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第29話 南郡救援2日目・軍議の席で

 久しぶりにお湯で体を洗い、屋根の下で眠った。

 それだけでなんて幸せな気分になるのだろう。


 時間にすればそれほど長く眠ったわけではないけど、目もぱっちり、頭もすっきりと寝起きは上々だ。


 それから俺とジルでワーンス王に謁見を申し入れると、王宮の中ではなく城門の上に連れていかれた。


 城門から見渡すと、小さく敵が見えた。

 2キロほど先、昨日のように3つに分かれていつでも攻めかかれるように陣を敷いている。


 そんな場所に呼び出されたのは、敵を見ながら軍議もしてしまおうということだろう。


「ま、まずは我らを見捨てずここまで来ていただき、し、しかも昨夜は危ないところを救っていただき感謝いたす」


 ワーンス王の第一声が、そう言って頭を下げるものだった。

 それには俺とジルだけでなく、護衛としている兵も驚くばかりだ。


「お顔をお上げください。我が国は対等な立場でこの国難に当たりたいと考えておりますゆえ」


 ジルが几帳面に礼を返す。

 ワーンス王は戸惑いながらも顔をあげると、


「そ、そうか? だがこうして気持ちを示すしか返せるものは……ないのだが」


「それならば昨日、兵たちに休息を与えていただいたことで返していただいております。貴国の兵たちも防衛戦で疲れていたでしょうに不寝番をしてくれたのですから」


「う、うむ……そうか。それならば」


 ワーンス王は小刻みに何度も頷く。


 この王様。見た目はひょろっとして頼りないが、言動も少し頼りない。

 年齢は30代の中頃くらいか。

 中肉中背の普通の体格。顔には口髭を生やしているが、ピンと整っているわけでもなくだらんと垂れているから威厳も何もない。

 年の割には落ち着きのない様子で、これが一国の王だと思うと見ていて少し不安になる。


 だがこの最前線とも言える場所に立つのは、かなりの勇気のいることだろう。

 ここの城壁はオムカよりはるかに低い。

 矢だって飛んでくるはずだ。

 なのにこうして危険を冒して王自ら出てきているのだから、その胆力はすさまじいものだと感じる。


 と、そこへ重苦しい足音を響かせて、長身の大男が近づいてきた。


「王様、わが軍の準備、整いました」


 男は巨大な体を折り曲げて、ワーンス王の前に跪く。


「う、うむ。そうだな。おお、ここにいるは我が国随一の武勇を誇るユン大将軍だ。こちらはジーン師団長殿とジャンヌ軍師殿。我が国とオムカ王国。協力してドスガを追い払おうではないか」


「よろしくお願いいたす」


 ユン大将軍が立ち上がり小さく頷く。

 デカい。2メートル近くあるんじゃないか。

 ジルも大きい方だが横幅はあまりない方だ。だから二回りくらい大きく見える。

 俺に至っては大人と子供だ。実際の年齢はそうだろうけど。


 だが、男は王様よりも友好的ではないようだ。

 その目に潜む光には、少し暗いものが混じっている気がした。


 もちろんジルも気づいただろうが指摘しない。


「よろしくお願いします、ユン大将軍」


 とだけ返した。

 俺も当たり障りのない返答をする。


 だがユンの方はただでは終わらすつもりはないらしい。


「ほぅ、貴君が噂に名高いジャンヌ・ダルク。これまたどんな老練ろうれんな男と思いきや、このような小娘とは。いや、オムカは機略きりゃくがうまい。このような年端も行かない少女の力と喧伝けんでんして、周辺国を威圧するとは」


「こ、これ。ユン大将軍。言葉が過ぎるぞ」


「なに、事実を言ったまで。本当は全て貴君の軍功なのだろう、ジーン師団長殿。あるいはオムカの柱石、ハワード総司令殿の策略かな。あの御仁は油断ができぬ相手と聞くからな。はっはっは!」


