11.白熊、糸目にオルソ家の話をする。
「ちょっと気になっていたんだけど、ミーナって貴族のお嬢様でしょう? なのに、料理やお菓子作り、掃除や洗濯までできるなんて、大分珍しくない?」
ミナリア一押しの森で摘んだ苺とベリーのサンドイッチを二人で食べていると、エリックからそんな質問が飛んできた。
大好きな苺に夢中になっていたミナリアは、初め何を聞かれているのか分からなかったが、理解すると、もぐもぐしていたものを飲み込み、その質問に答える。
「確かにオルソ侯爵家は、今は貴族の一員ですが、昔は国一番の魔法使いという肩書の平民だったのです」
ミナリアのご先祖様はそれまでの功績で爵位を賜ることとなり、貴族の一員となったのだが、この世界でたった一人だけ精霊と交流することが出来たご先祖様は、様々な方面で利用価値があり、人間によって精霊たちが利用されることをとても恐れていた。
なので、精霊を守るため、利用されそうになったらいつでも逃げられるようにと、いつ平民に戻っても生きていけるようにと先祖代々言い聞かされ、また、実際に生きていけるようにと様々な技術を身に着けていたのである。
ミナリアも例に漏れず、様々な技術を身に着けており、食料確保から調理まで、自分の身の回りのことはある程度できるようにと訓練されている。
「へぇ、そうだったんだ」
「はい、そうなんです。……お母様も貴族令嬢だったそうなのですが、当家に嫁いでくるにあたり、一通りの技術は身に着けています」
そこまで言い切ってから、ミナリアはもじもじしながらエリックに告げる。
「なので、当家では伴侶は身分問わずなのですよ。『精霊の祝福』のこともありますし、恋愛結婚推奨なんです。当家は『精霊の祝福』持ちであり、『精霊の愛し子』である私が継ぐことになっているので、婿に来てもらうことになるのですが……。あっ、あと、もし、貴族から平民になっても大丈夫であれば、その、…………なのです」
途中からエリックに婿に来ませんかと勧誘しているような言い方になっていることに気付き、ミナリアは最後まで言い切ることができなかった。
エリックが婿に来たらミナリアはきっと嬉しいだろうが、――果たして、そこに『真実の愛』は芽生えているのだろうか?
ミナリアはもちろん大丈夫だとは断言することはできなかった。
ミナリアのエリックに対する気持ちはまだあやふやなもので、ミナリアにとってエリックは『ミナリアのこの姿にも怯えずに話しかけてくれた、これからも親しく仲良くしていきたい人』なのだ。
エリックと会ったのは今日で二回目とはいえ、初めは森で行き倒れているのを助けただけで、話をしたのは今日が初めてだ。
それで、恋や愛だと呼ぶには、まだ淡い気がする。
ましてや、『真実の愛』ともなれば、相手がいて成り立つものなので、ミナリアの気持ちだけじゃ足らず、エリックの気持ちも必要となる。
エリックがミナリアのことをどう思っているのかまでは分からない。
この姿と毛皮のふわふわ具合は気に入ってもらえているとは思うが、それは、ミナリアが人間の姿になってしまえば、そうそう見られるものではなくなるだろう。
誰だって白熊姿の方を連れて歩きたいとは思わないだろう。
母や祖母のように、伴侶の白熊姿もこよなく愛しており、人の姿も白熊姿も選び難く、何よりも中身が好きなのだと思ってくれる存在は、大変稀で特殊な例であるとミナリアは理解していた。
ミナリアはこの白熊姿も、ミナリアの性格といった中身も、全てひっくるめて『ミナリア』を好きになってくれる人を探さなくてはならない。
ミナリアは『真実の愛』が芽生える相手じゃないと一緒にはいられないのだ。
未だに人間の友達も作ることができていないミナリアには難題のように感じて、途方に暮れてしまう。
思い悩むミナリアの横でのんびりと間延びした声が聞こえてきた。
「そっかぁ。俺は平民だから貴族から平民になるとかは気にならないけど、……俺、料理とかお菓子とか作れないなぁ」
エリックの意図が分からない話に戸惑いながらもミナリアは否定する。
「いえ、私のお父様も調理関係は全くダメで、炭を作り出しては、母を筆頭に使用人にまで怒られ、それからは、食料、特に、美味しいお肉やお魚の調達係となっていますよ。私も時々、一緒に狩りに行きます」
つい余計な一言を足してしまい、失敗したと思ったのだが、エリックのいつも閉じられている瞳が少し開き、きらりと輝くのが見える。
「ミーナも狩りに行くの?」
「えっ、は、はい。食料調達の方法も学びましたので、時々ではありますが行きます」
その言葉を聞いてエリックの口角が嬉しそうに吊り上がる。
その好戦的な笑みに目を瞠って、驚く。
「そっかぁ。――ミーナ今度の休み、空いてる? もし予定がなかったら、一緒に森に行かない?」
「はい! 行きたいです!」
何だか不穏な気配も感じるが、初めてお出かけのお誘いを受けたことに浮かれてしまい、深く掘り下げずに即答で了承してしまう。
元気いっぱいに返事をするミナリアにエリックの不穏な気配は消え、元のぽや~っとした感じのエリックに戻り、喜ぶミナリアの頭を撫でてくれる。
「うん、一緒に行こうね」
「はい! 今から楽しみです。森へは家族以外では一人で行くか、精霊たちとしか行ったことがなかったので、誘ってもらえて嬉しいです!」
それはよかったと微笑むエリックに、ミナリアも微笑み返す。
エリックとのお出かけの約束にミナリアはそわそわしながら、サンドイッチがなくなるまで、森のどこに行こうかと二人で休日の予定を話し合っていた。
夢中で話し込んでいたら、いつの間にか大分時間が経ってしまい、ついにミナリアは日が暮れる前に家へと帰らなくてはいけなくなってしまった。
流石にこれ以上遅くなると家族が心配してしまう恐れがあるからだ。
「もう少し、リックさんとお話ししたかったです」
ミナリアは残念に思い、すっかりしょげてしまう。
「うん、俺も、もう少し話したかったけど、大分遅くなっちゃったからねぇ。……でも、明日以降もまだまだ沢山時間はあるから、また明日話そうね」
「はいっ!」
また明日、とそんな心躍る約束を当然のようにしてくれて、ミナリアは嬉しくて元気よく返事をしながら何度も頷いていた。
(これからもたくさん時間があると言ってくれた……! また明日、だけではなく、これからの約束も……! お休みに森に遊びに行く約束もしたし、――楽しくて、嬉しくて心が落ち着かない!)
