3.白熊、糸目に気に入られる。
「あ、ああああの!? お話し中大変申し訳ないのですが、至急、解決しないといけないことができてしまいまして、少しお時間をお譲り頂けないでしょうか?」
新事実に気が付いてしまったミナリアは、未だにお説教中の二人の間に割り込んでロベルトにお願いする。
エリックと話をしたいのだということも付け加えて、その場を譲ってもらえないかと訴える。
実際のところ、どうなのかはっきりさせないとミナリアが落ち着けない。
不躾で大変失礼な行いであることは分かってはいるが、ミナリアの心の平穏のためにもどうにかお許し願いたい。
「えっ?! えぇっと、ど、どうぞ……?」
ミナリアの突然の申し出にロベルトが戸惑った様子でその場を譲ってくれた。
ロベルトに丁寧にお礼を言ったのち、正座するエリックが身体ごとこちらを向いてくれたので、相対したエリックにミナリアは自分が気付いてしまった事実を一つ一つ確認を取るようエリックに質問をしていく。
「あの、私のこと森で出会った者だと何で分かったんですか?」
ミナリアの質問にエリックは不思議そうな顔をしながらも、すらすらと答えていく。
「だって、森で見たから」
「見た、とは……?」
嫌な予感に言葉が止まりそうになりながらミナリアは質問を続けていく。
「え? だから、白熊さんが赤い宝玉の苺や紫の奇跡のベリーとかが入った籠を置いてくれた時に、顔を上げたら普通に姿が見えたよ」
あぁ、やっぱり、とミナリアは諦めにも似た気持ちを抱いた。
「その時、私の姿を見たんですね?」
「うん、そう。……見たらダメだった?」
「いいえ、そんなことは……」
(そんなことはない……)
ただ、ミナリアに覚悟がなかっただけだ。
あの時は見られていないと思い込んでいたから、時が経ち、今、改めて見られていたと分かり、動揺してしまっただけだ。
そこで、はたと気が付いた。
今日、何でこの人は抱き着いていたのだろうか、と。
(私の姿を見たなら避けてもおかしくはないのに、何故?)
ミナリアはその疑問を本人に直接ぶつけてみることにした。
「あの、私の姿を見たのにどうして、今日、声を掛けてきたのですか?」
エリックはミナリアの質問に首を傾げながら端的に答える。
「助けてもらった人を見かけたら、お礼を言うのは当たり前だから」
何故こんなことを聞かれているのか分からないとでも言いたげな顔で、ミナリアを見つめキッパリとそう言った。
「あ、……それは、そうですね……?」
思わず肯定したが、ミナリア聞きたかったこととは少し違う。
「いえ、そうではなく。人とは違う私の姿を見たにも拘わらず、どうして声を掛けてくれたのかと」
「え!? 白熊さんには話しかけちゃダメだったの!?」
(違う。そうじゃない)
エリックには遠回しの言い方が伝わらないなら、直接、尋ねるしかない。
人にどう見られているのか、よく分かっているつもりのミナリアでも、あまり口に出して言いたいことではないが、ミナリアの知りたいことをエリックから聞き出すには言うしかない。
例え後でどれだけ自分が傷つこうとも。
「そうではなく、この白熊姿を見て、驚いたり、嫌な気持ちになったり、怖いと思ったりはしなかったのかと。その上で、何故、声を掛けてきたのかが知りたかったのです」
そこまで言い切って、ミナリアはぎゅっと目を瞑った。
無意識の防衛反応だ。
エリックからも他のみんなと同じような言葉を掛けられると思い、耐えるかのようにミナリアは身体を強張らせる。
「ん? …………確かに吃驚はしたけど、別にそういう気持ちにはならなかったなぁ」
先程と全く変わらない声音で紡がれた言葉にミナリアは瞑っていた目を開ける。
「白熊さん、可愛いよ。ふわふわしてて可愛くて、俺はいいと思うよ」
ミナリアの目に映るのはエリックの満面の笑み。
(ふわふわ……。可愛い……)
エリックの言葉が心に沁み渡ると強張っていた身体から徐々に力が抜けていく。
