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新説 六界探訪譚  作者: 楕草晴子
30/133

4.第二界―11

「真宏」

 火曜日の夜の食卓は緊迫感に満ちている。

「何があった」

 早めに帰宅した親父とダイニングテーブルを挟んで向かい合う。

 掛け時計の秒針の音がうるさい。

 怒るでもなく笑うでもなく無表情な親父との沈黙は思っていたよりずっと耐え難く感じた。

 月曜の夜、テーブルの置手紙と領収書を経て2階に上がり、寝ている俺の様子を見た親父。

 思いのほかデカそうな傷と先日の土日お出かけの事実をもとに何かあると踏んで、今日は多少無理やり仕事を上がってきたらしかった。

「ほんとに転んだだけだって」

 親父の表情は変わらない。

「嘘だな」

 そのとーり。

 手本としては色々ちょっとアレな親父だが、ここぞの時の勘の良さは本当にやめてほしい。

 四月一日曰くの母親像のような裏調査は一切しないのに、俺の顔だけ見てズバリ直球で真実を俺に突き付けてくる。

 昔からそうだ。

 影ながら生あったかい見守りをする心遣いなどあったもんじゃなかった。

 だから家にエロ本一つ置けないのだよ、四月一日、矢島。

 あの日この傷が額につく前にした会話がふわっと蘇る。

「誰かに目ぇつけられてんじゃないか」

「違うって」

 そういう話にしたほうがいいか? いや。でもな。

「こけた傷口にしては、縫い傷の周りとか手のひらに擦り傷がない。

 上からナイフかなんかで切られたように見える。お前、そんなもん持った奴と何してたんだ」

 前言撤回。意外と親父も探偵だ。

 これはつまり悪いお友達とのおつきあいを疑われだしている。

 言い訳すればするほど疑惑が深まるやつだ。どうするかなぁ。

 親父は目線を外さずに沈黙を貫いている。

 コウダ、ごめん。

「親父、今から言う話、信じるかどうかは親父次第だから」

 無言で頷く親父。

「他人の…内面世界に入ったんだ。その中で刀で切られてできた傷なんだ」

 諸々の経緯を話し終わっても、親父は無表情のままだった。

 上手い言い訳が浮かばなかった俺は、これで晴れて頭おかしい人の仲間入りだな。

「分かった」

 おっ! もしかして信じてくれた?

「消毒と様子見で確か次、1週間後だったな。日にち、ちょっとずらして今週の土曜にしろ。

 病院行くとき俺も行く。

 ケガと一緒に脳のほうの検査もしてもらおう」

 おあぁぁ~、やっぱりこうなるか。

「だいじょぶだって」

「脳内でなんかあって記憶障害が出てるかもしれない。

 命に係わることもあるから、一応行こう」

 な、と念押しされると断れない。

 普段土曜日も仕事で開けることが多い親父がわざわざ時間を作ってついていくというのだからだいぶ心配されてるな。

「頭痛いとか、ふわふわするとか、物忘れがひどいとか、変なことあったらすぐメール。

 いや、なんだったら電話してこい」

 …初めてだ。

 『電話してこい』?

 風邪ひいたくらいだと晩飯時に『早めに寝ろよ』か『医者行け学校休んでいいぞ』のどっちか。

 チャリでこけて腕の関節一本増やした時も、第一報の電話口で間抜けだなぁお前とつぶやいた後、最初の通院は付き合ってくれたものの後は何も。

 授業参観やらなにやらの学校行事もほぼ来たことがない親父が。

「わかった」

 大丈夫だからという言葉すら申し訳なくてこれしか口から出せない。

 親父のほうは多少表情が和らいだように見える。

 頷いて、そのままどうとはなしに立ち上がった。

 俺が茫然としているのを後目にテーブルの食器を片付ける。

 やろうか、というとその手を制された。

 食器棚に皿をしまうついでに出したグラスに冷蔵庫から大好物のコーラを注いでいく。

 グラスが満たされると、スマホとついでに棚のお菓子――この前安かった買い置きのパンダのマーチ――、そしてそのグラスを持ってテレビの前の座布団に移動し、胡坐をかいた。

 どしっと座り込んで手元でちくちくスマホをいじる親父をその様子を見るのもつらい。

 そそくさと部屋に上がった。

 電気をつけると、仏壇がいつも以上に目に留まった。

 何となく前に行って、座布団に正座する。

 今日買った花がお供えされた仏壇の上の鴨居、遺影を眺めると、写真の中のじいちゃんは俺が小学校に上がる前のままだ。

 まだ両親が離婚しておらず、神蔵坂のお祭りで阿波踊りを披露した後のもの。

 一緒に暮らしていたのに意外と最近の写真がなく、古いのから発掘した。いい顔だと疎遠な親戚陣からも好評だった。

 そのお祭りのときじいちゃんがつけていたひょっとこの面は、じいちゃんと一緒に灰になった。

 あれから半年強。

 じいちゃんが生きていた時は緊急事態イコールじいちゃんの出番だった。

 もうじいちゃんはいない。

 親父は仕事がある。働かないと食っていけない。

 紙からの電子化が進んでいる昨今、複合機メンテナンス業の従業員はむしろ多忙を極めていた。

 じいちゃんに聞いた話によれば、紙が減る⇒プリンター台数減る⇒修理件数減る⇒人員削減&団塊世代大量退職⇒一人の受け持ち件数大幅拡大・受け持ちエリアも拡大イマココ、とのこと。

