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私と婚約者(仮)の攻防戦

作者: 早川りん

2019年8月19日 微修正済み


 花畑の中に埋もれるように、彼らは隠れていた。少しでも音を立てないように、見つからないように。囁きのような子供たちの声が、微かに花弁を震わせる。


「わたくしがずっと貴方を守るから」

「うん。ぼくもずっと君を守るから」


「「約束だよ」」


 微笑み合う少年と少女の指には、約束の指輪が煌めいていた。


―――――――――――――――――――――――


《彼女side》


 宮殿の大きな庭園の東屋で、ただボーッと今朝咲いたばかりだという大輪のバラを眺める。流石は宮殿の庭園、綺麗よね。

 現実逃避しつつ、暇だとか、時間の無駄だとか、思うところは色々あるけれど、そもそも考えたら敗けだもの。うん、イライラとかしたら敗けなのよ。


「そうだね、暇だよねー」


 高級感漂うテーブルセットには湯気をたてる紅茶。その揺らめく白い湯気の向こうに、面白くもないのにニコニコと似非笑を浮かべる男が一人。不本意ながら、私の幼馴染である。


「わたくしは何も申し上げておりませんわ」

「えー、だって顔に書いてあるじゃない」


 クスクスと笑うその男の無駄に整った顔を睨み付ける。何がおかしいのよ!

 太陽の光を浴びて、キラキラと輝く白銀の長髪は緩く縛られ、カーブを描きながら無造作に背に流れる。新緑を思わせる瞳は可笑しそうにこちらを見ていた。


「そもそも、わたくしは暇ではございません」


 そうよ、暇じゃないのよ! やることは山のようにあるのに、この男のせいで全てが中断されて今に至っている。悟りでも開きたくなるのはしょうがない。そして、早く解放してちょうだい!


「うん、知ってる。隊長の君が暇なわけないよね」


 この男、殴ってやろうかしらッ! と、何度思ったことか。なんとか耐え続けている私を、誰か誉めて欲しい。


「では、殿下。御前失礼しても…」

「勿論、ダメだよ?」


 被せぎみに言いやがりましたわ、しかも凄く良い笑顔で。何様よ! いや、王子様だったわ…


「そもそもさ、君がこれに」


 ぺらっと一枚の紙を差し出してくる。何度も見たそれにピクリと片眉が上がった。いい加減諦めてくれないだろうか、この人は。


「サインしてくれたら済む話でしょ?」


 誰をも魅了する笑顔を振り撒く。周りに咲く美しいバラたちも霞むほどだけれど、私は騙されませんわ。


「それは何度もお断り致しました」

「うん。今日もダメかな?」


 昨日がダメでも今日は大丈夫、とかいう案件じゃない。内心の盛大なため息を飲み込んで、キッと目の前の男を再度睨み付ける。


「いい加減諦めていただかないと困ります」

「それはこっちの台詞なんだけどなぁ」


 可愛く困ったようにこちらを伺われても、私の答えが変わることはない。というか、大の男がそんな顔をしても似合うとか詐欺よね。他のご令嬢方が見ていたなら、黄色い悲鳴がこだましたことだろう。

 しかし残念ながら今は、そんな彼の姿を見慣れてしまっている私しかいないのだけれど。


「何の問題もないし、うちは大賛成だよ?」

「うちは大問題です!」


 我が家は武門で有名な家柄で、父は騎士団長で私自身も近衛の部隊長という大役をいただいてはいる。とはいえ、王太子殿下であるこの男の伴侶になるなど身分不相応にも程がある。()()な婚約などあり得ない。


「えー。何が問題なのさー」

「そもそも、わたくしは近衛の隊長です」

「うん。それで?」

「近衛隊長と王太子殿下の婚姻など聞いたことがありません」

「うんうん。それで?」

「身分も辺境の子爵の一子ですし」

「うんうん。知ってるよ?」


 ひ、響かない。全然、この男に響いてないわ。人の気も知らないで!


「全部承知の上だし、問題にもならないよ?」


 涼しい顔で言ってのける男に、ある一言が思い浮かぶ。本当は使いたくない言葉だけど。でもここで躊躇ったら、私の敗けだわ。自分の信念とあの日の約束を守るために、ここは心を鬼にするのよ!