そんなミナリアを見て、エリックは腰を上げるとミナリアの隣の席に座り直し、ミナリアのふわふわの手を取って撫で始める。
「おぉ、ふわふわだぁ。いつまででも触っていられそう」
ミナリアの毛皮を堪能し、喜んでいたエリックはミナリアのもう片方の手も取り、両手で握りしめ、ミナリアとしっかり目を合わせて心の内を伝えてくれる。
「白熊さんはふわふわだし、可愛いし、親切で優しい。そんな白熊さんを嫌がったり、怖がったりするわけがないじゃん」
そうきっぱり断言されると、ミナリアは何だか恥ずかしくなり、そわそわしてしまう。
「うん。白熊さんは機嫌よさそうにしている姿の方がずっといいよ。あの日も帰っていく後姿を見て可愛いなぁ、と思っていたんだ」
なんと、あの姿を見られていたのか、とミナリアは吃驚すると同時に恥ずかしくなる。
浮かれていた姿を見られるのは非常に恥ずかしく、いつものように顔を隠してしまいたいのだが、エリックに両手を取られているのでそれはできない。
毛皮があるにも拘わらず、顔が赤くなっているのが不思議とよく分かるミナリアが、恥ずかしさのあまり縮こまってしまっているのもお構いなしにエリックは言葉を続ける。
「それでね。あの後からずっと、白熊さんと仲良くなれたらなぁ、と思っていたんだ。でも、中々、森に行けなくて……。今日、白熊さんを見かけて嬉しくなって、思わず声を掛けたちゃったんだ。今日、会えてよかった」
「仲良く……」
「そう、仲良く」
ニコニコと嬉しそうにそう言われると、嘘ではなく本当にそう思って言ってくれているんだとミナリアにも分かる。
(ミナリアと仲良く……)
その言葉が胸に沁みると、ミナリアの心の中は喜びでいっぱいになる。
「――嬉しいです。……ありがとうございます。私もっ! 私もあなたと仲良くなりたいです!」
溢れる思いのまま、ミナリアは言葉を口にする。
(嬉しい! 物凄く嬉しい!)
ミナリアは嬉しくてたまらかった。
家族以外で仲良くなれる人はおらず、学園でも今度こそお友達ができればいいなと思っていたが、受付での出来事もあり、もう、ミナリアには友達を作ることはできないんじゃないかと諦め気味になっていた。
(――でも、違った)
ミナリアを嫌がったり、怖がったりしない人がいる。
ミナリアと仲良くしたいと言ってくれる人がいる。
それが、何よりもミナリアは嬉しかった。
知らず知らずの内にミナリアは誰が見ても笑っていると分かる表情を浮かべていた。
この心の中に溢れている気持ちを上手く言葉にしてエリックに伝えられないもどかしさを持て余しながらも、ミナリアがエリックに視線を向けると、今まではよく見ることができていないエリックの瞳がはっきりと分かることに気が付く。
(――あっ!)
「瞳の色は赤色なんですね。――綺麗です……」
エリックの綺麗な赤い瞳を初めて見た感動で、無意識に思ったことがそのまま口から零れ落ちていた。
「え……!?」
エリックの身体が、一瞬、びくりと反応し、開かれていた瞳が直ぐに閉じられてしまい、エリックの手が離れていってしまう。
エリックの瞳が再び隠れてしまったことをミナリアが内心残念に思っていると、エリックが戸惑うように尋ねてきた。
「今、俺の目を見たよね……?」
どういう意味で問われているのかよく分からず、ミナリアは素直に思いのまま答える。
「はい。綺麗な赤色でした」
ミナリアが嬉しそうにそう報告すると、エリックは更に戸惑ったような声を上げる。
「う、ん、そうだけど……。…………嫌じゃないの?」
「嫌……?」
ミナリアは問いかけの意図が分からず、同じ言葉を繰り返してしまう。
「うん。この瞳の赤は魔眼の証なんだって。魔眼は人に不快な思いをさせるものらしくて、小さい頃から嫌がられることが多かったから。…………白熊さんは嫌じゃないの?」
「そうなんですか? 私は嫌ではないですねぇ。綺麗に透き通った赤色は綺麗だと思うのですが……」
ミナリアはそう言ってから、ふと思い付き、とある事情により特別に許可を取り、持ち歩いている斜め掛けの真紅のポシェットから小さな瓶を取り出した。
