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新説 六界探訪譚  作者: 楕草晴子
32/133

5.共通項―1

誰もが心の底では知っている。するに値することなど、ないのをな


『木曜日だった男 一つの悪夢』ギルバート・キース・チェスタトン より

「まひろくん」

「ん?」

 夕日が差し込む廊下にたたずむ安藤さんは一歩俺に近づいた。

 小さくて赤い唇は、縦ジワで軽く遮られながらもつややか。

 トランペットの吹くところにぷにゅりとそれが密着する様子をスローモーションで想像する。

 俺の中の何かがバネと歯車のちょっとした仕掛けでそうなっていたようにぴょんと跳ね上がって、わずかに揺れながらその高さで固定された。

 アーモンド形で真横に伸びた奥二重の瞼がぱちりと瞬きすると、充血一つないビー玉のような目は潤みを増した。

 そこに映った俺はいつも通りの無表情で、沈黙を作ることしかできない。

 どうしよう。

 安藤さんの唇が再び動き出す。

「なんで…」

 安藤さん。俺、俺は、

「なんでテスト中に私の胸見てたわけ?」

「ぇ」

「そう、そういうこと。

 『俺の視界に入ってるからもうそりゃ俺のもん、いやみんなのもん、公共の福祉』ね」

 いや言ってない。ちっちゃい『え』しか言ってない。てか公共の福祉って何だっけ?

「まぁまぁずいぶんとご身分が高くていらっしゃるわ、まひろくんは」

 ちょっと待って。その手に持ってるのって前も『中』で持ってたやつだよね。

「常日頃ももちろんだけど、こともあろうに授業にも増して真摯に取り組むべきテスト時間中にかような狼藉を働くとは不届き千万」

 あの時と寸分たがわない位置で日本刀をまっすぐに構える。

 いや、やめて、おたすけぇ!

「成敗!!!」




「…ぅくん、あいうくん!」

 あ、俺?

「相羽君、次あなたの番。大丈夫?」

「…ちょっとぼーっとしてました。すみません」

「ほんと大丈夫? 調子悪いとかじゃない?」

 音楽の先生――吹奏楽部の顧問でもある――は不安げに俺の顔を覗き込む。

「はい。大丈夫です。すみません」

「気分悪いとかだったらすぐに言ってね。

 じゃ、改めて相羽くん。

 今かけた曲の曲名、かける前に言ったけどもう一度」

 『寝やすいクラシックセレクションより 睡眠』

じゃないわな。

 大丈夫。配ってもらったプリントに書いてあった。

 寝る前にちゃんとかけるやつとかけた順番チェックしてるから。これだな。

 プラス、テストで出そうなイントロらへんだけは聞いてメモしているので、そっちも色々大丈夫!

 じゃなかった。

 なんだこれ。

 プリントに書いてある曲名の最初の1文字が読めない。

 口頭で言ってたはずだ。眠気に負けてフリガナ振るのさぼったな、数分前の俺。

 どうしよう。感? 減? 形は似てるけど。う~ん、じゃあ、これで。

「…げ、げんふうどうどう?」

「違います!」

 どよっと笑いが起こる。

「読めないなら自分でフリガナ振ってね。正解は後で誰かに聞いて」

 笑顔が怖い先生ナンバーワンに輝く彼女はにっこり笑って美脚と評される脚でつかつかとローヒールの靴音をさせながら教壇に戻っていった。

 俺は寝てたのばれる率低いほうとはいえ、ばれなくてよかった。

「四月一日」

 教室に戻って席に着く前に四月一日に声をかけると、内容も伝えてないのに答えが返ってきた。

「いふうどうどう」

「ありがとう」

 その場でプリントの漢字にフリガナを振ると、そのまま教科書の適当なページに挟んだ。

「よかったねぇ」

 力強く四月一日に頷く。

 難を逃れた6限目後の解放感は、普通に過ごした6限目後よりもあたりの景色を明るく照らした。

 にしても…。

 夢の出所は『中』での出来事プラス爺との会話だった。

 火曜日に花を買いに寄ったとき、まさに『中』で安藤さんがしていたのと同じポーズのちょんまげ男が映ったテレビ画面が爺の後ろにあるではないか。

 で、爺に聞いたのだ。

 『暴れん坊吉宗様』は安藤さんお気に入りらしかった。

 帰宅後動画もチェック。

 こんな人いるんだ、というくらい白い馬に乗ってて問題なしの凛々しくも格のある男っぷり。

 見た目も雰囲気も俺とは全く違う路線だった。当たり前か。俳優さんだし。

 ぐだぐだと帰りの会が終わり、今週の掃除当番の場所、あの理科室に向かう。

 2階から3階に向かう階段はあの時と同じ造形。

 違うのは人がいっぱい行き交っているところ、掃除中なところ、階段の掃除当番が武藤さんと佐藤だってところ。

 二人が喋っている様はまあいちゃいちゃしているといえなくもない距離感。

 いいのかそれ。女子の半径50センチ以内に入って二人きりで喋るって男子の掟破りじゃないの? 