 かつては東京23区の一部の緊急要件だけだったのだが、今では東関東エリア全域の緊急要件担当になっているという。

 しかも各企業内の台数が減った分社内での代替がきかなくなり、セキュリティ云々もうるさくなってきた結果、顧客数と依頼数は減っているのに緊急要件は増えたらしい。

 いいのか悪いのか親父の腕は買われている模様で、たまに夜中に呼び出しがかかって飛んで行っている。そのくせ見込み残業というやつで残業代はつかない。

 離婚後に30代後半で再就職できただけ万歳なんだろうと思えば確かにそうなのだが、じいちゃんの残したこの家と土地ありきの生活。

 親父と話はしないけど、じいちゃんの年金に頼ったあの生活を考慮してもどうやって相続税を払ったのか謎だった。売ったほうが良かったんじゃないか? とも思った。

 じいちゃんが自分で建てた家だから、たぶん親父の気持ち的に売りたくなかったんだろうということで納得してはいたけれど。

 人生十四年にしてこんな生臭い話ばかり詳しくなる。

 自分で買い物をすると、生きてるだけで金がかかるということが身につまされ、矢島の日々のマック通いが羨ましいことが何度かあった。

 『そんなの親に買ってもらえばいいじゃん』と軽々吐いたやつをぶん殴りたくなったこともあるし、親父に黙ってあの食費からSwitchan買っちまおうかと思ったこともある。

 それでも今日、心配してくれたという気持ちよりも、心配かけてしまった気持ちのほうが強かった。

 これまでずっとそれをさせまいとしてきた。

 今度の体育祭だって当然親父は来ない。行くと自分と俺がどうなるか――仕事の面でも地域の付き合いの面でも――わかっているからだ。

 小学校3年のあの時も親父は来なかった。

 カレンダーに二重丸までつけて運動会をアピールした結果、じいちゃんがパートの仕事を休んで代わりに来てくれた。

 俺が親父の薄情さをなじったとき、じいちゃんは俺を笑った。

『見なくていいからいいって。真宏は多分いつも通りだからなって』

 家に帰ってからじいちゃんの覚えたてスマホ撮影で記録したブレブレの動画を眺めた親父は、やっぱりそうだろと言いながら俺の頭を撫でた。

 リレーのアンカーで4人抜きしてゴールテープを切る俺に満足げな親父を見て、いいか、と思った。

 大丈夫だと信用されるほうが、気にかけて見に来られるより。

 それはそれでプレッシャーといえばそうかもしれない。でもあまりそういう気にはならなかった。

 その後運動会では負けたこともあったし、たまーに買い物のおつりで駄菓子買ったりしてるけど、おおむね守れてきたと思う。

 今日までは。

 そして今日ほどじいちゃんの不在を感じたこともなかった。

 普段はあまり手も合わせない仏壇に線香をあげると、部屋がここ半年強で急速に嗅ぎ慣れた香りに満たされる。

 じいちゃんだったらなんて言ったろう。

 じいちゃんがいたら。

 ぐるぐると同じところを回る俺の考えは、ゆるやかに上っていく細い線香の煙とともに広がって霧散した。

 宿題を片付け、寝ようとするも寝れない。

 しばらくゴロゴロしてもやっぱり寝れない。

 額の傷口の脱脂綿が取れそうになる。

 仏花を買うときに安藤の爺に額の脱脂綿どうしたと聞かれ、めくって傷を見せたら『天下御免の向こう傷か、お前よっぽど退屈だな』と笑われた。

 きっと時代劇でこういう傷のあるキャラクターがいるんだろう。口調が『中』で元ネタありを示唆するコウダと似ていた。

 じいちゃんだったら元ネタ知ってて笑ってくれたろうか。

 線香の、煙ではなく香りが額の傷と目に沁みた。

 うつ伏せになって枕に目元をこすりつける。

 下に行ってテレビでも見よう。

 親父がいるから気まずいけどしょうがない。

 降りて麦茶片手に親父の横に行くと、おやじはテレビをつけっぱなしにしてスマホをいじっている。

 卓袱台のリモコンを手に取って適当に番号を変えた。

「どうした?」

 親父が気づいたようだ。

「寝れない」

「まだ早いし、昨日の今日だしな」

 親父は額に人差し指を当てて縦に2、3往復させた。

「にしてもお前気をつけろよ」

「ん?」

「さっきも話したけど、酔っ払いの喧嘩の間になんて入るもんじゃない。

 不可抗力だったってのはわかるが、ろくなことないぞ」

 思わず親父を凝視する。

「なんだ」

 言ってない。そんなこと一回も言ってない。

 親父にガンつけ返されても全く身に覚えがない。

「…何の話?」

 恐る恐る切り出す。

 親父はあきれ顔だった。

「お前なぁ。

 自分で言ったんだろ。

 歩道で躓いて止まったところがたまたまケンカ中の酔っ払いの間で、そのまま行きがかり上止めるような体になって、相手の野郎に割れたビール瓶で殴りかかられたって」

 話が完全に変わってる。

 コウダのことも、安藤さんの『中』に入ってそこで刀傷を作ったことも、全部話したのに。

「むしろその傷1つで済んでよかった。

 目に当たってたら失明してたぞ」

 だいじょぶかと念押しされてようやく親父が冗談でなく本気だと分かる。

 向かい合うその人のはぁ~っという深いため息と地続きに出てきたのは悪態だった。

「瓶のガラスで切れたぐらいじゃ脳に異常が出るこたねぇだろ。

 …ったく、寝れないって降りてきてるがお前今十分脳みそ寝てるぞ。

 もう部屋戻れ」

 語尾が投げやりだ。

 もしかしてこれなのか? コウダが言ってた忘れられるとか都合よく消えるとかってやつ。

 階段を上る直前改めて親父を振り返ると、こっちを睨んでくいっと首を上に動かした。

 とっとと上がれよ、か。

 心底気がかりげに通院付き添い予定を念押しした親父はもうどこにもいなかった。

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