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新説 六界探訪譚  作者: 楕草晴子
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2.第一界―7

 9月の秋休み前に実施される体育祭の練習は、炎天下の中熱中症を気にしながら行われる。

 暑い。

 あれから2日。別に何ってこともない。

 桜の花びらは翌日の朝晩探したけど見つからなかった。

 ジャージにくっついてないか、どっか飛んでってないか。

 あの時の寝際を思い出すとなくした可能性が高い。もちろんコウダの忠告通りもしかしたら消えていたのかもしれないが。

 もう見つからないものはしょうがない。

 ただ、あの日の約束は守ることにした。

 当初はバックれようかと思っていた。信じるよりも、俺の頭がおかしいと思ったほうが普通の気がしたからだ。

 でも、証拠物件としてその夢で言っていた花びらがない。

 つまり確認するすべがなくなってしまったのだ。

 めんどくさいけど行かざるを得ない。

 予定時刻にコウダと名乗ったあの男が来なかったら、やっぱり俺の頭がおかしかったで済む話だ。

 当事者の川藤さんはといえばいつも通りで、翌日の夕方もばったり会い、いつも通り『よう!』と声をかけられた。

 あの日の夜の話を聞くと、予想通り酒好きの武勇伝として熱く語ってくれた。

 途中から記憶がなく、起きたら看板に縋り付いていた、という。

 ダメな大人の代名詞のようなあの日の川藤さんを思い出したが、居合わせたことは言わず、びっくりした顔を作っておいた。

 何より、何ともなさそうでよかった。

 靴もシャツもジーンズも洗ったら綺麗になり、ポケットの奥に潜んで洗濯されてしまったスーパーのレシートとおつりの小銭だけが残った。

 友達に話そうにも、証拠も何もない。

 頭がおかしいと思われるぞという男の忠告が思い出された。

 ひとまず俺の中にだけしまっておこう。そうして経過した2日目。

 にしても暑いなぁ。

 顔の汗を体操服の袖で拭きながら適当に二の腕を伸ばすストレッチをしていると、俺よりもっと暑そうなやつが前を通りかかった。

 声が左へ移動しながら聞こえてくる。

「長距離マジあついわー」

じゃんけんに負けて1000メートル走になった四月一日――これでワタヌキと読む苗字である――は、すっすっはっはっと息を継いで走り去った。

 俺が出るのは十分の一の100メートル走。実質一瞬。

 また、練習といっても中学生の体育祭。そこまで特訓的なやつはしない。

 トレーニングのようなものをして、何回か流して走って終わり。楽である。

 運動神経はいまいちだが短距離だけは昔から速い。

 親父か母さんどっちの遺伝かわからないが、とりあえず感謝。

 練習している体裁にするために今度は適当にアキレス腱を伸ばし、スタートダッシュをしてみる。

 時間つぶしがチャイムとともに終了し、ぞろぞろとグラウンドから日陰に戻っていく。

「足早いっていいね」

 息を整えながらゆっくり俺の前を歩く四月一日は、俺が四月一日を追い抜くすれ違いざまに爽やかに言い放った。

 日が当たると、日本人とブラジル人のハーフである四月一日の彫りの深い鼻筋に来い影ができ、モアイ像のようだ。ガタイがいいからなおのこと。

 やや顎が出た顔面は残念ながら今時ちょっと濃すぎ、ハーフというモテエピソードありげな文脈から遠ざかっていた。

