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第38話 復活

 目が覚めた。

 それだけですごい疲れた。


 何よりその後が続かない。

 声が出ない。

 手が動かない。

 呼吸は? なんとかできる。

 ただそれだけ。


 それでもいつも見る家の天井を見るだけで、生きていると実感できる。


「――――ふぅ……」


 ため息が出た。

 それを皮切りに、すべての感覚が戻る。


 視覚、聴覚、触覚、嗅覚が戻る。

 指が動く。

 体温が上昇する。


「隊長殿?」


 すぐ近くで声。


「クロ……エ?」


 俺が発した言葉なのか。耳に聞こえるのは、老婆が発したと思うほどかすれた小声。

 それでも相手には伝わったようだ。


「あぁ、良かった隊長殿! このまま目を覚まさないかと……本当に、本当に心配しました」


 クロエの顔が視界に入ってくる。

 その目から水が溢れていて、しずくとなって俺の頬を打った。


「つめ……た」


「あ、すみません」


 クロエの顔が消える。

 けど傍にいる。それが分かる。


 再び口を開く。からからに乾燥した口は声を出せず、激しく咳き込んだ。


「大丈夫ですか。今、飲み物を持ってきます!」


 足音が遠ざかる。

 そして遠くでバタバタと物音がしたと思うと、1分ほどでクロエが戻って来た。


「隊長殿、飲めますか?」


 クロエが差し出してくれたカップ。

 それを取ろうとして――断念した。腕が重い。動きが鈍い。


「ちょっと失礼します」


 体が動かされた。

 あおむけで寝かされた形から、ベッドの背に寄り掛かるように。

 さすが現役で鍛えているだけのことはあり、俺を軽々と持ち上げたのはさすがだった。


「良いですか、少しずついきます」


 クロエがカップを口元に運んできて、それをゆっくり傾ける。

 俺はなされるがままに口を開き、そしてちょろちょろと流れて来る液体を口に入れて飲み込んだ。


 ぬるい。そしてほんのり甘い。

 砂糖は貴重品でそう手に入らない。ならこれははちみつか。


 その甘さが脳を刺激し、何より力を体に蘇らせる。

 あぁ、染みる。


 複数回に分けてゆっくりとカップ一杯分の水を飲むと、少し体の不自由が消えた。


「あり……がとう。もう……大丈夫……だ」


 まだ息切れがするが、指一本動かすのに苦労するほどではなくなった。


「あまり無理をなさらずに。隊長殿は3日も寝ていらしたのですから」


「3日……!?」


 そんなに寝ていたのか。

 その間、一度も起きなかったのだろう。記憶にない。


 あのくそったれの女神が言ったように、本当に生死の境をさまよったらしい。


 ふぅ……なるほど。一応理解した。

 だがそうなると問題は1つ。


「仕事は、戴冠式の準備はどうなってる?」


「隊長殿、やめましょう。今は仕事のことは――」


「報告だクロエ。俺の仕事が、誰にどう引き継がれたか……知りたい」


 クロエはなおも心配そうな表情をしながらも、迷ったような表情をする。

 その心配はありがたい。

 だが今はそれどころではないのだ。


「宰相様が大部分を引き取ったと聞いております。さすがに軍事のことはサカキ師団長殿に配分されましたが、噂ではあまり上手くいっていないらしく……」


「よし。じゃあとりあえず……ふぅ、サカキからだな。あいつに、警備ルートなんて、できっこないから……そこは、俺がやらないと」


 背もたれから体を起こし、起き上がろうとする。


「そんな! やめてください! そんな体で仕事したら、本当に死んでしまいます!」


「戴冠式まで時間がないんだ。ただの行事かもしれないけど、これは政治的にも今後のオムカを占う意味で、何にもまして重要なんだ。失敗はできない。だから――」


 少し声に熱が入ったのだろう。

 急に目の前が暗くなって、気付いたら天井が見えていた。

 また倒れたらしい。

 ひどい頭痛が頭を締め付ける。


 クロエは……いた。

 ベッドの横に椅子を置いて座っている。


「隊長殿。お願いですから今は休んでいてください。隊長殿に何かがあったら、私はどうすればいいんですか……」


 クロエの悲痛な声が聞こえる。


 クロエの心情は分かる。

 けど、やはりそれとこれとは別だ。


 俺がやらなきゃ。

 俺がいなくちゃ。


 一体誰がやるって言うんだ。


「クロエ、言うことを聞いてくれ。今が大事なんだ。オムカが本当の独立国として機能するかどうか。だから俺を外に連れて行ってくれ」


「嫌です! その命令は聞けません」


「頼む!」


「嫌です!」


 なんて頑固なんだ。

 誰に似たのか。

 だが今はその頑固さが迷惑だ。


 だからつい声を荒げる。


「クロエ!」


「…………」


「俺の言う事が聞けないなら、そんな奴は俺の部下じゃない! 今すぐこの家から出ていけ!」


「っ!」


 言ってからハッとした。

 俺は……今なんて言った?


