4.白熊、過去の大失態と巡り合わせる。
「おい、こんな所にぬいぐるみを持ち込んでいる奴がいるぞ」
(いえ、ここに座っているのは、ぬいぐるみではありません)
心の中で反論しても意味はないと分かってはいるが、ミナリアは抗議せずにはいられない。
何故なら、会場に入って来る人たちがミナリアの所為で、エリックに対するとんでもない勘違いをしているからだ。
ミナリアは事前に、学園では嫌でも注目を浴びることになるだろうと先達者である父から聞いていたので、ある程度の覚悟はしていたが、こう何度も言われるとミナリアも段々辛くなってくる。
ミナリアは基本的には落ち込むことがあってもそこまで引きずるタイプではない。
落ち込むときはとことん落ち込んだ後、ふんにゃりと笑い前向きに努力していくようなタイプの熊だ。
そんなミナリアでも、幼い頃の心の傷は深く、根深いようで、何度も他の人と自分の容姿が違うことで起こる周りの反応に悉く打ちのめされていた。
何度も落ち込み、その都度、何度も立ち上がってきたミナリアであっても、今回は人の多い会場での出来事なので中々浮上することができず、落ち込むばかりであった。
そんな心境でありながらも、心に刺さる言葉を聞く度に、何とか、怯えたり、悲鳴を上げて逃げられることはないだけ、まだましなのだとミナリアは自分に言い聞かせ続ける。
そんな心境でありながらも、今のミナリアには他に気になることもあり、うまい具合に意識が分散されており、立ち直れないほど打ちのめされるというところまではいっていない。
だが、平静にしているつもりでも、ショックを受けていることは隠しきれなかったのか、隣に座るエリックが何度もミナリアに気を遣って話しかけてくれていた。
そう、あの後もこんな風に声をあげられ、愛称呼びに対してエリックに確認することもできずに話が中断されてしまった。
他に何人も新入生らしき人が会場に続々と集まってきているので、ちょうどいい頃合いの時間だったのだろう。
ミナリアとしてはもう少し時間があればエリックに愛称呼びに関して聞けたのだが、タイミングを逃してしまったため、結局、聞けず仕舞いに終わってしまっている。
まあ、そんなことがあり、内心動揺したまま、何の心の準備もなく、先程のぬいぐるみ発言を聞いてしまうこととなったため、分かっていたことだとはいえ、余計に落ち込むことになったのだ。
とは言え、それよりも問題なのは、エリックが入学式にぬいぐるみを持ち込むような人物であると、とんでもない認識を周りに植え付けてしまったかもしれないことだ。
ミナリアがその誤った認識を訂正する暇もなく、ぬいぐるみ発言の主は離れた席の方へと行ってしまったため、ミナリアはエリックに対する誤解を解くことができなかった。
(エリックがぬいぐるみを持ち込んだのではなく、このぬいぐるみは自分でやってきたんですよ……!)
と、そんな風に心の中で反論しても、相手に聞こえていないので全く意味がない。
とんでもない噂が広まる前に、早めに訂正しなければとミナリアは心に誓った。
エリックの愛称発言に唖然としていたロベルトは、今、ここにはいない。
あなたなんてことを、と言いながら徐々に青ざめ、エリックの頭を鷲掴み、再びお説教の流れになりそうだったのだが、知り合いに呼ばれたようで、止むを得ずエリックへのお説教を諦め、呼んだ人の方へと向かって行ってしまった。
(去り際、ロベルトがエリックに、後でお説教ですと言い渡し、何度もこれ以上問題を起こさないようにと釘を刺していたのがとても印象的だった……。…………もしかして、エリックは問題児なのではあるまいか……?)