 でも男としては、あの筋肉質で骨太な体格は正直うらやましい。

 親父ほどじゃないが、俺も骨が細くて肉がない。小学校の頃は水泳部と陸上部を兼部していたが、筋トレしても筋トレしても筋肉がつかなかった。

 筋肉があるほうがないより女子にモテるらしいという噂だ。いや、きっと、絶対モテる。

 俺と身長は同じだけど一回り大きい四月一日の体が作る影は、俺の体が四月一日を追い抜くと同時に俺の影が抜き去った。

 あれ、なんか薄い。

 俺の影が、四月一日の影よりも、薄い。

 濃く黒くなった四月一日の影。俺とそんなに変わらない位置にいるのに、俺の影のほうが灰色に近い。

 抜き去ったにもかかわらず、立ち止まり、四月一日を待つ。

「どーしたの」

「俺の影お前のより薄い気が」

 四月一日も立ち止まる。

「そうかな。同じじゃない?」

「境目が見える」

 俺が指をさしても、四月一日はピンとこないようだ。

 暑いからちょっと目がおかしくなったかもね~とまったり言いながら教室に戻っていく。

 突っ立ってるわけにも行かないから歩き出し、他のやつらの影を見ると、どいつもこいつも俺より濃い。

 下駄箱から教室に入ると、同じに見えだした。

 気のせいか。四月一日の言う通りだったな。

 汗臭い体操服を着替え用の教室を出て、すぐ隣、今は女子が着替えている自分の教室の前に。

 矢島と四月一日は先に着替え終わってくっちゃべっていた。

「四月一日」

「ん~?」

「さっきの影、やっぱ俺の目が変なだけだったわ」

「でしょ。まぶしかったもん外」

矢島が何のことか聞いてきたので、かいつまんで話す。

「影が薄い、ねぇ。まあ、俺らもクラス的に言えば影薄いほうだし、アイちゃん無口キャラだからなぁ」

クラス内の存在感は薄いほうの男子、しかも喋らないからその中でも薄いのは自覚していた。

田中みたく悪い意味で濃くされてしまうよりましだ。

「比べたことないけど、佐藤とかと並ぶと俺らの影ガチで薄かったりしてな」

矢島は例の調子のいい笑みと口調で、紐を手で持った体操服袋を蹴っ飛ばしながらふらふらしている。

ちょうど安藤さんが廊下に出てきて、着替え終わり宣言をしてきた。廊下で待っていた男子全員が団子になってぞろぞろと中に入っていく。会話は野郎どもの足並みに紛れて続かなかった。

 席について教科書を出しながら、前のほうの席をちらっと見る。

 目線の先の佐藤は、男子のカースト上位。そして男子クラス委員。よく安藤さんと話している。

 顔立ちがアイドルチックでジョニーズとかにいそう。

 御多分に漏れず頭もいい。矢島曰く、他の中学のやつも来ている塾内の模試で3位以下になったのを見たことがないとのこと。

 テニス部で、今の時期は日焼けしてこんがりしている。笑うと八重歯がのぞく。

 2年にして全国大会に出ているにもかかわらず、合間に野球部とサッカー部に助っ人で呼ばれていた。練習なしでいきなり来てもきっちりおさえてきっちり点をとるらしい。

 どう考えてもサッカー部に入ったほうが受けがよさそうなのにテニス部なのは1年で男子クラス委員になったときに両立を考えたと思われた。今度3年になったら生徒会長は佐藤だろうといわれている。

 チーム競技だと個人都合で抜けたりするのが大変になる。佐藤の性格や人望からして部活でも多分部長とかまとめ役を任されるだろうから、まだ個人競技のほうがまとめ役のやる仕事が多少は少ないはずだ。

