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新説 六界探訪譚  作者: 楕草晴子
133/133

現在ーげんざい

取れるものは自分で取るんだ。


『初恋』トゥルゲーネフ より

「アイウマヒロ」

確かに昨日、閉まりゆくホームドアと電車の扉の向こうで、コウダはそう口にしていた。

落葉の落ち切った桜の坂を下り、駅構内に向かいながら、その時のコウダの様子、それまでの思い当たる節の数々を脳内再生。

…………。

あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!

なんで気付かなかったんだ俺!

馬鹿じゃないのか俺!

毎日鏡で見てる顔だろ俺!!

あの時のコウダのセリフを今思い出すと、その括弧書きがしっかり聞こえるような気がした。

『んー…いや。

なんつーか………お前、馬鹿だなぁ(いい加減気づけよ)』

(いい加減気づけよ)←ココ注目v

くそぉーーー……ぁああああああああ!!!!

何度思い返して悶絶したことだろう。

言い訳も試みた。

だって。大人だったし。体とか色々違ってたし。

顔、案外今の俺と似てなかったし。

あの顔がかっこいいか悪いかっていうと…。

でも、俺の顔ではないって言えるかっていうと…。

嫌だ! 判断したくねぇ!

知ってしまったことも、あの顔だってことも、全部引っ括めて。

ビミョー…。

それ以上に最悪なのはあの帽子だ。

もらっちゃった~と浮かれてたけど、その後どうなったかといえば。

消えた。割と家に帰ってすぐ。跡形もなく。

でも聞いてた通り戦利品は残った。

なにが残ったかって?

いらないモノだ。

いらないだけならまだしも使えないモノでもあった。

洗濯のどさくさにまぎれてその辺に放置したのがまずかった。

でも普通こういうのって、ところてん式に先に入った奴が先に出るもんじゃん。

なんで後に入ったほうが先に出てくんだよ! あんなんホントいらねぇから!!

往生際悪いかもしんないけど、どーしてもなんか使えると思いたい。

だから取り敢えず学習机の上に飾ってある。

見る度けったくそ悪いけど、実は一個だけいいことがあった。

親父が今日午前中掃除したときに、俺の机の上に手を出さなかった。

聞けば『飾ってあるんだろ』とのこと。配置の妙だ。

どうやら今迄ずっと『いらないもんだけど捨てもせず片づけもせず放置してる』認識だったらしい。

大事なもんなんだよって前から何度も強く言ってたんだけど、親父は全っっっっったく俺が言ったこと覚えてなかった。

アレは親父避けの結界になったというわけだ。

思い出しながら惰性で流れに身を任せ、エスカレーターに乗る。

スーパーまでの道程は午前中に来たのと同じ。

今日は11月25日。

そういえば『秋の二谷堀みゅ~じっく☆ふぇすた』当日。

そういえば午前中に準備してたなぁ。

『そういえば』うちの中学の吹奏楽部演奏が始まってる頃なんじゃないかなぁ。

全部聞くことはないから、買い物して、帰る途中にチラッと寄ると丁度いい時間かな。『多分』。

『ついでだから』、終わった後降りてくるだろう四月一日にも一声かけてこよう。

安藤さんも吹奏楽部だったよな。

『そういえば』。

エスカレーターを下り、確かに演奏してるのがうちの中学の制服だって確認してから通りすぎてスーパーへ。

あれからなんとなくケチャップと駄菓子がある売場に近寄れないでいる。

ほとぼりが冷めたころに買いにいこう。じゃんけんグミ食べたいし。次のオムライスのためにもケチャップは必須だし。

色々物色してレジを出て、マイバッグに戦利品を詰める。

昨夜あのあとあんまり眠れなかった代わりに、1つ仮説が出来た。

俺があのときじゃんけんに勝った理由。

もしかしたら、だけど。

俺が『勝った』と思ったからじゃないか? って。

なんでかっていうと。

あいつも俺で、俺も俺。

あの状況で咄嗟の判断ってやつをしたら、多分俺があいつの立場なら、『負けた』って思ったんじゃなかろうか。

じゃあもし、俺が『ズルだ』って思ってたら?

寒気を無視して店を出る。

再び広場の入り口にたどり着くと、『イベントスケジュールどうぞー』の声。

配られるまま手に取ると、今日の演奏のスケジュールが載ってる。

舞台ががちゃがちゃプーパーしてる。

もう終わっちゃったらしい。うちの中学の制服が舞台袖に固まってる。

『残念だなぁ』。

一応曲目に目を通してみる。

もう終わっちゃってるんだけど…1曲目は…『A列車でいこう』。

エーレッシャ…あれ?