「ミーナ、門まで送っていくから手を繋ごう?」
「――はい」
「馬車が来るまでは一緒にいるからね?」
「……ありがとうございます……!」
エリックにそんな提案をされ、嬉しくて落ち着かなかったミナリアは、改めて、手を差し出されて繋ぐことに照れくささを感じて、別の意味でまたそわそわしてしまった。
本当なら、学園の寮に住むエリックとはここでお別れとなるところだったのに、馬車が来るまで門の所で一緒に待ってくれることになり、もう少しだけ一緒に居られることに嬉しくて、ぽわぽわと喜んでしまう。
あんなにあったサンドイッチは、先程聞いたロベルトほどではないものの、エリックもよく食べる方だったようで綺麗になくなり、バスケットはポシェットに片付けてある。
ミナリアはエリックの差し出した手にそっと自分の手を重ね、当たり前のようにしっかりと手を繋ぐ。
門まではこの裏庭の奥から反対側に当たるため、少し距離がある。
二人は他愛もない話をのんびりと交わしながら歩いていた。
エリックはミナリアの話ばかり聞いてくれたが、ミナリアもエリックの話を聞きたくなり、遠慮して躊躇ってしまいそうになるところを、えいっと思い切って質問してみる。
「リックさんは照り焼きチキンが好きなんですか?」
話の流れがちょうど先程のサンドイッチの話だったのだ。
あの大きなバスケットの中からエリックが最初に手に取ったのは照り焼きチキンサンドだった。
その後も何度も手が伸びた頻度が一番多かったのは照り焼きサンドだったことを思い出し、もしや、好物なのではないかと気になったのだ。
「ん? あぁ、特に照り焼きチキンが好きだったわけじゃないけど、あの味付けは美味しかった。気を抜くと全部食べちゃいそうで自制するのが大変だった」
「そんなに喜んで頂けたなら嬉しいです」
照れたように微笑むエリックの『美味しかった』の言葉が嬉しくて、ミナリアは心の中で今度また機会があれば必ず照り焼きチキンは入れようと固く誓った。
すると、前触れなく、ふふと思い出し笑いをするエリックにどうしたのだろうかと視線を向ける。
「ごめん。さっきの話でミーナが苺のサンドを幸せそうに食べていたことを思い出して、つい」
エリックが傍にいるにもかかわらず、大好きな苺の入ったサンドイッチを食べることに夢中になっていたことを笑われてしまい、真っ赤になってしまったミナリアは俯いてしまう。
「あっ、ごめん。馬鹿にしたわけじゃないよ。その姿が可愛いなぁって思い返してただけだから」
「…………怒っているわけではないですよ……?」
エリックはミナリアを怒らせたと勘違いしたのか、焦って立ち止まり宥めてくるが、ミナリアが恥ずかしかっただけなのだと伝えると、安心したのか頭を優しく撫でてくれ、二人はまた静かに歩き出した。
しばらくして、ミナリアが落ち着いた頃にちょうど門へと辿り着く。
オルソ家の馬車はまだ来ていないようで、またおしゃべりしながら待とうとしたら、ミナリアの頭の上に少し重みを感じた。
「ミー、遅かったね」
オプスが眠たそうな声で話しかけてくる。
「今日はオプスが一緒に帰ってくれるの?」
「そう。…………ミー、ルーチェが構ってくれなかったんだ」
寂しそうにそう言うオプスにミナリアは困ってしまった。
「ルーチェも僕にべったりへばり付いてくれてたのに、翼で囲おうとしたら、飛んで逃げちゃった。……何が悪かったんだろう……?」
完全に落ち込んでしまったオプスになんと声を掛ければいいのか分からず、エリックを巻き込んで馬車が来るまでひたすらオプスを宥め続けることになった。