 ユンが笑いながら去っていく。


「――――」


 その時、ジルから音が消えた。

 変な表現だが、まさにそれが的確だと俺には理解できた。

 そしてそれが本気で怒っている時だということも。


 これほど怒りをあらわにするジルを見るのは初めてだった。

 同時に思う。怖い、と。


 だから今にも爆発しそうなジルに驚きつつ、止めなければという使命感が体を動かす。


「ジル」


 ジルの前に体ごと入る。

 一瞬、吹き飛ばされそうになった。

 それでもたたらを踏むだけで済んだのは、ジルが咄嗟に身を引いたからだ。


「ジャンヌ……様」


 我に返ったように、目をしばたかせるジル。

 そして言おうとするのを制して先に言葉を投げかける。


「ジル、いいんだ」


 きっとジルは俺のために怒ってくれたのだろう。

 その気持ちは痛いほど分かるし、そう思ってくれたのは素直にありがたい。


 でもここはこれでいい。

 言いたい奴には言わせておけ。

 彼らだっていつまで味方でいるか分からないのだから、今のうちに手をさらす必要はない。


 その思いが通じたのか、ジルの体から力が抜ける。

 そして小さく頷き、


「分かりました、ジャンヌ様」


「す、すまないのだ。ぶ、部下が失礼なことを」


 ワーンス王が額の汗を拭きながら謝罪してくる。

 ジルが自分に向かって飛んでくると思い、戦々恐々していたのだろう。


「いえ。自分も慣れてるので」


「そ、そうか。そうなのか。し、しかし、本当なのか? その、貴君が独りでエイン帝国を追い払ったというのは? 100万の軍勢を壊滅させたとか!?」


 どんだけ尾ひれがついてるんだよ。

 ま、これもいつものこと。だから俺は少し笑みを浮かべるだけで応える。


「な、ならドスガなぞ追い散らすのは朝飯前だな!? そうだな!?」


「それをこれからお見せしましょう」


 二ッと笑って見せると、ワーンス王は虚を突かれたようにハッとして、そしてきょろきょろと視線を動かしたかと思うと、


「う、うむ」


 こくりと何度も頷く。

 落ち着きがないというかなんというか。

 若干見てて可愛いと思うのは俺だけだろうか。


「ただその前に確認させていただきたい。この城の食料はどれほど持ちますか?」


「そ、それはドスガがフィルフを攻めている間にかき集めた。フィルフを落としたらここに来るのは分かっていたのでな。だ、だから2,3年は籠っても城下の人間が暮らせる分は保管してある」


「それはすごい。ということは、貴国の軍が確か5千ほど。我々が1万と考えると少なく見積もっても半年以上は食べるものに困らないということですね」


「そ、そうだの。で、で、どうなのだ? 勝てるのか? 半年籠城していれば敵は退いてくれるのか?」


「いや、無理でしょう」


「な、なんと!? ど、どういうことなのだ!?」


 この人、表情がコロコロ変わって面白いなぁ。

 今までにないタイプの人間だ。


「残念ながらこの城は防備に向きません。何より城壁が低すぎるし、厚みもない。堀もなければ川もない。いくら食料があっても水の手を切られれば終わりです」


「し、ししししかし! 貴君は勝てると思ってるのではないのか!? あ、いや、言ってはいないが、お見せしましょうとはそういうことではないのか!? もしかしてわしをたばかったのか!? だ、騙したのか!?」


 顔を、いや体中をぶるぶるふるわせてワーンス王が詰め寄ってくる。

 なんだかここまで来ると気の毒に思えてくるな。

 あまりもったいぶらずにはっきり言ってあげた方がよさそうだ。


「いえいえ。この戦いに勝つには籠城では勝てないというだけです。だから野戦で敵を追い払います」


「や、野戦? あのドスガと?」


「はい」


「そ、それはどうなのだ? ドスガはこの5カ国の中で最強とも言われる強靭きょうじんな軍隊を持つ。しかもそれを率いるのが一騎当千の5人の将軍。ドスガ四天王と言われる猛者たちだ。とても叶うわけがないぞ!」