 とてもひどいことを言った。

 けど、いまいち実感が湧かない。


 それでも今にも泣きそうなクロエの悲痛に満ちた顔を見て、ようやくそれを実感した。

 それほど今の頭はいかれてるらしい。


 かけるべき言葉が見つからない。

 その言葉を探すのさえひどく時間がかかる。


 だからクロエの方が早かった。

 ぐっと辛さに耐え、噛みしめた唇からかすかに息を漏らしながらも、溢れそうな涙を堪え、それでも俺を恨むわけでも憎むわけでも非難するわけでもなく、俺に懇願するようにして、


「嫌、です。今だけはぜっったいに聞けません! 隊長殿が出ていけと言えば出ていきましょう。嫌いだと言われれば嫌われましょう。死ねと言えば死にましょう。でも、それは隊長殿が元気になった後です。それまでは、絶対断固拒否します!」


 その心からの叫びに、鋼のような覚悟に、何より死をもいとわない熱量に、俺の心の何かが溶けていく。

 それは焦りとか切迫感とかそういう類のもの。


 体から力が抜けていく。

 さっきまでの何かにせっつかれるような圧迫は消えていた。


 そうなると出てくるのが後悔。

 ひどいことを言ったという事実。


 だからこういう時に何を言えばいいか。

 さすがの俺でも、それくらいは心得ているつもりだった。


「ごめん。本当に、心にもないことを言った。どうかしてたみたいだ。許してくれ」


「いえ、隊長殿も本心で言ったわけじゃないでしょうし。私もちょっと意固地でした」


 本心だった。

 本気で出ていけと思った。


 ひどい奴だ。

 これまでさんざん世話になってもらいながら、都合が悪くなったら出ていけとは。

 何様のつもりだ。

 どこが知力100だ。


 本当、嫌になる。

 自分がここまで嫌な人間だったのかと思うと絶望する。


 はぁ、もう降参だ。


 この世界に来て初めて降参という状況に追い込まれた気がする。

 そんな状況を作ったのは凶悪な敵兵でも、10万の大軍でも、国王でもなく、1人の女の子のたった1つの真心だった――なんてな。


「分かった。ここは主治医さんの言い付け通りにするよ」


 俺がため息交じりにそう言うと、クロエは目をらんと輝かせた。


「はい! そうです! ここはクロエ看護師の言う通りにしてください! とにかく何も考えず体を休めて、美味しい栄養のあるものをいっぱい食べてくださいね」


 何も考えずに休むとか、どうやってやるんだろうな。

 ま、今日と明日くらいは従おう。


「それではシチューを作りましょう。隊長殿が食べやすいよう、味は薄めで、でも栄養は高めで。よっし! クロエ、買い物行ってきます!」


 両手に握りこぶしを作って立ち上がったクロエは、俺が制止するまでもなく部屋から出ていってしまった。慌ただしい奴。


 てゆうかシチューよりおかゆが欲しいな、こういう時は。

 けどそれをクロエが作るのは無理だろう。

 まぁしょうがない。


 することもなく、ただベッドに寝転んで天井を見上げる。

 3日も寝ていたんだ。眠気はまったくない。


 静かだ。

 時刻は朝で、まだ大通りもそこまで賑わう時間ではない。

 だから喧騒は聞こえてこず、鳥の鳴き声が入ってくるくらいだ。


 思えばこんな静かな時間はいつ以来だろう。


 この世界に来てから、いや、この世界に来る前からそうだった。

 ぼんやりと過ごす。

 そんな日々は俺にはなかった。


 ひたすらに走り続け、血と涙の中をなんとか潜り抜けてきた。


 それをここで一度立ち止まれということなのか。

 けどあの女神が言ってたことが気になる。

 今回はちゃんと覚えている。


 俺の大事な人が危機に陥る。


 確証もない女神の戯言と言えばそうだが、あいつが無意味に虚言を吐くような奴には思えない。

 それこそ不公平というものだ。


 だからそれが真実だとするのなら、今、この3日の間で南郡はどうなっているのか。

 気になって仕方がない。


 とはいえまだベッドから起き上がるほど体力は回復していなかった。

 それにもし起き上がれたとしても、俺が家から出ていったらそれこそクロエに対する裏切り行為になる。


 先ほどあんな酷いことを言った手前、今はクロエを悲しませたくなかった。

 そう考えると、クロエも俺の大事な人ということになる。

 ではクロエに危機が?


 いや、それはない。

 女神は南郡のことを言った。

 ならそこに一番今関係するのはやはりジルだ。


 決して、ワーンス王国の城壁で変に意識したからとか、そういうのじゃ決してない。全くない。


 とにかく、クロエが帰ってきたら何か情報を知らないか聞いておこう。


 なんだかんだで考えすぎたのか、眠くもないはずの意識が疲労を感じたようだ。

 まぶたが降りて目を閉じると、そのまま再び夢の世界へ再び旅立った。

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