「…それより何より、わたくしが嫌なのです!」


 意を決して勢い良く言い切った私の言葉に、彼の動きが止まった。ツキリと胸が痛む。別に傷付けたいわけじゃない、むしろ守りたいだけなのに…

 一瞬の凍てついた真顔の後、怖いほどニヤリと口角が上がった。


「嫌か…」


 彼は低い呟きと共にずいっと身を乗り出すと、テーブルの上に乗せていた私の左手を捕らえた。次の瞬間、ぐいっと引き寄せられる。

 その拍子に、カシャンとテーブルの上のカップとソーサーが音をたてた。


「で、殿下!」

「本当に嫌?」

「い、嫌ですわ」


 顔が近い! 額と額がくっ付きそうな位のギリギリの距離。ふわりと爽やかな香水のような香りと共に、彼の前髪が私のおでこを掠める。居たたまれない距離感に何とか腕を取り戻そうともがけば、ますます強く握られた。

 心を見透かすかのように、ジーッと覗き込まれた瞳から目を離したいのに離せなくて、顔に熱が集まり始める。ドキドキと早鐘を打つ胸に、クラリと眩暈さえ感じた。


「…ッ」


「そっか、それならしょうがないね」


 もう無理、と思った瞬間。突然パッと腕を離されて、反射的に距離をとった。動揺やら、恥ずかしいやらで隠すように、解放された手で顔を覆う。絶対赤い! と分かるくらいには、顔が熱くて、もう眼をあわせられそうにない。


「でも、俺の事を()()とは言わないよね」

「うっ」


 なのに、追い討ちをかけるようにそんなことを宣う男を恨めしげに見上げる。言葉に詰まったままの私に、彼は目を細めてふんわりと柔らかく微笑んだ。そんな、顔、反則だわ…

 そして、彼は私の左手を指し示す。


「それがあるかぎり、俺は諦めないから」


 私の左手、その薬指に銀色に輝く指輪。幼い頃に交わした約束の証。それなのに、いつの間にか彼との婚約の証(仮)となっているらしい指輪(それ)


「抜きたくても抜けないのよ!」


 ぐちゃぐちゃな感情のまま、思わず叫んでしまってから慌てて口を押さえた。しまった、昔の癖でつい。

 一線を引くように敬語に改めて、もうどれくらいたつだろうか。ダメね。感情的になるとつい、昔の癖が出てしまう。


「うん、知ってる。だから、抜けたら俺から解放してあげる」


 なのに、私の葛藤なんてお構いなしに彼は優雅に微笑む。むしろ先程よりも嬉しそうに見えるのは、気のせいだろうか?

 そんな彼の左手薬指に収まっている対の指輪をチラリと認めて、ざわめく心を落ち着けるようにふぅっと深く息を吐いた。


「…分かっています」


 色々調べてはみたが、何かの魔法がかかっているということ以外わからないままだった。お互い幼い時に嵌めたにも関わらず、今もピッタリのサイズで指に収まっている不思議な指輪。

 王家に伝わる物らしいのだが文献などには見当たらず、人に聞こうにも知っていそうな人は誰もが口を濁して教えてはくれない。絶対に裏でこの男に手を回されている気がするわ。


「それまでは、よろしくね。俺の婚約者殿?」


 不敵に微笑む男を前に、悔しいけれど今日も勝負はお預けね。だけど、いつかはきっと諦めさせてみせるわ!


―――――――――――――――――――――――


《彼side》


 目の前の幼馴染み兼、婚約者のキリリとした涼しい顔に内心苦笑しつつ、顔にはニコニコと笑顔を張り付ける。

 きっと彼女のことだから暇だとか、時間の無駄なんて考えてそう。


「そうだね、暇だよねー」


 彼女の心の声に答えるようにそう呟いてみる。


「わたくしは何も申し上げておりませんわ」


 テーブルの上に置かれたカップから湯気をたてる紅茶の向こう。彼女がこちらを睨み付けている。そんな目で見ても怖くないんだけどね。

 美しい金髪を高い位置で結い上げ、さらりと背に流れる髪は絹糸のように滑らかで、その華奢な背に流れている。そして、近衛の隊服を纏う麗しい姿は、男女問わず(主に宮中の女性陣を)虜にしているらしい。大変不本意だが、そうなるのも頷ける位に彼女は魅力的なのだ。


「えー、だって顔に書いてあるじゃない」


 そう突っ込んでみれば一瞬キョトンとしたあと、嫌そうに眉間にシワが寄る。クスクス笑いながら、彼女のコロコロ変わる表情を楽しんだ。


「そもそも、わたくしは暇ではございません」

「うん、知ってる。隊長の君が暇なわけないよね」


 近衛の部隊長を務める彼女は優秀で、近衛隊には欠かせない存在だ。それは分かっているし、忙しいのも知っているがこの時間だけは譲れない。


「では、殿下。御前失礼しても…」

「勿論、ダメだよ?」


 内心はもう少し可愛い彼女で遊んでいたいのだが、俺も暇じゃないしそろそろ本題に入るか。


「そもそもさ、君がこれにサインしてくれたら済む話でしょ?」


 差し出したのは俺と彼女の婚約証明書だ。俺のサインは済ませてあるし、国王(父)のサインも彼女の父親のサインもある。あとは彼女のサインだけなのだが、いまだに書く気はないらしい。