やだうそまじでもしかして。

いや、きっと間違いない。

…エーレッシャさんは死んだんだ。

絶望。

自分の妄想力と勘違い力に。

知らないことを知りたいとは思ってたけど、これマジ知りたくなかったわ。

俺の『中』のあのシチュエーションがあながち間違ってなかったところも相まって。

自分で自分にクソワロタ的な…。

うん。いいよ。エーレッシャさん。会ったし。

頭の中は自由だ。

四月一日と目が合って手を振ったけど、向こうで他のメンバーと喋ってる模様。

「よお」

すぐ後ろから声がしてびくっとなる。

見ると安藤の爺だった。孫の晴れ舞台を見に来たんだろう。

びっくりした~。

「こんちは」

返事をしたのに安藤の爺は俺の顔を見ない。

何だろとそっちの方に顔を向けると、安藤さんと目が合った。

こっちに来る。

爺の声色が俺に挨拶したときより明らかにやさしくなった。

「お疲れさん。もういいのか?」

「うん」

準備中の次の演奏を見に来たようだ。

楽器は向こうの荷物置き場に置いてきたらしく手ぶら。

「ちょっと待ってろ」

安藤の爺は出店のたこ焼を指差し、そのまま居なくなった。

安藤さんと二人きり。

どうしよう。

「真宏くん、聞きに来たの?」

「え? あ…買い物帰りにそういえばと思って」

「そっか。

じゃあいいタイミングだよ。

次の第七高校のね、この1曲目、凄っごいいい曲でね。

私、好きなの」

『私、好きなの』。

好きなのか。そっか。

「おまたせしました。

第七高等学校吹奏楽部の皆さんで~す」

音合わせが終わったらしい。

指揮棒を掲げる先生らしき人。

嬉しそうな安藤さん。

棒が振り下ろされた時、音楽が始まる。

特徴的なドラムの音。

これ、あのとき安藤さんの『中』で聞いた奴じゃね?

続いて始まる思わず踊りだしそうな、アップテンポのメロディで確信。

スケジュールの曲目を見るより、安藤さんの解説が早かった。

「『シング・シング・シング』っていうの。

定番の曲なんだけど、毎年高校生の人がやる曲だからウチら演奏できないんだよね。

これ、やってみたくってさー」

どうりで『中』で聞いた時、素人感覚だけど、エーレッシャより上手いなーと思ったわけだ。

高校生の音だったのか。

「もうちょっと後でトランペットがソロで入るのね。

で、それもまたカッコいいんだよねー。

あ、ほらほら!」

指差た先で、ブレザーのお姉さんが立ち上がり、一歩前へ。

独りで立って、その音が響きわたる。

やりたいなとは思わないけど、かっこいいのは確かに。

隣の安藤さんは演奏が終わって気が楽になってるせいか、ハイになってるせいか、声のトーンが何時もより力強かった。

頬は赤っぽいピンク。奥二重の瞼から伸びる睫毛が上下する。

耳の上に落ちてきた髪を親指で耳にかけ直す度、短く揃った爪が俺の目の前を横切った。

「あのソロパート、高校か、大人になってからでもいいから、絶対やってみたいんだ」

安藤さんならできるよ。

そう思った。

これまでだったらそれで終わりだった。

根拠も何も無い。言っていいのか分からないから。言い方もそれでいいのかわからないから。

でも今はそれで終わりにしたりしない。

言ったら、言った言葉は伝わるから。

それがどうなるかは、分からないけど。

だから、

「あ、安藤さんなら、たぶん、絶対…できるよ…と思います」

途中で安藤さんが俺の方を向いたから、俺は舞台の指揮者の先生の背中の方を向いた。

左側が熱い。

安藤さんから遠赤外線が放たれてるんだろう。きっとそうだ。

「ほんとに?」

笑うように言うその声が、左耳から侵入して脳味噌を溶かしていく。

「ん…」

「ほい。たこ焼」

げっ。安藤の爺。

「じゃ、じゃあ」

そそくさと踵を返す。

「お前も食ってけよ。ほれ」

二本の爪楊枝をつまんで、俺のほうに差し出す爺。

「このあとの社会人バンドの1曲目もいいんだよ~」

いや、え、ええ~~?

「肉と、玉子と…」

ええ~っと…。

「あ、アイス買ってるんで」

駄目押しにアイス購入を捏ち上げ、あとは歩く速度を速めるのみ。

後ろからなんか言われてるけど、誘惑に負けて振り返ることなく二谷堀駅の上りエスカレーターに乗る。

音楽が聞こえなくなるにつれ少しずつ脳味噌が固まって、左頬が冷えてきた。

安藤さん、変に思わなかっただろうか。

安藤さんもだけど、安藤の爺は?

固まってきた脳味噌でさっきのアレコレを思い出しながら二谷堀駅を出ると橋の上には電車鑑賞の親子連れ。

桜の木の下を通るとき、道路の向かいの寺の掲示板が目に入った。

警句が書いてある。なんだろ。

いつもは読まないそれを読んだ。

ちっ。なーんだ。使い古しじゃないか。それに…。

あっ!

