第33話 南郡救援7日目・和議
「こ、殺さぬというのか!? それは決定なのか!?」
ワーンス王が素っ頓狂な声を出す。
ここはワーンス王都の玉座の間。
そこで俺はワーンス王とその廷臣に囲まれ、頭を下げていた。
「いえ、私ごとき他国の臣下たる者が何故そのような決定権を持ちましょうか。殺さない方が良いのでは、と助言をするだけでございます」
「む……だ、だが、なぜだ? 奴は自らの父を追放し、民を苦しめ、トロンの王族を皆殺しにし、我らも殺そうとしたのだぞ!?」
「確かに危険でしょう。ですがそんな危険な男を許したと聞けば、人々はどう見るでしょうか。慈悲深くお優しい国王としてワーンス王を見るのは間違いありません。幸か不幸か今回の戦で南郡の兵力に差がなくなりました。すなわち武力による格付けがしづらくなったということです。そこで王の名声が上がれば、必然的にワーンスへと人が集まり、他の国もワーンスに従うことになりましょう。そうなればドスガがどれだけ不満を述べようとも、もはや抗うことはできません」
「わ、わしに従うのか。南郡の全てが」
ワーンス王の目に光が宿る。
それを見て、廷臣から異議があがる。
「ジャンヌ殿! 我が国を救ってくださったことは確かに感謝いたすべきこと。しかしながら、王をそのような佞言で惑わさないでいただきたい!」
「その通りだ! そもそもドスガ王を許せば、殺された者は納得すまい! 特に王を殺されたトロン王国が黙ってはおらんぞ!」
まぁ正論だな。
でもこれも想定通り。
「果たしてそれでうまくまとまりますか?」
「なんだと……?」
初老の廷臣が困惑しながらも俺を睨みつける。
「ドスガ王は圧政を行う暴君でしたが、長く続いた王朝の正統なる継承者と聞きます。国民に人気がないとはいえ、王室に対する敬意は残っているはず。それを無視して王を処刑すれば、ドスガ王国の反感を買うでしょう」
「だ、だがしかし……圧政を逃れた国民は豊かになるのなら文句は言わんだろう!」
「国民は理屈より感情で動くものですよ。なにより未来の三食より今日の一食が重要なのです。もし国民が納得したとして、軍はどうです? 四天王と言われた人物を2名ほど討ち取りましたが、残った3人はまだ健在です。王の仇を討つとして、攻めて来る可能性は大いにあるでしょう。我々オムカがいなくなった後、その復讐に燃えた軍を撃退できますか?」
「そ、それは……」
この場にあの大柄の将軍がいなくて良かったと思う。
断固として戦うと主張して、そして死ぬだろう。
だがここにいるのは文官ばかり。
この国は軍の規模が小さいこともあり、民政の方が立場が強いらしい。
ともあれ、この脅し文句は効果てき面だった。
しばらく王を含めて議論が続いたが、どれも消極的なものに収まった。
「うむ、分かった。で、ではドスガ王は処刑しないことにする。だがジャンヌ殿。ドスガから人質を取るくらいはしても良いと思うのだが……」
「ええ、それは当然でしょう。むしろ王自身をしばらくこのワーンスにとどめておくのが良いかと存じます。あくまで王族への敬意を忘れず、丁重に扱い、いずれ時期が来たら国へ返すと約束すれば下手な真似はしないでしょう」
「そ、そうか! そうだな! それがいい。うん、そうしよう!」
うーん、この人。やっぱりなんか不安だ。
部下にすべて任せるのと、何も考えないとでは全く意味が違う。
前者は信頼、後者は責任放棄ということだ。
この人は完全に責任と思考を放棄しているようにしか見えない。
そもそも他国の俺の言葉をこうも鵜呑みにするのは危険だというのに。
……周りに有能な人がいないということなのかもしれないが。
とはいえ俺が口出しすることではない。
俺たちオムカにとって有利な状況に持ってこれたのは、その王自身の性質のおかげともいえるからだ。
あとは急がず焦らず、南郡の属国化という策を進めればいい。
方針が決まったことに祝辞を述べ、俺は退室する。
多分、俺は悪い顔をしてるだろう。
親切を押し付けて、後々その代金を徴収する。
やろうとしているのは詐欺師そのものだからだ。
けどそれでも、やらないと俺たちの国が滅びる。