 そして、まあ当然、モテる。

 バレンタインのチョコ持ち込み禁止令にも関わらず、1年の時でさえ紙袋を持って帰ったと噂になるような奴だ。

 最近では武藤さん――クラスでも学年でも飛びぬけてかわいい。性格キツいけど――と付き合ってるとかどうとか。

 『持ってる』ってこういうこと。

 うらやましい。悔しいと思うことも全くないくらい離れているけど、ちょっとあやかりたいという気持ちはある。『女子にモテる』ってとこで。

 そういえばその彼女と言われている武藤さんも影濃いグループだ。

 色付きのリップを塗って、校則違反すれすれのファッションが決まっている。

 俺の持論として、俺ごときの持論だから大した持論でもないが、ああいうのは微妙なラインの可愛さだとむしろマイナスだ。

 あれでかわいいのは相当かわいい。

 顔が小さい。色白。目が大きくたれ目の二重瞼でまつ毛が長い。手足が長くて華奢。

 意外と長身ですらっとしていて、いつも姿勢がいい。

 インストグラムの写真で見るだけの、ともするとねつ造疑惑付きのかわいい子と、生の武藤さんを比較しても全く遜色ない。

 一歩間違えると同級生や上級生から目を付けられかねないが、そういうこともない。

 うまくやっている、というより、武藤さんが強すぎて文句をつけられないのだろう。

 田中の影を悪い意味で濃くした例の女子ともしょっちゅうおしゃべりに興じている。

 かわいくて気が強い。

 気に入らないことがあったりすると、『はぁっ!?』と睨み返されること間違いなし。

 困ったことに、本当にかわいいと怒っても絵になる。

 先生がちょっと武藤さんに甘いことがある気がしているのは、俺だけじゃないと思う。

 見た目と言い切りの権力で押し切って学校生活に君臨している女王様の様相だった。

 まあ、どっちも俺には縁のない世界だな。

 正面を向くと、スーツ姿でそのどちらとも似ていない国語の先生が指示棒をもって黒板に書いたところをぺしぺししている。

「『げんなり』と『うんざり』。この二つはほぼ同じ意味でつかわれます。でも、じつはちょっと違う」

 黒板に大きく手を伸ばして、『≠』を書いている。

 黒いセルフレームの眼鏡越しに、近視用の眼鏡で一回り小さくなった目がこちらを向いた。

「『げんなり』は、もう疲れたな、嫌になったな~、ということ。『うんざり』は、もう見たくもない、そういうのには飽き飽きしたな~ということなんですね~」

 さっぱり違いがわからない。国語は苦手だ。

 さっきまで手だけ動かして話など右から左だったのを一応聞いとくかと聞き始めたものの、そのまま右から左でもよかったか。

 一番後ろの席から斜め前を見ると、四月一日が真面目にノートをとっているのがわかる。

 矢島もだが、あいつの場合、書いている内容が黒板の写しなのか先生の似顔絵なのか微妙なところ。

 そのくせ、成績は二人ともほとんど変わらない。

 それはノート提出時期とテスト前に、四月一日のノートを見返り――コンビニの唐揚げ、コロッケ、肉まん、時にはマックなどなどなど――と交換に借りたうえでレクチャーまで受けているからである。

 なんであの二人が仲がいいのかといえば、『や』じま、『わ』たぬき、という名簿順つながりによって、小学校からことあるごとに前後左右に並んだのが大きいらしい。テストでは今も隣り合わせだ。

 チャイムが鳴って、6時間目が終わる。掃除が終わると一人で教室を出た。今日は美化委員の集まりで居残りだと言っていたから、矢島はいない。

 明日は土曜日。約束の、土曜日だ。

 本当にあいつ、来るのかな。

 もやもやしながら大通りに出て、うつむいて歩道橋に差し掛かった時、足元の影が目についた。

 歩道橋の影が俺の影より濃い、ような気がする。

 調子悪いのかな。

 駅の高架をくぐらず、道を曲がってまっすぐ家に向かう。上諏訪神社の横を通ってさらにまっすぐ。

 道が細く、もう影になるところが増える時間だからあまり俺の影を見る機会がない。

 たまに日が出ているところに出くわしたときに見ると、やっぱり俺の影が薄いような気がする。

 でも毎年の年度末の補修でまだらに工事されて、道路の色が黒いところと灰色のところと混ざっているせいで比較しにくい。

 大通りの真ん中だと人も車も多いから立ち止まるわけにもいかない。

 そのまま角のフラワーアンジー、つまり安藤さんの家の前を通る。店先に人はいない。

 店番の爺はいつも通り奥で時代劇でも見ているのだろう。

 左手にファーストミュージックパサージュを見ながらまっすぐ進む。

 小道を入って家につくと、自分の部屋に直行。鞄を放った。

 学習机の上の小学校のころ算数の授業で作った厚紙の立体模型がいくつか、そのうち頭がとがったやつの下に、あの日の洗濯済みレシートを伸ばして挟んである。

『お前がやったことは相当まずい』

 あの日の言葉がリフレインする。

 見当たらない花びらと俺の影。

 今日は眠れそうになかった。 

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