一瞬、そんな疑惑が頭を過ったが、何気なくロベルトを目線で追いかけている内にそんな疑惑は頭から吹き飛んでしまった。
ロベルトを呼んだ人がこちらに気が付き、軽く会釈をされたのだ。
しかし、ミナリアはそれにぎこちなく返すことしかできず、どうしてという言葉で頭がいっぱいになる。
ミナリアが学園に通うように他の人だって学園に通う。
そんな当たり前のことに気付かず、まるで心構えが足りていない内にあの事件の当事者と再会してしまったのだ。
――あの大失態を犯した王宮でのお茶会。
いつか、あの時に迷惑をかけてしまった人に謝りたいとミナリアはずっとそう思い、過ごしてきた。
それなのに、その、いつかの機会が巡ってきたにも拘わらず、ミナリアは驚きに身体を硬直させるだけ――。
あんなに、後悔し、謝罪の機会を待ち望んでいたというのに、ミナリアの意思に反して身体は一切動くことはなかった。
「ミーナ? どうかした? 大丈夫?」
エリックが心配そうに声を掛けてくれたことで、ミナリアは先程の衝撃から我に返る。
軽く手を叩かれたことで、どうやらエリックと繋いでいた手をぎゅっと握りしめていることに気が付き、ミナリアは慌てて握っていた手を緩め、エリックの手を傷つけていないかどうか確認する。
無意識の行動でもエリックの手に爪を立てるようなことはしていなかったようで、エリックの手を傷つけていないことに、ほっと一安心する。
「ごめんなさい。痛くありませんでしたか?」
「大丈夫だよ。俺よりもミーナは大丈夫?」
「あ、……だ、大丈夫です」
エリックに大丈夫かと聞かれ、ミナリアは何とかそれだけ返した。
ミナリアの頭の中で、どうしよう、どうしたらいいのかとずっと考え続けているが、答えは出ない。
ただ、あの時のことを謝りたいと思っているのに、ミナリアの身体は思う様に動かず、無意味にぐるぐると同じことを考え続けている。
自分の思考に囚われてしまったミナリアの反応の鈍く、それを見てどう思ったのか、エリックの雰囲気が段々と暗く、鋭くなっていく。
「あれはラルフだね。ミナリア、あいつに何かされたの? 俺が懲らしめてこようか?」
ミナリアが見ていた方をエリックも見ていたのか、ミナリアの変調の原因が彼にあると判断し、今にでもラルフに殴りかかりそうなエリックの言葉に、別の意味でミナリアはどうしたらいいのかと焦ってしまう。
「い、いえ、大丈夫です。あの方に何もされていませんよ」
ミナリアはラルフに何もされていない。
無論、嘘ではない。
ラルフがミナリアに何かしたのではなく、ミナリアがラルフに酷いことをしてしまったのだ。
大事なお茶会を台無しにして、ラルフに多大なる迷惑をかけたのだ。
いや、それだけではなく、ミナリアの耳に入っていないだけで、お茶会の失敗によって、ラルフの評価を貶めているかもしれない。
そんなミナリアの所為で、ラルフにとんでもない濡れ衣を着せ、更に迷惑をかけるわけにはいかず、また、エリックと親しい間柄にありそうなのに、二人の間に変な蟠りを作りたくはなかった。
そういった思いから、ミナリアは必死にラルフを弁護した。
「そう? もし何かされたら言ってね。ちゃんと報復するから」
何とか納得してくれたものの、エリックは物騒な言葉を残し、ミナリアの手をもふもふするのに勤しみ始めたので、やや懸念はあるものの、ミナリアは内心安堵でほっとしてしまった。
それにミナリアには一つ気になっていることがある。
先程の彼はラルフと呼ばれていた。
ミナリアの知っている名前と、実際に呼ばれている名前が違っていたのだ。
一瞬、人違いかと思ったが、そんなことはないと思い直す。
数年経ったからといってミナリアが見間違えるわけがない。
顔立ちが少し大人びているものの、あの時と全く同じ顔だからだ。
ミナリアの見た目は白熊だが、記憶力はいい。
それもこれも、見た目が白熊なのはどうにも変えられないことなので、それ以外でカバーしようと、出会った人の顔は忘れないようにしているのだ。
ミナリアはあの出来事から更に精進していっているのだ。
(目指せ、素敵な白熊ライフ!!)