「それは何度もお断り致しました」

「うん。今日もダメかな?」


 頑なにため息と共に吐き出される言葉。何度も聞かされているし諦める気もないけど、少しは傷つくんだけどな。


「いい加減諦めていただかないと困ります」

「それはこっちの台詞なんだけどなぁ」


 ちょっぴり悲しくなって上目遣いでその顔を覗き込めば、言葉に詰まってほんのり頬が染まった。うわ! なにこれ、可愛いんだけど。


「何の問題もないし、うちは大賛成だよ?」

「うちは大問題です!」


 間髪入れずに反論してくる。何が問題なんだろうと思って首をかしげれば、問題でもなんでもないことばかり言い募ってくる。


「えー。何が問題なのさー」

「そもそも、わたくしは近衛の隊長です」

「うん。それで?」

「近衛隊長と王太子殿下の婚姻など聞いたことがありません」

「うんうん。それで?」

「身分も辺境の子爵の一子ですし」

「うんうん。知ってるよ?」


 えっと、どこが問題なのか心底わからないんだけど。ここにある婚約証明書の意味分かってるのかな? 分かってないんだろうなぁ。国王(父)が許可しているし、子爵当主(彼女の父)も承諾してる時点でなーんの問題もないのだ。

 まぁ、グチグチ言ってくる輩は居るだろうが、それくらい俺が蹴散らすし。彼女には、指一本触れさせるつもりはない。


「全部承知の上だし、問題にもならないよ?」


 一瞬の逡巡の後、意を決したようにこちらを見つめる彼女の鋭い瞳にゾクリとする。その力強さは、流石は女だてらに近衛隊長をしているだけのことはある。彼女の実力は折り紙つきで、騎士団の誰もが認めるところなのだから。


「それより何より、わたくしが嫌なのです!」


 その言葉に一瞬で表情が抜け落ちるのが分かった。仮面を被ることに慣れきってはいるが、さすがにこれは一番堪えた。

 けれど、目の前の彼女の方がよっぽど傷ついた顔をしていることに気がつけば、自然と口角が上がってくる。ああ、なんて愛おしいんだろう。


「嫌か…」


 本当に? 呟きと共にずいっと身を乗り出すと、彼女の左手を捕らえた。ぐいっと少々強引に引き寄せる。カシャンとテーブルの上のカップとソーサーが音をたてた。


「で、殿下!」

「本当に嫌?」

「い、嫌ですわ」


 ギリギリまで顔を近づけて、囁くように問う。ジーッと彼女の深い海を思わせる青い瞳を見詰めた。戸惑うように揺れて、彼女の頬が朱に染まってゆく。

 可愛すぎて離れたくないな、とチラリと考えてそう言うわけにもいかないと理性が制止する。


「…ッ」


「そっか、それならしょうがないね」


 パッと腕を離すと、反射的にばっと距離を取られた。


「でも、俺の事を()()とは言わないよね」

「うっ」


 言葉に詰まった彼女に、うんと愛情を込めて微笑んだ。ふっと視線を彼女の左手の一点に集中させる。


「それがあるかぎり、俺は諦めないから」


 その薬指には銀色に輝く指輪。それは俺と彼女の婚約の証だった。


「抜きたくても抜けないのよ!」


 真っ赤になって昔の様に砕けた口調で叫んだ後に、オロオロと口を押さえる姿は、いつもの凛々しさとはうって変わって実に愛らしい。

 もう帰さなくても良いんじゃないか…とか思っていたら、後ろに控える彼女の侍女と俺の侍従に睨まれた。バレたか。


「うん、知ってる。だから、抜けたら俺から解放してあげる」


 王家に伝わるこの指輪は相手のことを深く思っていれば、抜くことが出来ない魔法が掛かっている。つまり、彼女が俺の事を嫌っているならとっくに抜けているはずだ。

 まぁ、その事を彼女に知らせるつもりはまったくない。その方が彼女の深い愛を感じられるから…と言ったら、友人にドン引きされたな。


「…分かっています」


 勿論、俺の左手にも対の指輪が嵌められている。もちろん抜くなんて事を考えることも、抜けるような事態に陥ることも絶対にないと断言できる。


「それまでは、よろしくね。俺の婚約者殿?」


 だからこの勝負、早く敗けを認めてくれないかな? 俺は敗けるつもりなんて、これっぽっちもないんだから。



「うちのお嬢様は超が付く鈍感ですので、(本気で手に入れるおつもりなら)気づかせて差し上げるようにするしか無いと思いますわ」


むしろこのままだと、自分の気持ちにも殿下の本心にも一生気が付きそうにないと思う。まぁ、私はお嬢様第一主義ですので、殿下の手助けなどする気は毛頭ありませんけれども。


「うちの殿下は、ほら。あれだから」


腹黒で策士で素直じゃないから、素直なお嬢様の反応を心底楽しんでるもんな。そして、全く逃がす気もないしね。あんなのに捕まってるお嬢様にはちょっぴり同情するが、恐ろしくて殿下を敵にはまわせない。


「「まだまだ、時間がかかりそうだな(ですわね)」」


ふぅっとため息を重ねて、彼の侍従と彼女の侍女は今日も繰り広げられる攻防をなま暖かく見守るのだった。

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