 まあ、佐藤はいいんだろう。

「あの曲実は好きでさ」

「そーなんだ。どっかで聞いたなとは思ったけど、実はタイトル知らなかったんだ」

「バレエでやる曲じゃないもんね。でも中学でクラシックの話できる人少ないから嬉しいな」

 出ましたキラーワード『こんな話できる人少ないから嬉しいな』。

 王子、それ多分乱発しちゃダメなやつ!

 この様子を見て付き合ってると噂が立つもの頷けた。

 すれ違いざまにしっかり聞いてしまう自分に落ち込みつつ理科室に向かうと、たろうは微笑んでいる。

 急速にけったくそ悪くなってつかつかと進み、たろうのあの臓器を勢いよく引っこ抜いた。

 みんな同じことをしているんだろう。肝臓だけはチリ一つない。

 授業でさほど使われもしないおまえは、つまるところ全校生徒のストレスのはけ口でしかないんだよっ。

 肝臓、つやつやになりやがれ!

 と、いらだちに任せて盗ったからってその肝臓模型を掃除に使えるわけでもない。

 すぐに静かに元に戻すと、T字箒を持った鶴見は怪訝な顔で俺を一瞥した。

「相羽くん、大丈夫?」

 大丈夫。たろうも俺も大丈夫。俺も掃除するから大丈夫。

「なら、いいけど」

 頷く俺を見て納得したようだ。

 椅子を引き出して掃除に徹している。

 T字箒を持った弐藤さんと雑巾を持った田室も同じ。黒板は多分一番身長が高い俺ってことだろう。

 静かに消す、けたたましい音のするクリーナーで黒板消についたチョークの粉をとる、を2回。

 消し終わったところで、弐藤さんが足元のチリを掃除した。

 山田さんが休みだから一人分やることが多い。

 が、静か。変な感じに静か。

 それは多分田室・鶴見が喋ろうにも俺と弐藤さんがモブキャラ喋らない族で接点ゼロ、どうしたもんだかという状態だから。

 弐藤さんは喋らないというよりハブられてるのほうが近いが本人はそれを気にする風でもない。

 淡々と塵取りでゴミを集めている。

 そんなところも『宇宙人』にふさわしいと思っている。

 掃除が終わってごみ捨て終わって片付け終わり。一人ずつ教室を出る。

 田室は多分矢島と同じく塾。

 鶴見は持っているサブバックからはみ出た黒い帯の端から察するに柔道だったか空手だったかの習い事。

 弐藤さんは…わからない。鞄に付けているどっかで見覚えのある会社のマーク入りキーホルダーがぷらぷらしている。

 理科室の鍵を閉めて鍵のかかったドア越しに見るたろうの微笑みは、もうただの人形だ。

 1階まで降りる途中にはもう武藤さんも佐藤もいない。

 もうほとんどの生徒が部活か帰宅か委員会の居残りかに分かれた後だった。

 俺も帰ろ。

 職員室の鍵箱にかぎを返して下駄箱のほうを向くと、いた。

 あの横顔とシルエット。田中だ。

 左右を確認している。

 さっき横顔が見えたのは、多分後ろを確認したからか。

 正面に向き直る途中だったせいか、俺が職員室から出てきたのに気が付いていないようだ。

 ごそごそしている。足元に鞄がないところを見ると、多分鞄から何か出しているかしまっているか。

 鞄置いて中身出せばいいのに。

 『た』なかの下駄箱はちょうど上下左右ともに真ん中らへんにある。

 ここは靴を履き替える場所。人も通るしそれやると邪魔だぞ。特に朝とか。

 田中は正面下駄箱に向き直る。

 直前、その手元。

 うん?

 クラフト用紙か、茶色い包みの端っこがチラリ。

 鞄のジッパーがしまって、それは見えなくなる。

 少しごそごそして下駄箱のふたを閉め、靴を履き替えた田中は、茶色の要素などない男子中学生の夏服だった。

 まさかな。

 田中がすのこに乗ると、先日の俺たちのように走っていたからではなくその体重によってすのこは軽くギシっと鳴った。

 いや。もしかして。

 田中が昇降口を出て校門へ向かうのを確かに確認する。

 そして決めた。

 学校的軽犯罪に手を染めることを。

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