ちょっと話がずれたが、なので、ここから多少距離があったとしても、見間違えているはずがない。
それならば可能性としては、愛称で呼ばれているか、もしくは偽名だから。
だが、愛称の線は限りなく低いため、恐らく、偽名を名乗っているのだろう。
理由は分からないものの、もし、何らかの事情があって偽名を名乗っているのなら、知り合いでもないミナリアがここで話しかけてしまったら、ラルフの邪魔してしまう可能性がある。
ミナリアは気になってはいるものの、とりあえず、この問題は置いておくことにし、今はエリックといるのだからと気持ちを切り替える。
ミナリアの雰囲気が変わったことが分かったのか、エリックはここぞとばかりにミナリアに話しかけてくる。
「ねぇ、ミーナ。森の中で会った時に、籠一杯に苺やベリーが入っていたけど、好きなの?」
エリックに手を取られたまま、ミナリアはエリックの質問に満面の笑みで答える。
「はい。私は特に苺が好きです!」
「そうなんだ。苺が好きなんだ」
ミナリアの元気いっぱいの返答を、エリックがニコニコと聞いており、今ならあの話も聞けるのではないかと今度はミナリアの方から話を振ろうとする。
がしかし――
「あの、エリック様――」
「おい、あのぬいぐるみしゃべってないか!?」
ミナリアが先程の愛称の話を聞こうとすると、何故だか第三者に遮られる。
またしても愛称についての話はできなかった上に、何度目かのぬいぐるみ発言にミナリアの心は折れそうになる。
その後も何度か愛称について確認しようとする度、中断されるため、途中からはもう愛称について聞くことは諦め、ミナリアはエリックについて質問するようになっていた。
それに――、
「エリック様は――」
「ミーナ、リックだよ。ほら、言ってみて」
「あの、エ――」
「リックだよ」
「リック様は――」
「リック」
「リックさんは――」
「まあ、いいか。――なぁに、ミーナ?」
といった具合に、いつの間にやら、愛称呼びが固定されることになってしまい、ミナリアは何故だろうかと首を傾げることとなった。
それに、何故この話題は遮られないのだろうかと不思議で仕方がない。
もっと言うなら、会話を遮った人もすぐにどこかに行ってしまうので、ミナリアは心底不思議そうに首を捻っていた。
――そうこうしているうちに入学式が始まる。
相変わらずエリックに手を取られたまま、入学式に挑んでいたのだが、新入生代表の挨拶になった時に、件のラルフが壇上に立った姿が見えたが、ミナリアは先程よりも落ち着いた気持ちで見守ることができた。
それは、ミナリアの手を取ってさり気なくもふもふしていたエリックが、ラルフが壇上に立つと同時に手を繋ぐように握り直してくれたからだ。
まるでここにいるよと言わんばかりに、安心させるように笑うエリックのおかげで、ミナリアは落ち着いてここにいることができる。
エリックの心遣いに感謝をしながらラルフの挨拶を聞いていたのだが、最後に読み上げられた彼の名前はやはりミナリアの知っているものとは違っていた。
――新入生代表ラルフ・フォーリア
あぁ、やっぱり偽名だったのかと思い、ミナリアは決意する。
『何か理由があって偽名を名乗っているラルフにミナリアの都合は押し付けない』
ラルフに謝りたいのはミナリアの都合であって、彼の都合ではない。
なら、今、ミナリアにできることは、知らないふりをすること。
ラルフの足を引っ張らないように気を付けなければならない。
ミナリアがエリックと仲良くしていたら、ラルフとも関わることも増えるだろう。
その中で、もし、もしも機会ができたら――。
そうしたら、あの時のことを謝れるといいなと、そうささやかに願った。
――式も終わりに近づき、最後にリュミエール魔法学園の先生方による魔法が披露される。
壇上に五人の先生方が立ち、その中の一人が前に出て片手を挙げるとホールが徐々に薄暗くなっていった。
暗がりに目が慣れてきた頃、突如、火の玉が現れた。
