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閑話19 マリアンヌ・オムルカ(オムカ王国 第1王女)

 馬車から降ろされたのは、王宮の目の前だった。

 そして連れていかれたのは、自分の部屋ほどではないけどそこそこ豪華な部屋だった。


 誰もいない。

 手持ちぶさたのまま、ソファに座って待つ。


 ニーアとは馬車から降りたところで別れさせられた。

 どこに連れていかれたか分からない。

 ただ治療は要求した。あのままでは死んでしまう気がしたから。

 治療しなかったら死ぬとまで言ったら、あちらも渋々頷いてくれた。


 部屋に入れられて随分経つけど、何もしない。できない。

 逃げようとしても無駄だと分かっているし、ニーアを置いてはいけないから。


 だからひたすら座って待ち続けているけど、頭に思い浮かぶのは謝罪と後悔ばかりだった。


 なんでこんなことをしてしまったのか。

 なんでこんな事態を引き起こしてしまったのか。


 悔やんでも悔やみきれない。


 きっと今頃、王宮は大慌てだろう。

 はっきり言って申し訳ない。


 ジャンヌはどうしているだろう。

 ほれみたことかと嘲笑っているのか。

 いや、ジャンヌはそんな人じゃない。

 なんだかんだ言って、心配してくれて、そして止められなかった自分を責めるんだ。


 優しいジャンヌ。

 可愛いジャンヌ。


 今度会ったらちゃんと謝ろう。

 これまで色々言ってごめんなさいと告げよう。

 それで丸く元通りになるとは思えないけど、今なら言葉がすんなり出る気がした。


 もちろん、再び会えれば、の話だが。


 ガチャ


 ドアが開く音。

 誰が、と思った直後に飛び込んできたのは、いつか見た顔だった。


「そなたは……」


「ふん。逃げようともせず殊勝にも待っていたか」


 ドスガ王だ。


 いや、知っている王とはどこかいで立ちが異なる。

 豪奢な紫のマントを羽織り、胸を張って歩く様はオムカに来た時とは全く異なる風貌だ。

 何よりその瞳。

 柔らかく清らかに見えた瞳は、今や猛々しくまたどす黒く見えた。


 ――怖い。


 一言で言えばそう感じた。


「久しぶりになるなぁ、オムカの姫君。いや、あの時とは立場が逆か」


「お主は……一体――」


 ドスガ王の瞳が見開かれた。

 そして足を荒々しく踏み鳴らしながら、こちらに近づいてくる。

 逃げる間もなかった。

 むしろ恐怖ですくんでいた。


 だからその腕が伸びたのを近くしながら避けられず、衝撃が喉を圧迫する。

 上からのしかかられ、ソファに押し付けられる形。


「ぐっ……あっ!」


「お主、だぁ? 貴様ぁ、まだ自分の立場が分かってねぇようだな」


 狂気に満ちた男の顔がすぐそばにある。

 生ぬるい吐息がかかる。気持ち悪い。


 この男は誰だ?

 少なくとも自分が知っているドスガ王ではない。

 表情も態度も言葉遣いもまとう空気もまったくもって違う。

 別人だ。


「がっ……うぅ」


「なんだ。何か言ってみるがいい。ほら、言ってみるがいい。ただ覚悟しとけよ? 貴様らオムカにかかされた恥、億万倍にして返してやるからな」


 何を言っているのか分からない。

 何に怒っているのかも分からない。


 ただこのままでは自分が絞め殺されてしまう。

 その恐怖だけが襲い掛かってくる。


「あ……か……」


 あ、やばいのじゃ。

 このまま――死ぬ。


 そう思った瞬間、ふと喉の圧迫が緩んだ。


「げほっ……げほげほっ! あっ……はぁ……はぁ……」


 肺が空気を求めるように何度も呼吸を繰り返す。

 体中に力が入らず、ぐったりとソファに寝転がったままだ。


「っと、いかんいかん。殺してはマズい。貴様は我が妻となるのだからな」


「つ……ま?」


 音としては拾えたが、単語としては理解できない。

 この男は何を言っているのだろう。

 そもそも何故自分に暴力を振るうのだろう。


 頭の中を疑問符が埋め尽くす。


 だがそんな自分は眼中にないらしい。

 ドスガ王は背中を向けると、部屋の中をゆっくりと歩きながらとつとつと語る。


「わしには野望がある。この大陸の支配者になるという野望が。そのためにはなんでもやった。出奔した時は野盗まがいのこともしたし、気に入った女がいれば犯した。敵対する重臣を排除したし、腰抜けの父も追放した。服従しない豪族をだまし討ちにしたし、交易権を渡さないトロン王国の王族も皆殺しにした。それもこれもすべて、わしの野望のため。大陸の支配するための第一歩。南郡を制圧するためだ。そしてそれは順調に進んでいた」


 酷い事をすると思った。

 何より実の父を追放したということが信じられなかった。


 自分に父の記憶はほとんどない。

 ないまま、いなくなった。

 エイン帝国に連れていかれて、そこで死んだと聞かされたのは結構最近だ。


 もう二度と会えない。

 会いたくても会えない。


 なのにこの男は父親を追放したという。

 なぜそんなことができるのか。

 家族だというのに。大事にすべき相手だというのに。

 理解が及ばない。


「だが! そんなわしの野望を打ち砕いたものがいた……貴様らオムカだ! 正義感か何か知らんが、いらん手を出してきおって。そのせいでわしの野望は崩れ、しかも貴様らなぞに頭を下げるという屈辱を味わされた! この罪、オムカの全国民を皆殺しにしても収まらん」