 出たよ四天王。

 しかもまぁ、これまた流していいのか笑っていいのか。

 5人で四天王を名乗るのだからお笑いだ。龍造寺りゅうぞうじ四天王かよ。


 そんな名の売れた5人だから、ドスガ王も含めて『古の魔導書エンシェントマジックブック』で検索ができた。

 伝記が出てきたということはプレイヤーではない。

 そして5人が5人、武力偏重で戦争は力こそすべてと言わんばかりの、いわば脳筋将軍たちだ。


 それぞれが軍略に沿って攻めて来れば恐ろしいのは確か。

 だが、ただ闇雲に攻めて来るのであれば、闘牛のようにいなしてしまえばいい。


 幸い、ドスガ軍には名の売れた軍師格の人物はいないようだし。


 さらに極めつけが相手が混成軍ということが大きい。

 ドスガに武力で屈服させられたトロン、スーン、フィルフの軍。

 降伏して日も浅い連中だから、上手くやればこちらに寝返ることも期待できる。


 これほどの要素が揃えば、負ける理由を探す方が難しい。


 とはいえ、油断は禁物。

 戦場では何が起こるか分からないから、慎重に動かなければ万が一で負けることもありうる。


 何より――


「この戦、一撃で終わらせる必要があります」


「い、一撃? どういうことなのだ? なぜそのような無茶苦茶なことをしなければならんのだ!?」


「この戦い、ドスガ王の野心から出たものですが、そもそもをたどればスーン王国が領土拡張のために兵を出したことに始まります。もしここで少しでも手こずりでもすれば、ドスガ王を倒したとしてもまた背く国が出て来るでしょう。そのためには圧倒的な戦果を持って、相手を屈服させなければなりません。ワーンスとオムカ、その2国が揃えば勝てるはずがない、そう思わせることが第一。そのため一撃と申したのです」