そして俺たちが元の世界に帰れなくなる。
だから心を鬼にしてでもやると決めた。
数ある方法の中で、最も血が流れない策だというのが少しでも罪滅ぼしになればいいが。
それもまた、自分の独りよがりな独善なのかもしれないけど。
暗鬱とした心持ちのまま王宮を出る。
そこにはジルが待っていた。
「お疲れさまでした」
そう声をかけてきたジルに俺は一瞬、何を返すべきか迷った。
まだちょっと顔を合わすのは少し恥ずかしい。
いや、何を乙女みたいなことを言ってるんだ。
問題ない。
何も問題は、ない。
「うん」
小さく頷いてジルの脇を抜ける。
それに合わせてジルが歩調を合わせる。
呼吸が合った気がして、ちょっと嬉しい気分になった。
「ブリーダは?」
その嬉しさを隠すために、あえて違う男の名前を口にした。
今回の戦の立役者となった者の名だ。
「すでに王都バーベルに発ちました」
「そうか。疲れているだろうに、申し訳ないことをしたな」
今回の策の要となったのがブリーダだった。
そもそも南郡に1万を連れて行けば王都はほぼ空となる。
そこで万が一に備え、ブリーダは王都に残していった。
対外的にはそういうことになった。
オムカの強さを南郡に知らしめるため、圧勝が必要だったから戦力を出し惜しみしてられない。
南郡への出発の日、ブリーダには数日遅れで王都を出て、可能な限り最速でワーンス王国へ向かうよう指示した。
そして今日。
ブリーダが到着を知らせる鉄砲の音が響き、俺もこれから始めると知らせるために鉄砲を断続させて撃った。
増援が来たとしても、敵には丘が遮って見えなかっただろう。
あとは結果の通り。
ブリーダが背後に襲い掛かり敵を足止めしている間に、ジルとサカキがドスガ王を捕らえた。
すべて機動力に特化したブリーダの遊撃隊がいてこその戦法で、それに十全に応えてくれたブリーダの功績は大きい。
だからこそ、戦闘の後すぐに王都へ走ることになったブリーダには申し訳なく思う。
王都を空にしておけないというのは事実だし、それをちゃんと分かってくれているブリーダには感謝してもしきれない。
帰ったらマリアに十分に褒賞を出してもらおう。
「それで、ワーンス王はなんと?」
ジルが話を変えた。
ドスガ王のことだろうから端的に答える。
「殺さないことに決まった」
「そう、ですか」
「不満か?」
「はい。あのような男を生かしておいては後のためになりません。時を置けばきっとまた背くでしょう」
「ジルにそこまで言わせるとはなかなかの男だな」
「からかわないでいただきたい」
「冗談じゃないさ。でもあそこで殺したら、巡ってマリアの名が傷つく。オムカはワーンスの要請によって来ただけなのにドスガ王を殺した。そうしたら『あ、オムカは援軍に来たのではなく侵略しに来たんだな』と誰もが思うに違いない。そうなったら泥沼だ。ワーンスも牙をむくぞ」
「しかし、もし向こうから従属の申し出が来たらどうするのです?」
「あっちから来る分にはいいんだよ。選択権は向こうにあるからな。ま、今の段階じゃそんなことないとは思うけど」
「……そこまでの深謀、恐れ見ました」
「ま、それに気にするな。おそらくあいつがまた背く。その時は遠慮なく滅ぼすしかないってわけだ」
というかそれを望んでいるのだから、我ながら嫌気がする。
最初にオムカの力を見せつけ、再び反旗を翻すに足るきっかけを残しておく。
そのきっかけに食いついたら、今度は徹底的に叩きのめす。
一度は許した。けど裏切ったから討伐した。
そんな南郡制圧の大義名分を得る。そのためのこの出兵だったのだ。
「あ、そこでですね。フィルフ国王から重要なお話がしたいから来ていただきたいと」
「フィルフ? あの中央国のか?」
「はい」
さて、なんの用だろうか。
ワーンス王を飛び越して、面識もなにもない俺と話がしたいなど。
だがここで悩んでいてもしょうがない。
しかも相手は一国の王だ。
俺に断る権利はない。
ワーンスの王宮の一角にある客間。
そこにワーンス以外の南郡の王が住まわされていた。
なんて言えば聞こえがいいが、要は交渉が終わるまで人質として軟禁されているのだ。