それに驚いていると、炎が出現し、炎は犬の形を取り、火の玉を追いかけて行く。
同じように何匹か出現した炎の犬が最初の炎の犬と同じように火の玉を追いかけ始める。
その姿に見入っていたら、今度は水の玉が出現し、それを追いかけて遊ぶ水の猫たちが現れ、更には雷でできた鳥たちがその上を飛び回る。
無邪気に遊びまわる動物たちの傍に砂が舞ったかと思えば、すぐに小人の姿へと変わり、動物たちと一緒に駆け回っていく。
まるで御伽噺のような光景に見惚れながら、ミナリアは精霊たちのことを思い出し、この光景を一緒に見ることができなかったことを残念だと思った。
(精霊たちならきっと喜んだだろうに……)
いつもは何体か交代で一緒にいるのだが、今日は忙しいようで誰も一緒に来ていない。
それに、上位精霊から上の位の精霊たちは、精霊の意思次第で人の目に見えるようにすることができるそうなので、精霊たちが許可してくれたら、エリックにミナリアの大切な友達を紹介したかったと、ここに精霊たちがいないことを非常に残念に思った。
そして、よくよく考えると、精霊たちも自分の姿と同じように象られたこの光景を見たらきっと喜ぶだろうと思ったのだが、種族が違ったり、そもそも自分の姿を模していないことに怒り出すかもしれないことに気が付き、そう考えると今ここにいないことはよかったのかもしれないと、つい安堵してしまった。
「ミーナ、綺麗だね」
「はい、綺麗ですねぇ」
エリックがこちらを向いて笑いかけてくれる。
ミナリアもエリックに言葉を返しながら、しみじみとこの幸運に感謝する。
本来ならミナリアは一人でこの光景を見ているはずだった。
周りから遠巻きにされながら、ひとりぼっちで寂しい気持ちを誤魔化して、この光景を見ていただろう。
しかし、実際は違う。
今、隣にはエリックがいてくれる。
同じものを見て、感動を共有できる人がいるということはとても幸せなことだ。
偶々、森で出会っただけのミナリアの傍に、怯えることもなくニコニコと笑って一緒にいてくれるのだ。
もう一度エリックの方を見ると、ちょうどこちらを向いたエリックと目が合い、にっこりと微笑まれ、繋いでいる手をぎゅっと握られる。
どうしてかは上手く言い表せないけれど、ミナリアの心の中がぽかぽかと温かくなり、エリックから目が離せなくなってしまう。
しばらく二人見つめ合っていると、窓も開いていないのに強い風が吹いた。
ミナリアが驚いて周りを確認すると、ホール中を駆け回っていた動物たちが幻のように消えていってしまう。
そうして、再び、辺りが薄暗くなったと思ったら、次の瞬間、一面に色とりどりの花火が上がっていく。
次々と合間を空けることなく上がっていく花火にミナリアは、ほわぁと間抜けな声を出しながら見惚れていたが、最後に今までで一番大きい花火が上がると、何色ものキラキラとした光の余韻を残してまた元の暗がりに戻ってしまった。
会場は徐々に元の明るさを取り戻し、先生方によって披露された魔法の余韻に浸りつつも、学園長が閉会の挨拶のために壇上に立ったその時――。
この広い会場中にキラキラと光が降り注ぐ。
「わぁ、綺麗」
「何だ? まだ続きがあるのか?」
明るい中でもはっきりと分かり、細やかな粒子のようにキラキラと輝く光に他の生徒たちから歓声が上がる中、光は徐々に形を取り始め、花へと変化していく。
角度によって様々な色に変わって見える虹色の花。
ミナリアが何度か目にしたことのあるその花は、人の世界には存在せず、精霊の世界にしかないはずのもの――。
学園の先生方が披露した花火の光とはまた違った輝きを放つ花に見惚れていると、ミナリアの上空から花束がゆっくりと舞い降りてくる。
ミナリアはそれを落とさないように慌てて立ち上がり、そっと受け取った。
この花束は先程舞い降りてきた花と同じ、虹の花が束ねられ、綺麗なリボンでまとめられている。
誰がこのようなことをしたのかが分かったミナリアが周りを見渡すと背後からいくつもの軽い衝撃を受けた。