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俺はパンを並び終えレジに戻る。
今店内にいる客は三人。カップルの二人とスーツ姿の男性。カップルは飲み物のコーナーにいて、スーツ姿の男性は雑誌コーナーで立ち読み中だ。
五分ぐらい経った後、公共料金を支払いの人が一人、マルチコピー機を使う人が二人来たが、商品を買う人はいない。
先程のカップルはあの後、三分ぐらいしてから何も買わずに出て行った。スーツ姿の男性は今だに立ち読み中。
更に十分が経ち、スーツ姿の男性も出て行った。店内の客が0人になり、完全に暇な状態になった。
今日この時間帯の同じシフトの竹下さんと神田さん。共に既婚者の主婦で、共に中学生の娘と小学生の息子がいるらしい。
今も子供の事や主婦業について二人で盛り上がっている。
暇な時に二人がお喋りに夢中になるのは全然構わないのだが、時より俺に話を振る二人。
独身男性と子持ち主婦の話が合う訳がない。なので俺は二人に話を振られないように、自ら床の掃除に回る。
その後トイレ掃除にも回るつもりだ。パンの品出しに回ったのも同じ理由である。
時間は過ぎて行き、午後五時になり俺の仕事上がりの時間になった。ちなみに竹下さんと神田さんは一時間前に上がった。
「お先です」と後のシフトの人と入れ替わり、店長が待つバックヤードに向かった。
「お疲れ様です」
「おぉ。お疲れ」
「店長、先程仰っていたお話とは?」
「それなんだがな、今はここだけの『Prrrrr……』」
店長が話を始めた時に店の電話がなった。電話に近かった店長が電話に出た。
夕方のピーク時の電話を描けてくる非常識な奴だと俺は思った。
店長もそう思ったのか「今担当者がいない。また……」と言い、耳から離した受話器を数秒見詰めた後、受話器を置いた。
「どうかしましたか?」と俺が尋ねると「アルバイトの募集の件で、明日の朝十時以降に掛けるように言おうとしたら、『担当者がいない』って所で切れた」と店長は言った。
「はぁ?」俺は思わず声が上擦った。やっぱり非常識な奴みたいだった。
「話の続きなんだが」と話を始める店長。
来年の春に俺が住むアパートから徒歩十分の所に新店舗が出来きるらしい。そして俺がそこの新店店長候補であると聞いた。
しかも店長になるなら正社員。この不景気に正社員とは、ありがたい話である。
長い事コツコツと真面目に頑張って来た甲斐かと、自画自賛しながら候補理由を尋ねてみた。
「お前だと交通費が浮く」との事で。
「今月末までに考えておいて。じゃあ、お疲れ」と言い、帰る店長を「お疲れ様でした」とその場より見送った。
時計を見ると時刻は午後五時五六分。待ち合わせは午後六時半で、場所はこの店の最寄り駅の広場。ここからは徒歩七分程度の距離。余裕で間に合う場所である。
正社員の話を聞いた時、俺はやっと不安定なバイト生活から抜け出せる事に嬉しくて心の中で喜んだ。
だがそれ以上に合コンに間に合う事がわかった今の方が嬉しくて、心の中でガッツポーズを決めた。
待ち合わせ時間には余裕で間に合うが、一応急いで着替える。
そして全力疾走で広場に向かう。多分五分程度で着くだろう。
全力疾走の俺。久しぶりの全力疾走だ。こんなに一生懸命に走ったのは、高校の体育以来。大人になってからは多分初めてだ。
何をそんなに急いでるのかと、擦れ違う人達が俺を一瞥するのが過ぎて行く景色と共に視界映る。
それもそうだろう。大の男が歩道を全力疾走しているのを見たら、誰だってどんな大層な理由があるか気になり、そして様々な理由を推測する事であろう。
だが、今、目の前を走り過ぎて行ったその大の男が走る理由が、まさか『合コンの為』だとは、誰も思うまい。
駅前広場に着いた。やはり五分程度だったが「ゼェゼェ」と息が上がる。
鞄に昼の飲み掛けのお茶があり、俺はそのお茶を飲み干した。二口分だった。それでも喉を潤すには充分だった。
時刻は午後六時過ぎ。例え夕方と言えども今は七月上旬の真夏日。汗が半端なくヤバい。
俺は夏場にアルバイトに行く時は鞄に真夏のエチケットとして、未使用のタオル数枚、制汗スプレー、汗拭きシート、着替えのシャツ、密封出来るジップ付きのビニール袋数枚を持って行くようにしている。
