率は取れているらしく、義勇軍みたいな素人の集まりという感じでもないのだ。
とりあえず敵でも味方でもないと考えて対処した方がよさそうだ。
「全軍に警戒態勢。あれが囮で、他方面から奇襲してくる可能性がある。そのうえで偵察を出す。あの部隊を調べるんだ」
「分かりました、そうしましょう」
ジルが頷き、動こうとする。
その時、向こうから動きがあった。
「待て、一騎だけ来るぞ」
サカキが喚起の声をあげる。
確かに集団から離れて馬が一騎駆けてくる。
あまり馬の扱いに慣れていない人間らしい、馬上で体を揺らしている。
「あれは――」
「すみません! そこにジャンヌという人がいたら伝えてください。自分は敵ではないので撃たないで、と!」
その言葉に聞き覚えがある。
そして夕焼けに照らされて次第に大きくなる影。
その人物は――
「メル!」
間違いない。
今や王都で会計の手伝いをしていたはずのメルがここに来ていた。
メルは数メートル前まで来ると、ずれ落ちるように馬から降り、ヘロヘロの状態でこちらによろよろと歩いてきて、目の前で力尽きたように座り込んでしまった。
「はぁ……はぁ……正直、疲れました。なんでこんなところまで……」
「いや、それはそうかもだけど。なんでここに?」
「…………」
メルの視線が俺に向き、そして右へ、さらに左へ。
額にしわを寄せると、俯いて黙り込んでしまった。
あぁ、まだ人見知り治ってないのか……。
色んな人と仕事しているはずなんだけどな。
俺は周囲に断って席を外してもらった。
さらに警戒態勢は解除し、引き続き明日の準備をするよう申し付けた。
「さ、これで俺以外いなくなった。これなら話せるだろ」
とは言ったものの、俺自身は気が重かった。
とりあえずあのことは伏せて、彼女の用件だけ聞いてしまおう。
メルは周囲10メートル以内には俺しかいないのを確認し、荒い呼吸を整える。
そして俺に背中を向けて話し始めた。
「これは独り言なんですが、補給物資を持ってきました。武器と食料、あと増援として2千の兵を」
「2千!? そりゃすごいけど、どうやって?」
「宰相と総司令がそのようにと言っていました。おそらく苦戦するだろうからと、出発前に。シータ王国からの贈答品があったので、ギリギリ赤字にはなってませんから」
「宰相……カルキュール」
あのおっさん。
そこまで先を見据えてくれていたのか。
「指揮官が誰もいないということで、何故かわたしに白羽の矢が……。本当、なんで。出発したのはいいものの、輸送隊なので速度は出ないし、ワーンス王国に行ったら皆ドスガ方面に行ったとかで。ようやく追いつきましたよ。あぁ、本当に大変だった。帰ったら宰相に文句を言おう。うん、それで美味しいものを買ってもらおう。それくらいの役得はあってもいいはず」
俺はそれ以上聞いていることができなくなった。
なんだかんだで、メルを紹介してから2人は仕事の関係上いつも一緒にいたようなものだった。
人見知りのメルとしては、年の差はかなりあれど話しやすい相手に思えたのかもしれない。
逆にカルキュールは突然できた孫のようにメルを可愛がっていたふしがある。
だから――
「メル!」
彼女の将来の予定を遮るように、メルを背後から抱きすくめた。
「わひゃ!」
「メル……落ち着いて聞いてくれ」
「なっ……しょ、しょの……あふ……」
「宰相は……死んだ」
「え?」
「殺された。ドスガ王国に。つい先日のことだ」
「うそ……」
「嘘じゃない。死ぬ前に会って話をした。ごめん。止められなかった。殺されることを受け入れる男の目をしたあの人を、止められなかった。自分が死ぬことで、オムカの国が救えると信じて……」
「…………」
メルの体が鉄のように硬直した。
その小さな体に、一体どういう想いが渦巻いているのか、はっきりとは分からない。
けど、俺は伝えなくちゃいけない。
感謝と、謝罪と、そして残された言葉を。
「だから……来てくれて、ありがとう。でも、ごめん」
「そんな、こと……」
「後で渡したいものがあるから、来てくれるか」
カルキュールの残した手紙。
意外な人物への宛名。
ただこうして考えれば、メル以外にそれはいないのはたやすく想像できたはずだ。
「…………」
メルの反応はない。
いや、抱きしめた手の甲に水滴が落ちた。
雨?
いや、違う。
これは――
「ごめん、なさい……ごめんなさい……」
鼻声になったメルの声。
誰に対しての謝罪か。
それでも繰り返しささやかれる言葉は、亡き親しき人物への鎮魂歌のように響く。
支えないと崩れてしまいそうなほど、力の抜けたメルの体。
背中を通して聞こえる、激しく打つメルの心臓の音。
俺はしばらく、彼女を抱きすくめながら、泣き止むのを待った。