「ほら、見てください。このキャンディみたいでとっても綺麗です」
そう言ってミナリアが取り出したのは、キラキラと光を受けて綺麗に輝く赤色の苺のキャンディだ。
これはミナリアの一番好きな苺で出来ていて、よく作って常備しているキャンディでもある。
精霊たちにも人気のこの一品がエリックの瞳にそっくりに見えたので、ここぞとばかりに取り出してみたのだ。
「……キャンディ?」
「はい。苺のキャンディです。似ていませんか?」
「……似てる、かも……?」
未だ戸惑った様子のエリックに、ミナリアはよかったらどうぞとキャンディが入った小瓶を渡す。
戸惑いながらもお礼を言い、キャンディを受け取ってくれたエリックをミナリアはニコニコしながら見つめていた。
エリックが受け取った小瓶をまじまじと見つめる傍で、今までエリックとの会話を譲ってくれていたロベルトも一緒になってキャンディの入った小瓶をじっと見た後、「似ていますね……」と、ぽつりと呟いた。
「え? そう?」
ロベルトの言葉に驚いたようにエリックはそちらを見て、確認するように聞き返す。
「ええ。言われてみると、最近のエリックの瞳はこの色にそっくりだと思いますよ」
「――――そうなんだ」
そっか、俺の瞳の色は苺キャンディの色なのかぁとエリックは呟き、顔をくしゃくしゃにして笑う。
そんなエリックの笑顔に、なんだかよく分からないけど嬉しそうならいいか、と喜んでいたミナリアは、突如、またしても視界が真っ暗になり驚き、固まってしまう。
突然の出来事に硬直するミナリアの耳元に小さな声で、ありがとうと呟くエリックの声が聞こえた。
何のお礼かミナリアにはさっぱり分からなかったが、考えるよりも先にぎゅうっと力強く抱き締められている所為で息苦しくなり、ミナリアが苦痛の声を漏らすと、ばっと勢いよくエリックが離れていった。
「ごめん、思わず力加減もせずに抱き締めちゃった。ごめんね」
「…………いえ、大丈夫です」
抱き締められること自体、どうなんだろうと思い、ミナリアの返事に間が空いてしまったのは許してもらいたい。
「ありがとね。白熊さん」
「なんだかよく分かりませんが、喜んでもらえたならよかったです?」
「うん。凄く嬉しかった。ありがとう、白熊さん」
――白熊さん。
嬉しそうなエリックを見るとミナリアも嬉しくなるが、エリックに『白熊さん』と呼ばれると二人の間には大きな距離があるようで寂しい気がする。
森で会ったことも合わせても、エリックとはまだ出会ってから今日で二度目である。
知り合って間もない間柄なので、決して距離があることはおかしいことではないのだが、ミナリアにはそれが寂しく感じられた。
決してエリックに『白熊さん』と呼ばれるのが嫌なわけではない。
けれども、エリックともう少し仲良くなりたいと思ったミナリアは『白熊さん』の呼び名ではなく、『ミナリア・オルソ』という名前で呼んで欲しいと思ったのだ。
「あの、白熊ではなく名前で呼んでもらえると嬉しいです」
「名前?」
「はい、私はミナリアといいます。改めてよろしくお願いします」
エリックに丁寧に頭を下げて名乗ったミナリアは、つい、いつもの癖で名前だけを名乗ってしまったことに気が付く。
いくら学園では身分は関係ないとはいえ、親しくなりたい相手にきちんと名乗らないなんて失礼なことをしてしまったのではと焦るミナリアを余所に、エリックは気にした様子もなくミナリアの名前を何度か呟いた後――
「――じゃあ、ミーナだね。俺は、エリックっていうんだ。ミーナにはリックって呼んで欲しいな。こちらこそよろしくね」
と、言われてしまった。
(…………あれ?……愛称で呼ぶのは家族か婚約者くらいなのですが……?)
そんなミナリアの心の声が聞こえるはずもなく、困惑しているミナリアを置き去りに、エリックはニコニコと機嫌よさそうにしながら、またもやミナリアの手を取り、今度は肉球を触るのに勤しんでいた。