鞄に真夏のエチケットがある事を確認した俺は、駅構内入って少し歩いた所にあるトイレへと向かう。
トイレ内には誰もいなかった。もし公衆の場で着替えている時に知らない誰かと遭遇するのは、例え同性でも気まずい。恐らく遭遇した相手も気まずいはずだ。なので俺はそんな事にはならないように一番置くの個室に入った。
シャツを脱ぎタオルで汗を拭き、制汗スプレーをして新しいシャツに着替えた。着替えている時に何度か壁に腕をぶつけた。地味に痛い。
着ていたシャツと使用したタオルをビニール袋に入れた。それから使用したすべて物を鞄に仕舞い、俺は個室から出た。
そして顔と手を洗い広場へ向かう。
時刻は待ち合わせの十五分前だった。
清々しい気持ちで広場に戻った俺が辺りを見回すと、高橋は既に来ていて野良猫を撫でていた。
高橋は今日も猫缶持参だった。高橋と待ち合わせをすれば、相変わらずな光景だ。そんな光景に、「やっぱりか」と心の中で笑う。
「ってか、もう来てるって、あいつどんだけ気合いいれてんの?」と更に笑う。
ちなみにどちらも『微笑ましい』という思いからである。
野良猫を撫でていた高橋は少し離れた所にいる俺に気が付かない。高橋が野良猫を撫でる事は別に構わない。
『高橋=猫バカ』なのだから。
だが高橋が野良猫を撫でる時に一つだけ気になる事がある。それは撫でる時の格好だ。
普通、野良猫を撫でる時は『しゃがみ込み撫でる』と思うのだが、高橋に至ってはしゃがむ事はしゃがむが、『正座をして膝の上に乗せて野良猫を撫でる』のである。
「猫好きならそれが当たり前なのか?」と高橋が野良猫を撫でる姿を見る度に疑問に思う。そして「ここ外だよな?」と俺は辺りを見回すのだ。
実は今もそうで俺は辺りを見回した。
辺りにはポケットティッシュを配る人、何処かの店の呼び込みをしている人、まだ明るい空の下を行き交う人々がいた。
確かに間違いなくここは外だ。昼間でさえも人通りが多い駅前の広場だ。そして今は丁度平日の帰宅ラッシュで、更に人通りは多い。
高橋の近くを通り過ぎる人の中には高橋を一瞥する人もいるが、立ち止まる人、ましては声を掛けようとする人はいない。
実の所、俺もちょっと話し掛け辛い。
今日の合コンのメンバーであるあと二人の男性は、まだ来ていないようだ……と言っても俺は彼らの顔を知らないし、何か用があって高橋に近く者もいないから、やっぱりまだ来ていないのであろう。
それかもし彼らがこの場所に来ていても、俺みたいに高橋に話し掛け辛いのかも知れない。
待ち合わせまで後十二分ぐらいある。
高橋が俺に気が付くか、待ち合わせ時間になったら話し掛けようかと、そう決めた俺は鞄からスマホを取り出した。
ゲームでもしようと思ったが、高橋の猫バカ振りを撮ってやろうと、俺はカメラアプリを起動しスマホのレンズを高橋に向けた。
シャッター部分に指を近付けたまま行き交う人達が見切れるの待っていた。
そして訪れたシャッターチャンスに軽く触れる程度に数秒画面に触れただけのはずが、九枚の連続写真が撮れた。ついでにムービーでも一分ぐらい撮ってやった。
撮った写真とムービーを確認する。ムービーの方は動きがあるからまだいいが、連写だった九枚の写真の構図は当たり前だがほぼ同じ。
『でも良く見ると野良猫を撫でる高橋の手元が数センチずれている』という多少の違いがある。かなりハイレベルな間違い探しが出来上がった。
どれも同じ写真なので一枚だけ残そうと、再び九枚の写真を確認していたらスマホの電池が切れた。
スマホを鞄に仕舞い再び高橋の方を見た。誰かが高橋に近付いて行き話掛け始めた。
「おぉ、ついに苦情か?」と眺めていたら、声は聞こえないが親しく話している様子。
その様子からどうやらその人がまだ来ていないメンバーの内の一人のようだ。
一人だけどもメンバーが来た事だし、俺も高橋に話掛けるとしよう。
「よう!高橋、久しぶり」
俺は高橋に早足で近付き、一応『如何にも今来ましたよ』的な雰囲気で、話し掛けた。
「おぉ、久しぶり」と座り込んでいた高橋は俺を見上げて言う。
高橋の膝の上にいた野良猫は膝から降りた。そして一度背中を伸ばし高橋の足に額を擦り付けてから、何処かに去って行った。
高橋と野良猫から数歩離れた所からそれを見送った俺は「悪い。遅くなった」と詫びる。