「そ、そうか。なるほど。この戦いの後を考える。それが軍師というものなのか」


 今の言葉は半分本当で半分嘘だ。

 一撃で相手を屈服させたいのは本当だが、それは抑止力の意味での屈服ではなく、後々にオムカに組み込むために今のうちに上下関係をつけるための意味合いが強い。

 つまりオムカ軍の強さを際立たせて印象付ける必要があるのだ。


 敵を騙すにはまず味方から。

 この人畜無害な王様を騙すのは気が重いが、やらなければオムカに未来はないからと自分に言い聞かす。


「…………」


 ジルの無言が痛い。

 もちろんジルもこの本当の意味を知っている。

 知っていて、それで何も言わない。


 それは俺を信頼してくれているのか。

 それとも反対のつもりで無言でいるのか。


 分からない。

 その答えを聞くのが若干怖い気もして聞けない。


 それでももう賽は投げられたのだ。

 ここまで来たら進むしかない。


「では、まずオムカのみで敵に当たります」


「よ、よいのか?」


「ええ。一晩寝てばっちりです。それよりそちらの軍こそお疲れでしょう。今日は我々に任せていただきたい。とはいえ、それほど本格的な戦闘にはならないでしょうが」


「ほ、ほう?」


 ワーンス王が大きく首をかしげる。

 だがしつこくは聞いてこない。それはある意味、為政者として正しい在り方なのかもしれない。

 そんな人物を騙すのか。


 いや、迷うな。

 俺は小さく頭を振って、ジルに視線を向ける。


「ジル。まずはジャンヌ隊を出す。鉄砲で脅してからは臨機に。無理に攻めることはない。あと、本国へ早馬を。戦況報告を送りたい」


「…………はっ」


 ジルがしばらくの沈黙のうちにそう答えた。


 やっぱりジルは反対なのだろうか。

 こんな汚いやり方は。


 だがオムカが生き残るにはどうしても南郡が必要なんだ。

 そしてそれはこのワーンス王国も含まれる。

 つまりいずれは戦って屈服させないといけない相手だ。


 だから分かってくれ。

 お前にまで見放されたら、俺は…………。


「分かりました、ジャンヌ様」


 俺の視線を受けたジルは、そう言って小さく笑った。

 その何もかもを許すような笑みに、俺はホッと胸をなでおろす。


「では、失礼いたします、ワーンス王」


 律儀に礼をして去っていくジル。

 その後ろ姿を見てホッとするもつかの間。俺自身も準備をしなければと思いなおす。


「私も準備がありますので失礼します。ここも流れ矢が飛んできて危ないでしょう。今のうちに王宮へおさがりになって、後は我々に任せてください」


「う、うむ。そうだな。そうだ。そうしよう。では、ジャンヌ殿。よろしく頼むぞ」


 護衛の兵に連れられ去っていくワーンス王を見て、やはりまた胸が痛む。

 そんな寂寥せきりょうの想いを振り払い、俺は城壁から降りた。


 そして向かうのはオムカ王国の軍に割り当てられた営舎。

 そこはジルの命令を受けて慌ただしく出撃の準備をする人員でごったがえしていた。


 その隙間を縫って奥へ。

 静かな空間が広がっていた。


 動く影は少ない。

 なぜならほとんどが負傷してベッドに寝ているからだ。


 病室。

 そこにクロエはいた。


「あ、隊長殿……」


 頭に包帯を巻き、右目を隠すようにしている。

 さらにパジャマの裾から見える腕に包帯が巻かれて、赤くにじんでいるところもあって痛々しい。


「しゅ、出撃ですか? 今、参ります」


「ばーか。お前はここで休んでろ」


 昨日の突撃で、かなり無茶をしたらしい。

 全身に傷を負い、左肩に受けた傷が重いとのこと。


 朝見た時はまだ眠っていたが、どうやら意識は戻ったようで、とりあえずは安心した。


「うぅ。しかし……」


「しかしもお菓子もない! おい、ウィット。こいつが無茶しないかちゃんと見ておけ」


「はい! 隊長殿!」


 クロエと同じジャンヌ隊副隊長のウィットが背筋を伸ばして敬礼する。

 16歳。男。眼鏡君。

 とにかく真面目が取り柄で、直感的なクロエに対し理論派の副隊長として部隊を率いる。

 ある意味よくバランスの取れた人員配分だった。


「くっ……ウィットごときに監視されるなんて、一生の不覚」


「悪態をつく暇があったらさっさと直せ。ま、お前がここでリタイアしてくれた方が、俺としてはありがたい。隊長殿の寵愛ちょうあいが俺だけに向くことになるんだからな!」


 ウィットって俺には従順だけど、若干鬼畜メガネなところあるよなぁ。

 人選間違ったか?


 まぁいいや。

 どのみち今日は置いてくつもりだったし。


「えぇ!? そ、それじゃあ自分は……」


 それを告げるとウィットが悲しみに満ちた表情を向けて来る。


「いや、ウィットは副隊長だろ。今日欲しいのは鉄砲隊だし、指揮は別だし。残った兵をちゃんと見てやれよ」


「う、しかし……鉄砲くらい自分も」


「扱えないだろ」


「ぐっ……あ、あんな武器は論理的に言って音で驚かせるくらいしかなく、一発一発の準備に時間がかかるだけではなはだ非効率の極みと言ってもいいほどのもので――」


「はいはい、分かったわかった。けど今回はそれが必要だから。お前はここで残った兵とクロエの管理! いいな!」


「…………はい」


 丸わかりなほど嫌々渋々と俺の命令に従うウィット。

 それをにやにやとした表情で見やるクロエ。


「ええい、貴様がそんな怪我してるから!」


「うっさい! あんたが働かないから怪我したんでしょうが! どれもこれもあんたのせいよ!」


「貴様が独りで突っ走った結果だろうが!」


 はぁ……本当にこいつらは仲がいいのか悪いのか。

 ともあれクロエも元気そうでよかった。


 それだけのことが、少しだけ、俺の後ろめたさを小さくした。

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