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新説 六界探訪譚  作者: 楕草晴子
18/133

3.やっぱり―5

「というわけでごめん」

 ダイニングテーブルの真ん中に出した醤油皿の上には、紫色のとぐろを巻くやや太い紐状の物体が鎮座している。

 とぐろのてっぺんからぶら下がっている手のひらがてらてらと蛍光灯の光を反射した。

 前に買ってそのうちこっそり部屋で食べようと学習机の上の奥に追いやった挙句忘れていた駄菓子のじゃんけんグミが一つだけ。

 一番好きなグレープ味。

 袋は中身を取り出した後捨てた。

 確認したが賞味期限はセーフ。

 適当に出すとかっこ悪いので整えて盛り付けしたものの、来客といただくにはちょっとどうか。

 でもないよりは。

「お茶もいれるから!」

 麦茶でいただくにもちょっとどうか。

 でもやっぱりないよりは。

 紐の先にパーに開いた手がついているが、真ん中で二つにちぎるしかない。

 あれから食い物がありそうな場所をすべて漁ったが、家にあったおやつにできそうな食べ物が今これしかなかった。

「いや、どっちもいい。ありがとう」

 冷蔵庫の冷気の涼しさを感じながら椅子に座ったコウダのほうに振り向く。

「ごめん」

 コウダはかぶりを振った。

「好き嫌いじゃない。『こっち』のものだから。

 俺が飲み食いしても味だけだ。

 胃の中で消化されずにそのまま消える。もったいない。

 持ってきた水飲むから大丈夫」

 冷蔵庫のドアを閉めて自分用の麦茶のグラスをもって向かい合うと、コウダは青色でグーの形のキャップをひねっている。

 間もなく俺の左手ではじゃんけんできなくなるかもしれない。

 右手で左手の小指を指さして無言で見せると、コウダもまた無言でじっと見つめている。

 目線を俺の顔に移して宥めた。

「今日うまくいって出てきたら一旦は濃くなるから」

「指が消えて使えなくなることはないの?」

 また無言になる。

「消え始めて2日で完全に存在が消失する。

 1日目は特に生活に不自由ない程度で下手すると気づかないんだ。

 2日目に一気になくなる。

 思っていたより消えだすのが速い。

 明日にしなくてよかった」

 ダイニングの静かな空気が重い。

「消えるとこ見たことあるの?」

 コウダは口を開こうか迷って黙ったように見える。無理やり出そうな言葉を押し込めているようだ。

 決心したように再び口を開くと、

「まれに他人の記憶にだけは残るやつがいる。

 あれは赤の他人だった。

 トータル時間って手引きにあったろ。計算間違えたらしい。

 退職直前のゲート返却手続き窓口で一気に消えてなくなった。

 だたこれは例外中の例外だ。

 基本的には体が消えたら他人の記憶にあるお前とのやり取りや事実、公的記録含めたお前がいたという証拠が全部消えるから、誰も覚えていない。

 お前の場合、お前が消えて誰かが悲しむ心配はしなくていい」

 ありがたいことで。

 コウダはそのままぶつぶつぼやいている。

「それがわかってるのに協会はリアルタイムレポートなんて時間の無駄を要求してくる。

 ほぼ初の事例で万一成功して話題ができたらラッキーぐらいの感じだ。

 そのせいで下準備できずに失敗して『中』で消えても、証拠は残らない。

 自分たちの記憶からも消えて、罪悪感を後々感じる必要もないからな」

 『万一成功して』?

 ちょっと! 聞こえてるよ。

 コウダは突然顔を上げて俺を見ると目を伏せ、悪いとつぶやいた。

 わざとらしく咳払いし、気を取り直してと前置きする。

「入る前にメモよりもうちょっと詳しくアンドウさんのことでお前が知ってる話を聞いておきたい」

「あの時補足したのが現状の全部だけど」

「『中』はその人がこれまで見聞きしたものや経験したことをもとにできている。

 部活とか友達関係、普段やっていること、ハマってること、情報が多少古くてもいい。

 知っているほうが人となりを推測できる。

 そうすると『中』に入った後も世界観を把握しやすい。

 カワトウさんみたいに普通の街並みとは思えないから」

 あれはラッキーだったんだと先日と似たような言葉を繰り返してペットボトルの水を一口あおった。

「部活だったら、吹奏楽部だよ。トランペット」

 疎い俺でもあれだけは名前がわかる。

 四月一日が4月の新入生歓迎会で担いでいたあのでかいラッパは何度聞いても名前が覚えられない。 俺が他にわかるのはあの推定巨乳の『エーレッシャ』さんくらいだった。

「クラス委員って言ってたよな。部活では部長とかまとめ役か?」

「いや、2年だからそれはない」

「きつい部活なのか?」

「そこそこ。今は9月の秋休みに大会があるから、それに向けて練習中のはず」

 多分『エーレッシャ』さんはその時に披露する曲だろう。

 そのあとも、二谷堀ニヤホリ駅前の広場で毎年やっている自治体主催の『秋の二谷堀みゅ~じっく☆ふぇすた』が待っている。

「秋休み?」

「9月のシルバーウイーク。学校は秋休みとして間も休みになる。全部で10日」

「もしかしてそれで8月末の今頃もう夏休み明けて学校なのか」

 そう。2年前に都内の中学校が冷房完備になったことを受け、『暑いから学校休みにしよう』という意味の休みだった夏休みは短くなったのだ。

 代わりに観光等の促進ということで、秋のシルバーウィークが秋休みとして連休になっている。

「『あっち』は違うの?」

「今も夏休みが8月末まで、秋休みはない」

 どっちがいいのかはわからない。

 その話が出た小学生のころは夏休みの宿題が減ると単純に喜んでいたが、なんのことはない。

 減った分秋休みも宿題が出るからトータルほぼ変わらない。

 しかも盆明けは8月16日。残り月末まで半月ある。

 が、秋休みは祝日含めて10日。つまり休みが減ったのだ。

 その10日も親父は暦通り仕事だから遠出はあり得ない。

 あえて言うなら母さんが合間に来ることくらいか。

 でもそれは小学校のころからずっとだから、秋休みは全く関係なかった。

「部活帰ってきてからは?」

「知らない。俺帰宅部だし」

 猫スポットに安藤さんが立ち寄っているのを知ったのも、たまたま今日と同じように花を買いに寄る途中に見かけたからだった。

 なんでいるのか不思議になったがその時は声をかけられず、次に本屋に行く用事があるときに時間を合わせて出た。

 そして予想通り見かけたのでその場で本人に聞いた。

 安藤さんが『ここ?』と小声で優しく話しかけながら猫のお尻をゆっくりぺちぺちすると、しっぽをピンと伸ばして喉を鳴らしていたのを思い出す。

 ハチワレ模様で顔つきの悪いデブ猫だった。

 ちらっとこっちを見る目つきがどこか自慢がましいというか、どや顔だったのが腹立たしい。

 足だけ白くて、安藤さんはその猫のことを『くつした』と呼んでいた。

「いやに細かいとこ覚えてるな」

「そうかな」

 学校外で学校の同級生と話すことが少ないからかもしれない。

 細かいところという認識はなかった。

「じゃあそれ以外に放課後のことは知らないわけな」

「うん」

「昔はどうだった? 小学校とかもっと小さいころは?」

「小学校のころはたまに一緒に下校してた」

「その時話したりしたこと、覚えてたらでいい」

 しょうもない話ばっかりだった気がする。テレビとか、マンガとか、今日の担任の先生とか。

 唯一これと覚えているのは、転校生とかけっこ勝負した日の帰りだ。

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