 ドスガ王の顔は真っ赤に染まり、この世のものとは思えないほど怒りに歪んでいる。

 それが睨んでくるのだから、すっかり気圧されて言葉を発せられない。


「そして今! こうして貴様を虜にし、さらにとどめを刺す準備ができた。これぞ、我が大願成就の機ぞ来たれり!」


「妻、というのは……何をするつもりじゃ」


「おやおや、鳥かごの姫君には分からないか? わしと貴様が結婚するのだ。そしてわしが戴冠する。ドスガ王国兼オムカ王国の国王としてな! 喜ぶがいい、貴様は南郡とオムカを支配する大王国の妃になるのだ! いや、この際だ。ドスガ帝国を名乗るのも悪くはなかろう!」


 結婚する?

 誰と誰が?


 分からない。

 この男が言っていることが、何もかも。


 それは自分の政治能力が欠如しているのか、それとも突飛がなさすぎて理解が追い付いていないのか。


「さぁ、姫君よ。いや、妃よ。貴様の最初の仕事だ。オムカ王国軍の解散を宣言しろ。そうすれば、国民は生かしておいてやる。あぁ、だがあいつらは駄目だ俺に恥をかかせた女軍師と、あの生意気な将軍2人。奴らは四肢を切り落とし、泣き這いつくばらせ命乞いをさせなければ気が済まん。命乞いをさせて、踏みにじり、絶望と後悔に染まりながら衰弱死していくのを眺めるのだ」


 女軍師……ジャンヌ!


 彼女がそうなると考えると、悲しみで身が震えた。


 あの美しいものがそうなって良いわけがない。


 彼女を守らなければ。

 もう絶交とか喧嘩とか関係ない。

 その感情にあおられ、恐ろしいと思った男に噛みつく。


「ジャンヌに手をだすでない! ジャンヌに手を出すなら……余は死ぬぞ!」


 我ながらパターンのない脅しだと思う。

 けど、ドスガ王が妃にしたいというのなら、それは自分が死んでは困るはず。

 そう考えての脅しだ。


 だが、そんな脅しは目の前の男には児戯に等しい軽口のようなものだった。


「なら死ね」


「え……」


「死ぬんだったら勝手に死ね。だが死んだら、まず貴様の親族を殺す。さらに重臣も殺す。そして貴様の大事にしているオムカの民も殺す。わしとしてはどちらでも良い。貴様を使った方が少しだけ楽というだけだ。だから死にたくなったら、勝手に死ね」


 胸にずんと重いものが落ちる。

 勝てない。

 自分はこの男に勝てない。

 いや、ここに来た時点で負けは決まっていた。

 自分は何の経験もない。知識もない。常識もない。覚悟もない。

 だから負ける。


 ――けど。


 それを持っている人物を知っている。

 経験も、知識も、常識も、覚悟も持っている人物を知っている。

 そんな美しい存在を、自分は見てきたのだ。


 だから――


「お主は、勝てん。ジャンヌにかかれば、お主など一捻りじゃ!」


 途端、男の顔色が変わった。

 再び怒り――いや、それ以上の何か。


 男の手が伸び、自分の喉元に。


「わしが誰に劣るだと? 誰が……誰がわしを超えるものかぁ!」


 苦しい。辛い。悲しい。

 自分は負けていい。

 けど、それをいつも懸命にサポートしてくれた彼女は負けない。


「余を、殺して……みよ。怒り、狂った……オムカの、兵が……」


「……っ!」


 急に喉が解放された。

 咳き込む。涙で視界がにじむ。


「ふん、一捻りとはよくもほざいた。こちらにはまだ使える切り札があるのだからな」


「切り……札……?」


「気が変わった。とくとみ見ていろ。貴様らの大事な兵たちが死んでいく様を。それまで死ぬことは許さん。勝手に死ねばオムカは皆殺し、いや、家畜として飼ってやる。死ぬより辛い運命を背負わせてやる。貴様の従者と同じような末路だ」


 従者……そうだ、ニーアは!?


「ニーアはどこじゃ! 治療してくれているのだろうな!」


「わしが知るか。これでもわしは吝嗇りんしょくとは程遠い気前の良い君主で通っているからな。家臣に下げ渡したさ。今頃、地下の牢で色んな目にあってるんじゃないか?」


 がりっと歯が鳴った。


 これほどまでに黒い感情が自分の中にあるのに驚いた。

 それが自分のせいで犠牲になった、長年のよき友を案じての感情。


「くくく……はははっ! いいぞ、その顔だ。嘆き、悲しみ、絶望し、そして我が道具として朽ちていくがいい」


 嘲笑を浴びせながら、男が部屋から出ていく。

 それを睨み、見送るしかない自分の無力さが悲しかった。


「ジャンヌ……ニーア、どうか無事で……」


 呟く。

 しかしその声が相手に届いたかどうか、分からなかった。

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