「まだまだ時間前だし、それに全然(時間的に)待っていないから」と高橋は言う。
「嘘つけ。お前、結構前からいたろ?俺は見てたぞ」と俺は心の中で呟き、「そうか?なら良かった」と話を合わせる。
ズボンを払いながら立ち上がった高橋は「あっ、こいつ津田悠ね」と隣にいた男を指指す。そして今度は俺を指差し「こいつが猫田大助」と俺を彼に紹介した。
「どうも」と俺。すると津田さんも「どうも」と答えた。
俺と津田さんが互いに挨拶をしたのを見た高橋は持参した猫缶を拾うと、「ちょっと二人で適当に話してて」と言いこの場を去って行く。
。
「……」
「……」
数秒の沈黙が流れる。初対面の二人。気まずい。
この場を去った高橋は恐らく猫缶を捨てにでも行ったのだろう。だがこの広場にはゴミ箱はない。
もしゴミを捨てるなら一番近い場所は広場の向かいにあるコンビニ前のゴミ箱だ。そのコンビニに行くには横断歩道を渡るが、もし行き帰りに信号に引っ掛かっても五分も掛からない。
だが高橋はコンビニには向かわず、コンビニと逆方向の駅構内に入って行った。
何故そっちなのか?と俺は疑問に思いつつ、高橋をその場から見送る。
広場があるのは北口。北口から駅構内を少し歩いた所に中央口がある。
その出口付近に自販機があり、その自販機横には『缶・瓶・ペットボトル専用』と書かれたゴミ箱が備え付けられている事を俺は思い出す。
ついでにそれぞれの捨て口が別れているが、中のゴミ袋は一緒だという事も思い出した。
果たしてあれは別ける意味があるのだろうか?とちょっと疑問に思うのは俺だけだろうか。
猫缶は確かに缶だ。だからわざわざ『専用』と書かれたそっちなのか?
真面目な性格のお前らしいちゃらしいけど、コンビニの方にも専用のゴミは箱はあるぞ?
でも自販機横のゴミ箱には、普通、飲料系の缶を捨てる所だし、そこに缶詰の空捨てても良いのだろうか?しかも猫缶。
高橋の行動について自問自答する俺。
そしてここからそのゴミ箱まで片道六分。往復で十二分の距離に「ちょっとじゃねぇし」と心の中で突っ込む。
広場に残された俺と津田さんは隣り合わせに並んでいたが、俺は体は正面で顔だけ駅の方を向いていた為、結果的に彼にそっぽを向けてしまっていた。
いくら初対面だとは言え、隣り合い挨拶をした相手にそっぽを向けるのもどうかと思い、俺は彼の方に体ごと顔を向けた。
すると彼は俺に背を向けて、スマホを弄ってた。しかもイヤホンを付き。確かに俺もそっぽを向いていたが、彼を見た時、ちょっとショックだった。
スマホを弄る彼の背中を見る俺。
……彼はスマホに夢中である。
俺もスマホを弄りたかったが、生憎、電池がない。更にスマホを弄る彼の背中を見る俺。
………………三分ぐらい経った。
恐らく高橋はあと少しで中央口の『缶・ビン・ペットボトル専用』のゴミ箱に辿り着く頃だ。
この三分間、俺は決して彼の事を物珍しそうにジロジロと見ていた訳じゃない。それに、まるで彼を見定めるかのように、彼の頭の先から足の先までを見た訳でもない。
スマホを弄る彼の背中を見たり、広場を行き交う人や駅の方を見たりしながら、チラチラと俺は彼を見ていたのだ。
その視線を感じていたのか、彼はイヤホンの片方外しながら俺の方を見て、迷惑そうに「何か?」と聞いて来た。
その時の俺の立ち位置が彼にとってちょうど逆光で、彼は眩しそうに眉を寄せ目を細めて俺を見た。逆光に自然とそういう目付きになるのは仕方がない。そしてその目付きになると誰だってが強面になる物である。
その強面のせいで『津田さん=(目が)怖い人』という第一印象になった。更にそのせいで津田さんの「何か?」という問いに「ぃえ!な、何も……」と声が裏返った上にどもる。
……マズい。只でさえ気まずい空気が更に気まずくなる。
そんな空気の中、津田さんは「そうですか」と怪訝そうに俺を見て、またスマホに視線を向けた。
俺はまたスマホを弄る彼見たり、広場を行き交う人など見たりして、更に(何とか)数分経った。
もう一度言おう。俺達は初対面だ。気まずい。
互いの共通の友人の『頼りの綱』である高橋は、猫缶を捨てに行ったままである。
今はもう缶を捨ててこっちに向かって来ているはずだが、あと数分は戻って来ないだろう。
「高橋、早く戻って来てくれ!お前は俺らの『掛橋』だ!!」と心で叫ぶ俺。