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新説 六界探訪譚  作者: 楕草晴子
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2.第一界―8

 10分前につくと、コウダはもう来ていた。

「こんにちは」

 ひとまずといった体であいさつするコウダは、カジュアルなワイシャツにベージュのチノパン、帽子。

 アニメのシャーロック・本田で、猫の本田――原作の小説では人間だが――がかぶっていたのと同じような形のやつだ。全体的に白っぽい。

「信じる気になったか?」

「花びらはどっかやっちゃった」

 それを聞いたコウダはあきれ顔でため息をついた。

 おもむろに俺の影を指さす。

「比べたらわかるだろ」

 コウダの影より薄い。

 気付かないでいたかった。

 昨日みたいに無理やり気付いていないことにしたかった。

 とにかく話題をそらしたい。

「到着早いですね」

「俺なら気になってちょっと早く来るだろうと思って、それよりさらに早く来た」

「鞄は?」

「捨てた。ケチャップ臭くてどうにもならんかった。

 洗えるもんでもない。だいぶ使ってたしもういい」

 今日はよくある透明な持ち手付の書類ケース。間に合わせだろう。

 腰にはお茶のペットボトルをホルダーでぶら下げている。

 書類ケースを持っていても違和感がないのは、今更気づいたが多分コウダの年が30代くらいだから。

 ただそのせいで、ペットボトルのキャップにくっついた黄色のプラスチックのピースサインを作った手は変な感じだった。

「話せる場所、できれば金がかからないところがいい」

 複合公共施設の一階の休憩スペースは、警備員のおばさんおじさんが常に見ていて、後で問い詰められるかもしれない。

 最寄り駅のマックは金がかかる。

「思いつかない」

「そうか。じゃあ、ウエノ公園にしよう。

 距離はあるけど、広いし、歩きながらかいつまんで話す。方向は…」

「ウエノ?」

「え? あっちの、動物園とかあるだろ」

「カミヤ公園だよ」

「そうか、『こっち』だとあの字で『カミヤ』だったな」

 こっちだとって、どっちだ。上野はカミヤに決まっている。

 フリガナまで振ってある看板があちこちにあるのに、なんで間違えるのか。

「歩きながら話すぞ」

 勝手知ったる様子で進み始める。

 上野公園は知らないのに、この道は知っているようだ。すいすい歩いていく。

 確かにここが上野公園までの一番近道で間違いなかった。

 この道、地元の人しか知らないはずなのに何で。

「人間は自分の頭の中に世界がある。今までの経験、体験、その人の見え方や聞き方なんかの身体的なものも影響して出来上がる」

 2車線ある通りに出て、曲がり角が見える。

「世界はうっすらとその人の体から周りに浸食している。

 手順を踏むと、その浸食域に入口を作って内面世界に入ることができる。

 通称『なか』と呼んでいる。

 浸食域に何か貼って、そこに穴をあけるというのが、その手順だ。

 やるにはコツがいる。訓練してコツをつかむとできるようになる」

 左手の向こうのほうに宵中霊園の入り口が見える。

 川藤さんがオタ芸していた花見スポットはあの先だ。

 あの時は、その川藤さんの中に入った後、あのあたりに出た。

「『中』は人それぞれ。

 外、つまり今いるところに似ていることもあるが、全く別世界のこともある。

 大人だと、比較的外に近い傾向にある」

 煎餅屋のいいにおいがする。

 十字路の角には古い民家を改装したカフェが見える。『ヨイナカコーヒー』という黄色の看板が掲げられているが、列はできていない。

 川藤さんの中をもっと見て回ってたら、こういうところもきっちり再現されてた可能性が高いってことか。

「刻一刻変わるから、入るときのその人の精神状態にもよる。

 あのときのカワトウさんは酩酊状態で浮かれていた。

 周囲にも鈍感で、完全にオープンだった。

 『中』で楽しそうだったろ。

 しかもあれだけ近くに知り合いのお前がいたのに気づきもしなかった」

 確かに。目線をコウダに向けて頷く。コウダの表情は変わらない。

 すぐ脇を通る車がけたたましくクラクションを鳴らした。

 自転車の人がペコペコ頭を下げている。

「『中』からは、入った人の体格に比例して物を持ち出せる。

 多少の異物が減っても、頭の中だ。

 少し時間がたったら復元される。その人に影響はない。

 成長の早い雑草を上だけ刈り取ると思えばいい。根っこが残ってるからすぐ生える」

「その理屈なら、俺にくっついてた花びらだって持ち出せるんじゃないの?」

「お前はだめなんだ。後で話す」

 はやくも『後で』が出てきた。幸先悪いな。

 午後1時はまだ暑い時期。

 和菓子屋の『水まんじゅう』の張り紙を多少恨めしく思いながら交差点を渡ると、東京芸大が見える。

「俺はそういうのを持ち出して、売る仕事をしている。トレジャーハンターみたいなもんだ」

「あれ売れるの?」

「『こっち』じゃ売れない。焦るな。順番に話すから」

 俺を見てふっと笑うと、帽子のつばを掴んでかぶりなおす。

 しまった。俺も帽子をかぶってこればよかった。

 かぶっている人を見ると、自分が余計に暑い気がする。

 芸大周辺には若い人が多いけど、持ち物とか服装なんかが特徴的な人たちが出たり入ったりしている。

 おしゃれな人、おしゃれなのかコスプレなのかわからない人。

 嫌にでかいバイオリンを背負った人。

 絵だろうか、キャンバスとみられる大きな四角い枠を持っている人。

「『こっち』、っていうのはお前が住んでいる世界。

 さっき外って言っていたところのこと。

 おれは、『中』でもこっちでもないさらに他の世界からきている。

 『あっち』って言ってる。

 小説なんかだと、パラレルワールドとか並行異世界って書かれる」

 ちょっと話がややこしくなってきたな。

 芸大を通り越した端に音楽堂が見えてくる。今は工事中、建物にかかっている小森建設のマークの幕は『うちがやってます』をでかでかと主張している。

 工事が終わったら幕は外されて元通り、いやそれ以上に綺麗な赤レンガの音楽堂になるはずだ。

「『あっち』から『こっち』に来るときは、特定の通過点になれる人の中を、『こっち』から『中』に入るときと同じように通ってきている」

 善良なおっさんを酔いつぶして人気のない夜道で本人了解なしにごそごそして勝手にその人の内面を抜け道にして通り過ぎるってこと?

「それ、ワルいよね。ダメなやつじゃないの?」

 コウダはくくっと笑った。

「『あっち』では通過点に了解をとっている。代々そういう職業の人がいるんだ。

 こっちの人は、まあある程度はしょうがない。

 でも前回みたいなのは、酒好きで気さくな人がターゲットの時だけだ。基本は背後からささっとすます。

 一回、どっか座ろう」

「つまり大抵は本人了解取らずにこそこそやるわけね」

 コウダからの返事はなかった。

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