フィルフ王がいたのはそんな一室だ。
俺はワーンス王国の警備兵に来訪を告げると、はきはきした様子で中に通された。
そこは広さ5メートル四方ほどの部屋。一人で生活する分には申し分ない広さだが、王族から見れば犬小屋も同然の広さだろう。
だがその中央の椅子に座る初老の男は、そんな不平を一片も見せずに静かに座っていた。
「おお、これはこれは。わざわざ起こしいただきかたじけない」
しかもかなり腰が低く、まだ名乗りもしていないのに立ち上がると、こちらに近づいて手を握って来た。
その物腰に不快なものは1つもない。
瞳も好々爺然とした優し気で、王というより引退したお爺ちゃんと言った方が良く似合う男性だった。
「オムカ王国軍師のジャンヌ・ダルクです。こちらは第一師団長のジーン・ルートロワ」
「初めまして、フィルフ王。ご尊顔を拝しまして至極恐縮にございます」
「いやいや、第15代フィルフ国王――なんという肩書も今や虚しい限りじゃ」
「お戯れを……」
「戯れで言えることでもないわ。今回の戦で南郡の行く末は見えた。まず滅ぶのは我が国よ」
「そんなことは――」
否定しようと思ったが、王の瞳を見て言葉が止まる。
何かすべてを諦めているような、それでいてすべてを見透かしているような瞳。
嘘を言ってもすぐに見抜かれるような気がしてならない。
だからはっきりと首を縦に振った。
「はい、おそらくそうなるでしょう。国力的にも、立地的にも貴国は圧倒的に不利です」
「ほっほ。軍事の天才にお墨付きをもらったのじゃな」
「そんな、天才など……」
「うむ、謙遜は美徳なり。だが腹芸はまだまだのようじゃの」
「……っ!?」
この人。気付いているのか、俺の狙いを。
南郡をオムカ領に組み込もうとするのを。
ここでその野心を暴かれたら終わりだ。
しかもそれを暴露するのが一国の王だ。
虚実など関係なくそれが事実として広まり、二度とオムカに心を寄せる人間は皆無になるだろう。
ごくりと唾を飲み込む。
だがフィルフ王はふっと視線を和らげ、少し視線を外して言葉を続ける。
「だがわしもまだ現役で国王だ。王として国民を守る責務がある」
「素晴らしい覚悟だと感じます」
それはフィルフ王の王としての在り方だけでなく、おそらく見抜いていながら話を変えたことに対する賛辞だった。
それを分かってか、フィルフ王は小さく笑みを浮かべると、
「覚悟だけあっても実力が伴わなければ何もできんよ。貴国の軍のようにな。よく鍛えられている。そして皆が何のために戦うか、それをしっかりと理解しているからあれほど強力なドスガ軍を一撃のもとに粉砕してしまった」
「兵たちに伝えましょう。一国の王の賛辞を受けるなど、光栄なことです」
「なんの、事実じゃて。それに比べてわが軍は弱い。もしかしたらワーンスにも勝てず、南郡最弱かもしれんの」
「いえ、もう南郡に争いはないのですから、その心配は杞憂でしょう」
会話をしながら脳を働かせる。
話の流れの行く先が見えない。
何のために俺たちを呼んだのか。
何のためにこの会話をしているのか。
それをさっさと読まないと、取り返しのつかないことになりかねない。
そう思った。
だがその後も、話の内容はあっちに飛びこっちに飛び、まったく要領を得ない会話となっていた。
俺もジルも先の見えない展開に疲労を覚え始めたころ、
「さて――そろそろ本題と参ろうか」
フィルフ王が姿勢を正し、そう切り出した。
途端、室内の空気が一変した気がした。
そして目の前にいる男も変わった。
そこにいるのは好々爺ではなく一国を背負う老王そのもの。
温和な瞳は、厳しい眼差しを浮かべ、きゅっと結ばれた口元には明確な意思を感じる。
自身が言った通り、ここからが本題、勝負だ。
そう思うとごくりと唾を飲み込む。
一体どんな話が飛び出すのか。
腹に力を込めて、王が口を開くのを待ち――
「我がフィルフは貴国、オムカ王国に対し従属を申し入れる」
「…………へ?」
耳を疑った。
ジルを見る。
目を丸くして、こちらを見返してきた。
どうやら聞き違いではないらしい。
従属?
フィルフ王国が、オムカに?