思い出した。トイレットペーパー。もうすぐ切らすんだった。

コレ置いて…いや、また今度にしよう。

でも買うのは買うぞ。あの警句みたく手で把むなんて絶対御免だ。紙があればいいんだから。

そのまままっすぐコンビニ、その境目のひっそりとした小道。

いつも通りスカイツリーが見える。

掲示板にこの前貼り出された忌中の紙はもうはがされた。

そのまま道なりに進んでちょっと行った先の我が家。

引き戸を開け、閉め、見慣れた完全に和の茶色っぽい空間。

戦利品を冷蔵庫にツッコみ二階へ。

居間ーーテレビ部屋ともいうーーでごろ寝…だめだ親父が占領中。

寝るのは自分の部屋にしよう。

狭い階段を上っていく。ベニヤ板の壁に手をついた。手摺りはあるけど俺には低すぎる。

部屋に入ってすぐに制作キットのラジオ。電源を入れる。

ここ最近のマイブーム。作ったからには使おうと休みの日とかに通電してる。

なんか曲かかるかなーと思ったけど、丁度パーソナリティー二人で投稿紹介中である模様。

『ペンネーム「大連休壊され職」さんから。

「遡ること二ヶ月前のシルバーウィーク、あのセット・エトワールで九州旅行とはりきっていたのですが、なんと当日乗車駅に着いたところで、お仕事の緊急事態発生連絡ーーー!

そこから職場に直行。お休み返上で徹夜。普段の平日以上に仕事でしたぁ~。

当然乗車券はキャンセル 括弧 泣き」』

『ざーんねーーん!

セット・エトワールって、あれですよね。かの有名な超豪華寝台列車の。

この方どんなお仕事なんでしょーねぇー。

駅着いてから連れ戻されるって相ー当ー』

『うーん、気になりますネー。続きますよ~。

「悔しくてたまりませーン。この三連休は休めてますが」

おめでとうっ!!

「ふつーの近距離切符で買い物に出掛ける予定でございます 括弧 もっかい泣き。

せめて気分だけでもゴ~ジャスな列車の旅にしたぁ~い!」

かしこまりましたぁ~というわけでリクエストは』

なんか嫌な予感。

『ド定番すね』

イントロがスピーカーから流れ出す。

嗚呼…。やっぱり。

『ド定番すよ。

ま、でもみんななんだかんだいって、好きでしょ!

「A列車でいこう」』

もう消す気力がない。

イントロに続くゆったりとしたメロディは、それでも残ってた僅かな気力も予定調和の落胆ごと洗い流していく。

なんか、こんな感じで、しょーもないことに凹んだり盛り上がったりしながらこの先も続くんだろうか。

どうしようもない俺の見た目と、どうしようもない俺の中身と、どうしようもない状況を相方に、わからない他人と、わからない状況の中で。

痒い所に手が届かない、言葉って道具で、殴ったり不意打ちしたり慰めたり、殴られたり不意打ちされたり慰められたりしながら。

思った通りどうにでもできる所から出てきちゃったもんな。勿体無かったかなぁ。

揉めるかわかんないおっぱいに賭けるんじゃなかったかなぁ。

オムライスは食えたけど、次なる欲望が生まれてしまったし。

しょうがねぇ。もう昨日のこと。それに死んでなきゃ明日来ちゃうし。

そうだ。そんなことの前に、今日の晩御飯どうしよ。

この前奮発しちゃったし。今度のオムはソースでご飯炒ためて作ってみようとは思うけど、次いつならいけそうかな。

仏壇の前に来ると、遺影の笑うじいちゃんと目が合った。

死んだ身として今頃どこかで面白がってるかも。

どこかではどうかわかんないけど、俺の『中』では笑ってる。

そう思ったらちょっと悔しい。

手を合わせる気にならず、そのまま仏壇の前から立ち上がってカーテンを開けた。

窓の光が差し込んで電気いらず。蛍光灯の紐は静かにぶら下がってる。

スピーカーから流れる緩やかな音は聞き覚えのある領域を脱し、その先へと伸びていった。

へー。こんな曲だったのか。言われてみると旅っぽいっちゃ旅っぽいような。

そうだ。安藤さんがこれもいいよって、社会人バンドがやる…確か1曲目、オススメしてたっけ。

どんなだろう。

タイトルの読み方、『タンク』でいいのか?

きっと、ミルクタンク的な立派なブツをお持ちのおねえさ…。

待て自分。

そういう勝手な思いこみがエーレッシャさんの悲劇を生んだんじゃないか。

どんなおねえさんかは、ちゃんと調べてみるべきだ。

広場でもらったスケジュールの紙を学習机の上の、灰色の四角錐のほうへ。

上に乗せたものーープラスチックの黄色のチョキがくっついた、割れたペットボトルのキャップーーが落ちないように、そっと持ち上げ、その下に挟み込んだ。

そう。今日も。

いつも通りだ。

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