「聞き間違いでなければ、今、我が国に対し、その……」
「言いにくいのであればもう一度言おうか。フィルフ王国は我が権限を持って、オムカ王国に従属申し上げる。あとで女王陛下に渡す親書も書こう」
聞き間違いでも勘違いでも認識違いでもないようだ。
さっきありえないと否定したからまだ信じられない。だが現実だ。
「何も不思議なことはないぞ。我が国には他国に立ち向かう軍勢はない。ならば強い国に庇護を求めるのは当然であろう? オムカ王国は精強でその武威を存分に見せつけた。ならばオムカに従うのは至極当然」
「従属してやるから守れ、そういうことですか」
正直言って願ってもない話だ。
そもそもがこういったことのために南郡まで出張ってきたのだから、この申し出を受けない理由はどこにもない。
しかも相手からそう言いだしてくれることはかなり大きい。
無理やり従属させたわけではないから、外聞も問題ない。
ただ、あまりに呆気なく従属を申し出られると、何かあるのではと勘ぐってしまう。
「ふむ、その顔はわしの申し出が信じられんということかな。それも仕方あるまい。あまりに唐突な話じゃからな」
「いえ、そんなことは……」
「よいよい。それくらいの慎重さがなければ、国の代表としてこの乱世では生きていけないからなぁ」
「はぁ……」
「しかし困ったのぅ。本当に我が国を守って欲しいからなのだが……そうだの、行ってしまえば、わしはもう疲れたのかもしれんな」
「疲れた?」
「猫の額のような狭い土地を取った取られたの繰り返し。帝国に支配される時も、その帝国に恩を売ってわずかな土地を奪い合う謀略戦。一時たりとも気の抜ける日はなかった。わしもこのまま疲れ果てて死ぬしかないのかと絶望していた」
老王は過去を哀しむようにため息をつく。
「だがそんな時に聞いたのだ。オムカ王国が帝国から独立したと。虚報だと思ったよ。あの帝国に勝てるわけがないと。だが事実だった。さらに聞くところによれば、税率がかなり安く、しかも1年は無税という破格の状況にあるという。噂を聞きつけた周辺国から農民が流れたとも聞く」
あぁ、けどそれを実現するためには色々すったもんだがあったんだよなぁ。
今や良い思い出だ。
「それもこれも全て民を労わる精神から出た政策だ。かつてそんな国があっただろうか。わしはな、心底感動したのだよ。わしもそんな政治がしたかった。だが状況が、土地がそうさせなかった。……いや、それは言い訳だな。そうしようとする覇気が足りなかったのだ」
「それは、恐縮です」
「わしはな。正直、天下のことなどどうでもいい。だがこの辺りには邪まな人間が多すぎる。あのワーンス王とて、己の利益のためには誰を利用することもいとわない男だ。だがその中で、大国に一飲みにされそうな小国ながらも、民のために政治を行い、民を守るために戦う国がいると知った。そして実際に今話してそれは確信に変わった。そう思ったからこその従属なのだよ」
これまでの雑談は俺たちの真意を知るためのものだったのか。
「話は、分かりました。しかしこれは国の大事。早急に持ち帰り、女王の裁可をいただいてからの返事とさせていただきたく」
「もちろんそれは構わん。そうだな、いきなり従属と言ってもおそらく国は混乱するだろう。だからどうじゃ。貴国の兵を少しばかり我が国に駐屯させるのは。名目は、南郡の地域安定のため、とでもしておけば問題あるまい」
なるほど、悪くはない。
だが俺の目指すのは、再び南郡に騒乱を引き起こすこと。
そこに抑圧する力が残っていたら、それは不発に終わるかもしれない。
だがそこでジルが口を開いた。
「ジャンヌ様、この申し出受けましょう」
「ジル……」
あぁ、そうなるか。
ジルとしては、俺の方策のような後ろ暗いものではなく、正々堂々と南郡を手に入れようと考えているに違いない。
どうする。
考える時間はそうない。
俺の策かジルの策か。
前者は比較的安全。失敗してもこちらの戦力は減らない。ローリスクローリターンの策。
後者は万が一、駐留軍が孤立する可能性がある。その代わり統一を果たした時の効果はかなり大きいハイリスクハイリターンだ。
悩む。
ジルの視線を感じた。
はぁ……分かったよ。
「承知いたしました。それではわが軍から貴国に駐留させていただきます。その間にすぐに女王に打診し許可を取りましょう。重ね重ね、このような申し出をいただき感謝いたします」
「なに。わしは酷い老人よ。国を守ることを放り投げて、君たちのような若者に全てを任せるのだから」
確かにそういう一面もなくはない。
けど、これはオムカにとってとてつもない大きな話だ。
何より俺にとってかなり大きな喜びだ。
独立、農業政策、領地拡大。今までやってきたことが報われたと言っていい瞬間だからだ。
それ以上に――何か思い出せないが大きな課題をクリアしたような心地になる。
それだけで少し目から水がこぼれそうになった。
それをフィルフ王やジルに心配されたくない。
だから俺は頭を下げて顔を隠すと、
「それでも――感謝いたします」
これが一歩。
オムカが飛躍となる第一歩になる。
そう信じて、頭を下げて、感謝を述べた。
――はずだった。
この会見が、後に大事件を引き起こすことになるとは、その時の俺には、いや、誰にさえも――いやいや違う、あの人物を除いて誰も思わなかっただろう。




